2013年07月24日
一瞬の海
昨日の午後、殆ど雨に濡れず市場から店まで帰りついたということは、すでにお伝えしたとおりです。
昼過ぎから、何度か強い降りに見舞われた神保町界隈は、午後4時頃には、ほぼ小止みとなっておりました。
置き傘もあったのですが、あえて手にせず帰路に着いて、渋谷駅で井の頭線に乗り換えようと渋東シネタワービルから地上に出ると、雷鳴がとどろき、地面は雨のしぶきで白くなっております。
そこからビルの裏手に出て、狭い道路をひとつ渡れば、あとは駒場東大前駅までの間、濡れることはありません。しかし、その僅か数メートルを走る気も失せさせるような降りでした。
そこで、バッグに入れていた文庫本を読みながら、ビルの中で降りがおさまるのを待つことにしたのです。
10分、もう少し経ったでしょうか、急速に雨脚は弱まり、歩いて数歩の道を渡り、井の頭線の電車に乗って店に帰ることが出来ました。駒場に着くと、傘もいらないほどに、上がっておりました。
しかし店の前は、本棚がずっと奥まで押し込められていて、店内にも何台か入れてあります。普段はおっとりした店番のΧ君が、やや興奮気味に、降りの凄さを語ってくれました。
それによると、店主が会館を出た午後4時頃から、まるで夜になったかと思うほど空が暗くなり、やがて表が真っ白に見えるような雨が降ってきたというのです。
雨に備えて一応は引っ込めてあった本棚にも、たちまち水しぶきがかかり始め、慌ててさらに奥へしまいこんだというわけでした。
当然のように売上は最低の一日でしたが、被害が出なかっただけ、まだましだと思わなければなりません。
夜、家に帰ると家人から、お隣と筋向いの二つのビルの地下に水が入り、大変な騒ぎだったと聞かされました。今は人工河川となっている近くの呑川が氾濫し、やや低くなっている我が家の周り一帯は「まるで海のよう」になったと言います。
そんな目黒、世田谷のゲリラ豪雨も、さしたるニュースとして取り上げられることはありませんでした。それは、もちろん幸いなことでありました。
昼過ぎから、何度か強い降りに見舞われた神保町界隈は、午後4時頃には、ほぼ小止みとなっておりました。
置き傘もあったのですが、あえて手にせず帰路に着いて、渋谷駅で井の頭線に乗り換えようと渋東シネタワービルから地上に出ると、雷鳴がとどろき、地面は雨のしぶきで白くなっております。
そこからビルの裏手に出て、狭い道路をひとつ渡れば、あとは駒場東大前駅までの間、濡れることはありません。しかし、その僅か数メートルを走る気も失せさせるような降りでした。
そこで、バッグに入れていた文庫本を読みながら、ビルの中で降りがおさまるのを待つことにしたのです。
10分、もう少し経ったでしょうか、急速に雨脚は弱まり、歩いて数歩の道を渡り、井の頭線の電車に乗って店に帰ることが出来ました。駒場に着くと、傘もいらないほどに、上がっておりました。
しかし店の前は、本棚がずっと奥まで押し込められていて、店内にも何台か入れてあります。普段はおっとりした店番のΧ君が、やや興奮気味に、降りの凄さを語ってくれました。
それによると、店主が会館を出た午後4時頃から、まるで夜になったかと思うほど空が暗くなり、やがて表が真っ白に見えるような雨が降ってきたというのです。
雨に備えて一応は引っ込めてあった本棚にも、たちまち水しぶきがかかり始め、慌ててさらに奥へしまいこんだというわけでした。
当然のように売上は最低の一日でしたが、被害が出なかっただけ、まだましだと思わなければなりません。
夜、家に帰ると家人から、お隣と筋向いの二つのビルの地下に水が入り、大変な騒ぎだったと聞かされました。今は人工河川となっている近くの呑川が氾濫し、やや低くなっている我が家の周り一帯は「まるで海のよう」になったと言います。
そんな目黒、世田谷のゲリラ豪雨も、さしたるニュースとして取り上げられることはありませんでした。それは、もちろん幸いなことでありました。
2013年07月23日
珍しいジャケット
昨日の蔵書表について、コメントをいただきました。もったいないので、ここでご紹介し、お返事もこちらでさせていただきます。
じつに店主も感じた疑問でした。なぜアフロディテなのか。しかしとりあえず考える糸口もないので、そのままご覧いただいた次第です。早速ご教示いただいた画像を見てみました。元の絵もなかなか素敵ですね。しかもレダでなく、ちゃんとアフロディテ。
ところで、お知らせいただいた二つの写真は、割れの補修を見ても、どうやら同じものを撮っているようです。同じものが大英にもアテネにもあるのでしょうか。ちょっと不思議な気がします。
さて、今日も洋書会にでかけました。朝からうだるような暑さ。神保町駅出口の寒暖計は、午前10時で35度を超えていて、今朝の天気予報より、かなり気温が上がりそうです。
