2024年02月17日
『古書月報』を読む
一昨日『古書月報』2月号が、いつものようにゆっくり日数をかけて到着し、なにより楽しみにしている家人が昨日まず目を通したあと、今日になって店主に回覧順が回ってまいりました。
家人にとっては玄玄書林さんの「古本屋の学び」が、今号のツボだったらしく、壮絶ともいえる宅買い体験談に、いたく同情した様子。
さらに「稲垣書店さんが古本乙女さんのことを書いてる」と、店主に教えてくれました。言われなくとも中山さんの文章なら、読み飛ばすことはないのですが、わざわざ報せたのは家人が「古本乙女さん」のファンだからです。
つまり今回のご注進は「中山さんが寄稿した」ことより「古本乙女さんのことが書かれている」ことに力点があったというわけでした。
しかし店主としては、本稿の前振り部分に、大いに同感したことを伝えておこうと思います。
(現編集陣になってからの)10月号以来ちゃんと読んできたけど毎号読みで満載がおもしろく、もうオレの出る幕なんかないない。
あとの部分はともかく、以前から中山さんが指摘されているとおり、最近の寄稿はずいぶん質が高くなっている気がします。「かつて原稿集めで苦労した自分なんかからするとうらやましきかぎり」は、店主も抱く感想。
それだけに外部に連載原稿を依頼することについて、あえて直言してくれたことに、敬意と賛意を表します。
ついでに今回の特集のひとつ「市会のルールとマナーについて」は、やはり座談会にでもしていた方が、読んでもらえる記事になったのではないかという気がしました。
家人にとっては玄玄書林さんの「古本屋の学び」が、今号のツボだったらしく、壮絶ともいえる宅買い体験談に、いたく同情した様子。
さらに「稲垣書店さんが古本乙女さんのことを書いてる」と、店主に教えてくれました。言われなくとも中山さんの文章なら、読み飛ばすことはないのですが、わざわざ報せたのは家人が「古本乙女さん」のファンだからです。
つまり今回のご注進は「中山さんが寄稿した」ことより「古本乙女さんのことが書かれている」ことに力点があったというわけでした。
しかし店主としては、本稿の前振り部分に、大いに同感したことを伝えておこうと思います。
(現編集陣になってからの)10月号以来ちゃんと読んできたけど毎号読みで満載がおもしろく、もうオレの出る幕なんかないない。
あとの部分はともかく、以前から中山さんが指摘されているとおり、最近の寄稿はずいぶん質が高くなっている気がします。「かつて原稿集めで苦労した自分なんかからするとうらやましきかぎり」は、店主も抱く感想。
それだけに外部に連載原稿を依頼することについて、あえて直言してくれたことに、敬意と賛意を表します。
ついでに今回の特集のひとつ「市会のルールとマナーについて」は、やはり座談会にでもしていた方が、読んでもらえる記事になったのではないかという気がしました。
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2024年02月16日
税務申告の季節
中央市会大市準備期間のため、本日の明治古典会は休会。そこで思い立って、確定申告のための書類整理を始めることにしました。
申告期限まで約1か月。今から用意すれば、間際になってじたばたすることもなかろうと、PCのなかにある去年の申告データを呼び出してみると、ほぼ同じころに作業をスタートしています。ひとつも早目ではありません。結局今年も、なにやかやで期限ぎりぎりになってしまうのでしょうか。
日々きちんと帳簿をつけていれば、たいした苦労はないはず。それがずさんであるから、毎年同じように悩まされるわけですが、今年は「政治資金収支報告書」という心強い味方がいることが分かりました。
期限までに間に合わない場合は「不明」と書いて提出すればよいのだそうです。分かった時点で訂正する。分からなければそのままにしておく。
しかしもちろん店主に、そんな勇気はありません。藪をつついて蛇を出す、わざわざ税務署にケンカを売るようなものです。もっとも、小店のような零細な事業所に関わりあうほど、暇なお役所ではないでしょうが。
いずれにせよ、小店よりずさんなところがあると分かったからと言って、店主の作業は減りません。
溜まった書類、伝票を整理し、入出金の数字と照らし合わせ、抜け落ちているところはないか確かめて、もちろん払うべき税金は払いたい。
