2015年11月11日
千里を遠しとせず
「B子さん」と、大学生になりたての頃は、さん付けで呼んでいたのが、いつの間にか「B子」と、一学年先輩をなれなれしく呼び捨てするようになっていたのは、当人の気の置けない、開放的な性格に付け込んでのことでした。
そもそもB子という名でさえ、ややユーモラスな響きをもつニックネームに過ぎず、いくら「さん」を付けても後輩が呼び掛けるのは失礼なことではあったのです。
そのB子が、今日、突然店に現れました。エリート商社マンの妻(とてもそうは見えないのですが)として、アメリカや中国で長く生活し、ご亭主のリタイヤ後は、二人して四国に住まいを見つけ、中国から連れ帰った猫とともに暮らしています。
時折、子たちの暮らすアメリカや、ご近所仲間のいる中国へ出かける、その途中や帰路に立ち寄ってくれるので、古い友人の中では、この数年、一番会う機会が多かったかもしれません。
それはいつも突然でしたが、これまでは大抵、「いま東京にいるの」という電話の後で、やってきたのです。今回はその前触れもなし。本人曰く、「携帯に番号が入っていなかった」とのこと。
B子の来訪は、店主の顔を見るためではなく、同じく後輩の、家人に会うことが一番の目的です。その家人が、今日に限って店に来ておりませんでした。最近はほぼ毎朝、一緒に店に出て来ておりましたのに。
今回東京に来た理由は、かねて希望していたアメリカへの移住が、ようやく認められ、12月初めには旅立つことにしたので、その準備のためだとか。娘さんの一人が家族と暮らすアトランタが、この先の住処となるようです。
出発までに、もう一度来られるように努力してみると言って、名残惜しげに帰ろうとします。その背に向かい、「居る場所は関係ないよね」と声をかけました。
「そうやね。アメリカに行っても、たまには中国の友達に会いに行くつもりだから、その途中にまた寄れるかな」
中国から大騒動して連れ帰った猫を、今度はアメリカに連れて行くそうです。しかも四国に来て拾った、もう一匹も一緒に。
そもそもB子という名でさえ、ややユーモラスな響きをもつニックネームに過ぎず、いくら「さん」を付けても後輩が呼び掛けるのは失礼なことではあったのです。
そのB子が、今日、突然店に現れました。エリート商社マンの妻(とてもそうは見えないのですが)として、アメリカや中国で長く生活し、ご亭主のリタイヤ後は、二人して四国に住まいを見つけ、中国から連れ帰った猫とともに暮らしています。
時折、子たちの暮らすアメリカや、ご近所仲間のいる中国へ出かける、その途中や帰路に立ち寄ってくれるので、古い友人の中では、この数年、一番会う機会が多かったかもしれません。
それはいつも突然でしたが、これまでは大抵、「いま東京にいるの」という電話の後で、やってきたのです。今回はその前触れもなし。本人曰く、「携帯に番号が入っていなかった」とのこと。
B子の来訪は、店主の顔を見るためではなく、同じく後輩の、家人に会うことが一番の目的です。その家人が、今日に限って店に来ておりませんでした。最近はほぼ毎朝、一緒に店に出て来ておりましたのに。
今回東京に来た理由は、かねて希望していたアメリカへの移住が、ようやく認められ、12月初めには旅立つことにしたので、その準備のためだとか。娘さんの一人が家族と暮らすアトランタが、この先の住処となるようです。
出発までに、もう一度来られるように努力してみると言って、名残惜しげに帰ろうとします。その背に向かい、「居る場所は関係ないよね」と声をかけました。
「そうやね。アメリカに行っても、たまには中国の友達に会いに行くつもりだから、その途中にまた寄れるかな」
中国から大騒動して連れ帰った猫を、今度はアメリカに連れて行くそうです。しかも四国に来て拾った、もう一匹も一緒に。
2015年11月10日
品触れ
「品触れ」という言葉があります。警察が紛失品や盗品を、古物商などに触れ示すことですが、その目的が物品の回収と、犯罪者の発見にあることは言うまでもありません。
古書の業界では、滅多にそのような品触れが回ってくることはありませんが、それは被害額の問題もさることながら、物品の特定が難しいこともあるでしょう。
店主の知る限り、某図書館で貴重書が大量窃盗に遭った際、常習犯の仕業であったとして、被害図書の特徴(蔵書印など)と併せ、犯人の顔写真が載った触書が回ってきたのが最後です。10年以上前でしょうか。
目的が目的ですから、お客様の目につくようなところに貼り出してはなりません。一方で、店番には良く見える位置に貼っておくことも肝要です。ネット社会の今日でも、紙に頼るのが簡便で確実なわけです。
