2009年01月
2009年01月31日
失せもの
毎日なにかを探し回っています。
とりわけ注文をいただいた本など、ひとたび
記録や記憶に食い違いがあると、探すのに
大変な苦労が生じます。
そう分かっているから、余程気をつけて
在庫場所などを記録するように努めているのですが
なお毎日のように同じ事を繰り返しています。
商売道具の本ですらそうなのですから
日常の身の回りのものが見当たらず、あちこち
探し回るのは、当たり前のことかもしれません。
今朝も掃除機の取替えブラシが見当たらず
エアコンフィルターの掃除が頓挫しました。
営業時間の短い土曜日に、長々の探し物です。
おみくじに「失せもの」という項目があるのも
分かる気がしました。散々探して見つからないと
出てくるも出てこないも、あとは神だのみ
という気分になるのでしょう。
ところで「失せもの出ず」とあるのを、「でず」と
誤解する人がいるようです。
せっかくの占いが逆の答えになっては困るというので
最近は「失せもの出る」と書かれたおみくじもあるらしい
ことが検索サイトで他ブログを参照してみて分かりました。
そういえば随分、おみくじというものを引いていません。
とりわけ注文をいただいた本など、ひとたび
記録や記憶に食い違いがあると、探すのに
大変な苦労が生じます。
そう分かっているから、余程気をつけて
在庫場所などを記録するように努めているのですが
なお毎日のように同じ事を繰り返しています。
商売道具の本ですらそうなのですから
日常の身の回りのものが見当たらず、あちこち
探し回るのは、当たり前のことかもしれません。
今朝も掃除機の取替えブラシが見当たらず
エアコンフィルターの掃除が頓挫しました。
営業時間の短い土曜日に、長々の探し物です。
おみくじに「失せもの」という項目があるのも
分かる気がしました。散々探して見つからないと
出てくるも出てこないも、あとは神だのみ
という気分になるのでしょう。
ところで「失せもの出ず」とあるのを、「でず」と
誤解する人がいるようです。
せっかくの占いが逆の答えになっては困るというので
最近は「失せもの出る」と書かれたおみくじもあるらしい
ことが検索サイトで他ブログを参照してみて分かりました。
そういえば随分、おみくじというものを引いていません。
2009年01月30日
明古特選市
毎月、最終金曜日の明治古典会は、特選市と称し
普段より、ややグレードの高いものを取り扱おうと
心がけています。
古書の世界は玉石混淆と言いながら、実際には殆どが石。
誰かが譬えていたように、まるでガリンペイロが
川で砂金を見つけるような作業の毎日です。
雑本を貶める意味からではなく、良いものを選び出し
より良い条件で取引する機会を設けることは
業界全体がこれまで生き延びてきて、これからも
存続するために、欠かせない作業なのです。
とはいえ、特選市で売ったり、買ったりするものは
小店の場合なかなか見つかりません。
こんな雨の日、店の様子を思うと、なおさらのこと
入れる札も渋りがちで、結果として思うように落札もできず
今日もまた、買うほうでは成果なし。
かろうじて数点、売ることで参加できました。
普段より、ややグレードの高いものを取り扱おうと
心がけています。
古書の世界は玉石混淆と言いながら、実際には殆どが石。
誰かが譬えていたように、まるでガリンペイロが
川で砂金を見つけるような作業の毎日です。
雑本を貶める意味からではなく、良いものを選び出し
より良い条件で取引する機会を設けることは
業界全体がこれまで生き延びてきて、これからも
存続するために、欠かせない作業なのです。
とはいえ、特選市で売ったり、買ったりするものは
小店の場合なかなか見つかりません。
こんな雨の日、店の様子を思うと、なおさらのこと
入れる札も渋りがちで、結果として思うように落札もできず
今日もまた、買うほうでは成果なし。
かろうじて数点、売ることで参加できました。
2009年01月29日
状態説明(description)
入手した本に値をつけて売ろうという時
近頃は、まずインターネットの検索サイトで
調べてみることが増えています。
殊に洋書は、いまや相場はネットのなかにある
と考えざるを得ない状況ですので尚更です。
そうして調べていると、これは自分の持っている
まさに同じ本ではないか、と疑いたくなることが
