2015年11月22日
一難去って
Origami本は、無事にご注文主の手元に届いたのですが、新たな不着問題が発生しております。
今回は国際郵便。年に一度、ロンドンから、文庫本を適当に見繕って送ってほしいと、現金を送って来られるご婦人がいらっしゃいます。前にもこのブログでご紹介いたしました。
今年も先月下旬に、そのお金が送られてきましたので、これまでお送りした本と重複しないように気を配りながら、20数冊を取り揃え、今月初めに、自宅近くの玉川郵便局から、SAL便国際書留付で、発送いたしました。
いつも到着すると、すぐお電話をかけてこられます。そろそろ着くころだと思うのに、なかなかそのお電話がなく、次第に心配になってきておりました。
書留なら、すぐ調べがつくはずではないかと思われる方も多いでしょう。確かに、追跡番号で検索すれば、今どこにあるかは、ネットからでも分かるようになっています。
ところが肝心の、書留番号が記された発送控えが見つからないのです。荷姿の画像も印刷されたA4のコピー用紙です。置いた場所の記憶はあるのですが、それがそこにありません。
ついに20日以上も経ちましたので、この際、本が無事届いたかどうか、手紙を書いて尋ねてくれるよう、今日になって家人に頼んだところでした。
そこへロンドンからの電話です。一瞬、届いたのかと喜んだのも束の間、その内容は、どうなっているのかというお尋ねでした。事情を告げると安心されたように「こっちへ着いてからが、長いんです。前も一ヶ月くらいかかりましたから」。
とはいえ心配に変わりありません。玉川局に問い合わせてみようと思います。発送日はほぼ分かっていますので、調べていただけるかもしれません。
また住所を書き間違えたのでは? という疑いを持たれるかもしれませんが、今度の場合は過去に何度も出力した、同じ住所ラベルを貼っておりますので、その点だけは間違いないのです。
今回は国際郵便。年に一度、ロンドンから、文庫本を適当に見繕って送ってほしいと、現金を送って来られるご婦人がいらっしゃいます。前にもこのブログでご紹介いたしました。
今年も先月下旬に、そのお金が送られてきましたので、これまでお送りした本と重複しないように気を配りながら、20数冊を取り揃え、今月初めに、自宅近くの玉川郵便局から、SAL便国際書留付で、発送いたしました。
いつも到着すると、すぐお電話をかけてこられます。そろそろ着くころだと思うのに、なかなかそのお電話がなく、次第に心配になってきておりました。
書留なら、すぐ調べがつくはずではないかと思われる方も多いでしょう。確かに、追跡番号で検索すれば、今どこにあるかは、ネットからでも分かるようになっています。
ところが肝心の、書留番号が記された発送控えが見つからないのです。荷姿の画像も印刷されたA4のコピー用紙です。置いた場所の記憶はあるのですが、それがそこにありません。
ついに20日以上も経ちましたので、この際、本が無事届いたかどうか、手紙を書いて尋ねてくれるよう、今日になって家人に頼んだところでした。
そこへロンドンからの電話です。一瞬、届いたのかと喜んだのも束の間、その内容は、どうなっているのかというお尋ねでした。事情を告げると安心されたように「こっちへ着いてからが、長いんです。前も一ヶ月くらいかかりましたから」。
とはいえ心配に変わりありません。玉川局に問い合わせてみようと思います。発送日はほぼ分かっていますので、調べていただけるかもしれません。
また住所を書き間違えたのでは? という疑いを持たれるかもしれませんが、今度の場合は過去に何度も出力した、同じ住所ラベルを貼っておりますので、その点だけは間違いないのです。
2015年11月21日
過去の映像
白黒映像をカラー化するというのが、当今の流行らしい。そんなドキュメンタリー番組を最近続けてみました。
と言っても、初めから終わりまできちんと見通したのは、録画しておいた「新・映像の世紀 第一回」だけで、あとは、たまたまTVをつけた時に放送されていた番組を見たに過ぎません。
それでも昨夜のBS世界のドキュメンタリー「パリ 狂騒の1920年代」は、儲けものでした。去年8月に放送して以来、昨夜で4回目の放送ということです。
もちろん店主は初めて見たのですが、使われている映像の中にはジョセフィン・ベーカーのダンスのように、どこかで目にしたものもありました。しかしカラーで見ると、その生々しさが際立ちます。
ガートルード・スタインとアリス・B・トクラス、ヘミングウェイとフィッツジェラルドのそれぞれツーショット。藤田嗣治、ピカソなど美術界のスターも続々登場。シュルレアリストたちと、そのアヴァンギャルドな画像は、色彩を伴って一層目を楽しませてくれました。