店主は今、これとは違う、私的な品触れをすべきかどうか、迷っております。その目的は、盗品の回収にはありません。盗品を売りに来た者は、窃盗を犯した恐れのある者です。再び犯す可能性も高い。それを同業に、警告するためです。
もちろん無闇な品触れは、不愉快と面倒を引き起こすばかりです。特に書籍においては、多くの場合、それが盗難品であるかどうか、特定することが困難ですから。
しかし今回、小店で盗難にあった3冊は、互いに非常に関連の薄い本です。この3冊を同時に持ち込まれた場合、それは盗難品である確率が非常に高いと考えられます。そこに、3冊の書名を明らかにする意味があるかもしれません。
ただ、それをする目的は、あくまで同業への注意喚起にあり、本を取り戻すためではありませんから、この問題は、急がずもう少し考えてから結論を出そうと思います。
今日は洋書会当番と、合同会議で、久しぶりに丸一日、古書会館で過ごしました。
古書の業界では、滅多にそのような品触れが回ってくることはありませんが、それは被害額の問題もさることながら、物品の特定が難しいこともあるでしょう。
店主の知る限り、某図書館で貴重書が大量窃盗に遭った際、常習犯の仕業であったとして、被害図書の特徴(蔵書印など)と併せ、犯人の顔写真が載った触書が回ってきたのが最後です。10年以上前でしょうか。
目的が目的ですから、お客様の目につくようなところに貼り出してはなりません。一方で、店番には良く見える位置に貼っておくことも肝要です。ネット社会の今日でも、紙に頼るのが簡便で確実なわけです。
店主は今、これとは違う、私的な品触れをすべきかどうか、迷っております。その目的は、盗品の回収にはありません。盗品を売りに来た者は、窃盗を犯した恐れのある者です。再び犯す可能性も高い。それを同業に、警告するためです。
もちろん無闇な品触れは、不愉快と面倒を引き起こすばかりです。特に書籍においては、多くの場合、それが盗難品であるかどうか、特定することが困難ですから。
しかし今回、小店で盗難にあった3冊は、互いに非常に関連の薄い本です。この3冊を同時に持ち込まれた場合、それは盗難品である確率が非常に高いと考えられます。そこに、3冊の書名を明らかにする意味があるかもしれません。
ただ、それをする目的は、あくまで同業への注意喚起にあり、本を取り戻すためではありませんから、この問題は、急がずもう少し考えてから結論を出そうと思います。
今日は洋書会当番と、合同会議で、久しぶりに丸一日、古書会館で過ごしました。
2015年11月09日
万引き被害
気が緩んでいたことは確かでしょう。万引きに遭いました。
自慢ではありませんが、小店は死角の多い店舗です。しかし見通せるからといって、万引き被害が防げるわけではない。その気になれば、帳場の後ろの棚からでさえ、僅かな隙を見つけて盗っていくとは、数多の事例が教えるところです。
ということで、もっぱらお客様を信頼し、ただ無防備に見えぬようにとだけは心がけてきて、少なくともここ何年か、被害はありませんでした。気づかなかっただけではないか、と言われるかもしれませんが。
ひとつには本の買取相場が下落して、換金目的の万引きが見合わなくなってきた、つまり遣り手が減ってきたということもあるでしょう。さらに、どうしても手に入れたい本が減ったのか、執着型の万引きも減少しているように思えます。
これにはネット社会も一枚かんでいるようです。珍しいと思った本も、検索すれば何冊も見つかるというのでは、蒐集家の情熱も薄れようというものです。
もっとも小店には、コレクター向きの本が少ないので、その手の被害に遭う心配は、以前からあまりありません。
一方、かつて一度、函だけ残して中の本がなくなっていたことがありました。もちろん腹立たしさは覚えましたが、金目当てでないという点が、僅かながら救いでもありました。そういうタイプも減ってきたでしょうか。
さて、今回はどうやら換金目的です。内容的に関連の薄い、いずれもここ2、3年の間に出版された、定価の高い本が3冊。二日前に、棚に挿したばかりですから、売れたのでないことは確か。
不思議なことに、すべて一週間ほど前、一人のお客様からお売りいただいた本です。よほど他の本がくすんでいて、その3冊だけ、棚のあちこちでピカピカと目立っていたのでしょうか。
ガッカリはいたしましたが、ほぼ目星はついています。もう来ることはない筈です。よほど見くびられていない限り。
自慢ではありませんが、小店は死角の多い店舗です。しかし見通せるからといって、万引き被害が防げるわけではない。その気になれば、帳場の後ろの棚からでさえ、僅かな隙を見つけて盗っていくとは、数多の事例が教えるところです。