時々あります。
それは紙のヤケ、シミの具合や、反り、イタミなどの
表記が、あまりに手元の本とぴったり符合する時です。
考えてみれば用紙の質などから、経年の変化は同じように
起きるわけですから、普通に保管されていたということに
過ぎないのでしょうけれど。
また、外国の書籍データで感心するのは
状態を説明する語彙の、豊富さと的確さです。
以前、foxedという言葉を見て、なるほどと思いました。
辞書を引いても後ろの方にしか出てこない意味ですが
「(紙などが)変色する」ということだとすぐ分かります。
角などをぶつけたりして跡がついたときのbumpedも
日本語で説明すると、長ったらしくなります。
「日本の古本屋」でも、本の状態を丁寧に説明する店が
だんだん増えてきました。
お互いの表記を参考にして、的確で統一した表現を作り上げて
行きたいものです。
近頃は、まずインターネットの検索サイトで
調べてみることが増えています。
殊に洋書は、いまや相場はネットのなかにある
と考えざるを得ない状況ですので尚更です。
そうして調べていると、これは自分の持っている
まさに同じ本ではないか、と疑いたくなることが
時々あります。
それは紙のヤケ、シミの具合や、反り、イタミなどの
表記が、あまりに手元の本とぴったり符合する時です。
考えてみれば用紙の質などから、経年の変化は同じように
起きるわけですから、普通に保管されていたということに
過ぎないのでしょうけれど。
また、外国の書籍データで感心するのは
状態を説明する語彙の、豊富さと的確さです。
以前、foxedという言葉を見て、なるほどと思いました。
辞書を引いても後ろの方にしか出てこない意味ですが
「(紙などが)変色する」ということだとすぐ分かります。
角などをぶつけたりして跡がついたときのbumpedも
日本語で説明すると、長ったらしくなります。
「日本の古本屋」でも、本の状態を丁寧に説明する店が
だんだん増えてきました。
お互いの表記を参考にして、的確で統一した表現を作り上げて
行きたいものです。
2009年01月28日
宅買:美術書
午前、横浜、都筑区へ宅買い。
国道246号線が空いていて、予定時間に到着。
何年か間をあけて246沿線のこの辺りに
用が出来、訪れることがありますが
その度に様変わりで驚かされます。
お父様の蔵書、それも美術評論書と
聞いていたので、少しばかり期待して。
ご本人にお目にかかると
卒業生ですが駒場のどの辺りに店があるのですか
と尋ねられ、お若く見受けられたので念のため
何年の卒業かをおたずねすると、昭和56年とのこと。
それでは残念ながら、小店が店を出す前。
小店開業後の卒業生でも、古本屋があったことを
知らない人のほうが多いくらいなのです。
駅から見える場所にあったにもかかわらず。
事前のご説明がほぼ的確で、ご本人が雑多なもの
と表現された分も含め、車にちょうど一杯
お引き取りしてきました。
戻って整理を始めたところですが
関西にお住まいであったようで、老舗の古書店からの
ハガキなどが挟まっており、読書家であったことが
偲ばれます。
追って店の棚にも差していきますので、ご期待下さい。
国道246号線が空いていて、予定時間に到着。
何年か間をあけて246沿線のこの辺りに
用が出来、訪れることがありますが
その度に様変わりで驚かされます。
お父様の蔵書、それも美術評論書と
聞いていたので、少しばかり期待して。
ご本人にお目にかかると
卒業生ですが駒場のどの辺りに店があるのですか
と尋ねられ、お若く見受けられたので念のため
何年の卒業かをおたずねすると、昭和56年とのこと。
それでは残念ながら、小店が店を出す前。
小店開業後の卒業生でも、古本屋があったことを
知らない人のほうが多いくらいなのです。
駅から見える場所にあったにもかかわらず。
事前のご説明がほぼ的確で、ご本人が雑多なもの
と表現された分も含め、車にちょうど一杯
お引き取りしてきました。
戻って整理を始めたところですが
関西にお住まいであったようで、老舗の古書店からの
ハガキなどが挟まっており、読書家であったことが
偲ばれます。
追って店の棚にも差していきますので、ご期待下さい。
2009年01月27日
本日の洋書会
午前中、私用があったため当番をお休みさせて
いただいて、市場には午後1時半ころ到着。
