2013年09月22日
証文の出し遅れ
先日来、倉庫と化してしまった店の裏の棚を、少しずつ整理し始めて、時に思いがけない本と再会しては、つい昔を思い出しております。
今日見つけたのはこの本。『視線と劇場』(梅本洋一 弘文堂 昭和62年)。著者は最近亡くなった、店主とほぼ同世代の演劇学者です。
演劇学者と決めつけてしまっては、後年の多彩な活動からすれば申し訳ないようですが、少なくともこの当時の著者について、そう呼んで大きな間違いではないでしょう。
目次を開くと、ジョルジュ・ストレーレル、ピーター・ブルック、太陽劇団…、懐かしい固有名詞が散見されます。しかし何よりそのテーマである「セノグラフィー」、そういえばこれについて、その後どんな展開があったのでしょうか。
演劇美学者の山内登美雄先生は、生前ご来店の折に、「演劇研究というと文学からのアプローチばかりで」と、こぼされたことがありますが、それはまさにこの、セノグラフィー論と相通じる問題意識でした。
その山内先生のご蔵書が、数か月前市場にでて、それと気づかずに、かなりの量を落札したことは、前にお伝えしたかもしれません。同様に、梅本さんの旧蔵書も、その一部は小店の在庫となりました。
以前は店主も、演劇関係書を集めるのに、もう少し熱心でした。特に洋書は、市場で見かければ買い込んでおりました。最近では、気が向いた時だけ手を出す程度になりましたが、売るための努力はほとんどしてきませんでしたから、在庫量だけは相当増えております。
今更、専門店を名乗るのは、恥ずかしくも烏滸がましいことですが、現在、日本書を中心に進めている整理が、洋書の方まで進めばそれなりのボリュームになるはずで、そのあかつきには小さく看板を掲げてみようかとも考えております。
とはいえ両先生すでに亡く、現在の演劇研究の状況にはまるで疎い店主が、ただ機会を捉えて集めただけの本ですので、果たしてどなたかに買っていただけるようなものなのかどうか、まるで想像もつきませんが。
今日見つけたのはこの本。『視線と劇場』(梅本洋一 弘文堂 昭和62年)。著者は最近亡くなった、店主とほぼ同世代の演劇学者です。
演劇学者と決めつけてしまっては、後年の多彩な活動からすれば申し訳ないようですが、少なくともこの当時の著者について、そう呼んで大きな間違いではないでしょう。
目次を開くと、ジョルジュ・ストレーレル、ピーター・ブルック、太陽劇団…、懐かしい固有名詞が散見されます。しかし何よりそのテーマである「セノグラフィー」、そういえばこれについて、その後どんな展開があったのでしょうか。
演劇美学者の山内登美雄先生は、生前ご来店の折に、「演劇研究というと文学からのアプローチばかりで」と、こぼされたことがありますが、それはまさにこの、セノグラフィー論と相通じる問題意識でした。
その山内先生のご蔵書が、数か月前市場にでて、それと気づかずに、かなりの量を落札したことは、前にお伝えしたかもしれません。同様に、梅本さんの旧蔵書も、その一部は小店の在庫となりました。
以前は店主も、演劇関係書を集めるのに、もう少し熱心でした。特に洋書は、市場で見かければ買い込んでおりました。最近では、気が向いた時だけ手を出す程度になりましたが、売るための努力はほとんどしてきませんでしたから、在庫量だけは相当増えております。
今更、専門店を名乗るのは、恥ずかしくも烏滸がましいことですが、現在、日本書を中心に進めている整理が、洋書の方まで進めばそれなりのボリュームになるはずで、そのあかつきには小さく看板を掲げてみようかとも考えております。
とはいえ両先生すでに亡く、現在の演劇研究の状況にはまるで疎い店主が、ただ機会を捉えて集めただけの本ですので、果たしてどなたかに買っていただけるようなものなのかどうか、まるで想像もつきませんが。
2013年09月21日
Junk Fax
ジャンクメールには、いつしか慣れっこになってしまいました。相変わらず毎日、山のように届きますが、かなりフィルターで除去されます。それでも入ってくるメールは、もう諦めて手作業で削除しています。
そんな具合で、大事なメールを見落とすことは、かなり少なくなりました。それでも時折、件名が空白だったり、ジャンクと紛らわしい件名だったりして、うっかり削除しそうになることはありますが。
一方、ファックスの方は、ますますジャンクが増えてきて、対応に苦慮しております。滅多にファックスでご注文をいただくことがないだけに、余計、たまの受注を見逃しがちです。
