2016年12月05日

表の話し声

RIMG1527店番をしていると、外の話し声が案外よく聞こえてきます。最近、面白かったのは、二人連れの少女が通りがかりに残していった言葉。

「16年生きてきて、この店の中にまだ一歩も足を踏み入れたことがない」

お母さんとお子さんの会話には、楽しいものが多いのですが、つい先日も思わずにやりとさせられる一件がありました。

5歳くらいの男児だと思います。「一人で行ってらっしゃい」と促され、ミニカーと100円玉を握りしめて帳場までやってきましたが、しばらくもじもじ。

「はい、いらっしゃい」と声をかけると、ようやく握りしめていたものを台の上に差し出しました。

そこで100円硬貨の方をいただき、ミニカーは手に握らせて「どうもありがとう」と言うと、脱兎のごとく表で待つお母さんのもとへ。

お母さんが「ちゃんとありがとうと言えた?」と尋ねたのに対して、「うん」。答える声が、はっきり店主の耳にまで届いたのですが、もちろん異議を唱えるようなことはいたしませんでした。

次は本日の光景。

絵本の棚に「この場所での読み聞かせはご遠慮ください」と貼り紙がしてあるのを見つけ、「いるのよね、そういう常識のない人が」と声を出された年配のご婦人3人連れ。

そこまでは良かったのですが、それからその場所で四方山話が始まりました。初めのうちこそ絵本などをご覧になりながらでしたが、いつしか純然たる立ち話に。

読み聞かせなら何冊も読めそうな時間が経っています。仕方なく腰を上げ、絵本棚の整理に向かいますと、あっという間にお帰りになられたのでした。

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2016年12月04日

消せるもの消せないもの

久しぶりに、消しゴムで鉛筆線を消すという作業をいたしました。

以前ほどそれをしなくなったのは、その手間に見合うだけの価格をつけられる本が少なくなったからです。

ならばなぜ、今日は線を消したのか。動機はいたって単純。見たところきれいな本なのに、開いて見たら薄い鉛筆線が見つかったからです。

あまり薄いので、ちょっと消しゴムでこすってみたら簡単に消えました。ところが気がつくと他のページにも線引きがあります。そこを消すと、また別のところにも見つかる。

そんな具合で消し始めると、実に万遍なく線が引かれていることが分かりました。しかもそれが簡単に消える。そこでこうなれば、完全に消してしまおうと、腹を括って頭からとりかかったのです。

26206線引きがあったのは『中国人強制連行』(西成田豊、東京大学出版会、2002年)。定価は高い学術書ですが、古書価のほうはそれほど高くありません。それでもあまりきれいに消えるので、つい頑張ってしまいました。

消しながら目に入る文を読んでいくと、次第に暗い気持ちになってきます。タイトルからわかるとおり、第二次大戦末期に中国人を強制的に連行し、過酷な肉体労働に従事させた事実を、膨大な記録から読み起こしたものです。

線引きは、一箇所につきせいぜい2〜3行程度のものがほとんどでしたが、それが数ページごとに現れます。内容の重さに引きずられて何とか3分の2ほどまでは進みましたが、次第に後悔の念が強くなってきました。

いよいよ投げ出そうかと思ったときです。「河野」の文字が目に飛び込んできました。気になってその前後を走り読みすると、かの「花岡事件」の中で、中国人に渡るべき食糧をピンハネした鹿島組花岡出張所長の名として取り上げられています。

もちろん同姓というだけで店主とは縁もゆかりもありませんし、その記録だけで悪逆非道の人物を思い描くほどナイーヴでもありませんが、鉛筆線のようにはきれいに消えない歴史の汚点が、滓のごとく心に残りました。

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2016年12月03日

私が持つ

ポツリポツリと、思い出したようにご来客のあった土曜日。午後遅い目の時刻に、外国人の男女が店に入って来られました。

初めに入ってきたのは男性。40代前半というところでしょうか。「コンバンワ」と日本語の後、「Only Japanese books?」。

何も答えない間に、店内を見回して洋書の棚に気づかれ、感嘆詞をひとつ。そうして棚の本を見始めました。

続いて女性も店内に。こちらは本よりビジュアル系にご興味があるらしく、テーブルの下に積み重ねてある洋雑誌をひっくり返し始めます。

男性は時に独り言をつぶやきながら、女性は終始無言で、10分以上が経過。やがて男性が1冊の本を手にして帳場の前に立ち、「Post?」と店主に問いかけました。

さらに言葉を継いで「送れるか?」と尋ねられましたので、「どちらへ?」と問い返しますと「東京」。ご自身のお住まいに送ってほしいということだと分かりました。

KIMG05641kg未満ですから送料が350円かかることを告げ、ご住所を伺おうとしたとき、それまで一言も話されなかった女性が、何やら険しい表情で男性に向かい「あなたの言っていることが理解できない」と口を開きました。