市場も、この暑さのせいか、荷物の量が今ひとつ。しかし、だからこそ普段よりずっと丁寧に仕分けをされて、今日の出品者はラッキーだったかもしれません。
そんな中で注目を集めたのは、ヘボンの和英語林集成。1886年刊の第3版で、状態もさほど良くありませんでしたが、洋書会員の誰も見たことがない、布製のジャケットが付いていました。
袖の部分はマーブル様のボードで、表紙を差し込むようになっています。表面にはタイトルやMaruzenの文字も印刷されていて、誂え表紙とは思えません。
しかし、傷みやすい紙ジャケットならともかく、こうした布のジャケットが、元来付いていたのだとすると、これまで見かけなかったのは何故でしょう。ひとしきり話題となりましたが、専門店が、なかなかよい値段で落札いたしました。
暑さは、やはり豪雨の前触れでした。あちこちでゲリラ型に発生した雷雨については、明日になればもう少し詳しい様子が分かることでしょう。とりあえず店主は、うまく雨間を縫って店に帰りつくことが出来たのですが。
じつに店主も感じた疑問でした。なぜアフロディテなのか。しかしとりあえず考える糸口もないので、そのままご覧いただいた次第です。早速ご教示いただいた画像を見てみました。元の絵もなかなか素敵ですね。しかもレダでなく、ちゃんとアフロディテ。
ところで、お知らせいただいた二つの写真は、割れの補修を見ても、どうやら同じものを撮っているようです。同じものが大英にもアテネにもあるのでしょうか。ちょっと不思議な気がします。
さて、今日も洋書会にでかけました。朝からうだるような暑さ。神保町駅出口の寒暖計は、午前10時で35度を超えていて、今朝の天気予報より、かなり気温が上がりそうです。
市場も、この暑さのせいか、荷物の量が今ひとつ。しかし、だからこそ普段よりずっと丁寧に仕分けをされて、今日の出品者はラッキーだったかもしれません。
そんな中で注目を集めたのは、ヘボンの和英語林集成。1886年刊の第3版で、状態もさほど良くありませんでしたが、洋書会員の誰も見たことがない、布製のジャケットが付いていました。
袖の部分はマーブル様のボードで、表紙を差し込むようになっています。表面にはタイトルやMaruzenの文字も印刷されていて、誂え表紙とは思えません。
しかし、傷みやすい紙ジャケットならともかく、こうした布のジャケットが、元来付いていたのだとすると、これまで見かけなかったのは何故でしょう。ひとしきり話題となりましたが、専門店が、なかなかよい値段で落札いたしました。
暑さは、やはり豪雨の前触れでした。あちこちでゲリラ型に発生した雷雨については、明日になればもう少し詳しい様子が分かることでしょう。とりあえず店主は、うまく雨間を縫って店に帰りつくことが出来たのですが。
2013年07月22日
三本の鍵
今朝店に着いて車を止めると、一緒に乗ってきた娘が「鍵を」と手を出します。店の鍵です。
本人も一本持っているはずですが、忘れてきたらしい。「そこのバッグの中にあるから」と告げて先に車を降り、店の前のラティスを移動させていたところ、何時までも探っております。
「ちょっとかして」と自分で改めてみたところ、確かにありません。そういえば昨日店を閉めるとき、たまたま家人が一緒で、鍵を渡して閉めてもらったことを思い出しました。
そしてそのまま受け取らなかった。ということは、つまりは家人が持ったままということです。
携帯をかけて見ると、まだ家におりました。これからすぐ自転車で出てくれると言います。仕方なく、そのまま30分余、店の前で片付け仕事を見つけて時間を潰しました。
実はこういう時のために、もう一本、いつも車の中に鍵を置いてあるのですが、それがまた、前日たまたま店を開けるのに使って、机の中に入れたままだったのです。
偶然が重なったには違いありませんが、なんとも締まらない(閉まったまま開かないのですが)話でありました。
* * * * * *
話題を変えましょう。Lang の本の一冊に付いていた、素敵な蔵書票。本自体は、ありふれたMacmillan版の The Odyssey of
Homer, 1906(1879初版)で、しかも紺色の表紙がところどころ虫にやられて剥げていたりして、殆ど値打ちはありません。
かといって、この蔵書票だけ剥ぎ取る気にはなれません。これはこのまま、気の済むまで手元に置いておくつもりです。
ちなみに Vivian de Sola Pinto という人は、研究社『英米文学辞典第二版』によれば、17世紀を専門とする英文学者。しかしWikipedia によれば、詩人でもあり、ロレンス研究の第一人者との紹介もあって、こちらの方が、この蔵書票の持ち主らしい感じがします。