本日は、先週に比べて出品量はぐっと少なめ。
中心的なものは文学、思想、社会科学系の学術書
ただし学校図書館の旧蔵書で、ラベルや印有り。
以前は決して剥がれないように厳重に貼り付けた
上からコーティングもされていたりして、どうして
これほど無残な扱いをするのかと思ったものですが
最近ではすぐに剥がれるラベルであったり、印さえ
押さないことがあったりして、学校図書館の本の
扱いも、随分と変わってきました。
蔵書の再流通に対しても、かなり寛容になったようです。
小店の成果はフランス演劇、文学の古革装本10数冊。
日本にある革装洋書の常として、コンディションは
良くありません。
しかし18、19世紀の刊年のものですので、調べれば
面白いかもしれないと、買ってみました。
気がつけば、このところフランス語系の入荷が
続いています。
そして整理の方は、どんどん遅れる一方です。
それでも少しずつデータにしていますので、時々は
小店のカタログページをご覧ください。
いただいて、市場には午後1時半ころ到着。
本日は、先週に比べて出品量はぐっと少なめ。
中心的なものは文学、思想、社会科学系の学術書
ただし学校図書館の旧蔵書で、ラベルや印有り。
以前は決して剥がれないように厳重に貼り付けた
上からコーティングもされていたりして、どうして
これほど無残な扱いをするのかと思ったものですが
最近ではすぐに剥がれるラベルであったり、印さえ
押さないことがあったりして、学校図書館の本の
扱いも、随分と変わってきました。
蔵書の再流通に対しても、かなり寛容になったようです。
小店の成果はフランス演劇、文学の古革装本10数冊。
日本にある革装洋書の常として、コンディションは
良くありません。
しかし18、19世紀の刊年のものですので、調べれば
面白いかもしれないと、買ってみました。
気がつけば、このところフランス語系の入荷が
続いています。
そして整理の方は、どんどん遅れる一方です。
それでも少しずつデータにしていますので、時々は
小店のカタログページをご覧ください。
2009年01月26日
駒場懐古:静楽さん
店を出したとき、とても便利だなと思ったのは
お向かいが床屋さんだったことです。
自営業というのは時間が自由になるようでいて
そうでもなく、こちらの都合に合わせて飛び込めば
すぐに刈ってもらえるというのは、なんとも
有りがたいことでした。
実際、長いことそうして利用させてもらいました。
硝子をはめ込んだ両開きの木製扉をあけると
少しひびも目に付く腰までのタイル壁。
しかし設備の古さは、1500円という格安の料金を
守り通した結果でもあったのでしょう。
近くの養護施設の入所者にはさらに安く
サービスしていたようです。
マスターは当時、長く商店会長を務めておられて
穏やかな性格の方でしたが、その頃でもすでに
還暦は過ぎていたと思います。
やがて引退されるような形で店を閉められました。
その後、建物も取り壊され、今では
河野書店の入っているミレイユ駒場の敷地の一部と
なっています。
このマスターは、偶然同じ河野という姓でした。
そのため同じ所番地となった小店へ、今でもたまに
静楽さん宛の郵便物が届くことがあるのです。
お向かいが床屋さんだったことです。
自営業というのは時間が自由になるようでいて
そうでもなく、こちらの都合に合わせて飛び込めば
すぐに刈ってもらえるというのは、なんとも
有りがたいことでした。
実際、長いことそうして利用させてもらいました。
硝子をはめ込んだ両開きの木製扉をあけると
少しひびも目に付く腰までのタイル壁。
しかし設備の古さは、1500円という格安の料金を
守り通した結果でもあったのでしょう。
近くの養護施設の入所者にはさらに安く
サービスしていたようです。
マスターは当時、長く商店会長を務めておられて
穏やかな性格の方でしたが、その頃でもすでに
還暦は過ぎていたと思います。
やがて引退されるような形で店を閉められました。
その後、建物も取り壊され、今では
河野書店の入っているミレイユ駒場の敷地の一部と
なっています。
このマスターは、偶然同じ河野という姓でした。
そのため同じ所番地となった小店へ、今でもたまに
静楽さん宛の郵便物が届くことがあるのです。
2009年01月25日
駒場懐古:チャンテック
手から口へ、ゆとりとは無縁の店売り商いですが