しかし利益に関係なく、有無を言わさず取り立てられるのが消費税。どう考えても、理不尽な税に思えます。
申告期限まで約1か月。今から用意すれば、間際になってじたばたすることもなかろうと、PCのなかにある去年の申告データを呼び出してみると、ほぼ同じころに作業をスタートしています。ひとつも早目ではありません。結局今年も、なにやかやで期限ぎりぎりになってしまうのでしょうか。
日々きちんと帳簿をつけていれば、たいした苦労はないはず。それがずさんであるから、毎年同じように悩まされるわけですが、今年は「政治資金収支報告書」という心強い味方がいることが分かりました。
期限までに間に合わない場合は「不明」と書いて提出すればよいのだそうです。分かった時点で訂正する。分からなければそのままにしておく。
しかしもちろん店主に、そんな勇気はありません。藪をつついて蛇を出す、わざわざ税務署にケンカを売るようなものです。もっとも、小店のような零細な事業所に関わりあうほど、暇なお役所ではないでしょうが。
いずれにせよ、小店よりずさんなところがあると分かったからと言って、店主の作業は減りません。
溜まった書類、伝票を整理し、入出金の数字と照らし合わせ、抜け落ちているところはないか確かめて、もちろん払うべき税金は払いたい。
しかし利益に関係なく、有無を言わさず取り立てられるのが消費税。どう考えても、理不尽な税に思えます。
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2024年02月15日
大市会の集荷
午後2時を回ったころ店に電話が入り、受話器を取ると「中央市の集荷のものです」。
そろそろ来る頃だとは思っていましたから、準備が出来ている旨を応えようとすると「たくさんありますか?」というお尋ね。
「いま渋谷まで来ているんですが、カーゴ1台以上あるようだと載りきらないので、一度、会館へ降ろしてから、あらためて行くことになります」といいます。
小店は、今朝になってから急いで用意したものが、手押し台車1台程度。そう告げると「分かりました、これから向かいます」。
それからものの10分と経たずに、いつものルート便トラックが店の前に止まり、運転手さんと、中央市会の集荷担当者のお二人が店に入ってきました。
台車に載せてあった出品物をそのままトラックまで押していき、チェックしながら積み込むのに約5分。その間に交わした会話によると、想定以上の量だったため、店主のところを終えても、まだ何軒も残っているそうです。
聞いた中には、小店よりさらに遠方の店もありました。積み終えて出発したのが午後2時半。古書会館まで30分はかかるでしょう。それから再び集荷に回るとなると、最後はいったい何時頃になるのやら。
気の毒だったのは、その時点までお二人とも、お昼も食べずに働いていたらしいこと。
会館に着いて、ゆっくり食事をし、休憩も取ることができたでしょうか。再び出発して、無事に集荷を終えることはできたでしょうか。
設営、集荷、荷受け、陳列。大市会の準備は、まだ明日、明後日と続きます。
そろそろ来る頃だとは思っていましたから、準備が出来ている旨を応えようとすると「たくさんありますか?」というお尋ね。
「いま渋谷まで来ているんですが、カーゴ1台以上あるようだと載りきらないので、一度、会館へ降ろしてから、あらためて行くことになります」といいます。
小店は、今朝になってから急いで用意したものが、手押し台車1台程度。そう告げると「分かりました、これから向かいます」。
それからものの10分と経たずに、いつものルート便トラックが店の前に止まり、運転手さんと、中央市会の集荷担当者のお二人が店に入ってきました。
台車に載せてあった出品物をそのままトラックまで押していき、チェックしながら積み込むのに約5分。その間に交わした会話によると、想定以上の量だったため、店主のところを終えても、まだ何軒も残っているそうです。
聞いた中には、小店よりさらに遠方の店もありました。積み終えて出発したのが午後2時半。古書会館まで30分はかかるでしょう。それから再び集荷に回るとなると、最後はいったい何時頃になるのやら。
気の毒だったのは、その時点までお二人とも、お昼も食べずに働いていたらしいこと。
会館に着いて、ゆっくり食事をし、休憩も取ることができたでしょうか。再び出発して、無事に集荷を終えることはできたでしょうか。
設営、集荷、荷受け、陳列。大市会の準備は、まだ明日、明後日と続きます。
