2017年06月15日

遠来のお客様

「こんにちは」と言って店に入ってこられる方は、決して少なくありません。

RIMG1988しかしそのご婦人は、そうおっしゃったまま入口に立ち止まって、しばらく店主を見つめておられます。何か言いたげで、ただどう切り出したものかと逡巡されているご様子。

やがて思い切ったように「シアトルから来ました!」。

なるほどためらいも当然です。お互いのブログを通じて、幾度かエールを交換したこともあるのですが、もちろんこれが初対面。「シアトルの古本屋」さんでした。

横浜の知人宅に滞在されており、今日は民芸館をお目当てに来られたのだとか。たとえその足ででも、よくぞお寄りくださいました。

折よく家人が居合わせましたので、奥に入っていただき、家人相手にお話をしていっていただきました。

実際のところ、家人の方が良いブログ読者で、最近の動静などについても情報を得ております。なにより女性同士。より気楽に話せると思って、お相手を任せたのでした。

案の定、話が弾んだようで、時折笑い声が帳場まで聞こえてきました。

「駅から近いですね」と驚かれていましたが、本当は静かなことにも驚かれたのではなかったでしょうか。何しろシアトルさんが来られてから、お帰りになるまでの数十分、ほかに誰一人ご来店がありませんでしたし。

お帰り際「いつまで続けられることか」と家人が申しますと「やれる限り頑張ってください」と、励ましの言葉をいただいたのでした。

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2017年06月14日

須賀さんを偲ぶ

片づけ物をしていて、9年も前の「古書月報」がひょっこり出てきました。いかに日頃の整理が悪いかが分かろうというものです。

毎号、目を通してきたつもりではありますが、久しぶりに手に取ると、まるで初めて見るよう。その表紙に「特集・東部支部座談会」とあります。その頁を開いたとき、胸をつかれました。

冒頭に、今はない東部古書会館の写真と共に、司会者であるカンパネラ書房・須賀優さんの穏やかな笑顔が載っていたからです。

須賀さんは今年4月に亡くなられました。66歳だったそうです。その報せが今月初めになって、組合から同報メールで送られてきました。

実はその少し前、ある同業からその事実を知らされてはいたのですが、ひっそりと静かに去られたのが、いかにも彼らしい気がします。

この座談会の中でも語っておられますが、彼は南海堂書店の出身でした。店主が使ってくれる古書店を探し歩いている頃、すでに店員として働いておられました。

それでいて独立されたのは店主より3年後。おっとりとした性格は、南海堂出身者の集まりなどで同席した際に、お話しをしていても感じられたものです。

この時分は東部支部長をされていて、それで座談会の司会を任されたのでしょう。そのまとめとして、こんな言葉が残されていました。

RIMG1987うちも本当に厳しいのですが、古本屋で死にたいなあと。(略)十年後も古本屋をやっていられたらいいなあと思っています。

合掌

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2017年06月13日

「僕の好きな本屋」

雑誌の「本屋さん特集」で店を撮影させてもらえるか、というお問合せをいただきました。

シティーボーイのためのファッション/ライフスタイル情報誌というのがうたい文句の、良く知られた雑誌です。

一瞬怪訝に思いましたが「著名人の方にご自身の好きな本屋さんを語っていただく企画」で、ある女性モデルさんが小店の名を挙げられたそうです。

ご近所にお住まいだったことがあるというそのモデルさんが小店を訪れ、その様子を撮影したいとのお話です。

お客様からご指名いただいたとあれば、お断りするわけには参りません。お受けする旨伝えたところ、モデルさんの都合で今日の午後が撮影日となりました。

火曜日ですから洋書会。店主が出かけることは、前もってお断りしてありましたが、予定どおりカメラマン、編集者、そしてモデルさんご一行がご来店になり、撮影は無事終えられたようです。

RIMG1974市場から戻り、家人にその様子を聞いたところ、みなさん店内の本よりも、表のジャンクおもちゃに興味深々だったとか。とりわけカメラマンの方はウルトラマンにご執心だったらしい。

果たして本屋らしく撮っていただいているでしょうか。その点が、いささか心配なところではあります。

しかし良かった点が一つ。少しでも見苦しいところを減らそうと、家人が昨日から頑張って、帳場周りを片付けてくれたのです。その分、気合抜けもしたようですが。

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2017年06月12日

古本屋なら

KIMG0013昨日店を閉めようとするころ、30代と思われる男性が一人で入って来られ「ここは古本屋さんですよね?」。

「そうです」とお答えすると「東京の地図で小型のやつはありませんか?」「いや、置いてません」。

「探したらどこかにあるんじゃないですか?」「ないと思います」「古本屋じゃないんですか?」

あらためて言うまでもなく、必要とされていたのは現在の実用的なもの。この方のおっしゃる「古本屋」とは、どんなお店のことなのか、お帰りになったあと、しばし考えてしまいました。