その原因の一つは、紙の無駄を減らそうと、データで保存するようにしたことにあります。もちろん、そのデータを常にディスプレイで確認しているのですが、やはり見落とすことがあるようです。
今日一件、お電話でご指摘を受けました。もう10日も前のことだと仰います。冷汗三斗、慌てて調べると、確かにファックスをいただいておりました。
幸いなことに、ご注文の本はまだ在庫しており、さらに幸いなことに、すぐにお送りしますと申し上げると、快くご了解いただきました。
逆に、ご自身でメールなどが使えないことを、申し訳ないことのように仰られ、恐縮するばかりでした。
こうして書いている間にも、電話が鳴り、取るとファックス。しかも明らかにジャンク。
けちけちせずに、受信したものを全部、紙に印刷すれば良いのでしょうが、そうすると今度は、紙の束に紛れることだってないとは言えません。
このジャンクを減らす良い手立てはないものでしょうか。着信拒否にしようにも、発信番号がないものも多いようです。いちいち、ファックス不要と返信すれば、少しは効果があるのでしょうか。
どなたか、ご存知でしたらご教示ください。
そんな具合で、大事なメールを見落とすことは、かなり少なくなりました。それでも時折、件名が空白だったり、ジャンクと紛らわしい件名だったりして、うっかり削除しそうになることはありますが。
一方、ファックスの方は、ますますジャンクが増えてきて、対応に苦慮しております。滅多にファックスでご注文をいただくことがないだけに、余計、たまの受注を見逃しがちです。
その原因の一つは、紙の無駄を減らそうと、データで保存するようにしたことにあります。もちろん、そのデータを常にディスプレイで確認しているのですが、やはり見落とすことがあるようです。
今日一件、お電話でご指摘を受けました。もう10日も前のことだと仰います。冷汗三斗、慌てて調べると、確かにファックスをいただいておりました。
幸いなことに、ご注文の本はまだ在庫しており、さらに幸いなことに、すぐにお送りしますと申し上げると、快くご了解いただきました。
逆に、ご自身でメールなどが使えないことを、申し訳ないことのように仰られ、恐縮するばかりでした。
こうして書いている間にも、電話が鳴り、取るとファックス。しかも明らかにジャンク。
けちけちせずに、受信したものを全部、紙に印刷すれば良いのでしょうが、そうすると今度は、紙の束に紛れることだってないとは言えません。
このジャンクを減らす良い手立てはないものでしょうか。着信拒否にしようにも、発信番号がないものも多いようです。いちいち、ファックス不要と返信すれば、少しは効果があるのでしょうか。
どなたか、ご存知でしたらご教示ください。
2013年09月20日
賢治の市
朝、市場に着くまで、荷物の集まり具合が心配でした。超目玉の一点があるものの、それだけでは市場になりませんから。
着いてみると、やはり心なしか荷が少ない。本を並べる平机は、作業台でもあるのですが、その台でゆったりと作業が進められています。
しかし、やがてよく見ていくうちに、量こそ多くはありませんが、なかなか粒ぞろいであることが分かりました。
特に、地方から送られてきた10箱ほどの口には、古い文学初版本や、著名作家の草稿書簡、和本類などが詰まっていて、その中から、夏目漱石の『道草』反故原稿を見つけた時は、ちょっとした騒ぎでした。
その他にも、国木田独歩の葉書であるとか、坂口安吾の書簡であるとか、北原白秋の室生犀星宛書簡といった、比較的高値を呼ぶものが多く出てきて、かなり充実した市になりそうな予感を持ちました。
陳列を終え、作業の後片付けを済ませ、やがて開場。午後1時半には開札開始と、市会は順調に進みます。
気のせいか、市場の雰囲気が、終始なんとなくざわついていました。入札市終了後に行われる「振り」に、特にその最後に振られるはずの宮澤賢治書簡、葉書に、来場者の関心が集まっていたからでしょうか。
さらに時は進み、やがてその「賢治」が競りにかけられる時間になりました。いつもより多く会場に残った業者が、一様に固唾をのんで成り行きを見守ります。
初め幾人かから出ていた競り声は、いつか二人に絞られ、ついにそのうちの一人が、競り上げるのを諦めた時、落札価格が決まりました。
今からちょうど80年前に、37歳で世を去った一人の詩人が、10代の終わり頃、ある旧友にあてた数通の手紙は、先週予測した通り、ほぼ前回の市会の総出来高と等しい値をつけたのでした。