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2024年02月14日
書籍代のカラクリ
自民党の二階元幹事長の政治資金収支報告書に、書籍代として3年間で3千5百万円が計上されていたことが、ずいぶんと話題になっているようです。
そういえば旧統一教会には「聖本」と呼ばれる3千万円の本があると、いっとき評判になりました。まさかそれをお買いになったわけでもあるまいにと、冗談のひとつも言いたくなります。
ましてそれ以上に、美術品に近いような稀覯本を購入されたとは考えにくい。そもそも政策活動費とするには無理がありますし。
いずれにせよ政治家にして、これほどの書籍代を費やされるからには、さぞや立派な識見、教養をお持ちの方に違いありません。
と思いたいところですが、昨夜店主が見たYouTubeの番組で、その書籍代のカラクリを知ることになりました。それによれば金額にして8割程度、3千万円弱は、版元から直接、ご自身の本を購入されたものだというのです。
Amazonで検索したところ2021年に『自民党幹事長 二階俊博伝』、2023年に『二階俊博言行録』が出ております。そのどちらか、あるいはどちらもか。
版元が潤い、ライターも潤うのですから結構な話のように聞こえます。これに、さらに書店も潤うような方法を取ったのが、安倍元首相だと聞きました。発売と同時に大手書店で大量に買い付けたのだそうです。
作られたベストセラー。どこかの宗教団体教祖の本についても、そんな話を聞いたことがありました。
潤う人がいるのだから良いではないかと見る向きもありましょうが、それが政治活動として行われているとしたら、やはり納得がいきません。
そういえば旧統一教会には「聖本」と呼ばれる3千万円の本があると、いっとき評判になりました。まさかそれをお買いになったわけでもあるまいにと、冗談のひとつも言いたくなります。
ましてそれ以上に、美術品に近いような稀覯本を購入されたとは考えにくい。そもそも政策活動費とするには無理がありますし。
いずれにせよ政治家にして、これほどの書籍代を費やされるからには、さぞや立派な識見、教養をお持ちの方に違いありません。
と思いたいところですが、昨夜店主が見たYouTubeの番組で、その書籍代のカラクリを知ることになりました。それによれば金額にして8割程度、3千万円弱は、版元から直接、ご自身の本を購入されたものだというのです。
Amazonで検索したところ2021年に『自民党幹事長 二階俊博伝』、2023年に『二階俊博言行録』が出ております。そのどちらか、あるいはどちらもか。
版元が潤い、ライターも潤うのですから結構な話のように聞こえます。これに、さらに書店も潤うような方法を取ったのが、安倍元首相だと聞きました。発売と同時に大手書店で大量に買い付けたのだそうです。
作られたベストセラー。どこかの宗教団体教祖の本についても、そんな話を聞いたことがありました。
潤う人がいるのだから良いではないかと見る向きもありましょうが、それが政治活動として行われているとしたら、やはり納得がいきません。
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2024年02月13日
K先生旧蔵書
昨日の午後、店の裏でノートパソコンを開き、ブラウザーを立ち上げるといきなり、スーパーボウルの結果が画面に表示されました。
近ごろのGoogleトップ画面がうるさいと、少し前に嘆いたばかりですが、究極のネタバレを受けたことになります。
もっとも昔のように、夜になってから完全版をビデオで楽しもうというわけでもありませんから、さほど気分を害することもなく、事実を淡々と受け止めて、帰宅後、ダイジェスト版を観たのでした。
さて今朝は洋書会。当番です。店明け準備を済ませてすぐに出発し、午前10時より10分ほど早く会館に着きました。
カーゴ5台の出品がある、という情報が入ったのは昨日の午後になってからでした。それまでは、まるで手持無沙汰になるのではないかと案じていましたので、ともかく仕事があることに一安心して出向いたのです。
ところが着いてみると、それ以外にもカーゴ2台ほどの出品があることが分かり、一転、人手が足りるかと心配になりましたが、午後1時近くまでかかったものの、仕分け、陳列を終えることができました。