本人も一本持っているはずですが、忘れてきたらしい。「そこのバッグの中にあるから」と告げて先に車を降り、店の前のラティスを移動させていたところ、何時までも探っております。
「ちょっとかして」と自分で改めてみたところ、確かにありません。そういえば昨日店を閉めるとき、たまたま家人が一緒で、鍵を渡して閉めてもらったことを思い出しました。
そしてそのまま受け取らなかった。ということは、つまりは家人が持ったままということです。
携帯をかけて見ると、まだ家におりました。これからすぐ自転車で出てくれると言います。仕方なく、そのまま30分余、店の前で片付け仕事を見つけて時間を潰しました。
実はこういう時のために、もう一本、いつも車の中に鍵を置いてあるのですが、それがまた、前日たまたま店を開けるのに使って、机の中に入れたままだったのです。
偶然が重なったには違いありませんが、なんとも締まらない(閉まったまま開かないのですが)話でありました。
* * * * * *
話題を変えましょう。Lang の本の一冊に付いていた、素敵な蔵書票。本自体は、ありふれたMacmillan版の The Odyssey of
Homer, 1906(1879初版)で、しかも紺色の表紙がところどころ虫にやられて剥げていたりして、殆ど値打ちはありません。
かといって、この蔵書票だけ剥ぎ取る気にはなれません。これはこのまま、気の済むまで手元に置いておくつもりです。
ちなみに Vivian de Sola Pinto という人は、研究社『英米文学辞典第二版』によれば、17世紀を専門とする英文学者。しかしWikipedia によれば、詩人でもあり、ロレンス研究の第一人者との紹介もあって、こちらの方が、この蔵書票の持ち主らしい感じがします。
2013年07月21日
今日も蚤の市
朝、まず投票を済ませて、それから店へ。
今日は、その投票のために店の前を通るはずの人出を当て込んで、これで三度目の店先蚤の市。いろいろと雑貨を持ち寄り、ご近所の雑貨屋さんにも、いつものようにご参加いただいて。
昼間ちょっと暑くなりすぎたことを除けば、一日、お天気に恵まれて、人の出もそこそこあって、成果のほうもまずまずでした。
その成果というのが、売り上げの多寡を言うのでないのはもちろんです。普段気づかず通り過ぎているような近隣住民に、まずは目を留めていただくこと。
こんなところで何かやってる。おや、この奥は本屋のようだ――という、それだけで充分な成果だと思わなければなりません。日ごろ、宣伝らしいことは何一つやって来ませんでしたから。
それでも石の上にも三十年、普段ご来店いただく方々以外にも、ここに古本屋があることをご存知の方も、いくらかはおられるようで、本日お持込が二件、見に来て貰えますかが二件。それこそビラをまいたわけでもなく、買い入れの看板すらまともに掲げておりませんのに。
もちろん、そうそう素晴らしい仕入れがあるというわけには参りません。こんな無為無策でおいしい買物に遭遇するようなら、懸命に買い入れ広告を打ち続ける業者さんから、必ずや恨まれることでしょう。
とはいえおかげさまで、普段の店売りに一番人気のある、読み物系文庫や均一本については、わざわざ市場で仕入れる必要もなく、どうにか賄えております。
こうして続けているうちに、一度くらいは、同業が羨むような仕入れにぶつかることも有るかもしれません。宝くじに当たるよりは、もう少し確率が高いはずです。今日の「イベント」で、その確立が更に僅かでも高まったのではないかと、ひそかに期待するところです。
今日は、その投票のために店の前を通るはずの人出を当て込んで、これで三度目の店先蚤の市。いろいろと雑貨を持ち寄り、ご近所の雑貨屋さんにも、いつものようにご参加いただいて。
昼間ちょっと暑くなりすぎたことを除けば、一日、お天気に恵まれて、人の出もそこそこあって、成果のほうもまずまずでした。
その成果というのが、売り上げの多寡を言うのでないのはもちろんです。普段気づかず通り過ぎているような近隣住民に、まずは目を留めていただくこと。
こんなところで何かやってる。おや、この奥は本屋のようだ――という、それだけで充分な成果だと思わなければなりません。日ごろ、宣伝らしいことは何一つやって来ませんでしたから。
それでも石の上にも三十年、普段ご来店いただく方々以外にも、ここに古本屋があることをご存知の方も、いくらかはおられるようで、本日お持込が二件、見に来て貰えますかが二件。それこそビラをまいたわけでもなく、買い入れの看板すらまともに掲げておりませんのに。
もちろん、そうそう素晴らしい仕入れがあるというわけには参りません。こんな無為無策でおいしい買物に遭遇するようなら、懸命に買い入れ広告を打ち続ける業者さんから、必ずや恨まれることでしょう。
とはいえおかげさまで、普段の店売りに一番人気のある、読み物系文庫や均一本については、わざわざ市場で仕入れる必要もなく、どうにか賄えております。