映像のアーカイヴ化が世界的に進んでいる様子は、こうした番組の所々に、別の番組で見かけた映像が挿入されていたりすることでも分かります。国際共同制作と謳われているのも、つまりは各局で所有する映像を利用しているということなのでしょう。
今でこそ誰でも映像を簡単に撮ることができ、日々膨大な量がネット上にも蓄えられているわけですが、それに比べれば初期の映像は限られた量でしかありません。ですから20世紀初頭のある時期までを、インキュナブラのように、すべてアーカイヴするということも、遠からず成し遂げられるかもしれません。
昨日、狩野亨吉展を観に行ったとき、会場の一角で「ああ向陵よ向陵よ」という、第一高等学校130年を記念して作られたビデオが流されていました。
駒場の風景が出てくるかと期待して、時おり目をやったのですが、ほとんど現れず、その代り浅草十二階らしき建物が崩れる瞬間を見ました。おそらく良く知られている映像なのでしょう。
存在しない映像は、観ることができないということを、あらためて思った次第です。
と言っても、初めから終わりまできちんと見通したのは、録画しておいた「新・映像の世紀 第一回」だけで、あとは、たまたまTVをつけた時に放送されていた番組を見たに過ぎません。
それでも昨夜のBS世界のドキュメンタリー「パリ 狂騒の1920年代」は、儲けものでした。去年8月に放送して以来、昨夜で4回目の放送ということです。
もちろん店主は初めて見たのですが、使われている映像の中にはジョセフィン・ベーカーのダンスのように、どこかで目にしたものもありました。しかしカラーで見ると、その生々しさが際立ちます。
ガートルード・スタインとアリス・B・トクラス、ヘミングウェイとフィッツジェラルドのそれぞれツーショット。藤田嗣治、ピカソなど美術界のスターも続々登場。シュルレアリストたちと、そのアヴァンギャルドな画像は、色彩を伴って一層目を楽しませてくれました。
映像のアーカイヴ化が世界的に進んでいる様子は、こうした番組の所々に、別の番組で見かけた映像が挿入されていたりすることでも分かります。国際共同制作と謳われているのも、つまりは各局で所有する映像を利用しているということなのでしょう。
今でこそ誰でも映像を簡単に撮ることができ、日々膨大な量がネット上にも蓄えられているわけですが、それに比べれば初期の映像は限られた量でしかありません。ですから20世紀初頭のある時期までを、インキュナブラのように、すべてアーカイヴするということも、遠からず成し遂げられるかもしれません。
昨日、狩野亨吉展を観に行ったとき、会場の一角で「ああ向陵よ向陵よ」という、第一高等学校130年を記念して作られたビデオが流されていました。
駒場の風景が出てくるかと期待して、時おり目をやったのですが、ほとんど現れず、その代り浅草十二階らしき建物が崩れる瞬間を見ました。おそらく良く知られている映像なのでしょう。
存在しない映像は、観ることができないということを、あらためて思った次第です。
2015年11月20日
「狩野亨吉展」再び
明日から駒場祭が始まります。23日までの3日間。
「駒下」と呼ばれる井の頭線北側の通りに沿った一帯――即ち東大前商店街と、旧駒場西口商店街にとっては、おこぼれにもほとんど与れない静かな日々が続きます。
しかしキャンパスはもちろんお祭り騒ぎ。駅のホームも終日、アナウンスを繰り返すことでしょう。そこで、そんなことになる前にと、今日の午前中、もう一度例の、狩野亨吉展を見に行ってまいりました。
会場で手に入れたA3二つ折り8枚(32p)の資料を、店に戻って改めて確かめると、全体は大きく4つのテーマに分けられています。『生涯』『蒐書』『鑑定』『書』の4つです。このうち『生涯』が最も分量が多く、資料でも14pの上段まで、会場スペースでも、半分近くが割かれていました。
前回ご紹介したように、夏目漱石の葉書も、この中の「夏目漱石との交友」と表示されたガラスケースに納まっておりました。
古本屋のオヤジとしては、漱石の葉書にも興味はありますが、やはり『蒐書』が一番関心の向くところ。書物自体が少なかったのはいささか残念でしたが、それにまつわる資料を読むだけでも充分楽しめました。
とりわけ、様々な古書店の名が現れる中で、琳瑯閣さんと、文行堂さんは、今もその当代と顔見知りですので、果たしてこの催しをご存知かどうか、今度お会いしたら伺ってみようと思いました。
両店とも老舗であることは承知しておりましたが、明治38年の端書を書いたのが文行堂二代目であり、明治39年に領収書を書いたのは琳瑯閣初代ということに、ちょっと驚きました。