奇しくも明日は、その詩人の80回目の命日。今日、これほどの国民的な人気を得ることになるとは、その当時、幾人が予測し得たでしょうか。
着いてみると、やはり心なしか荷が少ない。本を並べる平机は、作業台でもあるのですが、その台でゆったりと作業が進められています。
しかし、やがてよく見ていくうちに、量こそ多くはありませんが、なかなか粒ぞろいであることが分かりました。
特に、地方から送られてきた10箱ほどの口には、古い文学初版本や、著名作家の草稿書簡、和本類などが詰まっていて、その中から、夏目漱石の『道草』反故原稿を見つけた時は、ちょっとした騒ぎでした。
その他にも、国木田独歩の葉書であるとか、坂口安吾の書簡であるとか、北原白秋の室生犀星宛書簡といった、比較的高値を呼ぶものが多く出てきて、かなり充実した市になりそうな予感を持ちました。
陳列を終え、作業の後片付けを済ませ、やがて開場。午後1時半には開札開始と、市会は順調に進みます。
気のせいか、市場の雰囲気が、終始なんとなくざわついていました。入札市終了後に行われる「振り」に、特にその最後に振られるはずの宮澤賢治書簡、葉書に、来場者の関心が集まっていたからでしょうか。
さらに時は進み、やがてその「賢治」が競りにかけられる時間になりました。いつもより多く会場に残った業者が、一様に固唾をのんで成り行きを見守ります。
初め幾人かから出ていた競り声は、いつか二人に絞られ、ついにそのうちの一人が、競り上げるのを諦めた時、落札価格が決まりました。
今からちょうど80年前に、37歳で世を去った一人の詩人が、10代の終わり頃、ある旧友にあてた数通の手紙は、先週予測した通り、ほぼ前回の市会の総出来高と等しい値をつけたのでした。
奇しくも明日は、その詩人の80回目の命日。今日、これほどの国民的な人気を得ることになるとは、その当時、幾人が予測し得たでしょうか。
2013年09月19日
古本屋の時間
渋谷駅まで帰り着き、止まっていた各駅停車に乗り込んで、ほっと一息。先発の急行も出て、まもなく発車すれば、店まで5分もかかりません。
「日本の古本屋」事業部の会議がすっかり延びて、会館を出たのが7時近くになりました。長い会議の疲れもあって、帰心が募ります。
と、動き出すばかりになったところで、「ただいま池の上の踏み切りで、安全の確認を行っております」という車内アナウンス。「発車まで、しばらくお待ちください」という文句が、何度繰り返されたでしょう。
車内は次第に混み合ってきます。帰宅時間でもあり、何となくいらいらした雰囲気も漂ってきました。やがてようやく、「大変お待たせいたしました」と、出発の合図。
一体どれほど待たされたのだろうとホームの時計に目をやると、ずいぶん待った気がするのに、定時から5分ほど遅れただけでした。車両混雑のため、駒場東大前に着いたときには、さらに1、2分は遅れたかもしれませんが。
5分がそれほど長かったというのに、会議の5時間は、あっという間でした。午後6時の終了予定時刻を過ぎても、まだ積み残し案件があって、あとひとつ、あとひとつと片付けているうちに、1時間近いオーバーとなってしまったのです。
毎回、6時の定刻に終わることはほとんどありません。それなら初めから、午後7時までと予定しておけば良さそうなものですが、そうすると今度は8時になってしまうかもしれません。ともあれ、今日のところは、一応の区切りをつけることができました。
そういえば昨日の古物講習会は、午後1時半から午後4時までと通知ハガキにありました。しかし実際には午後3時半に終了。質疑応答の時間がたっぷり取られていて、その質疑がまったくなかったからではありますが、それは織り込み済みのはず。
ここには、予定というものの考え方についての、お役所哲学ともいうべきものが見て取れます。古本屋の心性とは対極にあるかもしれません。
「日本の古本屋」事業部の会議がすっかり延びて、会館を出たのが7時近くになりました。長い会議の疲れもあって、帰心が募ります。
と、動き出すばかりになったところで、「ただいま池の上の踏み切りで、安全の確認を行っております」という車内アナウンス。「発車まで、しばらくお待ちください」という文句が、何度繰り返されたでしょう。
車内は次第に混み合ってきます。帰宅時間でもあり、何となくいらいらした雰囲気も漂ってきました。やがてようやく、「大変お待たせいたしました」と、出発の合図。