ということで、もっぱらお客様を信頼し、ただ無防備に見えぬようにとだけは心がけてきて、少なくともここ何年か、被害はありませんでした。気づかなかっただけではないか、と言われるかもしれませんが。
ひとつには本の買取相場が下落して、換金目的の万引きが見合わなくなってきた、つまり遣り手が減ってきたということもあるでしょう。さらに、どうしても手に入れたい本が減ったのか、執着型の万引きも減少しているように思えます。
これにはネット社会も一枚かんでいるようです。珍しいと思った本も、検索すれば何冊も見つかるというのでは、蒐集家の情熱も薄れようというものです。
もっとも小店には、コレクター向きの本が少ないので、その手の被害に遭う心配は、以前からあまりありません。
一方、かつて一度、函だけ残して中の本がなくなっていたことがありました。もちろん腹立たしさは覚えましたが、金目当てでないという点が、僅かながら救いでもありました。そういうタイプも減ってきたでしょうか。
さて、今回はどうやら換金目的です。内容的に関連の薄い、いずれもここ2、3年の間に出版された、定価の高い本が3冊。二日前に、棚に挿したばかりですから、売れたのでないことは確か。
不思議なことに、すべて一週間ほど前、一人のお客様からお売りいただいた本です。よほど他の本がくすんでいて、その3冊だけ、棚のあちこちでピカピカと目立っていたのでしょうか。
ガッカリはいたしましたが、ほぼ目星はついています。もう来ることはない筈です。よほど見くびられていない限り。
2015年11月08日
工事が始まる
雨の日曜日。予報よりずっと早くから降り出していて、おかげで午前中はほとんど、ご来客もなし。
ただ、しっかり降り始めたお昼前後からは、不思議と店の前の人通りは多かったのでした。その通りがかりの何割、いや何%かは、店に入って来られたのですが、本がお目当てという方は少数派。
ご来客に、外国人の割合が多かったのは、何か催しでもあったのでしょうか。一日を通じ、お天気の割には出入りが多かった気がいたします。ただし、売上にはあまりつながりませんでしたが。
そういえば今朝は「世田谷246ハーフマラソン」でした。サイトを調べると第10回とあります。この日は、ちょうど出かける時間帯(午前8時〜)に国道246号が通行止めになるため、いつもより30分ほど早く家を出ました。
降り始めていた雨の中、駒沢公園周りの道路には、すでに10mおきくらいに警備の人たちが立っていて、一様に透明の雨合羽を着用。ご苦労様だと思う一方で、雨で余計な経費も掛かることだろうと、要らぬ心配も湧いてきました。
それこそ「年に一度の」ハーフマラソンですから、早出して協力することもやぶさかではありませんが、参加されたランナーの皆さんには、あいにくのお天気だったと同情いたします。
交通規制と言えば、今日、近所でガス工事がある筈でしたが、どうやら延期になったようです。実施されていたら店の前は通行止めになっていたところです。
それは一日の工事ですが、来週半ばから、今度は下水溝の工事が開始される予定で、こちらは延々3ヶ月ほどに亘って規制が続くことになるそうです。
実際に始まってみないと、どう規制されるか様子が分かりませんが、日中、車の出し入れで不便を強いられることは確かです。
しかし、豪雨にも浸水被害が出なくなるようにするための工事だということですから、しばらくは、じっと我慢の日々を送らざるを得ません。
ただ、しっかり降り始めたお昼前後からは、不思議と店の前の人通りは多かったのでした。その通りがかりの何割、いや何%かは、店に入って来られたのですが、本がお目当てという方は少数派。
ご来客に、外国人の割合が多かったのは、何か催しでもあったのでしょうか。一日を通じ、お天気の割には出入りが多かった気がいたします。ただし、売上にはあまりつながりませんでしたが。
そういえば今朝は「世田谷246ハーフマラソン」でした。サイトを調べると第10回とあります。この日は、ちょうど出かける時間帯(午前8時〜)に国道246号が通行止めになるため、いつもより30分ほど早く家を出ました。
降り始めていた雨の中、駒沢公園周りの道路には、すでに10mおきくらいに警備の人たちが立っていて、一様に透明の雨合羽を着用。ご苦労様だと思う一方で、雨で余計な経費も掛かることだろうと、要らぬ心配も湧いてきました。
それこそ「年に一度の」ハーフマラソンですから、早出して協力することもやぶさかではありませんが、参加されたランナーの皆さんには、あいにくのお天気だったと同情いたします。
交通規制と言えば、今日、近所でガス工事がある筈でしたが、どうやら延期になったようです。実施されていたら店の前は通行止めになっていたところです。