なぜ送らなければならないか、重いというなら私が持って帰る。およそそんなことを仰っているようです。

一瞬、本の購入に反対されているのかと思ったのですが、そうではなかったわけで一安心。結局、紙の手提げ袋にお入れして、お渡しいたしました。

帰りがけ、照れ隠しもあるのでしょう、外国人お定まりの「店褒め」を一言二言ちょうだいしております。

Shibusawa Keizo (ed.) Japanese Society in the Meiji Era. Obunsha, 1958 が、お買い上げの一冊。もちろん、みすずのカレンダーを一部、呈上いたしました。

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2016年12月02日

自筆書簡の謎

KIMG0554明治古典会の12月は、今日を入れて3回しかありません。来週は東京資料会大市のため休会。30日の金曜日はすでに組合が冬期休館に入っています。

そのうちの1回が終わった今、残されたのはあと2回というわけです。一気に年末が近づいてきました。

23日は祝日ですが、明治古典会が開催されるのは、こうした理由によります。しかも、この日がクリスマス特選市。明古にとって、七夕大入札会に次ぐビッグイベントです。

今日はその目録原稿締切日でした。

例年、なかなか目録に出せるようなものがない小店ですが、今回は少しばかりお客様からの預かり品があり、それらを写真どりして封筒をつけ、担当幹事に渡して目録掲載をお願いしました。

なかで1点、間が良いとしか言いようのない偶然に恵まれ、無事出品に至ったものがあります。それはある名士の書簡です。

お預かりした時には気付かなかったのですが、あとで良く見ると、まぎれもない自筆書簡。お預けくださったのは、その名士の子孫に当たられる方。

ですから、その家に残されていて不思議はないように思われますが、よく考えればやはり不思議です。書いた手紙を当人が所持しているということは、あまりありません。

さらにこの名士の書簡集が刊行されていて、そのなかに同文の書簡が載っています。どのような来歴によってここにあるのだろうかと、考え込みました。かといって直截に問い合わせるのも憚られます。

手がかりは封筒にあると思っておりました。宛名を書いて投函した封筒ではありません。なにやら説明文が書かれた封筒ですが、悲しいかなその文章が良く読み取れないのです。

今回の出品をあきらめかけた時、折よく崩し字を読むのに長けた同業と出くわしました。そこでこの時とばかり、頼み込んで封筒表の文章を読んでもらったのです。

その結果、疑念がきれいに晴れました。これは「手紙案」つまり下書きであったのです。紛れもない自筆であり、その家にあって然るべきものだと分かったのでした。

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2016年12月01日

『クラーク先生とその弟子達』

11030例によって片づけ作業の途中で出くわした一冊の本。その頁を開いてみる気になったのは、最近読み始めていた伊藤整の『日本文壇史』に触発されたのかもしれません。

この大著については、まだようやく文庫版の第一巻を読み終えたところで、何かを語る資格もないのですが、少なくともこの巻では幕末から明治初期にかけての、文壇前史をになう人々の動きが、目配り良くスケッチされていました。

そうした群像の中に、クラーク博士と札幌農学校の生徒たちについての記述も出てきます。それが頭に残っていて、たまたま目にした大島正健の著書に手が伸びたのでしょう。

自店データの記録では、ほぼ10年前に入手したことになっています。一度は棚に並べ、ネットにも上げたはずですが、いつか店の奥に塩漬けとなって今日に至りました。その間、一度として内容に興味を持つこともなかったわけです。

今度、そんなきっかけから本を開いて読み始めると、想像していたものとはまるで違う、読切講談のような語り口に、まず意表を突かれました。

一読して感じたのは、名が体を表していないということです。むしろ大島正健自伝というほうが、その内容に近いでしょう。この本の面白さは、その自伝的な部分にこそあると思います。

自らを褒めるにも遠慮のない、自由闊達な語り口によって、著者の幼少時から青年期にいたるまでが、実に生き生きと描き出されています。クラーク先生も、その弟子達も、大島青年の若き日を彩る傍役にすぎません。

一方で、保存されていたと思われる引用資料の豊富さと、60年も前の記憶をよくこれだけ細かに語れるものだという点には、驚かされました。伊藤の『日本文壇史』も、この著書を参考にしたと思われます。