こうして続けているうちに、一度くらいは、同業が羨むような仕入れにぶつかることも有るかもしれません。宝くじに当たるよりは、もう少し確率が高いはずです。今日の「イベント」で、その確立が更に僅かでも高まったのではないかと、ひそかに期待するところです。
2013年07月20日
ISBNの罠
ISBNは、本を探す上で確かに便利です。小店でも、今や日常的に取り扱う本の、半数以上に、この10桁ないし13桁の数字がついているようです。
洋書でも、ことに英米では1970年代から採用され始めていますから、一見かなり古びた本にもこの数字が入っていて、驚かされることもしばしばです。
検索キーとしては、すこぶる便利なこの数字も、それゆえにあまり無条件に信じすぎると、思わぬ落とし穴に嵌ることがあります。
ある最大規模の洋書横断検索サイトは、ISBNで検索した場合、その検索結果にタイトル、著者といった基本情報がまったく表示されません。出版社、刊年、状態表示、発送態勢などが、販売価格順に一覧できる仕組みです。
これまた便利な仕組みではあるのですが、この便利と便利に依りかかって、つい失敗をしてしまいました。
ある本のジャケットに印刷されたISBNコードに誤りがあり、それを見て検索した結果、本来の相場の1/4ほどの値段をつけてしまったのです。
この本も、もうこんな値段になってしまったのかと、大きく落胆しながら、値札を本に挟んだ覚えがあります。
今日、ご常連のお一人がその本を見つけ、喜んで買って行かれたあと、改めて本のタイトルで検索しなおしてみて、そのミスに気がつきました。お得意様にお買上げいただいたのが、せめてもの幸いと言うべきでしょう。
ジャケットの印刷ミスというのは案外多いものです。このほかにも、必ずしも再版とか改訂とかの理由でなく、途中からISBNが変わるという例もあります。かと思うと、版が変わってもコードは同じという場合もあります。
Alois Riegl, Stilfragen (美術様式論)の英訳である Problems of style : foundations for a history of ornament には二つのISBNが記載されていますが、その一つは、まったく別のある本と同じコードです。
利用する側が、充分注意するしかありません。
洋書でも、ことに英米では1970年代から採用され始めていますから、一見かなり古びた本にもこの数字が入っていて、驚かされることもしばしばです。
検索キーとしては、すこぶる便利なこの数字も、それゆえにあまり無条件に信じすぎると、思わぬ落とし穴に嵌ることがあります。
ある最大規模の洋書横断検索サイトは、ISBNで検索した場合、その検索結果にタイトル、著者といった基本情報がまったく表示されません。出版社、刊年、状態表示、発送態勢などが、販売価格順に一覧できる仕組みです。
これまた便利な仕組みではあるのですが、この便利と便利に依りかかって、つい失敗をしてしまいました。
ある本のジャケットに印刷されたISBNコードに誤りがあり、それを見て検索した結果、本来の相場の1/4ほどの値段をつけてしまったのです。
この本も、もうこんな値段になってしまったのかと、大きく落胆しながら、値札を本に挟んだ覚えがあります。
今日、ご常連のお一人がその本を見つけ、喜んで買って行かれたあと、改めて本のタイトルで検索しなおしてみて、そのミスに気がつきました。お得意様にお買上げいただいたのが、せめてもの幸いと言うべきでしょう。
ジャケットの印刷ミスというのは案外多いものです。このほかにも、必ずしも再版とか改訂とかの理由でなく、途中からISBNが変わるという例もあります。かと思うと、版が変わってもコードは同じという場合もあります。
Alois Riegl, Stilfragen (美術様式論)の英訳である Problems of style : foundations for a history of ornament には二つのISBNが記載されていますが、その一つは、まったく別のある本と同じコードです。
利用する側が、充分注意するしかありません。
2013年07月19日
ある署名
明治古典会の日、今朝も午前9時過ぎには店を出ました。少しでも早く会場に着くようにと心掛けて、まだ二回目ではありますが。
この時間に出ようとすれば、その1時間前には、店に着きたいところ。しかし小店の前の通りは、午前7時45分から午前8時半までの登校時間帯、通行禁止となります。つまり、それより前に着いている必要があります。
さらに小店の事情として、店番より店の開け閉めの方が大変ですから、早く着いたら着いたで、さっさと店を開けてしまいます。ですから今朝も午前8時には、表に棚が並んでおりました。近くのパン屋さんですら、まだ開いてない時間。