それぞれの当時の年齢が分かりませんから、正確なところは不明ですが、どうやら文行堂さんの方が古いお店らしい。だからどうということはありません、どちらも現在まで続く立派なお店であることに違いはない。ただのちょっとした「へぇ」です。
「駒下」と呼ばれる井の頭線北側の通りに沿った一帯――即ち東大前商店街と、旧駒場西口商店街にとっては、おこぼれにもほとんど与れない静かな日々が続きます。
しかしキャンパスはもちろんお祭り騒ぎ。駅のホームも終日、アナウンスを繰り返すことでしょう。そこで、そんなことになる前にと、今日の午前中、もう一度例の、狩野亨吉展を見に行ってまいりました。
会場で手に入れたA3二つ折り8枚(32p)の資料を、店に戻って改めて確かめると、全体は大きく4つのテーマに分けられています。『生涯』『蒐書』『鑑定』『書』の4つです。このうち『生涯』が最も分量が多く、資料でも14pの上段まで、会場スペースでも、半分近くが割かれていました。
前回ご紹介したように、夏目漱石の葉書も、この中の「夏目漱石との交友」と表示されたガラスケースに納まっておりました。
古本屋のオヤジとしては、漱石の葉書にも興味はありますが、やはり『蒐書』が一番関心の向くところ。書物自体が少なかったのはいささか残念でしたが、それにまつわる資料を読むだけでも充分楽しめました。
とりわけ、様々な古書店の名が現れる中で、琳瑯閣さんと、文行堂さんは、今もその当代と顔見知りですので、果たしてこの催しをご存知かどうか、今度お会いしたら伺ってみようと思いました。
両店とも老舗であることは承知しておりましたが、明治38年の端書を書いたのが文行堂二代目であり、明治39年に領収書を書いたのは琳瑯閣初代ということに、ちょっと驚きました。
それぞれの当時の年齢が分かりませんから、正確なところは不明ですが、どうやら文行堂さんの方が古いお店らしい。だからどうということはありません、どちらも現在まで続く立派なお店であることに違いはない。ただのちょっとした「へぇ」です。
2015年11月19日
弱い者いじめ
大学名の入った封書が一通届いて、開けてみるまでもなく、また例のやつだろうと見当がつきました。
しかし開けずに放っておくわけにもいきませんから、封を切って中の書類を引き出しました。案の定、誓約書を提出せよという文面です。
こういうものはさっさと片付けるに限ります。すぐ返信しようと、内容物をあらためますと、三つに折ったA4の紙が二枚。「誓約書の提出について(依頼)」という紙と、「××大学との取引における誓約書」という紙の二枚だけ。他には何も入っておりません。返信用封筒も、ましてや切手に類するものも。
すっかり返信する気をなくして、もう一度文面を見ますと、次の一文が目に入りました。「なお、今後、本学が発注を行うに際しては、誓約書をご提出いただいた業者様のみに限定していく予定であることを申し添えます」。
これは依頼と呼べるものでしょうか。命令、脅迫の類だと思います。あまり腹が立ちましたので、全文を皆様にご覧いただこうと思い立ちました。
最初はそのままスキャンしてみたのですが、さすがに固有名を曝すのも大人げないと思い、一応取り除きました。別に取引停止を恐れたのではありません。恐れるほどの取引をしているわけでもないのですから。
ところで、こうして書いていて、確か前にも同じようなことを書いた記憶が甦ってきました。もしかしたら同じ大学ではなかったでしょうか。というのも、「記」のなかに「提出回数は1回とし」とあったのを、最初に目にとめていたからです。
前に提出したはず。鬼の首でも取ったような気になって、文面を確かめてみました。すると、それに続いて「本学の不正対策に関する方針やルール等を見直した場合にはあらためて徴取することとします」とありました。
もう一度本文を読むと、「平成26年2月18日付けで同ガイドラインが改正され」とあって、これに呼応しているわけです。ようするに公立大学法人さんも、いじめられている側なのでしょう。
学校名を削っておいて良かった。
しかし開けずに放っておくわけにもいきませんから、封を切って中の書類を引き出しました。案の定、誓約書を提出せよという文面です。
こういうものはさっさと片付けるに限ります。すぐ返信しようと、内容物をあらためますと、三つに折ったA4の紙が二枚。「誓約書の提出について(依頼)」という紙と、「××大学との取引における誓約書」という紙の二枚だけ。他には何も入っておりません。返信用封筒も、ましてや切手に類するものも。
すっかり返信する気をなくして、もう一度文面を見ますと、次の一文が目に入りました。「なお、今後、本学が発注を行うに際しては、誓約書をご提出いただいた業者様のみに限定していく予定であることを申し添えます」。