大島の一級下になる新渡戸稲造も内村鑑三も、クラーク博士のあの名言は耳にしていなかったのだということを、改めて知らされました。

書かれたのは80年近く前。いま読んでも十分面白い本です。

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2016年11月30日

見えない石の話

個人的な話です。とお断りするまでもありませんか、いつだって個人的な話ですから。

2週間ばかり前のこと。明け方、痛みで目が覚めました。だんだん頭がはっきりしてくると、痛むのは腰から左わき腹にかけてのあたりだと分かってきました。

そして次第に、それが初めてではない、以前にも経験した痛みであると、思い出しました。

もう20年ほども経ちますが、初めてこの痛みに襲われたとき、おどろいて医者に行ったところ、尿路結石だと診断されたのです。

総合病院の泌尿器科を紹介されて半年あまり通院。ところが一向に石が動かず、担当医の判断で入院、手術に至ったという経験を持っております。

その時の痛みと、まったく同じだと確信いたしました。20年を経て、再び石が存在を主張したのだろうと。そう結論すると、このところ感じていたさまざまな自覚症状も、すべて符合するようです。

症状が一旦収まったので店に来て、開店の準備を済ませたころに、また痛みが襲ってきたため、近くのかかりつけのお医者さんに行き、痛みどめを出していただきました。

結局その日は、痛み止めを飲み、午前中を店の奥で横になって休むと、午後からは普通に過ごすことが出来ました。

数日後、意を決して専門医に診てもらうことにしました。下北沢にあるクリニックです。問診の後、エコー検査とレントゲン撮影。固唾をのんで聞いたその結果は、何とも意外なものでした。目につくような石は見つからなかったのです。

RIMG1542拍子抜けしたと同時に、新たな疑問が湧いてきます。それでは、あの痛みは何だったのでしょう。2日前に血液検査と、尿検査の結果も出て、癌などの心配はないと分かったことが、今回の収穫でした。

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2016年11月29日

今日の古書会館

一回お休みをはさんで、二週間ぶりの洋書会。4階会場には、ほぼ全ての平台に隙間なく本が並んでおり、洋書会としては、かなり多めの出品量です。

しかし幸か不幸か、店主に入札しようという気を起こさせるものは、一点もなし。全体の3割が英文学関係、6割が経済学関係、あとはモロモロ。

ほとんどが100〜200冊単位にまとめられていたことも、敬遠させた理由です。仮に気になる本を山の中に1冊、2冊見つけたとしても、そのために数百冊を背負い込む物理的余裕が、もっか小店にはありません。

幸か不幸かという、その「幸」の部分は、どうしても手に入れたいと思う本が、そうした大山の中に混じっていなかったこと。「不幸」もまた同じ。物理的余裕を無視してまで入札したくなるような本が、見つからなかったことです。

つまるところ、手の出ない大量の洋書を、眺めていただけの一日となりました。こういう日もあります。

KIMG0572そんなわけで、今日の洋書会については、お話しできるようなことはありません。代わりに会館の話題をひとつ。3階で開催されている東京古典会で、NHKの番組収録がありました。

事前に市会からの案内メールでアナウンスされていましたので、午後1時過ぎに古書会館に着いた時、それらしき人たちが待機しているのを見ても、驚きませんでした。古書組合は、これまで何度もTV番組の取材を受けていますから。

それでも、用があって4階から階段を降りて3階を過ぎた時です。ちょうど収録を始めようと階段を昇ってくるスタッフと狭いところですれ違うことになり、脇へ除けて道を譲りました。

機材を持った数人が通り過ぎ、これで終わりかと思いきや、次から次と昇ってくる人が、いつ途切れるともしれません。呆れるほどの人数。はたして何という番組の収録だったのでしょう。