それは一日の工事ですが、来週半ばから、今度は下水溝の工事が開始される予定で、こちらは延々3ヶ月ほどに亘って規制が続くことになるそうです。
実際に始まってみないと、どう規制されるか様子が分かりませんが、日中、車の出し入れで不便を強いられることは確かです。
しかし、豪雨にも浸水被害が出なくなるようにするための工事だということですから、しばらくは、じっと我慢の日々を送らざるを得ません。
2015年11月07日
お金が必要
しばしばお買い上げくださる学生さん。院生さんでしょうか。帳場の前に立ち、改まって尋ねます。「本を買っていただくことは出来るでしょうか」。
「もちろんです」と、お答えすると、「ちょっと見ていただきたいんですが」と言いながら、提げてきたバッグから10冊ばかり、本を取りだしました。
「幾らになるか、教えていただければ…、実は、金額によっては全部でなくていいんです」と、不可解なお言葉。
要するに差し当たり必要な金額があって、それに間に合うだけ売りたい、ということのようです。他ならぬ、お馴染みさんのことですから、ご要望に従って値踏みをしました。
1、2冊、すぐにも売れそうな本がありましたので、「全部で4,500円でいかがですか」と申し上げると、驚愕の表情で「そんなになるんですか」と絶句されます。
「足りないといけないと思い、多めに持ってきたのですが。ちなみにこれは幾らくらいでしょうか」
と、指し示したのは、そのすぐにも売れそうな1冊。「千円です」と回答。すると、ためらいながら「実は1,200円あれば良かったんです。これは止めてもいいですか」。
日ごろのお付き合いもあるので、多少、高めに買取価格を申し上げたことは確かですが、一体、幾らと言われることを予想してこられたのでしょうか。
本当を言えば、他は置いて、その1冊を1,200円でお引き取りしたいくらいのところでした。しかしまだ、ご自身にとって、必要な本なのでしょう。他の本も、手放したくて持ってこられたのではなさそうです。そこで、「それじゃあ、これだけで1,200円ということでいかがですか」と、3冊だけ選ばせてもらいました。
喜んで残りの本をまたバッグに入れ、礼を言ってお帰りになりましたが、昔の店主もそうであったような、貧乏学生の金欠とは、どうも様子が違うところが不思議でした。
「もちろんです」と、お答えすると、「ちょっと見ていただきたいんですが」と言いながら、提げてきたバッグから10冊ばかり、本を取りだしました。
「幾らになるか、教えていただければ…、実は、金額によっては全部でなくていいんです」と、不可解なお言葉。
要するに差し当たり必要な金額があって、それに間に合うだけ売りたい、ということのようです。他ならぬ、お馴染みさんのことですから、ご要望に従って値踏みをしました。
1、2冊、すぐにも売れそうな本がありましたので、「全部で4,500円でいかがですか」と申し上げると、驚愕の表情で「そんなになるんですか」と絶句されます。
「足りないといけないと思い、多めに持ってきたのですが。ちなみにこれは幾らくらいでしょうか」
と、指し示したのは、そのすぐにも売れそうな1冊。「千円です」と回答。すると、ためらいながら「実は1,200円あれば良かったんです。これは止めてもいいですか」。
日ごろのお付き合いもあるので、多少、高めに買取価格を申し上げたことは確かですが、一体、幾らと言われることを予想してこられたのでしょうか。
本当を言えば、他は置いて、その1冊を1,200円でお引き取りしたいくらいのところでした。しかしまだ、ご自身にとって、必要な本なのでしょう。他の本も、手放したくて持ってこられたのではなさそうです。そこで、「それじゃあ、これだけで1,200円ということでいかがですか」と、3冊だけ選ばせてもらいました。
喜んで残りの本をまたバッグに入れ、礼を言ってお帰りになりましたが、昔の店主もそうであったような、貧乏学生の金欠とは、どうも様子が違うところが不思議でした。
2015年11月06日
下札の喜びと不安
入札というのは、時に無情な面も見せるものです。
例えば、ある本が100万円で落札されたとします。市場にいて発声を聞いた同業たちは、一様にホーッという声を出すでしょう。古本の世界では、かなり高額な落札価格ですから。
しかし、その落札品が引き取られるまでの間に、落ち札を目にすることができたとして、その落札価格が一番の下札で、そこから上に、100万円刻みで最高800万円の数字まで書かれているのを見たとしたら、もう一度さらに大きくため息をつくことでしょう。
そのため息には様々な感慨が含まれます。出品者が700万円を儲け損なったことへの同情。落札者が700万円儲けたかもしれないことへの羨望。なぜ、絡む人がいなかったかという不審。では本来の価値は、どれほどのものなのだろうかという疑問。