カーゴ5台は、小店にも何度かお越しいただいたことのある比較文学(米文学)のK先生の旧蔵洋書。ほかに日本書が9台あって、それは来週開かれる中央市会の大市に出品されるとか。
若いころ、ご著書から様々な影響を受けた先生です。面影を懐かしみながら仕分けをし、半ば記念として、ごくわずかな本に入札。落札することができました。
近ごろのGoogleトップ画面がうるさいと、少し前に嘆いたばかりですが、究極のネタバレを受けたことになります。
もっとも昔のように、夜になってから完全版をビデオで楽しもうというわけでもありませんから、さほど気分を害することもなく、事実を淡々と受け止めて、帰宅後、ダイジェスト版を観たのでした。
さて今朝は洋書会。当番です。店明け準備を済ませてすぐに出発し、午前10時より10分ほど早く会館に着きました。
カーゴ5台の出品がある、という情報が入ったのは昨日の午後になってからでした。それまでは、まるで手持無沙汰になるのではないかと案じていましたので、ともかく仕事があることに一安心して出向いたのです。
ところが着いてみると、それ以外にもカーゴ2台ほどの出品があることが分かり、一転、人手が足りるかと心配になりましたが、午後1時近くまでかかったものの、仕分け、陳列を終えることができました。
カーゴ5台は、小店にも何度かお越しいただいたことのある比較文学(米文学)のK先生の旧蔵洋書。ほかに日本書が9台あって、それは来週開かれる中央市会の大市に出品されるとか。
若いころ、ご著書から様々な影響を受けた先生です。面影を懐かしみながら仕分けをし、半ば記念として、ごくわずかな本に入札。落札することができました。
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2024年02月12日
春の足音
今朝の天声人語を読みながら、思わず肯いておりました。
▼とはいえ今年は少々とまどってしまう。訪れがあまりに早いのだ。東京の浜離宮恩賜庭園では、はや咲き誇る梅の枝をメジロがちょんちょん渡り歩いていた。東京で開花が観測されたのは1月9日。1970年代は2月中が多かったそうだから、1か月ほど早まったことになる。
浜離宮と比べるつもりはありませんが「メジロがちょんちょん」は、わが家の光景でもあります。先日来、なんとかその姿を映したいものとスマホを向けるのですが、店主に撮られるほど間抜けな小鳥はいないようで、あとから画像を見ても姿かたちがありません。
白梅は、早くも散り出していて、最近はツバキの花をつついておりますが、時おりヒヨドリに追い払われています。メジロより何倍も大きいそのヒヨドリでさえ、店主のカメラには、うまく捉えられず、何日か前にあげた写真に、桜の枝にとまる姿が小さく映っていたのですが、あらためてご覧になっても見つけられないことでしょう。
開花がいつになく早いばかりでなく、もっと心配なことは今年のわが家のツバキに、どこかことごとく生彩がないことです。
白ツバキなど、開いたばかりの花びらの縁が、すでに朽ちはじめているように黄ばんで見えます。紅ツバキもピンクの種類も、こころなしか花に勢いが感じられません。
今年だけの異変ならまだしも、樹に深刻な事態が起きていないでしょうか。桜も今から不安です。
近所の梅林の紅梅は、まだこれからというところ。まずはこれがきれいに咲くかどうか。さらにはわが家の遅咲きのツバキがどんな花をつけるか。しばらくは気がかりな日々が続きます。
▼とはいえ今年は少々とまどってしまう。訪れがあまりに早いのだ。東京の浜離宮恩賜庭園では、はや咲き誇る梅の枝をメジロがちょんちょん渡り歩いていた。東京で開花が観測されたのは1月9日。1970年代は2月中が多かったそうだから、1か月ほど早まったことになる。
浜離宮と比べるつもりはありませんが「メジロがちょんちょん」は、わが家の光景でもあります。先日来、なんとかその姿を映したいものとスマホを向けるのですが、店主に撮られるほど間抜けな小鳥はいないようで、あとから画像を見ても姿かたちがありません。
白梅は、早くも散り出していて、最近はツバキの花をつついておりますが、時おりヒヨドリに追い払われています。メジロより何倍も大きいそのヒヨドリでさえ、店主のカメラには、うまく捉えられず、何日か前にあげた写真に、桜の枝にとまる姿が小さく映っていたのですが、あらためてご覧になっても見つけられないことでしょう。