これは依頼と呼べるものでしょうか。命令、脅迫の類だと思います。あまり腹が立ちましたので、全文を皆様にご覧いただこうと思い立ちました。
最初はそのままスキャンしてみたのですが、さすがに固有名を曝すのも大人げないと思い、一応取り除きました。別に取引停止を恐れたのではありません。恐れるほどの取引をしているわけでもないのですから。
ところで、こうして書いていて、確か前にも同じようなことを書いた記憶が甦ってきました。もしかしたら同じ大学ではなかったでしょうか。というのも、「記」のなかに「提出回数は1回とし」とあったのを、最初に目にとめていたからです。
前に提出したはず。鬼の首でも取ったような気になって、文面を確かめてみました。すると、それに続いて「本学の不正対策に関する方針やルール等を見直した場合にはあらためて徴取することとします」とありました。
もう一度本文を読むと、「平成26年2月18日付けで同ガイドラインが改正され」とあって、これに呼応しているわけです。ようするに公立大学法人さんも、いじめられている側なのでしょう。
学校名を削っておいて良かった。
2015年11月18日
Origami本のてんまつ
過日お伝えしましたOrigami Fish Collection不達の件、決着いたしました。1ヶ月の余を経て、郵便物が戻ってきたのです。
そもそもの原因は、店主にありました。ご住所を書き(打ち)間違えていたのです。番地が18であるべきところを、8としてしまったのでした。
それが判明したのは、目黒郵便局の調査係の方とのやり取りの中でした。届けを受理していただいた翌日に、ご住所はこれこれで間違いないですかという、確認の電話がかかってきました。
「間違いありません」と、いささかムッとして答えたところ、「配達局に問い合わせたのですが、その住所では配達できないと言われました」。つまり、存在しない住所だというわけです。
慌ててもう一度調べ直しました。すると、お客様から伺って手書きで控えた家人の記録と、それをもとに店主が入力した住所ラベル用データとで、先の通り、何丁目に続く何番地の部分が、異なっていたのです。
これで、お客様に届かなかった理由は分かりました。しかしそうなると、その郵便物がどうして返送されてこないのか、それが新たな問題となってきます。引き続き調査をしてくださるということで、その日の電話は終わりました。
そうして昨日、それがひょっこりと戻ってきた、と言う次第です。先月11日から昨日までの間、一体どこをどのように彷徨ってきたのか、謎は依然として残りますが、ともかく今度こそ無事に受け取っていただけるものと思います。
それにしても人騒がせな店主です。深く反省し、自戒せねばなりません。ともあれ目黒局の担当者の方には、ご報告とお詫びをしようと、何度か電話をいたしましたが、コール音が鳴り続けるだけで、どなたも一向に出られません。
普段ならイライラするところですが、今度ばかりは、さぞお忙しいのだろうとお察しして、ますます肩身の狭くなる思いでした。
そもそもの原因は、店主にありました。ご住所を書き(打ち)間違えていたのです。番地が18であるべきところを、8としてしまったのでした。
それが判明したのは、目黒郵便局の調査係の方とのやり取りの中でした。届けを受理していただいた翌日に、ご住所はこれこれで間違いないですかという、確認の電話がかかってきました。
「間違いありません」と、いささかムッとして答えたところ、「配達局に問い合わせたのですが、その住所では配達できないと言われました」。つまり、存在しない住所だというわけです。
慌ててもう一度調べ直しました。すると、お客様から伺って手書きで控えた家人の記録と、それをもとに店主が入力した住所ラベル用データとで、先の通り、何丁目に続く何番地の部分が、異なっていたのです。
これで、お客様に届かなかった理由は分かりました。しかしそうなると、その郵便物がどうして返送されてこないのか、それが新たな問題となってきます。引き続き調査をしてくださるということで、その日の電話は終わりました。
そうして昨日、それがひょっこりと戻ってきた、と言う次第です。先月11日から昨日までの間、一体どこをどのように彷徨ってきたのか、謎は依然として残りますが、ともかく今度こそ無事に受け取っていただけるものと思います。
それにしても人騒がせな店主です。深く反省し、自戒せねばなりません。ともあれ目黒局の担当者の方には、ご報告とお詫びをしようと、何度か電話をいたしましたが、コール音が鳴り続けるだけで、どなたも一向に出られません。