今日のように穏やかな冬の日差しの日曜日、お昼時など
ふと手が空くと、昔のことを思い出したりします。
今でも新参気分が抜けないのですが、よくよく見回すと
小店より古くからある店は、数えるほどになりました。
昔話をする資格も、少しは出来たかもしれません。
懐かしい話を始めるなら、まずあげなくてはならないのは
喫茶店「チャンテック」でしょう。
インドネシア語CANTIKから取ったと聞きました。
海軍少年志願兵で南洋体験を持つマスターの命名です。
70年代は閉店時間まで学生達がグループでたむろして
熱気にあふれていたといいます。
しかし小店の知る頃は、たまに自主ゼミの学生達が
利用するほかには、昼間もあまり混んでいる様子のない
当時すでにレトロな店でした。
ここのマスターは隣の「駒場駅前ビル」
すなわち以前、河野書店の入っていたビルのオーナー。
つまり小店の元の家主さんです。
「チャンテック」は程なく閉店、しかし、病を得て倒れるまで
店子としてのお付き合いが続きました。
なんにでも一家言ある頑固な親爺さんでしたが
お酒が入るとくつろいで機嫌の良い人でした。
亡くなった後、山手教会で葬儀が行われ、ドん・ボスコの
修道僧としての経歴があったことを知りました。
今日のように穏やかな冬の日差しの日曜日、お昼時など
ふと手が空くと、昔のことを思い出したりします。
今でも新参気分が抜けないのですが、よくよく見回すと
小店より古くからある店は、数えるほどになりました。
昔話をする資格も、少しは出来たかもしれません。
懐かしい話を始めるなら、まずあげなくてはならないのは
喫茶店「チャンテック」でしょう。
インドネシア語CANTIKから取ったと聞きました。
海軍少年志願兵で南洋体験を持つマスターの命名です。
70年代は閉店時間まで学生達がグループでたむろして
熱気にあふれていたといいます。
しかし小店の知る頃は、たまに自主ゼミの学生達が
利用するほかには、昼間もあまり混んでいる様子のない
当時すでにレトロな店でした。
ここのマスターは隣の「駒場駅前ビル」
すなわち以前、河野書店の入っていたビルのオーナー。
つまり小店の元の家主さんです。
「チャンテック」は程なく閉店、しかし、病を得て倒れるまで
店子としてのお付き合いが続きました。
なんにでも一家言ある頑固な親爺さんでしたが
お酒が入るとくつろいで機嫌の良い人でした。
亡くなった後、山手教会で葬儀が行われ、ドん・ボスコの
修道僧としての経歴があったことを知りました。
2009年01月24日
南部支部
朝、五反田の南部会館で支部役員会。
東京組合は七つの支部に分かれていて
小店が所属するのはこの南部支部。
支部内はさらに細かく班に分かれていて
それぞれに班長が互選され、役員会に出席。
本部からの通達事項を聞き
班の組合員の様子を報告、要望を伝える。
店主は現在、班長ではないのですが
TKIの部長という役目にあり、この会議への
参加を要請されていました。
他の用と重なったりしてなかなか出席できず
今日、ようやく顔を出しました。
いそがしい自営業者が、たとえ月一度
小一時間とはいえ、それぞれの時間を割いて
こうして集まって、組合のことを話し合う姿は
この組合の健全さを見る思いがし
心強い気分にさせてくれます。
経済状況の悪化、出版文化の衰弱という
かつてない難局に直面している業界ではあるのですが。
東京組合は七つの支部に分かれていて
小店が所属するのはこの南部支部。
支部内はさらに細かく班に分かれていて
それぞれに班長が互選され、役員会に出席。
本部からの通達事項を聞き
班の組合員の様子を報告、要望を伝える。
店主は現在、班長ではないのですが
TKIの部長という役目にあり、この会議への
参加を要請されていました。
他の用と重なったりしてなかなか出席できず
今日、ようやく顔を出しました。
いそがしい自営業者が、たとえ月一度
小一時間とはいえ、それぞれの時間を割いて
こうして集まって、組合のことを話し合う姿は
この組合の健全さを見る思いがし
心強い気分にさせてくれます。
経済状況の悪化、出版文化の衰弱という
かつてない難局に直面している業界ではあるのですが。
2009年01月23日
『羊の歌』
店から古書会館までの行き帰りは貴重な読書タイムです。
片道およそ35分のうち、電車に乗っているのは20分ほど。
往復約40分ですが、集中できる時間はさらに限られるので