一体どれほど待たされたのだろうとホームの時計に目をやると、ずいぶん待った気がするのに、定時から5分ほど遅れただけでした。車両混雑のため、駒場東大前に着いたときには、さらに1、2分は遅れたかもしれませんが。
5分がそれほど長かったというのに、会議の5時間は、あっという間でした。午後6時の終了予定時刻を過ぎても、まだ積み残し案件があって、あとひとつ、あとひとつと片付けているうちに、1時間近いオーバーとなってしまったのです。
毎回、6時の定刻に終わることはほとんどありません。それなら初めから、午後7時までと予定しておけば良さそうなものですが、そうすると今度は8時になってしまうかもしれません。ともあれ、今日のところは、一応の区切りをつけることができました。
そういえば昨日の古物講習会は、午後1時半から午後4時までと通知ハガキにありました。しかし実際には午後3時半に終了。質疑応答の時間がたっぷり取られていて、その質疑がまったくなかったからではありますが、それは織り込み済みのはず。
ここには、予定というものの考え方についての、お役所哲学ともいうべきものが見て取れます。古本屋の心性とは対極にあるかもしれません。
2013年09月18日
目黒の古本屋
古物講習会。
出かける前にハガキを確認すると、開始は午後1時半。あと5分しかありません。すっかり2時からだと思っておりましたので、慌てて店を出ました。
まず渋谷へ、そこから東横線に乗り換え、中目黒まで。「7」の字に、目的地へ向かうことになります。
東横線が地下に潜ってから、初めての乗り換え。あまり芳しくない評判を聞いておりましたが、なるほどなんだかせせこましい。新駅という感じもしません。文句をつける筋合いでは、ないのですが。
電車の方はタイミングよく来て、会場の目黒区役所に着いたのは、午後1時45分過ぎでした。
前方のスクリーンに番組仕立てのDVDが映し出されています。古物営業の三原則、確認、通報、記録について、画面の中で講習を受けている形です。さまざまな場面を再現ドラマ風に挿し挟みながら。
昨年、あるいは一昨年見たのと、違いはなさそう。しかしはっきりとはわかりません。何しろ途中から見始めて間もなく、機器の不調で、打ち切りとなってしまったからです。
「同じ内容を、講義の方でもお話ししますから」と説明がありましたが、同じことならどちらか一方で良さそうなものだと、ひそかに突っ込みを入れました。
しかし講義となると、いつぞや警視庁の担当官が来られた時は、さすがに手慣れた様子で聞かせましたが、所轄署の場合は、係官に得手不得手があるようです。今日はあまり、お得意ではなかったかも。
会場で同業二人に会いましたが、いつも世話役をしてくれているもう一人の顔を見ませんでした。そういえば目黒署管内で組合加盟の古書店は、この4軒になってしまったのでしょうか。
改めて、「日本の古本屋」の古書店検索で調べてみたところ、目黒区に20軒。殆どは碑文谷署の管轄地域です。正確にいうと、5軒が我が管内でした。30年前は、8軒か9軒ありましたから、やはり減っています。
出かける前にハガキを確認すると、開始は午後1時半。あと5分しかありません。すっかり2時からだと思っておりましたので、慌てて店を出ました。
まず渋谷へ、そこから東横線に乗り換え、中目黒まで。「7」の字に、目的地へ向かうことになります。
東横線が地下に潜ってから、初めての乗り換え。あまり芳しくない評判を聞いておりましたが、なるほどなんだかせせこましい。新駅という感じもしません。文句をつける筋合いでは、ないのですが。
電車の方はタイミングよく来て、会場の目黒区役所に着いたのは、午後1時45分過ぎでした。
前方のスクリーンに番組仕立てのDVDが映し出されています。古物営業の三原則、確認、通報、記録について、画面の中で講習を受けている形です。さまざまな場面を再現ドラマ風に挿し挟みながら。
昨年、あるいは一昨年見たのと、違いはなさそう。しかしはっきりとはわかりません。何しろ途中から見始めて間もなく、機器の不調で、打ち切りとなってしまったからです。
「同じ内容を、講義の方でもお話ししますから」と説明がありましたが、同じことならどちらか一方で良さそうなものだと、ひそかに突っ込みを入れました。
しかし講義となると、いつぞや警視庁の担当官が来られた時は、さすがに手慣れた様子で聞かせましたが、所轄署の場合は、係官に得手不得手があるようです。今日はあまり、お得意ではなかったかも。