普段ならイライラするところですが、今度ばかりは、さぞお忙しいのだろうとお察しして、ますます肩身の狭くなる思いでした。
2015年11月17日
葬儀のあと
きっかり正午、告別式には、無事間に合いました。小ぶりな会場でしたが、目一杯並べられた椅子に空席はなく、思ったより多くの参会者に、亡くなった友人の過ごしてきた年月を思いました。
思えば店主が知っているのは、10代の終わりから、せいぜい20代の半ばまで。それ以降は、互いがそれぞれの暮らしを持ち、たまに会っては近況を話し会うくらいのことでした。
それも間遠になるに連れ、会って話す内容も、近況より思い出話の方が多くなって行きました。それから今日まで、ですからもちろん、店主の知らない彼の生活があったわけです。
こんなことを今更のように思うのは、学生時代にはそれこそ朝から晩まで、仲間でつるんで行動していた日々もあったからです。
曲折を経た後、定職に着き、晩年は小規模ながら広告代理店の経営を任されるまでになり、若い頃には想像もしなかった、落ち着いた暮らしを手に入れたようでした。そうした、彼の社会人としての側面は、ほとんど知りません。
訃報を聞いた時は、特に悲しみもなく、昨日お伝えした通り淡々とした気分でした。その気分は今日、式場に入って遺影を目にした時も変わらず、齢を重ねて情感も枯渇したのだろうと思っておりました。
しかし焼香を終えて喪主である夫人に手を添えた時、ふいに胸が詰まり、思わず慌てさせられました。夫人もまた、店主らの仲間として若い日々を過ごした一人です。
葬儀を終えて斎場へ向かう段になると、付き添う人の数は、一気に少なくなりました。店主は、初めからそのつもりで来たのでしたが、ご親族以外は、店主を入れて学生時代の仲間3人(2人は女性)だけ。仲間は他にもまだ何人か来ていたのですが、それぞれに予定があったようです。
というわけで、俄に親族ばかりとなった中、骨上げまで残って見送って参りました。しかし、そのおかけで夫人と話も交わせましたし、彼らの娘さん、故人の妹さんとも挨拶できました。お二人とも店主を覚えておられ、懐かしがってくれたのが、悲しみの中の喜びでもありました。
思えば店主が知っているのは、10代の終わりから、せいぜい20代の半ばまで。それ以降は、互いがそれぞれの暮らしを持ち、たまに会っては近況を話し会うくらいのことでした。
それも間遠になるに連れ、会って話す内容も、近況より思い出話の方が多くなって行きました。それから今日まで、ですからもちろん、店主の知らない彼の生活があったわけです。
こんなことを今更のように思うのは、学生時代にはそれこそ朝から晩まで、仲間でつるんで行動していた日々もあったからです。
曲折を経た後、定職に着き、晩年は小規模ながら広告代理店の経営を任されるまでになり、若い頃には想像もしなかった、落ち着いた暮らしを手に入れたようでした。そうした、彼の社会人としての側面は、ほとんど知りません。
訃報を聞いた時は、特に悲しみもなく、昨日お伝えした通り淡々とした気分でした。その気分は今日、式場に入って遺影を目にした時も変わらず、齢を重ねて情感も枯渇したのだろうと思っておりました。
しかし焼香を終えて喪主である夫人に手を添えた時、ふいに胸が詰まり、思わず慌てさせられました。夫人もまた、店主らの仲間として若い日々を過ごした一人です。
葬儀を終えて斎場へ向かう段になると、付き添う人の数は、一気に少なくなりました。店主は、初めからそのつもりで来たのでしたが、ご親族以外は、店主を入れて学生時代の仲間3人(2人は女性)だけ。仲間は他にもまだ何人か来ていたのですが、それぞれに予定があったようです。
というわけで、俄に親族ばかりとなった中、骨上げまで残って見送って参りました。しかし、そのおかけで夫人と話も交わせましたし、彼らの娘さん、故人の妹さんとも挨拶できました。お二人とも店主を覚えておられ、懐かしがってくれたのが、悲しみの中の喜びでもありました。
2015年11月16日
洋書会欠席
明日の洋書会は、今月2回しかない当番の1回で、しかも大口の出品が複数件予定されています。店主としては、心苦しいところですが、欠席させてほしいと会員にメールを送りました。
大学時代からの友人の一人が亡くなったという知らせを、昨日受けたのです。今夜が通夜、明日が告別式。場所は大阪豊中。
45年を超える付き合いの中で、長く会わない時期もありましたが、この数年は比較的頻繁に――といっても年に一度あるかないかですが――、親しい仲間で集まるようになっていました。
それというのも、その彼が病を得て入退院を繰り返すようになり、会えば昔と変わらぬ冗談を交わしたのですが、しかし確実に病が進んでいる様子は、傍目にも明らかだったからです。