不思議なのは、そんな時間でも開けていると、棚をご覧になる方がおられ、文庫や均一の一冊二冊、お買上げいただけることです。家人などは、いっそ営業時間を午前8時〜午後8時としたらどうか、などと申しますが、もちろん冗談。電気代の方が高くつくことになりかねません。
さて本日の明古は、作家でもあり、編集者でもあったという方の蔵書で、交遊のあった作家の署名本が数多く含まれた大口出品が、会場を賑わしました。
またそれとは別に、金子薫園の自筆歌帖に寄せたと思われる上田敏、島崎藤村の毛筆文書が、一枚の肖像画とともに最終台に乗りました。それぞれが切り取られたような絹本で、台紙に貼り付けられています。
二人の自筆だけでも充分価値のありそうなものですが、単色のクレヨンを用いた肖像画も気になります。薫園を描いたものと思われ、フランス語で献辞と署名が添えられていました。
前半の a monsieur Y.Kaneko/ souvenir はすぐ読めましたが、署名のほうは、なかなか読み解けません。というより、何となく読める読み方では思い浮かぶ画家もなく、無名の人の手遊びかとも思われました。
はっきりと解読できたのは、本日の最終発声として、その品物の落札価格が読み上げられた後のことです。落札者は、読み解いたのではなく、別の回路から想像を働かせ、答えにたどり着いたとのことでしたが、それは誰でも知っているような、著名画家の名だったのでした。
この時間に出ようとすれば、その1時間前には、店に着きたいところ。しかし小店の前の通りは、午前7時45分から午前8時半までの登校時間帯、通行禁止となります。つまり、それより前に着いている必要があります。
さらに小店の事情として、店番より店の開け閉めの方が大変ですから、早く着いたら着いたで、さっさと店を開けてしまいます。ですから今朝も午前8時には、表に棚が並んでおりました。近くのパン屋さんですら、まだ開いてない時間。
不思議なのは、そんな時間でも開けていると、棚をご覧になる方がおられ、文庫や均一の一冊二冊、お買上げいただけることです。家人などは、いっそ営業時間を午前8時〜午後8時としたらどうか、などと申しますが、もちろん冗談。電気代の方が高くつくことになりかねません。
さて本日の明古は、作家でもあり、編集者でもあったという方の蔵書で、交遊のあった作家の署名本が数多く含まれた大口出品が、会場を賑わしました。
またそれとは別に、金子薫園の自筆歌帖に寄せたと思われる上田敏、島崎藤村の毛筆文書が、一枚の肖像画とともに最終台に乗りました。それぞれが切り取られたような絹本で、台紙に貼り付けられています。
二人の自筆だけでも充分価値のありそうなものですが、単色のクレヨンを用いた肖像画も気になります。薫園を描いたものと思われ、フランス語で献辞と署名が添えられていました。
前半の a monsieur Y.Kaneko/ souvenir はすぐ読めましたが、署名のほうは、なかなか読み解けません。というより、何となく読める読み方では思い浮かぶ画家もなく、無名の人の手遊びかとも思われました。
はっきりと解読できたのは、本日の最終発声として、その品物の落札価格が読み上げられた後のことです。落札者は、読み解いたのではなく、別の回路から想像を働かせ、答えにたどり着いたとのことでしたが、それは誰でも知っているような、著名画家の名だったのでした。
2013年07月18日
難題山積
二、三日涼しかったので、ぶり返した暑さが体に応えます。その一番暑い日盛りに、古書会館に向かいました。月例「日本の古本屋」事業部会議です。
いつもより30分遅い午後2時半からの開始、いつもより一時間遅い午後7時の解散。もっとも実際の開始は、さらに30分遅れましたから、実質会議時間は、いつもどおりということになります。
このところ引き続いての懸案は、SEO対策、独自の書誌データベース構築、そして全店クレジット対応化。あまり詳しく申し上げることは出来ませんが、いずれもこれからの「日本の古本屋」にとって、重要な課題です。
なかでも、目下一番の困難を抱えているのは、最後にあげたクレジット問題。事業部側が、最近打ち出した方針に対して、何ごとにつけ強制を嫌う自営業者かたぎ(というより、古本屋かたぎというべきでしょうか)から、思わぬ反発を受けているのです。
嫌なものは嫌だ、と言う権利を留保するために、このモノの売れない時代にも、零細な小売業を続けている古書店主にとっては、嫌なら辞めろというに等しい新方針は、確かに納得がいかないところはあるでしょう。
一方で、全店クレジット決済可能化を推進しようとする側からすれば(小店主も、一応こちらの立場でなければなりません)、こんなことはネット販売の常識に属するもので、それが出来ないようなサイトは、遠からず利用者から見捨てられるだろうという、強迫観念にも似た思いがあります。