会場で同業二人に会いましたが、いつも世話役をしてくれているもう一人の顔を見ませんでした。そういえば目黒署管内で組合加盟の古書店は、この4軒になってしまったのでしょうか。
改めて、「日本の古本屋」の古書店検索で調べてみたところ、目黒区に20軒。殆どは碑文谷署の管轄地域です。正確にいうと、5軒が我が管内でした。30年前は、8軒か9軒ありましたから、やはり減っています。
2013年09月17日
色づく本
突然秋が来たような、今朝の涼しさでした。
今日の洋書会は「哲学書、段ボール100箱!」との前宣伝を聞いておりましたので、楽しみに出発。
お昼過ぎに会場に着くと、もっとてんやわんやになっているかと思いきや、もうきれいに並べ終わって、作業班は昼食をとっている所。
そういえば、来週は一新会大市で休会になるため、今日が9月最後の市。うな重の旨そうな匂いが、会場に漂っておりました。
割合早く市場の準備が済んだ理由の一つは、その100箱の、約7割が日本書だったことでしょう。いかに洋書会とはいえ、日本語の書名を読むより早く、横文字を読み取れる本屋は稀です。
まして、英語だけでなく、ドイツ語やフランス語などが混じる専門書の場合、それを専門にする店ならともかく、専門外の書店にとっては、仕分けに時間がかかるのは当然。
それに比べて日本書の場合は、ある方針が伝われば、門外漢でも手を出すことが出来ます。例えば「カント関係が多そうなので、まずそれを抜き出す」とか。
そんな具合で、お昼までには仕分けが済んだようです。もっとも、通常の当番会員だけではさすがに手が足りず、何名かの助っ人が加わってはおりましたが。
さて、会場を一回り、まず気が付いたのは、この哲学関係書の旧蔵者が、かなりの愛煙家であったということ。本の背中が、全体に黄色く変色しておりました。
『ライプニッツ著作集』(工作舎)などは、白っぽいコットン紙の貼り函ですので、染みついた黄ばみは拭き取ろうにも取れません。人気の高い本ですが、入札者は一様に、躊躇いながら札を入れているようでした。
店主は、コート紙系のカバーが掛かった本を中心に入札し、数点落札。明日届いたら、まずせっせと拭いてみないことには。
今日の洋書会は「哲学書、段ボール100箱!」との前宣伝を聞いておりましたので、楽しみに出発。
お昼過ぎに会場に着くと、もっとてんやわんやになっているかと思いきや、もうきれいに並べ終わって、作業班は昼食をとっている所。
そういえば、来週は一新会大市で休会になるため、今日が9月最後の市。うな重の旨そうな匂いが、会場に漂っておりました。
割合早く市場の準備が済んだ理由の一つは、その100箱の、約7割が日本書だったことでしょう。いかに洋書会とはいえ、日本語の書名を読むより早く、横文字を読み取れる本屋は稀です。
まして、英語だけでなく、ドイツ語やフランス語などが混じる専門書の場合、それを専門にする店ならともかく、専門外の書店にとっては、仕分けに時間がかかるのは当然。
それに比べて日本書の場合は、ある方針が伝われば、門外漢でも手を出すことが出来ます。例えば「カント関係が多そうなので、まずそれを抜き出す」とか。
そんな具合で、お昼までには仕分けが済んだようです。もっとも、通常の当番会員だけではさすがに手が足りず、何名かの助っ人が加わってはおりましたが。
さて、会場を一回り、まず気が付いたのは、この哲学関係書の旧蔵者が、かなりの愛煙家であったということ。本の背中が、全体に黄色く変色しておりました。
『ライプニッツ著作集』(工作舎)などは、白っぽいコットン紙の貼り函ですので、染みついた黄ばみは拭き取ろうにも取れません。人気の高い本ですが、入札者は一様に、躊躇いながら札を入れているようでした。
店主は、コート紙系のカバーが掛かった本を中心に入札し、数点落札。明日届いたら、まずせっせと拭いてみないことには。
2013年09月16日
『台風騒動記』
今日も売り上げがありました。あったというだけで有り難い。午後2時には、ほぼ通常の雨天態勢で店を開けておりましたから、それくらいで有り難がっていては仕方ないのですが。
今朝、いつも通り8時前に家を出て店に向かったときは、まさに嵐のさなかという感じでした。これからますます激しくなるはずだから、早いうちに店にたどり着き、店で嵐が行き過ぎるのを待とうという計画。
店に着いて、ネット注文の返事やら、荷造りやらをしているうちにお昼になり、気が付くと雨風も峠を過ぎた様子で、時折、表を人が通っていきます。