開花がいつになく早いばかりでなく、もっと心配なことは今年のわが家のツバキに、どこかことごとく生彩がないことです。
白ツバキなど、開いたばかりの花びらの縁が、すでに朽ちはじめているように黄ばんで見えます。紅ツバキもピンクの種類も、こころなしか花に勢いが感じられません。
今年だけの異変ならまだしも、樹に深刻な事態が起きていないでしょうか。桜も今から不安です。
近所の梅林の紅梅は、まだこれからというところ。まずはこれがきれいに咲くかどうか。さらにはわが家の遅咲きのツバキがどんな花をつけるか。しばらくは気がかりな日々が続きます。
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2024年02月11日
『昨日も今日も古本さんぽ』
昨日の南部入札会で落札した文庫12本口を引き取りに、開店準備だけ済ませてすぐ五反田へ。日曜日の朝は道路が空いていて、気持ちよく走れるからです。
会館の前に車を止めると、すぐ後ろにも1台止まって、アンデスさんが降りてこられました。やはり昨日の落札品の引き取りで、ただし積んで帰られる先は、ご自宅のある静岡県三島市。
店主が先に積み終えましたので「道中お気をつけて」と言い残し、会館を後にしました。
そういえば昨日、市場で月の輪さんから「大丈夫ですか」とお声がけ。ブログを読んで、鼻出血の一件を心配していただいたようです。ただその続きがあって「ナナさんが待ちかねているんじゃないですか」。そこで店主も「トモちゃんだって待ってるしね」と応じたのでした。
そのナナちゃんから「均一小僧」と仇名された岡崎武志さんの『昨日も今日も古本さんぽ』が、先月下旬に出版されています。
小店にも事前に「刊行のご案内」が届き、それを見た家人が、即座に購入を申し込もうと言いました。ただし自分用の一部のみ。「ご案内」の趣旨とは違うようで気が引けましたが、そのままお願いすることにいたしました。
過日、版元の盛林堂さんから古書会館で直々に手渡され、持ち帰りますと、家人が早速目を通し、小店の記事を見つけて「これ読んだ記憶がない」。
店主はもちろん「古通」で読んでおりましたが、「由良君美、山口昌男、四方田犬彦が通った」というタイトルを見過ごしていたようで、これはいささか不正確。山口さんは数回程度ですし、四方田さんに至っては、お客として来られたことはありません。
落ち度はもっぱら店主にあります。謹んで訂正申しあげる次第です。
会館の前に車を止めると、すぐ後ろにも1台止まって、アンデスさんが降りてこられました。やはり昨日の落札品の引き取りで、ただし積んで帰られる先は、ご自宅のある静岡県三島市。
店主が先に積み終えましたので「道中お気をつけて」と言い残し、会館を後にしました。
そういえば昨日、市場で月の輪さんから「大丈夫ですか」とお声がけ。ブログを読んで、鼻出血の一件を心配していただいたようです。ただその続きがあって「ナナさんが待ちかねているんじゃないですか」。そこで店主も「トモちゃんだって待ってるしね」と応じたのでした。
そのナナちゃんから「均一小僧」と仇名された岡崎武志さんの『昨日も今日も古本さんぽ』が、先月下旬に出版されています。
小店にも事前に「刊行のご案内」が届き、それを見た家人が、即座に購入を申し込もうと言いました。ただし自分用の一部のみ。「ご案内」の趣旨とは違うようで気が引けましたが、そのままお願いすることにいたしました。
過日、版元の盛林堂さんから古書会館で直々に手渡され、持ち帰りますと、家人が早速目を通し、小店の記事を見つけて「これ読んだ記憶がない」。
店主はもちろん「古通」で読んでおりましたが、「由良君美、山口昌男、四方田犬彦が通った」というタイトルを見過ごしていたようで、これはいささか不正確。山口さんは数回程度ですし、四方田さんに至っては、お客として来られたことはありません。
落ち度はもっぱら店主にあります。謹んで訂正申しあげる次第です。
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2024年02月10日
膨らみ過ぎた期待
今週月曜日、【南部支部入札会のおしらせ】と題したメールとFAXが、組合から届いています。
月に一度の入札会に先立って送られてくる、いつものお知らせですが、今回はその内容に、店主はとりわけ興味を搔き立てられておりました。
★古書店在庫整理品のひと口しわけ中!!
美術史洋書(伊・露・英・希)を中心にカーゴ8台!!