あと何回こうして会えるだろうかと、集まる度に密かに案じたのは、店主ばかりでなく仲間に共通する思いであったはずです。結局、今年の春、有馬で過ごした一夜が最後となりました。
通夜に駆けつけて、今夜中に帰ることも考えてみましたが、それではおちおち線香も上げていられません。明日の告別式に参列することで、通夜は勘弁してもらうことにしました。それくらいは大目に見てくれるやつです。
さてそれで、正午の告別式に間に合うためには、何時に家を発てばよいのかと調べてみると、朝の7時半には出発する必要があると分かりました。店に寄っている暇はなさそうです。
しかしさらに調べているうちに、飛行機の便が見つかりました。葬儀の式場は友人の住まいに近く、友人の家は新大阪駅より、伊丹空港の方がアクセスが良いと、かねがね語っていたのを思い出しました。
旨い具合に、安い切符が取れました。新幹線料金とさほど違いません。これなら店に寄っても、午前9時頃に出ればどうにか間に合いそうです。
友人が案配してくれたのでしょうか。決してそんな気の利く男ではありませんでしたが。
大学時代からの友人の一人が亡くなったという知らせを、昨日受けたのです。今夜が通夜、明日が告別式。場所は大阪豊中。
45年を超える付き合いの中で、長く会わない時期もありましたが、この数年は比較的頻繁に――といっても年に一度あるかないかですが――、親しい仲間で集まるようになっていました。
それというのも、その彼が病を得て入退院を繰り返すようになり、会えば昔と変わらぬ冗談を交わしたのですが、しかし確実に病が進んでいる様子は、傍目にも明らかだったからです。
あと何回こうして会えるだろうかと、集まる度に密かに案じたのは、店主ばかりでなく仲間に共通する思いであったはずです。結局、今年の春、有馬で過ごした一夜が最後となりました。
通夜に駆けつけて、今夜中に帰ることも考えてみましたが、それではおちおち線香も上げていられません。明日の告別式に参列することで、通夜は勘弁してもらうことにしました。それくらいは大目に見てくれるやつです。
さてそれで、正午の告別式に間に合うためには、何時に家を発てばよいのかと調べてみると、朝の7時半には出発する必要があると分かりました。店に寄っている暇はなさそうです。
しかしさらに調べているうちに、飛行機の便が見つかりました。葬儀の式場は友人の住まいに近く、友人の家は新大阪駅より、伊丹空港の方がアクセスが良いと、かねがね語っていたのを思い出しました。
旨い具合に、安い切符が取れました。新幹線料金とさほど違いません。これなら店に寄っても、午前9時頃に出ればどうにか間に合いそうです。
友人が案配してくれたのでしょうか。決してそんな気の利く男ではありませんでしたが。
2015年11月15日
役に立たない
毎日、変わり映えのしない身辺雑記を書き連ねていることに、我ながら呆れることもしばしばです。一体何の益があって、こんなことを続けているのかと。
しかし最近、まるっきり役に立たないわけでもない、と言う事例がありました。嬉しい話ではありませんが。
何度かこのブログで取り上げたOrigami Fish Collection――その店頭に置いた分がすべて売り切れてしまったあと、それをお求めに、一足違いでご来店になったお客様がいらっしゃいました。
その時点では、まだ数部、作者の手元に残っているということでしたので、入荷次第、お送りするとお約束し、代金をお預かりしたのです。そして数日後、作者自らお持ちいただいた本の一冊を、すぐにお送りした――はずでした。
それが一昨日、「まだ届かないがどうなっているか」というお電話を、店主の留守中にいただいたという報告を受けました。
確かに「ゆうメール」で送ったつもりですが、改めて思い出そうとすると、記憶があやふやで、次第に自信がなくなってきます。まして、それが何日のことだったかなど、思い出しようもありません。
思いついて、当ブログを検索してみました。恥ずかしさもあって、普段、ほとんど見返すことなどないのですが、場合が場合です。
すると、3度取り上げた中の最後の回に、「すぐにお客様に郵送」と、前後の事情も併せて書いてありました。10月12日の記事です。つまり発送したのは10月11日。これでようやく自信を持って、郵便局に問い合わせることができました。
もう一月も前のことになるのでは、記憶が薄れているのも当然です。近頃では、二日三日前の夕食の献立を思い出せないことも始終ですから。
さて配達局に問い合わせたところ、予想通り、局では配達の有無は調べようがなく、返送した記録もないとのこと。結局、差出局に事故調査を依頼することになりました。