30年ほど前、つまり小店が開業したころなら、新しい道路地図帳などは町の古本屋にとって「置けば売れる商品」の一つで、特価本として平積販売している店もありました。まさか、その時代のことをご存じとは思われません。

市街地図帳の場合でも、新しいものなら売れるかもしれませんから、今でも手に入れば目につくところに並べるお店もあるでしょう。

しかしスマホの普及で需要が減り、それに伴って出版される数も減り、その結果、古書店に巡ってくる数自体が大きく減っているはずです。

確かにお客様からお引き取りする中に、地図帳が混じっていることはありますが、それが店頭に出せるような、役に立つ地図であること稀です。

あの男性の、古本屋ならあるだろうという確信は、どこで得られたものだったのでしょう。

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2017年06月11日

時にほのぼの

夕方、お祖父ちゃんと5歳くらいのお孫さん。どこかにお出かけの帰り道らしく、お孫さんがミニカーの箱へまっしぐら。「ほおすごいね」と声だけお相手して、ご自身は均一棚を眺めておられます。

そのうちお孫さんは箱を掻き回し、手にとっては投げ捨てたりと、もてあそびが目に余るようになりました。お祖父ちゃんは気にかける様子もありません。

そこで一応、ひとこと注意。するとお祖父ちゃんが代わって店主に詫びましたが、顔は詫びていません。なおしばらくお孫さんの好きにさせてから「さあもう帰ろう。また今度」とお帰りになったのでした。

一方昨日のこと、ほぼ店を閉め終え、最後にラティスを移動させているところへ、4歳くらいの男の子が走り込んできました。続いてもう一人。

ちょくちょく見かける双子さんです。するとその後から、お父さん。さらに遅れてお母さんとお姉ちゃん。ご一家でおいでになったようでした。

RIMG1949「ああ、もうおしまいなんだ」とお父さん。「残念、また明日来よう」そう言って呼びかけるのですが、初めに飛び込んできた一人は、泣き出しそうな顔をしたまま固まっています。

気の毒ではありましたが、お引き取りいただきました。

そのご一家が、今日はまだ日の高いうちにご来店になり、無事、それぞれのお子さんが何かしら選んで買ってもらい、嬉しそうに帰られました。

ジャンクおもちゃを置いて以来、図らずも小児を相手にする次第となりましたが、時にはほのぼのとさせられることもあるのです。

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2017年06月10日

レトロの賞味期限

昨日の明治古典会で、あるいは一番の高額となったかもしれなかったのは、戦前版「講談社の絵本」でした。確認しなかったのですが、100冊以上あったと思います。

ご高齢のため、いつもなら早めにお帰りになる明古の大先輩会員が、昨日に限って最後まで残っておられたのは、この本に入札されていたからでした。

しかし結果は止め高。誰の入札価格も、出品者の止め札(希望価格)に届かなかったわけです。

かつてなら、問題なく売れていた止め値かも知れません。冊数や状態は異なりますが、はるかに高値で落札された場面を、店主も記憶しております。

この本が高値を呼んだのは、懐かしさで求めるコレクターたちと、資料的な価値から収集に乗り出す機関の、両面があってのことでした。

norakuroそのどちらもが一段落した現在、相場が下がるのもやむを得ないというべきでしょう。

先日、小店に「のらくろ」を数冊、お持ち込みのお客様がおられました。といっても戦後の復刻版です。

この復刻版が出たのは昭和44年。その後、増刷を重ね、手元の本の奥付を見ると一番新しいものは1990年の第25刷。子供時代を懐かしんで求める層が、その頃までは重版できるほどおられたことになります。

さて今となってこの本を、どなたが、どんなお気持ちからお求めになるでしょうか。

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2017年06月09日

知はお金なり

今日の明治古典会で店主が気に留めたのは、最終台に乗っていた一冊の本。

なにがし』という表題があり、尾崎紅葉・泉鏡花の名が二つ並んで書かれています。奥付にある著者名は尾崎徳太郎のみ。

KIMG0018聞き覚えがあるのは『日本文壇史』で読んだからに違いない。確か、鏡花が書いたものに紅葉が手を入れたのではなかったか。そこまでは朧気ながら頭に残っていました。

もちろん、だからと言って入札しようというのではありません。まったくの野次馬根性で、開札を待っていただけのことです。

結果は、本日の最終発声。それ以上に高額な商品が、出品されていなかったわけではありませんが、成立したものとしては、今日一番の高値となったのでした。

店に戻ってから、『日本文壇史』をひっくり返してみました。そして分かったのは明治27年、鏡花の「義血侠血」「予備兵」に紅葉が手を入れ、読売新聞に発表した時の筆名が「なにがし」だったということ(第3巻)。