どんな本が出るのだろう。そしていったい「古書店」というのは、どこのことだろう。
まず店主の知る限りで、美術史洋書を大量にお持ちの店というのが、どうにも思い当たりません。もしやという方がお一人浮かびましたが、そうでないことはすぐ分かりました。
あるいは組合員ではない書店の本を、誰かが引き受けたのかもしれない——などと想像をめぐらし、今回ばかりは忘れずに行かなければと、今週中ずっと思い続けて今日に至りました。
そして今朝、いざ五反田の南部会館に着いてみると、店主が思い描いていたのとは、まるで違う種類の本が並んでいたのです。結局その口に、入札したいものは見つかりませんでした。
不服を言おうというのではありません。一人でも多くの同業に足を向けさせようというのが、案内メール/FAXの目的です。その点では、店主には有効に働いたわけです。
もっとも店主以外に、どれくらいの同業が、この文句に釣られて足を運んだだろうかと考えると、それほど集客力のあるコピーとは言えなかったかもしれません。
それでも無駄足にはなりませんでした。不足している均一用文庫の口が1点、落札できたようです。
月に一度の入札会に先立って送られてくる、いつものお知らせですが、今回はその内容に、店主はとりわけ興味を搔き立てられておりました。
★古書店在庫整理品のひと口しわけ中!!
美術史洋書(伊・露・英・希)を中心にカーゴ8台!!
どんな本が出るのだろう。そしていったい「古書店」というのは、どこのことだろう。
まず店主の知る限りで、美術史洋書を大量にお持ちの店というのが、どうにも思い当たりません。もしやという方がお一人浮かびましたが、そうでないことはすぐ分かりました。
あるいは組合員ではない書店の本を、誰かが引き受けたのかもしれない——などと想像をめぐらし、今回ばかりは忘れずに行かなければと、今週中ずっと思い続けて今日に至りました。
そして今朝、いざ五反田の南部会館に着いてみると、店主が思い描いていたのとは、まるで違う種類の本が並んでいたのです。結局その口に、入札したいものは見つかりませんでした。
不服を言おうというのではありません。一人でも多くの同業に足を向けさせようというのが、案内メール/FAXの目的です。その点では、店主には有効に働いたわけです。
もっとも店主以外に、どれくらいの同業が、この文句に釣られて足を運んだだろうかと考えると、それほど集客力のあるコピーとは言えなかったかもしれません。
それでも無駄足にはなりませんでした。不足している均一用文庫の口が1点、落札できたようです。
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2024年02月09日
先輩の蔵書
冷たい雨の日曜日に横浜まで出かけ、先輩の家から預かってきたカーゴ2台半を、本日、明治古典会に出品してもらいました。
仕分けはすべて会にお任せ。心配はしておりませんが、やはり気になって、いつもより一時間ほど早く会館に出向いております。ダンボール箱に詰められたものをそのまま運びましたので、どんなものがどれくらいあったのかさえ、見ておりませんでしたから。
出品記号を教えてもらい、会場を順に見て回りました。全体からすれば、さしたる分量ではないため、うっかりすると見過ごしそう。それでも今回は白っぽい、状態の良い美術関係書が中心だったようで、割合よく目立ちます。
最終台まで辿りつくと、そこに小店の出品が2点も載せられていました。
先輩から預かったものの中に、「相棒の遺品」だという某画廊の案内状など関係書類一括があり、担当した会員がそれを3点に仕分けしてくれていて、そのうちの2点です。
結局その中の1点が、今日の最終発声品となり、残りの2点もそれぞれ高値で落札されました。
ほかの書籍類はどうであったかというと、こちらも量の割には良い値になっています。店主も欲しい本が多かったので、それなりに頑張って入札したのですが、ごくわずかしか買うことができませんでした。嬉しいような悲しいような。
先輩には良い報告が出来そうです。ただ案じられる点もあります。整理はこれからも続くはずですが、必要で手元に残している本は、つまりは使い込んでいる本。今回ほど値がつかない可能性が大きい。
この先、がっかりさせることにならないよう、よくよくご説明しておこうと思います。
仕分けはすべて会にお任せ。心配はしておりませんが、やはり気になって、いつもより一時間ほど早く会館に出向いております。ダンボール箱に詰められたものをそのまま運びましたので、どんなものがどれくらいあったのかさえ、見ておりませんでしたから。