無情というのは、そうした売り買いに関する機微が、衆目にさらされることです。落札者は、つねに、自分がその本に幾らまで出すつもりがあったのかを、他者に知られることになります(それを嫌って、落札品を一刻も早く引き取ろうとする業者もいますが)。そして出品者の耳には、遅かれ早かれそうした情報は届くものです。
もちろん商売人というのは、それを逆手にとって、さまざまな駆け引きを行うこともありますから、札に書かれた金額を素直に信じて良いとは限りません。しかし出品者にとっては、間違いなく惜しい気にさせられる情報です。仮に100万円の落ち値が、望外であったとしても。
一方で買い手にとっても、下札というのは嬉しいばかりではありません。まず第一に、自身の価値判断に誤りがあったのではないかという不安が生じるでしょう。次に、もっと安く買うことができたのではないかという反省も、起きるかもしれません。
金額の違いを除けば、これは入札市にとって日常茶飯のことでもあります。現に店主も、今日、2万1千円まで入れた札の、一番下、1万3千円で落札した口があって、喜ぶべきかどうか、しばらく悩んだのでした。小さい話ですが。
さて、100万円から800万円という例が、実際にあったことかどうかは、皆さまのご想像にお任せいたします。
例えば、ある本が100万円で落札されたとします。市場にいて発声を聞いた同業たちは、一様にホーッという声を出すでしょう。古本の世界では、かなり高額な落札価格ですから。
しかし、その落札品が引き取られるまでの間に、落ち札を目にすることができたとして、その落札価格が一番の下札で、そこから上に、100万円刻みで最高800万円の数字まで書かれているのを見たとしたら、もう一度さらに大きくため息をつくことでしょう。
そのため息には様々な感慨が含まれます。出品者が700万円を儲け損なったことへの同情。落札者が700万円儲けたかもしれないことへの羨望。なぜ、絡む人がいなかったかという不審。では本来の価値は、どれほどのものなのだろうかという疑問。
無情というのは、そうした売り買いに関する機微が、衆目にさらされることです。落札者は、つねに、自分がその本に幾らまで出すつもりがあったのかを、他者に知られることになります(それを嫌って、落札品を一刻も早く引き取ろうとする業者もいますが)。そして出品者の耳には、遅かれ早かれそうした情報は届くものです。
もちろん商売人というのは、それを逆手にとって、さまざまな駆け引きを行うこともありますから、札に書かれた金額を素直に信じて良いとは限りません。しかし出品者にとっては、間違いなく惜しい気にさせられる情報です。仮に100万円の落ち値が、望外であったとしても。
一方で買い手にとっても、下札というのは嬉しいばかりではありません。まず第一に、自身の価値判断に誤りがあったのではないかという不安が生じるでしょう。次に、もっと安く買うことができたのではないかという反省も、起きるかもしれません。
金額の違いを除けば、これは入札市にとって日常茶飯のことでもあります。現に店主も、今日、2万1千円まで入れた札の、一番下、1万3千円で落札した口があって、喜ぶべきかどうか、しばらく悩んだのでした。小さい話ですが。
さて、100万円から800万円という例が、実際にあったことかどうかは、皆さまのご想像にお任せいたします。
2015年11月05日
狩野亨吉展
昨日のお昼前、少し時間が出来たので、ちょいと一足、「狩野亨吉 生誕150周年記念展」を見に駒場博物館へ行ってきました。
平日の午前中とあって、電車が到着して駅から降りてくる学生さん達の人波にぶつかり、校門を入るまでは賑やかでしたが、博物館へ足を踏み入れると、ヒッソリ閑として、他に見学者の気配もありません。
入り口に用意された参考資料を手に、順を追って展示物を鑑賞することにしました。ゆっくり落ち着いて見られるのは有難いのですが、見始めて、思いのほか時間をとられることに気が付きました。なかなか見応えがあるのです。
一点一点の資料が、その内容とともに、物自体としても古本屋意識を刺激します。たとえば夏目漱石関連のガラスケースに、さりげなく漱石の自筆葉書が展示されていたりして。
安藤昌益の稿本「自然真営道」は、現在ではネット上で公開されていて、中身まで閲覧できますが、その現物を目の当たりにすると、不運と僥倖を潜り抜けて残された書物の、不思議な存在感が伝わってくるようでした。
そんな具合で見ていると、あっという間に時間が経ってしまいます。ざっと覗いて戻るつもりにしていましたので、数多い書簡類には、ほとんど目をやるヒマもないうちに、店に戻らなければならない時間になりました。嬉しい見込み違いです。