念のためご説明しておきますが、我々が進めようとしている全店クレジット化とは、全ての決済をクレジットでおこなおうというものではありません。お客様が望めば、全ての店でクレジット決済が可能、という意味です。現金先払いはもとより、代金引換、後払いまで、清算方法は多様です。
つまり、すべてはお客様次第。お客様にとって便利になる、それが推進側の金科玉条です。これに反対する理由など、どこにもないはずと。しかし、そう詰るだけでは、事態はますます泥沼化します。
「日本の古本屋」は、多くの同業にとって、なくてはならない存在となってきました。結局のところ、全体の利益の前に、個々人の拘りも、少しは我慢していただくことになるでしょう。
とはいえ、偏屈な変わり者が居なくなったら、わが業界も、ずっと詰まらないものになると思います。
いつもより30分遅い午後2時半からの開始、いつもより一時間遅い午後7時の解散。もっとも実際の開始は、さらに30分遅れましたから、実質会議時間は、いつもどおりということになります。
このところ引き続いての懸案は、SEO対策、独自の書誌データベース構築、そして全店クレジット対応化。あまり詳しく申し上げることは出来ませんが、いずれもこれからの「日本の古本屋」にとって、重要な課題です。
なかでも、目下一番の困難を抱えているのは、最後にあげたクレジット問題。事業部側が、最近打ち出した方針に対して、何ごとにつけ強制を嫌う自営業者かたぎ(というより、古本屋かたぎというべきでしょうか)から、思わぬ反発を受けているのです。
嫌なものは嫌だ、と言う権利を留保するために、このモノの売れない時代にも、零細な小売業を続けている古書店主にとっては、嫌なら辞めろというに等しい新方針は、確かに納得がいかないところはあるでしょう。
一方で、全店クレジット決済可能化を推進しようとする側からすれば(小店主も、一応こちらの立場でなければなりません)、こんなことはネット販売の常識に属するもので、それが出来ないようなサイトは、遠からず利用者から見捨てられるだろうという、強迫観念にも似た思いがあります。
念のためご説明しておきますが、我々が進めようとしている全店クレジット化とは、全ての決済をクレジットでおこなおうというものではありません。お客様が望めば、全ての店でクレジット決済が可能、という意味です。現金先払いはもとより、代金引換、後払いまで、清算方法は多様です。
つまり、すべてはお客様次第。お客様にとって便利になる、それが推進側の金科玉条です。これに反対する理由など、どこにもないはずと。しかし、そう詰るだけでは、事態はますます泥沼化します。
「日本の古本屋」は、多くの同業にとって、なくてはならない存在となってきました。結局のところ、全体の利益の前に、個々人の拘りも、少しは我慢していただくことになるでしょう。
とはいえ、偏屈な変わり者が居なくなったら、わが業界も、ずっと詰まらないものになると思います。
2013年07月17日
黄ばんだ切抜き
「文化往来」とあるから、日経新聞のコラムでしょう。かなり黄ばんだ切抜きが、本の間から落ちました。中央に「高い入場料」というタイトル。
内容は、映画、音楽、演劇などの入場料の高額化を話題にしたものです。そのタイトルから想像がつく以上の展開でも結論でもありませんが、面白かったのは具体的な数字です。
「昨年はポピュラー音楽でトム・ジョーンズが来日して三万円という途方もない高値をつけた。(略)続く秋のフンパーディンクは一万円ですら観客の入りは苦しかった」
さらに「ソウルシンガー、ジェームス・ブラウン」が取り上げられて「大阪の七千五百円から三千円はまさしく東京の倍近い料金設定だ」。客数の少なさを、料金を上げることで埋め合わせようということだったようです。
さてこれが、何時の話かというのが、一番興味深いところでした。Tom Jones が James Brown の何倍も高い入場料を取っていた時代とは。
切抜きには裏面も含めて、日時は記載されていません。手がかりは Tom Jones の初来日。ウェブで調べたところ、1973年のことであったようです。つまり1974年の記事。
挟まっていた本は、Bruno Nettl, Folk and traditional music of the western continets. 2nd ed. Prentice-Hall, c1973. 平仄が合います。
世はまさにオイルショックに伴う狂乱物価の時代。その一、二年前から勤め始めた店主は、毎年のように給料が大幅にアップするという経験をしましたが、それでも3万円というのは、当時の月給の半分ほどに当たるはずです。