過去の例から言って、何も判明しないと思われます。やっぱり役に立ったとは言い難い。(ちなみに同書は完売しております)
しかし最近、まるっきり役に立たないわけでもない、と言う事例がありました。嬉しい話ではありませんが。
何度かこのブログで取り上げたOrigami Fish Collection――その店頭に置いた分がすべて売り切れてしまったあと、それをお求めに、一足違いでご来店になったお客様がいらっしゃいました。
その時点では、まだ数部、作者の手元に残っているということでしたので、入荷次第、お送りするとお約束し、代金をお預かりしたのです。そして数日後、作者自らお持ちいただいた本の一冊を、すぐにお送りした――はずでした。
それが一昨日、「まだ届かないがどうなっているか」というお電話を、店主の留守中にいただいたという報告を受けました。
確かに「ゆうメール」で送ったつもりですが、改めて思い出そうとすると、記憶があやふやで、次第に自信がなくなってきます。まして、それが何日のことだったかなど、思い出しようもありません。
思いついて、当ブログを検索してみました。恥ずかしさもあって、普段、ほとんど見返すことなどないのですが、場合が場合です。
すると、3度取り上げた中の最後の回に、「すぐにお客様に郵送」と、前後の事情も併せて書いてありました。10月12日の記事です。つまり発送したのは10月11日。これでようやく自信を持って、郵便局に問い合わせることができました。
もう一月も前のことになるのでは、記憶が薄れているのも当然です。近頃では、二日三日前の夕食の献立を思い出せないことも始終ですから。
さて配達局に問い合わせたところ、予想通り、局では配達の有無は調べようがなく、返送した記録もないとのこと。結局、差出局に事故調査を依頼することになりました。
過去の例から言って、何も判明しないと思われます。やっぱり役に立ったとは言い難い。(ちなみに同書は完売しております)
2015年11月14日
東と西
久しぶりに駒場東大前駅の東口から降りました。ホームの階段を上がって開札を出て、左手には東大正門前広場に直結する階段。右手の方にある階段を降りると、線路に沿ってしばらく歩かされます。
小さな踏切のあるところまで行き、踏切とは反対に右手に降りると、ようやく東大前商店街入り口となるわけです。河野書店があるのは西口。ひとつの駅の西口と東口ですが、その間の隔たりは、新幹線ホームの長さ以上ではないでしょうか。
小店にお越しの際は、くれぐれも西と東をお間違えになりませんように。
それにしても、しばらくぶりにその道を歩いてみて、ずいぶん商店の数が減ったことに気づかされました。辛うじて残っているのは飲食系のお店くらい。それも様子は随分変わりました。
もちろん頑張っているお店も、何軒かあります。定食の菱田屋さんは、行列の出来る店ですし、今日、そもそもそこへ寄るのが目的だった「かどや」さんは、例のコーヒーロール以来、お昼時のパンの売れ行きも良くなっているように感じます。
わが家人が、ここの「オーナッツレーズンパン」というのが大好物で、時間さえ許せば、お昼の焼き上がり時を狙って買いに行っておりました。しかし少数限定で焼くため、しばしば売切れの憂き目にあい、ついに日を決めて予約をお願いするに至ったのです。
予約は週に三日。その一日が、今日、土曜日でしたので、五反田の南部会館に入札に出かけた店主が、その帰り道、立ち寄ることにしたのでした。店主も、お気に入りのパンがありますので、それを合わせて買い帰ったのですが、特筆すべきはその安さです。
西口にも人気のパン屋さんがあるのですが、そちらの半額ほどの予算で間に合います。良心的価格というのは、こういうものをいうのでしょう。
さて、南部の入札ですが、家人からいよいよ干上がってきた文庫棚の補充を厳命され、目一杯の札を入れてきました。夕刻エクストラネットを覗くと、何とか2点、合わせて250冊ほどを落札できた様子。明日、早速引き取りに行くつもりです。
小さな踏切のあるところまで行き、踏切とは反対に右手に降りると、ようやく東大前商店街入り口となるわけです。河野書店があるのは西口。ひとつの駅の西口と東口ですが、その間の隔たりは、新幹線ホームの長さ以上ではないでしょうか。
小店にお越しの際は、くれぐれも西と東をお間違えになりませんように。
それにしても、しばらくぶりにその道を歩いてみて、ずいぶん商店の数が減ったことに気づかされました。辛うじて残っているのは飲食系のお店くらい。それも様子は随分変わりました。
もちろん頑張っているお店も、何軒かあります。定食の菱田屋さんは、行列の出来る店ですし、今日、そもそもそこへ寄るのが目的だった「かどや」さんは、例のコーヒーロール以来、お昼時のパンの売れ行きも良くなっているように感じます。