一年後にその筆名を表題とし、尾崎・泉の名で春陽堂から出版されたのが本書で、実質的な鏡花のデビュー作と言うわけです。

傷んでいるとはいえ袋が残っていたおかげで、本体は良い状態で保存されています。そうと知れば、まず納得の落札価格でした。

ところが市会後に聞いた話によると、その一冊は、先日の南部大市会で、ある業者が数束にされた本の中にあるのを見つけ、その落札額の10分の1以下で手に入れたものだったとか。「知は力なり」とは言いますが。

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2017年06月08日

標準語の謎

KIMG0025長い間楽しみに聞いていたNHKラジオアーカイブスが、今年の3月一杯で文学者篇を終えて、4月から昭和史篇ともいうべきものに変わりました。

「声で綴る昭和人物史」とタイトルされて、このところはもっぱら政治家の登場が続いています。

今どきの政治家に比べれば格段に尊敬できる人々が多いとはいえ、やはり何やら拘りなしには聞けない部分もあり、前解説者、大村彦次郎さんのあの独特の語り口が、早くも懐かしくさえ覚えます。

現役時代は辣腕の編集者だったに違いないのですが、ゆっくりとした原稿読み上げ口調は、朴訥な人柄を感じさせるものでした。

語り口ばかりでなく、そのアクセントも独特で、「太宰」を「打開」などのように平板アクセントで発音するのは業界訛りだとしても、「死」が「詩」に聞こえるのは不思議に思われ、どこのご出身かと調べたことがあります。

その結果、日本橋育ちの早大出とわかり、ますます謎が深まりました。

アクセントの謎といえば、最近この番組で近衛秀麿の演説を聞いたのですが、いわゆる標準語でした。

当然といえば当然かもしれません。しかし皇族や公家さんなどは、京都時代、やはり京都訛りで話されていたと思います。一体いつから、どのような経緯で、標準語で話すようになったのか。

そのあたりのことを研究した本があれば、ちょっと読んでみたい気がいたします。

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2017年06月07日

幻の大量蔵書

先日、引っ越しするからと、紙バッグ8袋ほどのお持ち込みがありました。これまでも度々文庫本などをご処分いただいた、ありがたいお客様です。しかし今回は大判の古い本が多く、あまり良い値はつけられませんでした。

そのお持ち込みの際の立ち話。ご当人は自称アラカンのご婦人ですが、その親御さんが長く美術に関わるお仕事に携わられ、ご実家には展覧会図録を主として、大量の蔵書があったそうです。

しかしその蔵書はすでに10年ほど前、貴重な資料類は東京博物館に、その他の大量の図録等も近くの古書店に引き取ってもらったとか。

KIMG0023図録以外に「太宰の初版本」を含む文学書などもあったそうですが、逃した魚を想像しても始まりません。「もう少し早く知っていたらね」と、慰めともつかぬ言葉をいただきました。

そして今日、知り合いの道具屋さんから「人間国宝のお宅の蔵書整理を頼めないか」という電話。「喜んで」と答えると「奥様から電話が行くからよろしく」。

ほどなくお電話をいただきました。お話を伺うと「何百箱とあった蔵書」は、3年ほど前「神田の本屋さん」に引き取ってもらったそうで、今回はその時「もう少し手元に置いておこう」と残した僅かばかりの本とのこと。

そう聞くと、よほど貴重なものかと想像されるかもしれませんが、奥様の挙げられた書名を伺って、やや意気阻喪したというのが正直なところです。

もちろん拝見しない限り、どんな貴重書が残されているかは分かりません。後日、お伺いすることをお約束して受話器を置きました。

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2017年06月06日

忠臣いずこ

「李下の冠、瓜田の履」言い回しはいろいろありますが、誰でも子供時分に、一度は聞かされたことがある故事成語だと思います。

何か紛らわしい振る舞いをして、その結果掛けられた疑いの不当を訴えると、大人たちからそう言ってたしなめられたものでした。

KIMG0265あの方たちには、そんな経験がなかったのでしょうか。店主が申しあげているのは忖度された方の話ではなく、忖度をした関係者ご一同のことです。

権力者肝煎りの事業に、彼に親しい人物が応募した時点で、心ある取り巻(大時代に言えば忠臣)なら、まずそれをハンディと考えて、ほかより厳しい条件を課すことを提言するべきであったでしょう。

必要以上に公明正大を意識して、誰にも疑いを抱かれない選考過程を経る。それが故事の教えるところです。

ところが聞こえてくるニュースによれば、実態はまるで逆。本当の目的は、疑わしさを際立たせることにあったのではないかと思わせるような展開です。忠臣どころか奸臣ばかり?

もちろん忖度される方が自ら「妙な疑いを招かないよう、公正な選考をするように」と「ご意向」を示していれば、こんな醜態に至らずに済んだでしょう。しかしそれは、名君だけに期待できることです。

さてこの先も、どこまでも「臭いものに蓋」で押し通すのでしょうか。

隠すより現る」ということわざもあります。

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