一冊の本を読みとおすのに、何日もかかるのは当たり前です。
しかしこの本は、読み通すまでに40年の歳月を要しました。
学生の頃、何度か手にしては途中でやめ、ついにそのまま
断念した形となっていたのですが、先頃の著者の訃に接し
再び読んでみる気になったものです。
かつてあれほどつかえて前に進まなかったものが、今回は
思いのほか面白く読み終えることができました。
30年の間に、こちらの内面が変化したこともあるのでしょうが
もっと大きな違いは、生活の場が現在の地に移ったことです。
この本で描かれている舞台は、渋谷金王町から始まり
駒場寮など、かなり多くが渋谷、つまりは河野書店周辺。
とても身近な感覚で読めました。
生前、一度だけ、といってももう10年以上前のことですが
銀座線の車内でご当人の姿をお見かけしました。
静かに一人で掛けておられた加藤周一さんの姿を思い出します。
今日は明治古典会、店に戻るのは閉店後になります。
片道およそ35分のうち、電車に乗っているのは20分ほど。
往復約40分ですが、集中できる時間はさらに限られるので
一冊の本を読みとおすのに、何日もかかるのは当たり前です。
しかしこの本は、読み通すまでに40年の歳月を要しました。
学生の頃、何度か手にしては途中でやめ、ついにそのまま
断念した形となっていたのですが、先頃の著者の訃に接し
再び読んでみる気になったものです。
かつてあれほどつかえて前に進まなかったものが、今回は
思いのほか面白く読み終えることができました。
30年の間に、こちらの内面が変化したこともあるのでしょうが
もっと大きな違いは、生活の場が現在の地に移ったことです。
この本で描かれている舞台は、渋谷金王町から始まり
駒場寮など、かなり多くが渋谷、つまりは河野書店周辺。
とても身近な感覚で読めました。
生前、一度だけ、といってももう10年以上前のことですが
銀座線の車内でご当人の姿をお見かけしました。
静かに一人で掛けておられた加藤周一さんの姿を思い出します。
今日は明治古典会、店に戻るのは閉店後になります。
2009年01月22日
ロエブ(Loeb)叢書
西洋古典を学ぶ人ならだれでも知っているこの叢書
なぜかずっと「ロエブ」と仲間内では呼んできました。
どうも正確にはローブと呼ぶようです。
創始者の名に由来するので厳密なところは分かりませんが。
最近、古いハイネマン社刊(現在はハーバード大出版局刊)
を40冊ほど入荷、あらためて呼び名が気になった次第です。
仲間内といいましたが、洋古書業者ばかりでなく
一般にもロエブの方が、通りが良さそうです。
ギリシャ、ローマの古典作品を対訳で読む人には
現在でも重宝がられていて、小店でもたまに入荷すると
棚にさしておくのですが、コンスタントに売れていきます。
今回の本は、多少イタミやヤケの目立つものが多く
その分、いつもより安めの値段をつけるつもりです。
それにしてもこの叢書、随分と虫に好かれるようで
特に赤い表紙のラテン語のシリーズはどこで見かけても
古いものは殆どといっていいほど、どこか舐められて
白っぽくなっています。
こんな例は他にもあって、朝日新聞社が出していた
日本古典全書が、やはり虫に好かれる本のようでした。
雨の木曜日。午後は古書会館で会議です。
なぜかずっと「ロエブ」と仲間内では呼んできました。
どうも正確にはローブと呼ぶようです。
創始者の名に由来するので厳密なところは分かりませんが。
最近、古いハイネマン社刊(現在はハーバード大出版局刊)
を40冊ほど入荷、あらためて呼び名が気になった次第です。
仲間内といいましたが、洋古書業者ばかりでなく
一般にもロエブの方が、通りが良さそうです。
ギリシャ、ローマの古典作品を対訳で読む人には
現在でも重宝がられていて、小店でもたまに入荷すると
棚にさしておくのですが、コンスタントに売れていきます。
今回の本は、多少イタミやヤケの目立つものが多く
その分、いつもより安めの値段をつけるつもりです。
それにしてもこの叢書、随分と虫に好かれるようで
特に赤い表紙のラテン語のシリーズはどこで見かけても
古いものは殆どといっていいほど、どこか舐められて
白っぽくなっています。
こんな例は他にもあって、朝日新聞社が出していた
日本古典全書が、やはり虫に好かれる本のようでした。
雨の木曜日。午後は古書会館で会議です。