わが家人が、ここの「オーナッツレーズンパン」というのが大好物で、時間さえ許せば、お昼の焼き上がり時を狙って買いに行っておりました。しかし少数限定で焼くため、しばしば売切れの憂き目にあい、ついに日を決めて予約をお願いするに至ったのです。
予約は週に三日。その一日が、今日、土曜日でしたので、五反田の南部会館に入札に出かけた店主が、その帰り道、立ち寄ることにしたのでした。店主も、お気に入りのパンがありますので、それを合わせて買い帰ったのですが、特筆すべきはその安さです。
西口にも人気のパン屋さんがあるのですが、そちらの半額ほどの予算で間に合います。良心的価格というのは、こういうものをいうのでしょう。
さて、南部の入札ですが、家人からいよいよ干上がってきた文庫棚の補充を厳命され、目一杯の札を入れてきました。夕刻エクストラネットを覗くと、何とか2点、合わせて250冊ほどを落札できた様子。明日、早速引き取りに行くつもりです。
2015年11月13日
一週間の市場
この一週間、古書会館で開かれた交換会は、出品量の多い日が続きました。
月曜日の中央市会は相変わらず大量で、今週も通常の2フロア(3階4階)では足りず、2階出品準備室まで利用したようです。
続く火曜日、洋書会も会場一杯に本が並ぶ盛況でしたし、古典会に至っては、ふだんなら5時までには終わる「廻し入札」が、6時過ぎまでかかっておりました。
「廻し入札」というのは、普通に行われている「置き入札」と違って、人は着席して動かず、本が回転寿司のように回ってくる方法で、和本のように軽く、傷みにくく、かつ、じっくり確かめる必要がある本に適した入札方式といえます。
見落としが少ないという利点はありますが、その分、時間がかかるので、大量出品を捌くのには向いていません。
前の古書会館が出来た当初、今から40年ほど前には、他の会でも廻し入札が行われていましたが、現在この方式を採用しているのは、東京では古典会だけです。
話を戻して今週水曜日の資料会と、木曜日の一新会については、店主は見ていないので事情が分かりません。ただ水曜日に関して言えば、火曜日の市が終わるのを待ちかねたように、仕分けなど翌日の準備を始めていましたから、決して少ない量ではなかったでしょう。
今日金曜日の明治古典会は、驚くほどの量ではありませんでしたが、やはり3階4階が埋まるだけの出品はありました。店主には学術書の一口物が気になりましたが、何点か入札したものの、ほとんど届かず、僅かな戦果を得たばかりです。
来週は古典会大市のため明古はお休み。その期間を利用して仲間内の二人がラスベガス方面へ旅するというので、市場が終わってから、壮行会を兼ていつものメンバーで「かねいち」へ。
会館を出るとき、すでに来週月曜日の荷物が大量に届いておりました。火曜日の洋書会も、出品が多いと聞いております。
月曜日の中央市会は相変わらず大量で、今週も通常の2フロア(3階4階)では足りず、2階出品準備室まで利用したようです。
続く火曜日、洋書会も会場一杯に本が並ぶ盛況でしたし、古典会に至っては、ふだんなら5時までには終わる「廻し入札」が、6時過ぎまでかかっておりました。
「廻し入札」というのは、普通に行われている「置き入札」と違って、人は着席して動かず、本が回転寿司のように回ってくる方法で、和本のように軽く、傷みにくく、かつ、じっくり確かめる必要がある本に適した入札方式といえます。
見落としが少ないという利点はありますが、その分、時間がかかるので、大量出品を捌くのには向いていません。
前の古書会館が出来た当初、今から40年ほど前には、他の会でも廻し入札が行われていましたが、現在この方式を採用しているのは、東京では古典会だけです。
話を戻して今週水曜日の資料会と、木曜日の一新会については、店主は見ていないので事情が分かりません。ただ水曜日に関して言えば、火曜日の市が終わるのを待ちかねたように、仕分けなど翌日の準備を始めていましたから、決して少ない量ではなかったでしょう。
今日金曜日の明治古典会は、驚くほどの量ではありませんでしたが、やはり3階4階が埋まるだけの出品はありました。店主には学術書の一口物が気になりましたが、何点か入札したものの、ほとんど届かず、僅かな戦果を得たばかりです。
来週は古典会大市のため明古はお休み。その期間を利用して仲間内の二人がラスベガス方面へ旅するというので、市場が終わってから、壮行会を兼ていつものメンバーで「かねいち」へ。
会館を出るとき、すでに来週月曜日の荷物が大量に届いておりました。火曜日の洋書会も、出品が多いと聞いております。