出品記号を教えてもらい、会場を順に見て回りました。全体からすれば、さしたる分量ではないため、うっかりすると見過ごしそう。それでも今回は白っぽい、状態の良い美術関係書が中心だったようで、割合よく目立ちます。
最終台まで辿りつくと、そこに小店の出品が2点も載せられていました。
先輩から預かったものの中に、「相棒の遺品」だという某画廊の案内状など関係書類一括があり、担当した会員がそれを3点に仕分けしてくれていて、そのうちの2点です。
結局その中の1点が、今日の最終発声品となり、残りの2点もそれぞれ高値で落札されました。
ほかの書籍類はどうであったかというと、こちらも量の割には良い値になっています。店主も欲しい本が多かったので、それなりに頑張って入札したのですが、ごくわずかしか買うことができませんでした。嬉しいような悲しいような。
先輩には良い報告が出来そうです。ただ案じられる点もあります。整理はこれからも続くはずですが、必要で手元に残している本は、つまりは使い込んでいる本。今回ほど値がつかない可能性が大きい。
この先、がっかりさせることにならないよう、よくよくご説明しておこうと思います。
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2024年02月08日
銭湯の思い出
銭湯から上がったときの、縄でよったみたいな足拭きがあるでしょう。あれが、なんともいえない感触でしてね。さっき、足の裏をしみじみとこすってみて、子供のときの感触を思い出しました。
これは田村隆一『ぼくの憂き世風呂』(集英社文庫1988年)のなかで、小沢昭一の発している言葉。所は遠州浜松の大工町。「巴湯」という銭湯に二人して入ったあと、小料理屋で交わしたとされる会話の一部分です。
詩人の銭湯めぐりという、本の内容自体も面白いのですが、今回取り上げた理由は、まさにこの足の裏の感触。店主もつられて思い出したからです。
詩人は子供のころ、祖母に連れられて風呂屋に行き「小学校六年生になるまで女湯に入った」と書かれています。それにも記憶を呼び覚まされました。
店主も祖母さん子でしたから、小さい時分には一緒に女湯に入っております。しかしせいぜい小学生になるかならないか、というあたりまでではなかったでしょうか。
小沢昭一の場合は「わたしはおふくろに連れられて女湯に入ってました」といい、面白いエピソードを紹介していますが、やはり小学校低学年の時分の話でしょう。
ふつうはその年頃から、風呂屋までは一緒に行ったとしても、別々に入るようになるはずで、詩人の場合はかなり特異なケースだと思われます。
店主の家では、やがて内風呂が出来て銭湯に行かなくなりましたから、「曙湯」という名だった地元の風呂屋さんの記憶は、かなり遥かなものです。
それでも扉の付いた脱衣棚の、好みの番号に空きがあるかを探したことなどを思い出しました。
これは田村隆一『ぼくの憂き世風呂』(集英社文庫1988年)のなかで、小沢昭一の発している言葉。所は遠州浜松の大工町。「巴湯」という銭湯に二人して入ったあと、小料理屋で交わしたとされる会話の一部分です。
詩人の銭湯めぐりという、本の内容自体も面白いのですが、今回取り上げた理由は、まさにこの足の裏の感触。店主もつられて思い出したからです。
詩人は子供のころ、祖母に連れられて風呂屋に行き「小学校六年生になるまで女湯に入った」と書かれています。それにも記憶を呼び覚まされました。
店主も祖母さん子でしたから、小さい時分には一緒に女湯に入っております。しかしせいぜい小学生になるかならないか、というあたりまでではなかったでしょうか。
小沢昭一の場合は「わたしはおふくろに連れられて女湯に入ってました」といい、面白いエピソードを紹介していますが、やはり小学校低学年の時分の話でしょう。
ふつうはその年頃から、風呂屋までは一緒に行ったとしても、別々に入るようになるはずで、詩人の場合はかなり特異なケースだと思われます。
店主の家では、やがて内風呂が出来て銭湯に行かなくなりましたから、「曙湯」という名だった地元の風呂屋さんの記憶は、かなり遥かなものです。
それでも扉の付いた脱衣棚の、好みの番号に空きがあるかを探したことなどを思い出しました。
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