期日は12月6日まで、まだ十分残されています。ここはいったん切り上げて、他日、重来を期することとしました。
本当は、全部を見た上でご紹介すべきでしょうが、あまりに静かな会場に、もったいなさを覚え、いささかでも動員につながればと、前倒しのご報告をさせていただく次第です。
本の世界に興味のある方なら、見ておいて損はないと思います。その足で、日本近代文学館へ向かえば、「高見順という時代」展もやっております。逆もありですね、近代文学館へ来られたなら、ぜひ駒場博物館へも足をお運びください。
なお、昨日「高見順とその時代」としましたのは、同館の講座「資料は語る」案内チラシから引用したもので、店主が勝手に名付けたわけではありません。念のため。
平日の午前中とあって、電車が到着して駅から降りてくる学生さん達の人波にぶつかり、校門を入るまでは賑やかでしたが、博物館へ足を踏み入れると、ヒッソリ閑として、他に見学者の気配もありません。
入り口に用意された参考資料を手に、順を追って展示物を鑑賞することにしました。ゆっくり落ち着いて見られるのは有難いのですが、見始めて、思いのほか時間をとられることに気が付きました。なかなか見応えがあるのです。
一点一点の資料が、その内容とともに、物自体としても古本屋意識を刺激します。たとえば夏目漱石関連のガラスケースに、さりげなく漱石の自筆葉書が展示されていたりして。
安藤昌益の稿本「自然真営道」は、現在ではネット上で公開されていて、中身まで閲覧できますが、その現物を目の当たりにすると、不運と僥倖を潜り抜けて残された書物の、不思議な存在感が伝わってくるようでした。
そんな具合で見ていると、あっという間に時間が経ってしまいます。ざっと覗いて戻るつもりにしていましたので、数多い書簡類には、ほとんど目をやるヒマもないうちに、店に戻らなければならない時間になりました。嬉しい見込み違いです。
期日は12月6日まで、まだ十分残されています。ここはいったん切り上げて、他日、重来を期することとしました。
本当は、全部を見た上でご紹介すべきでしょうが、あまりに静かな会場に、もったいなさを覚え、いささかでも動員につながればと、前倒しのご報告をさせていただく次第です。
本の世界に興味のある方なら、見ておいて損はないと思います。その足で、日本近代文学館へ向かえば、「高見順という時代」展もやっております。逆もありですね、近代文学館へ来られたなら、ぜひ駒場博物館へも足をお運びください。
なお、昨日「高見順とその時代」としましたのは、同館の講座「資料は語る」案内チラシから引用したもので、店主が勝手に名付けたわけではありません。念のため。
2015年11月04日
名古屋弁御始末
「洋書まつり」を翌々日に控え、準備に追われていた日のこと、旧友から電話がかかってきました。それも携帯に出損ねたと思ったら、すぐ店の電話に。何やら急ぎの用件らしい。
「頼まれて欲しいことがあるのだ」と、いくらか恐縮した声の調子です。すぐに「いや、大したことではないのだが、お前しか頼む相手が思い浮かばないんだ」。
旧友というのは、大学時代の部活仲間で、演劇倶楽部『座』という劇団を率いて今も活動を続けている、壌晴彦という男。芝居仕立ての朗読という形式を編み出して、最近では「朗読LIVE」と銘打ち、時折上演をしています。
近くその一つとして、浅田次郎の「五郎治殿御始末」という短篇を取り上げるのですが、中で重要な役どころの一人が「コテコテの名古屋弁」を喋る。ついては、参考にするため、そのセリフ部分を吹き込んで送ってほしい、というのがその頼み事でした。
もちろん辞退しました。しかし、上演期日も迫り、他に思いつく相手もいないので、ともかく音にして聞かせて欲しいと、重ねての要望です。何はともあれ、その作品を一度読んでみてくれと。
若い頃は面倒を掛け合った仲です。どちらかと言えば店主に借りが多いでしょう。役に立てるものなら、立ってやりたい。そう思って、手に入れた文庫本を、「洋書まつり」前日、準備のための古書会館への行き帰り、車中で読みました。
しかし読んでいくうち、とても自分の手に負えるものではないということが、分かってきました。
どの方言も地域差が大きいものですが、その点では、舞台は熱田ですから、問題ないはず。ところが、幾ら字面を追っても、音になって聞こえて来ません。作者苦心の結果であろう名古屋弁表記が、店主には奇妙な文字列にしか見えないのです。
名古屋を離れて半世紀近く。小説の舞台は、明治初期の階層差も大きい時代。やはり無理だと、メールで断りを入れました。