この本の持ち主は、何を思ってこの切抜きを本に挟んだのでしょう。ちなみに旧蔵者は、今年急逝された、店主と同世代の映画、演劇学者。市場で手に入れた洋書の口の中には、小店のラベルの付いた本も見つかりました。
生前にはご面識を得る機会がなかったのですが、何度かご来店いただいてもいたようです。お話をしてみたかった。
内容は、映画、音楽、演劇などの入場料の高額化を話題にしたものです。そのタイトルから想像がつく以上の展開でも結論でもありませんが、面白かったのは具体的な数字です。
「昨年はポピュラー音楽でトム・ジョーンズが来日して三万円という途方もない高値をつけた。(略)続く秋のフンパーディンクは一万円ですら観客の入りは苦しかった」
さらに「ソウルシンガー、ジェームス・ブラウン」が取り上げられて「大阪の七千五百円から三千円はまさしく東京の倍近い料金設定だ」。客数の少なさを、料金を上げることで埋め合わせようということだったようです。
さてこれが、何時の話かというのが、一番興味深いところでした。Tom Jones が James Brown の何倍も高い入場料を取っていた時代とは。
切抜きには裏面も含めて、日時は記載されていません。手がかりは Tom Jones の初来日。ウェブで調べたところ、1973年のことであったようです。つまり1974年の記事。
挟まっていた本は、Bruno Nettl, Folk and traditional music of the western continets. 2nd ed. Prentice-Hall, c1973. 平仄が合います。
世はまさにオイルショックに伴う狂乱物価の時代。その一、二年前から勤め始めた店主は、毎年のように給料が大幅にアップするという経験をしましたが、それでも3万円というのは、当時の月給の半分ほどに当たるはずです。
この本の持ち主は、何を思ってこの切抜きを本に挟んだのでしょう。ちなみに旧蔵者は、今年急逝された、店主と同世代の映画、演劇学者。市場で手に入れた洋書の口の中には、小店のラベルの付いた本も見つかりました。
生前にはご面識を得る機会がなかったのですが、何度かご来店いただいてもいたようです。お話をしてみたかった。
2013年07月16日
古びとヨゴレ
洋書会の当番。午前10時に古書会館に着くと、すでに作業が始っていて、出品物を運んでいる最中。そのまま台車を押すのを手伝いながら4階へ。
本日の出品は、ダンボール40箱ほどの児童書、絵本、新刊類。昔から有るルートの一つですが、翻訳出版のエージェントに向けて大量に送られてくる本の処分。世界各国の本があることと、いずれも新本同然にきれいなことが特長です。
ただし内容的には玉石混淆。いわゆる大量出版物も多く、というより今日の場合は殆どがその手のもので、学術系の本はまた別に、専門に扱うエージェントがあります。
絵本やビジュアル系のものに「玉」が散見されますが、小説、時事読み物などは、多くが聞いたこともない著者(店主の無知はさておいて)ばかりで、よほどの事情通か先物買いの人にしか需要はなさそうに見えました。
しかしそんな心配は余計なお世話とでもいうように、きれいというだけでちゃんと買い手が付きました。
その口が本日の出品量の6割方を占めていたのですが、他にも三口ほど、数百冊規模の出品がありました。それがまた、好対照というべきか、古くてイタミのある本の口で、さらにそのうちの二口は、学校印や蔵書ラベルが貼られた本。
それを作るために、遥かに多くの知力、労力が費やされた、内容からすれば格段に優れた本ばかりだと思うのですが、こちらはついに買い手がつかず、「引き荷」となっておりました。
「見た目より中身」というのは、本の世界ではもはや、なかなか通用しない言葉になっているようです。
とはいっても、今日の口はあまりにも状態が悪すぎました。せめてもう少しイタミやヨゴレが少なければ、あるいは印やラベルが貼られていなければ、それなりの札が入ったことでしょう。
大切に保存されてきたものでさえあれば、古びていても、きちんと中身で評価される筈です。
本日の出品は、ダンボール40箱ほどの児童書、絵本、新刊類。昔から有るルートの一つですが、翻訳出版のエージェントに向けて大量に送られてくる本の処分。世界各国の本があることと、いずれも新本同然にきれいなことが特長です。
ただし内容的には玉石混淆。いわゆる大量出版物も多く、というより今日の場合は殆どがその手のもので、学術系の本はまた別に、専門に扱うエージェントがあります。
絵本やビジュアル系のものに「玉」が散見されますが、小説、時事読み物などは、多くが聞いたこともない著者(店主の無知はさておいて)ばかりで、よほどの事情通か先物買いの人にしか需要はなさそうに見えました。
しかしそんな心配は余計なお世話とでもいうように、きれいというだけでちゃんと買い手が付きました。