延々と階段途中に立ち尽くしたのは店主の他にもう一人、旧知の同業。全員が行き過ぎたあと、二人して思わず顔を見合わせたのでした。

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2016年11月28日

駒場祭異変

KIMG0575昨日まで三日間、駒場祭でした。

それが小店ばかりか、駒場の商店には全く何のおこぼれもない三日間であることは、店主の知る限りにおいて過去30年以上、変わらぬ事実です。

そう確信しておりましたところ、25日の朝、お隣のコンビニを覗くと、レジに長い列が出来ておりました。家人の話では「駒場祭セット」なるものを販売していたとか。

紙あるいはプラスチックのコップだとか皿だとか、割り箸だとか、そんなものでもまとめて売られていたのでしょうか。

少し時間が経ってから、ウェットティシューを買いに行ったら品切れになっておりました。これも駒場祭特需だったかもしれません。

しかし、始まってしまえば学生さんは降りて来ず、コンビニも普段よりずっと人の少ない3日間であったことでしょう。

小店にはもちろん「駒場祭セット」のような特需は期待できません。それでも初めてご来店になったらしいお客様が、この3日間はいつもより多かった気がいたします。

売上も特に落ち込みはありませんでした。もっとも、これ以上落ち込みようがないレベルの日々ではありますが。

そんななか、ひとつ例年と違う点がありました。それは、段ボールを求める学生さんたちが、一人も来なかったことです。

毎年必ず、何人かの学生さんが探しに来られるため、しばらく前から、空いた段ボール箱を捨てずに取ってありました。

段ボールなどを使わないようになったのか、あるいは最近の学部生さんには、小店の存在が認知されていないのか。次の資源回収日に、処分するつもりです。

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2016年11月27日

福島いじめ

昨日の出版記念会で、もっぱら二人だけで話したという先輩は、福島の人です。南相馬市小高地区で農業を営んでいました。

原発事故のすぐあと、避難指示に従って取るものもとりあえず家を離れ、以後、5年間にわたって他所の土地で暮らすことを余儀なくされました。

今年の夏、避難指示が解除され、戻ろうと思えば戻れる状況になったのですが、生活のインフラが整っておらず、防犯面にも不安があるとのことで、二の足を踏んでいる家族も多いようです。

しかしインフラ整備と帰還者の増加はニワトリと卵。どちらが先と言っていたのでは、永久に町は甦りません。先輩も、戻る覚悟を固めていました。

ただ、戻るのは先輩ご夫婦と、90歳を超えるご母堂の3人だけ。事故前まで一緒に暮らしていたご長男の家族は、今年の春、茨城県に建てた新しい家で暮らすことになるそうです。

農地は地区でまとめて整備し、利用する意思のある人に使ってもらおうという計画だと聞きました。高齢化の問題に加え、食物の栽培は現実としてあきらめざるを得ないからと。

どれほど安全だと言っても、消費者は避難指示地域だったところの作物を選ぼうとしない。その断定に反論することは、店主には出来ませんでした。

それが研究者の道をあきらめて農家を継ぎ、半世紀近くを農民として過ごした先輩の、直面する状況です。全ては原発事故のもたらしたものです。

KIMG0565地震がなければ、津波がなければと悔やむことは詮無いことかもしれません。しかし原発がなければ、というのは悔やむ意味のあることだと思います。

「福島いじめ」があるという新聞記事を読みました。明らかな犯罪まで「いじめ」と呼ぶのは問題であるにしても、昨日の先輩の話を思い起こし、深く心を痛めました。

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2016年11月26日

出版記念会

portrait大学時代の先輩の著書『自画像の思想史』。その出版記念会が横浜で催され、それに出かけてまいりました。

元町駅から歩いて数分、小さなビルの地下にある「ブラッスリー アルティザン」というのがその会場。正午から始まる会に、その15分前に到着すると、すでに大勢の来場者で賑わっておりました。

店主の知った顔は主役である当の木下さんのほかには、同じ大学のやはり先輩が一人だけ。正確に言えば、先日小店にご来店になった四方田さんもお見えでしたが、結局、始まってから終わりまで、話したのはその先輩とだけです。

それでも久しぶりの先輩と話すことは山ほどあり、少しも退屈しませんでした。

スピーチは、最初が本に取り上げられた中で唯一の現存画家という方、次いで乾杯が四方田さん、しばらく間をおいて木下さん、出版社の方、という4名。

あとは自由に立食歓談。70名ほどの出席者だと後で聞きましたが、会場も広すぎず狭すぎず、良い雰囲気でした。

食にこだわりを持つ木下さんのことです、料理にも期待はありました。品数が多くて、並んでいた半分ほどしか取れませんでしたが、どれもまずまず。一杯だけいただいた赤ワインが、とくに美味しく思いました。

KIMG0579会場に入る際、木下さんが用意したらしい、手書きのネームラベルを胸に貼ってもらっていました。帰る時、それを剥がし、改めて眼鏡をかけて見ると「大学時代の同輩」とあります。

ほかの出席者の胸元に遠慮なく目を近づけて、しっかり読ませてもらえば良かったと、お別れの挨拶とともに木下さんに告げると、「そのつもりで作ったんだけどな」と、少し残念そうな声が返ってきたのでした。

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