幸い、FaceBookで呼びかけたところ、相応しい役者さんが見つかったと、報せてきました。無理に引き受けたら、かえって友人に恥をかかせただろうと、胸を撫で下ろした次第です。
「頼まれて欲しいことがあるのだ」と、いくらか恐縮した声の調子です。すぐに「いや、大したことではないのだが、お前しか頼む相手が思い浮かばないんだ」。
旧友というのは、大学時代の部活仲間で、演劇倶楽部『座』という劇団を率いて今も活動を続けている、壌晴彦という男。芝居仕立ての朗読という形式を編み出して、最近では「朗読LIVE」と銘打ち、時折上演をしています。
近くその一つとして、浅田次郎の「五郎治殿御始末」という短篇を取り上げるのですが、中で重要な役どころの一人が「コテコテの名古屋弁」を喋る。ついては、参考にするため、そのセリフ部分を吹き込んで送ってほしい、というのがその頼み事でした。
もちろん辞退しました。しかし、上演期日も迫り、他に思いつく相手もいないので、ともかく音にして聞かせて欲しいと、重ねての要望です。何はともあれ、その作品を一度読んでみてくれと。
若い頃は面倒を掛け合った仲です。どちらかと言えば店主に借りが多いでしょう。役に立てるものなら、立ってやりたい。そう思って、手に入れた文庫本を、「洋書まつり」前日、準備のための古書会館への行き帰り、車中で読みました。
しかし読んでいくうち、とても自分の手に負えるものではないということが、分かってきました。
どの方言も地域差が大きいものですが、その点では、舞台は熱田ですから、問題ないはず。ところが、幾ら字面を追っても、音になって聞こえて来ません。作者苦心の結果であろう名古屋弁表記が、店主には奇妙な文字列にしか見えないのです。
名古屋を離れて半世紀近く。小説の舞台は、明治初期の階層差も大きい時代。やはり無理だと、メールで断りを入れました。
幸い、FaceBookで呼びかけたところ、相応しい役者さんが見つかったと、報せてきました。無理に引き受けたら、かえって友人に恥をかかせただろうと、胸を撫で下ろした次第です。
2015年11月03日
『高見順とその時代』
もう何週間か前のことになりますが、月曜日の夜、帰りの車の中で、いつものようにNHKラジオアーカイヴスを聴こうと、チャンネルを合わせました。
番組は始まるところで、その日の登場は「伊藤整」だと紹介されました。1967年4月、日本近代文学館完成に際し、「時の人」という番組でインタビューを受けた時の録音だということです。
いつも以上に興味深く聴きました。さしたるご縁を持たないとはいえ、ご近所さんの近代文学館です。そこを訪れる方が、小店にも立ち寄っていただくというケースも中にはある筈で、まるでお蔭を被っていないとは言い切れません。
完成に至る、いくつかのエピソードが語られました。古本屋として常識的には知っていた事柄も、当事者の口から話される言葉として聞くと、また味わいがあります。
その中でもとりわけ印象に残ったのは、高見順についての話でした。一番の発起人ともいえる高見がその生涯を終えたのは、現在地に建設が決まり、起工式が行われたその翌日のことだったそうです。淡々とした口調に、深い追慕の思いが感じられました。
奇しくも今年は、高見順没後50年。現在、同館では記念展を開催中です。
さて話は、さらに数週間遡ります。ある日、「女性週刊誌の記者」と名乗る男性が、店に現れました。「ハセさんのことで、少し伺いたのですが」とのこと。大臣夫人の日常生活を探るというようなことなのでしょうか。どこで、ハセさんが小店のお客様であるという情報を、仕入れてきたのかは存じませんが。
「どんな方ですか?」と単刀直入です。「気さくな良い方です」「どんな本を買われるのでしょう?」「最近は、もっぱら読まれた本をお持ちくださいます」「どんな本を読まれているのですか?」「話題の本をいち早く読まれているようですが、良いご趣味ですよ、何しろ高見さんですから」
アラフォーの記者さんは、なるほどと言う顔で笑ってお帰りになりましたが、その意味を本当に理解しておられたかどうか、後から疑問を持ちました。
番組は始まるところで、その日の登場は「伊藤整」だと紹介されました。1967年4月、日本近代文学館完成に際し、「時の人」という番組でインタビューを受けた時の録音だということです。
いつも以上に興味深く聴きました。さしたるご縁を持たないとはいえ、ご近所さんの近代文学館です。そこを訪れる方が、小店にも立ち寄っていただくというケースも中にはある筈で、まるでお蔭を被っていないとは言い切れません。
完成に至る、いくつかのエピソードが語られました。古本屋として常識的には知っていた事柄も、当事者の口から話される言葉として聞くと、また味わいがあります。