その口が本日の出品量の6割方を占めていたのですが、他にも三口ほど、数百冊規模の出品がありました。それがまた、好対照というべきか、古くてイタミのある本の口で、さらにそのうちの二口は、学校印や蔵書ラベルが貼られた本。
それを作るために、遥かに多くの知力、労力が費やされた、内容からすれば格段に優れた本ばかりだと思うのですが、こちらはついに買い手がつかず、「引き荷」となっておりました。
「見た目より中身」というのは、本の世界ではもはや、なかなか通用しない言葉になっているようです。
とはいっても、今日の口はあまりにも状態が悪すぎました。せめてもう少しイタミやヨゴレが少なければ、あるいは印やラベルが貼られていなければ、それなりの札が入ったことでしょう。
大切に保存されてきたものでさえあれば、古びていても、きちんと中身で評価される筈です。
2013年07月15日
鐘の音はどこから
昨夜、NHKのBS放送でベルリオーズの『幻想交響曲』を視聴しました。そのタイトルとともに、忘れがたい幾つかの旋律と、とりわけ第5楽章で繰り返し鳴らされる鐘の音が印象に残る作品です。
初めて聴いた(と言っても、もちろんラジオかレコードです)のが何時頃であったか、記憶にありませんが、曲そのものもさることながら、第4と第5楽章につけられた章題、「断頭台への行進」と「ワルプルギスの夜」は、若者の心を掴むのに充分でした。
「ワルプルギス…」の原題は Songe d'une nuit du Sabbat。ここに Walpurgis を持ってきたのは誰の創案だったのでしょう。ウェブで調べてみたところ、二つは別物だというような批判的な意見に遭遇しましたが、店主はこの言葉のインパクトに一票いれたいところです。
60年代後半から70年代初頭にかけて、幻想文学はブームと言って良い状況でした。澁澤、種村、由良といった面々、関西には生田耕作。時代の心性と呼応していたのかも知れません。
そんな影響下で、サバトだのワルプルギスだの、あるいは魔術だの錬金術だのという言葉が、理解も出来ないままに語彙として蓄えられていったのでした。『金枝篇』を岩波文庫でともかく読み通したのも、その頃のことです。
ところでN響のベルリオーズですが、始まってからずっと気になっていたのは「鐘」が見当たらないこと。セミョーン・ビシュコフさんの表情豊かな指揮にみとれながらも、カメラが回るたびに注意して見たのですが、少なくともステージ上には、なさそうです。
いよいよという頃に、打楽器奏者が一人、画面から外へ歩き去りました。そして、当然のように鐘の音。しかし、カメラは最後まで、音の出所を映してくれません。どこか別のところに鐘がおいてあるのだろうか。謎が残りました。
今日になって、ネットで調べて見ると、鐘はチューブラーベルで代用しても良いとされているとか。すると、小店主が見逃しただけで、ステージ上にそれは立っていたのでしょうか。
ちょっと映してくれれば良かったのに。
初めて聴いた(と言っても、もちろんラジオかレコードです)のが何時頃であったか、記憶にありませんが、曲そのものもさることながら、第4と第5楽章につけられた章題、「断頭台への行進」と「ワルプルギスの夜」は、若者の心を掴むのに充分でした。
「ワルプルギス…」の原題は Songe d'une nuit du Sabbat。ここに Walpurgis を持ってきたのは誰の創案だったのでしょう。ウェブで調べてみたところ、二つは別物だというような批判的な意見に遭遇しましたが、店主はこの言葉のインパクトに一票いれたいところです。
60年代後半から70年代初頭にかけて、幻想文学はブームと言って良い状況でした。澁澤、種村、由良といった面々、関西には生田耕作。時代の心性と呼応していたのかも知れません。
そんな影響下で、サバトだのワルプルギスだの、あるいは魔術だの錬金術だのという言葉が、理解も出来ないままに語彙として蓄えられていったのでした。『金枝篇』を岩波文庫でともかく読み通したのも、その頃のことです。
ところでN響のベルリオーズですが、始まってからずっと気になっていたのは「鐘」が見当たらないこと。セミョーン・ビシュコフさんの表情豊かな指揮にみとれながらも、カメラが回るたびに注意して見たのですが、少なくともステージ上には、なさそうです。
いよいよという頃に、打楽器奏者が一人、画面から外へ歩き去りました。そして、当然のように鐘の音。しかし、カメラは最後まで、音の出所を映してくれません。どこか別のところに鐘がおいてあるのだろうか。謎が残りました。
今日になって、ネットで調べて見ると、鐘はチューブラーベルで代用しても良いとされているとか。すると、小店主が見逃しただけで、ステージ上にそれは立っていたのでしょうか。
ちょっと映してくれれば良かったのに。