まばらな人通りですが、それは普段でも同じ。急いで営業中のシグナルを発信すべく、棚を一台、また一台と表に出したのでした。
結局今度の台風、前日の雨の方がずっとそれらしかった。風も、朝のうちの方が強かったくらい。一番大変な時に、出かけてきたのかもしれません。しかし無事に過ぎたことが、何よりです。
台風で思い出したのが、表題の『台風騒動記』(山本薩夫 松竹 1956年)。原作とされる『台風13号始末記』(杉浦明平 岩波新書 1955年)は、ついに読む機会のないままですが、映画はNHK・BSで放映されたときに見ました。
古い映画を見ると、いつも感じるのは傍役の達者さです。ほとんど戯画化された人物像に、見事なリアリティーが与えられていました。今でも、町会議員の三島雅夫、お巡りさんの多々良純などの姿がはっきり思い浮かびます。
あのあと原作も読みたい気になって、ある時、偶然手に入った一冊を、どこかに除けておいた気がするのですが、いつの間にやら行方知れずになりました。
いま念のため、棚に入っていないか見たところ、やはりありません。また忘れたころに見つかるかも知れませんが、その時に、果たして読もうという気になるかどうか。
今朝、いつも通り8時前に家を出て店に向かったときは、まさに嵐のさなかという感じでした。これからますます激しくなるはずだから、早いうちに店にたどり着き、店で嵐が行き過ぎるのを待とうという計画。
店に着いて、ネット注文の返事やら、荷造りやらをしているうちにお昼になり、気が付くと雨風も峠を過ぎた様子で、時折、表を人が通っていきます。
まばらな人通りですが、それは普段でも同じ。急いで営業中のシグナルを発信すべく、棚を一台、また一台と表に出したのでした。
結局今度の台風、前日の雨の方がずっとそれらしかった。風も、朝のうちの方が強かったくらい。一番大変な時に、出かけてきたのかもしれません。しかし無事に過ぎたことが、何よりです。
台風で思い出したのが、表題の『台風騒動記』(山本薩夫 松竹 1956年)。原作とされる『台風13号始末記』(杉浦明平 岩波新書 1955年)は、ついに読む機会のないままですが、映画はNHK・BSで放映されたときに見ました。
古い映画を見ると、いつも感じるのは傍役の達者さです。ほとんど戯画化された人物像に、見事なリアリティーが与えられていました。今でも、町会議員の三島雅夫、お巡りさんの多々良純などの姿がはっきり思い浮かびます。
あのあと原作も読みたい気になって、ある時、偶然手に入った一冊を、どこかに除けておいた気がするのですが、いつの間にやら行方知れずになりました。
いま念のため、棚に入っていないか見たところ、やはりありません。また忘れたころに見つかるかも知れませんが、その時に、果たして読もうという気になるかどうか。
2013年09月15日
雨間を縫って
東京アメッシュというサイトをご存知でしょうか。いわゆる天気予報のサイトではなく、今、どこでどれくらい雨が降っているかを知らせてくれるサイトです。
これが、なまじな予報より、ずっと重宝。特に今日のようなお天気の日には。
台風の先駆けで大雨になるという予報通り、未明から土砂降り、午前中も強い降りでした。ところが、お昼頃には日が射してきて、そこでこのアメッシュを見ると、雨域は随分遠のいています。
すかさず表に棚を出しました。もちろん、雨に備えてやや控えめにではありますが。
今日は店売りについては、まったく諦めておりましたから、たとえ二、三時間でも、店が出せるというのは有難いことです。お昼時ということもあって、数名の方に、数点のお買い上げをいただき、今朝の寝床で観念したゼロデーには、ならずに済みました。
実のところ、まだ雨脚が強かった朝のうちに、岩波児童文庫が1冊売れて、450円の売り上げは立っておりましたが。
しかし雨の止み間は、長くは続きませんでした。午後2時を過ぎたころ、日が射しているうちから雨が降り出し、やがて本降りになり、自転車のお客様が、あわてて駆け込んでこられました。
またしてもアメッシュを見てみると、東京全域でも雨が降っている場所はごく一部。その一部が目黒区を縦断するように細く伸びています。その縦の方向に南から北へ、つまり画面の下から上へ、雨域が移動するのもわかります。
広い東京で、このあたりだけが土砂降り。しかしこの縦長の雨雲が抜ければ、またしばらくは持ちそう。そんな予想も立ち、ずいぶん気が休まります。
自転車のお客様は、ゆっくり店内をご覧になり、何冊かお買い上げくださってお帰りになりましたが、その頃には、すっかり雨も上がっておりました。