その中でもとりわけ印象に残ったのは、高見順についての話でした。一番の発起人ともいえる高見がその生涯を終えたのは、現在地に建設が決まり、起工式が行われたその翌日のことだったそうです。淡々とした口調に、深い追慕の思いが感じられました。
奇しくも今年は、高見順没後50年。現在、同館では記念展を開催中です。
さて話は、さらに数週間遡ります。ある日、「女性週刊誌の記者」と名乗る男性が、店に現れました。「ハセさんのことで、少し伺いたのですが」とのこと。大臣夫人の日常生活を探るというようなことなのでしょうか。どこで、ハセさんが小店のお客様であるという情報を、仕入れてきたのかは存じませんが。
「どんな方ですか?」と単刀直入です。「気さくな良い方です」「どんな本を買われるのでしょう?」「最近は、もっぱら読まれた本をお持ちくださいます」「どんな本を読まれているのですか?」「話題の本をいち早く読まれているようですが、良いご趣味ですよ、何しろ高見さんですから」
アラフォーの記者さんは、なるほどと言う顔で笑ってお帰りになりましたが、その意味を本当に理解しておられたかどうか、後から疑問を持ちました。
2015年11月02日
遍歴の一冊
「携帯から電話しています」と、電波状況のせいか、少し聞き取りにくいお声。
ネットで検索していたら、一冊だけそちらにあることが分かったので、注文しようとしたのだが、携帯からでは、どうもうまくいかないようだ。そこで直接電話を掛けた、とのこと。
代引きで送ってもらいたいとおっしゃるので、お目当ての本と、送り先とを伺うことにいたしました。
ご注文いただいたのは、『追跡・兇悪犯 : 実録事件記者』という、桃源社から昭和52年に刊行された本。著者は伊豆悦老という、読売新聞記者。
その本については、記憶にありました。と言いますのも、このブログで取り上げたことがあるからです。ある日、演劇書の一口を市場で仕入れたところ、何冊か毛色の変わった本が混じっていた、その中の一冊です。
その時も書いた通り、この本の持ち主というのが、往年の人気TVドラマ「事件記者」の滝田祐介さんでした。おそらく著者から頂いたものだったのでしょう。
ネットで検索してみると、他に出品している店も見当たりませんから、世間のどこかに、この本をお探しの方もおられるかも知れないと、「日本の古本屋」に上げておいたのです。
ご住所など伺ううち、やがて「父が書いた本です」と、明らかにされました。いつ頃からお探しになっておられたのでしょう。頂いたお電話が長くなるのを恐れ、これが滝田さんの旧蔵書だということは、そこではお伝えしませんでした。
送り状に、簡略にその旨を記したのですが、その時、改めてカバー袖の解説に目をやると、滝田さんの扮した「イナさん」は、この本の著者、伊豆さんがモデルであったと書かれてありました。
本自体には何の履歴も残っていませんが、著者から著者をモデルとした役者へ、そして著者の娘さんへと、不思議な旅をすることになった一冊です。
ネットで検索していたら、一冊だけそちらにあることが分かったので、注文しようとしたのだが、携帯からでは、どうもうまくいかないようだ。そこで直接電話を掛けた、とのこと。
代引きで送ってもらいたいとおっしゃるので、お目当ての本と、送り先とを伺うことにいたしました。
ご注文いただいたのは、『追跡・兇悪犯 : 実録事件記者』という、桃源社から昭和52年に刊行された本。著者は伊豆悦老という、読売新聞記者。
その本については、記憶にありました。と言いますのも、このブログで取り上げたことがあるからです。ある日、演劇書の一口を市場で仕入れたところ、何冊か毛色の変わった本が混じっていた、その中の一冊です。
その時も書いた通り、この本の持ち主というのが、往年の人気TVドラマ「事件記者」の滝田祐介さんでした。おそらく著者から頂いたものだったのでしょう。
ネットで検索してみると、他に出品している店も見当たりませんから、世間のどこかに、この本をお探しの方もおられるかも知れないと、「日本の古本屋」に上げておいたのです。
ご住所など伺ううち、やがて「父が書いた本です」と、明らかにされました。いつ頃からお探しになっておられたのでしょう。頂いたお電話が長くなるのを恐れ、これが滝田さんの旧蔵書だということは、そこではお伝えしませんでした。
送り状に、簡略にその旨を記したのですが、その時、改めてカバー袖の解説に目をやると、滝田さんの扮した「イナさん」は、この本の著者、伊豆さんがモデルであったと書かれてありました。
本自体には何の履歴も残っていませんが、著者から著者をモデルとした役者へ、そして著者の娘さんへと、不思議な旅をすることになった一冊です。