明日は、しかし、いよいよ台風でしょうか。
これが、なまじな予報より、ずっと重宝。特に今日のようなお天気の日には。
台風の先駆けで大雨になるという予報通り、未明から土砂降り、午前中も強い降りでした。ところが、お昼頃には日が射してきて、そこでこのアメッシュを見ると、雨域は随分遠のいています。
すかさず表に棚を出しました。もちろん、雨に備えてやや控えめにではありますが。
今日は店売りについては、まったく諦めておりましたから、たとえ二、三時間でも、店が出せるというのは有難いことです。お昼時ということもあって、数名の方に、数点のお買い上げをいただき、今朝の寝床で観念したゼロデーには、ならずに済みました。
実のところ、まだ雨脚が強かった朝のうちに、岩波児童文庫が1冊売れて、450円の売り上げは立っておりましたが。
しかし雨の止み間は、長くは続きませんでした。午後2時を過ぎたころ、日が射しているうちから雨が降り出し、やがて本降りになり、自転車のお客様が、あわてて駆け込んでこられました。
またしてもアメッシュを見てみると、東京全域でも雨が降っている場所はごく一部。その一部が目黒区を縦断するように細く伸びています。その縦の方向に南から北へ、つまり画面の下から上へ、雨域が移動するのもわかります。
広い東京で、このあたりだけが土砂降り。しかしこの縦長の雨雲が抜ければ、またしばらくは持ちそう。そんな予想も立ち、ずいぶん気が休まります。
自転車のお客様は、ゆっくり店内をご覧になり、何冊かお買い上げくださってお帰りになりましたが、その頃には、すっかり雨も上がっておりました。
明日は、しかし、いよいよ台風でしょうか。
2013年09月14日
『古本の時間』
石神井書林、内堀弘さんの何冊目かの著書『古本の時間』(晶文社、2013年9月)を読み、まずい文章を書くのが嫌になってきました。
文章も面白いが、なにより書かれていることが面白い。とても店主が、足元にも及ぶところではありません。張り合うつもりはないのですが。
面白い文章を書く人が、面白く話せるとは限りませんが、内堀さんは話をしても面白い人です。普段の会話と文章に、あまり隔たりがない。それは、なないろ文庫の田村さんもそうでした。そういえば、月の輪書林の高橋さんもそうかも。話すように書き、書くように話す人たち。
もちろんそれぞれ独自の文体を持っていて、本屋としての資質も異なるのですが、何か通じ合うものがあったのでしょう。三人は良い飲み仲間に見受けられました。
ところが、田村さんもそうでしたが、高橋さんも酒好き。それに対して内堀さんはまったくの下戸。あの二人に伍して、素面で相手できるのだから、相当のつわものだと分かります。実際に酒席を共にすることがあると、そのテンションの高さは呑まない人以上。決して、静かな聞き役で終わることはありません。
ともあれ、内堀さんの文章を読むたびに、自分に足りないものを思い知らされます。たとえば、熱烈に応援するプロ野球球団であるとか(これは冗談)。
内堀さんには『ボン書店の幻』という珠玉の一冊があります。おそらくこれを読んで惚れ込んだのが、晶文社の中川六平さん。今回も彼の編集になります。その六平さんが、最近、急逝されたと石神井さんから聞かされました。つまりこの本が、彼の最後の仕事となったそうです。
中川さんには『古本カタログ』で、ご一緒に仕事をさせていただく機会がありました。その葬儀には、ご子息が驚くほどの会葬者が詰めかけたということです。良い仕事をする、目利きの編集者が最後に世に残した一冊というわけです。
文章も面白いが、なにより書かれていることが面白い。とても店主が、足元にも及ぶところではありません。張り合うつもりはないのですが。
面白い文章を書く人が、面白く話せるとは限りませんが、内堀さんは話をしても面白い人です。普段の会話と文章に、あまり隔たりがない。それは、なないろ文庫の田村さんもそうでした。そういえば、月の輪書林の高橋さんもそうかも。話すように書き、書くように話す人たち。
もちろんそれぞれ独自の文体を持っていて、本屋としての資質も異なるのですが、何か通じ合うものがあったのでしょう。三人は良い飲み仲間に見受けられました。
ところが、田村さんもそうでしたが、高橋さんも酒好き。それに対して内堀さんはまったくの下戸。あの二人に伍して、素面で相手できるのだから、相当のつわものだと分かります。実際に酒席を共にすることがあると、そのテンションの高さは呑まない人以上。決して、静かな聞き役で終わることはありません。
ともあれ、内堀さんの文章を読むたびに、自分に足りないものを思い知らされます。たとえば、熱烈に応援するプロ野球球団であるとか(これは冗談)。
内堀さんには『ボン書店の幻』という珠玉の一冊があります。おそらくこれを読んで惚れ込んだのが、晶文社の中川六平さん。今回も彼の編集になります。その六平さんが、最近、急逝されたと石神井さんから聞かされました。つまりこの本が、彼の最後の仕事となったそうです。
中川さんには『古本カタログ』で、ご一緒に仕事をさせていただく機会がありました。その葬儀には、ご子息が驚くほどの会葬者が詰めかけたということです。良い仕事をする、目利きの編集者が最後に世に残した一冊というわけです。
2013年09月13日
賢治の書簡
自分の店のことだけでも手一杯なのに、交換会の出来高にまで一喜一憂せざるを得ないとは、交換会幹事というのは因果な役割です。
今日の明治古典会は、先週に続いて出品量が少なめでした。出来高は先週よりさらに低い。先々週、思いのほか良い出来高を記録しましたが、その貯金を使い果たした形です。
会の運営は、出来高の歩合を主要な財源としていますので、これが上がれば会は潤い、下がれば逼迫します。
かつて、今の倍くらいの出来高があった頃は、収入の使い道に頭を悩ませるほどでした。それが今では、必要経費を賄うのに汲々としている状態。
お昼の弁当ひとつとっても、昔は寿司だ、ウナギだと、出前をとったりすることも、珍しくありませんでした。今では、いかに安く、質の良い弁当を見つけるかが、経営員の重要な仕事にさえなっています。
そんなギリギリの運営を維持するのに、最低限必要な出来高というものがあるわけで、貯金云々というのはそのことです。
もちろん明古に限らず、どこの会でも事情は同じで、少しでも出来高が欲しい。出来高が上がるということは、利用者、つまり古書業者にとっても利益が膨らむということですし。
苦戦が二週続いた明古に、朗報がもたらされました。来週の特選市に、宮澤賢治の書簡、ハガキ数通が出品されることになったのです。
それがどれくらいの朗報かと申しますと、この数通の書簡、ハガキの取引が成立すれば、その落札価格だけで、今日一日の出来高と同じくらいになると予想されるくらい。良い知らせでないわけがない。
ただし、高額な商品ですから、これを買えそうな業者はそれほど多くはありません。そして落札できるのはただ一人。
話題性があり、誰もが関心を持つという点では、じつに有難い出品ですが、同時に、多くの業者が入札に参加できるような商品もたくさん出品されて欲しいものです。
一点だけでは市になりませんから。
今日の明治古典会は、先週に続いて出品量が少なめでした。出来高は先週よりさらに低い。先々週、思いのほか良い出来高を記録しましたが、その貯金を使い果たした形です。
会の運営は、出来高の歩合を主要な財源としていますので、これが上がれば会は潤い、下がれば逼迫します。
かつて、今の倍くらいの出来高があった頃は、収入の使い道に頭を悩ませるほどでした。それが今では、必要経費を賄うのに汲々としている状態。
お昼の弁当ひとつとっても、昔は寿司だ、ウナギだと、出前をとったりすることも、珍しくありませんでした。今では、いかに安く、質の良い弁当を見つけるかが、経営員の重要な仕事にさえなっています。
そんなギリギリの運営を維持するのに、最低限必要な出来高というものがあるわけで、貯金云々というのはそのことです。
もちろん明古に限らず、どこの会でも事情は同じで、少しでも出来高が欲しい。出来高が上がるということは、利用者、つまり古書業者にとっても利益が膨らむということですし。
苦戦が二週続いた明古に、朗報がもたらされました。来週の特選市に、宮澤賢治の書簡、ハガキ数通が出品されることになったのです。
それがどれくらいの朗報かと申しますと、この数通の書簡、ハガキの取引が成立すれば、その落札価格だけで、今日一日の出来高と同じくらいになると予想されるくらい。良い知らせでないわけがない。
ただし、高額な商品ですから、これを買えそうな業者はそれほど多くはありません。そして落札できるのはただ一人。
話題性があり、誰もが関心を持つという点では、じつに有難い出品ですが、同時に、多くの業者が入札に参加できるような商品もたくさん出品されて欲しいものです。
一点だけでは市になりませんから。