2009年07月

2009年07月31日

平井先生

最近仕入れたフランス書、現代演劇の一口を整理していて、平井啓之先生のことを思い出しました。

たまたま『サルトル戯曲集』などがあったからです。主著のタイトル『ランボオからサルトルへ』や、ジュネの戯曲の翻訳をされていたことなどから、連想したのかもしれません。

初めて小店に来られたのは、店を開いて四五年もした頃でしょうか。「あんたとこは、洋書も買うんか」と強い関西訛りで尋ねられ自宅へ引き取りに来るように言われ、その後、何度か伺う事になりました。

ご自宅は歩いても3〜4分の距離。一度にお出しいただくのはさほど多い量ではなく、また実際に処分していただいたのは、洋書より、用のなくなった日本書のほうが多かった記憶があります。書棚を眺めながら「この辺りはまだ出すわけには行かない」などと話されました。

髪は白くなっておられましたが姿勢は良く、店にはいつもスポーツサイクルで立ち寄られました。

関西弁というと柔らかな印象がありますが、先生は物言いがストレートで、きつい感じさえ受けたものです。とくに人物評は辛く、好き嫌いがはっきりしていました。晩年は小田実がことにお気に入りで、「この男はえらい」と繰り返しておられました。

逝去の年を確かめると1992年、72歳。無宗教で花と写真だけの人気ない通夜に、花を供えたことは、はっきりと覚えています。

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2009年07月30日

夏の珍客

どういうわけか毎年、それも決まって今頃(時期が決まっているのは不思議でもないのですが)店の中にトカゲが(たぶん)一匹入り込みます。それも全長7〜8cmの幼体。

幼体という言い方は、今度初めて知りました。トカゲ、さらにニホントカゲという言葉で調べると夥しいページが現れ、写真も、中には動画も見つかります。好きな人が多いのですね。

店主、決して好きなわけではありませんが、このニホントカゲの幼体は、どこかに書いてあったようにメタリックな光沢があり、尻尾がコバルトブルーでなかなか美しいものです。

隅に隠れるように移動し、格別害をなすこともなさそうなので、そのままにしておいても良いくらいのものですが、突然お客様の視界に飛び込んでくると、驚かれる方もいるでしょう。さらにトカゲにとっても、店内は有り難い環境ではないはずです。

最初は素早くて、とても捕まえることは出来ないのですが、数日経つうちに消耗するのか、腹が減るのか、動きがぐっと鈍くなります。心なしか光沢も褪せていきます。そんな状態で姿を見せてくれれば、摘まんで外へ出すのも容易で、本日、無事に小さな一匹をリリースいたしました。

そう、大概は今日のように日差しの強い、暑い日の出来事です。

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2009年07月29日

M先生、再び

M先生から、また一箱、本が届きました。

今回はラテン語の学習書が中心で、「売り物になりますか」とご心配頂いていますが、古典語の学習書は値段さえこなれていれば、確実に売れていきます。

着払送料だけではいささか申し訳ない気分ですが、下手にお支払いを申し出ると、かえってお叱りを受けそうです。もうお終い、といわれた時に、まとめて何かでお返しできるように、心積もりだけはしておこうと思います。

「ひと頃は『希』とさえつけば買っていた」と添え状にありました。買った時の値段と書店名が、メモにして挟んであります。その価格を見ると、古書店にとって大変ありがたいお客様だったことが分かります。今ではとても、その値では売れません。

本が安くなったのか、買うお客様が居なくなったのか、その両方なのでしょう。眼一杯ひねって値をつけて、それでもお客様がついて、そうすると未だ安過ぎたのだろうかと訝しむ。本屋をそんな心理にさせる時代もありました。

書店シールは元来、扱った証拠を、自ら誇りを持って残すためのものですが、お客様の方でも買値や時日、場所などを控える場合がしばしばあります。後世に恥じない商いを心がけねばと、つくづく思うしだいです。

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2009年07月28日

うなぎの日

洋書会の7月当番も今日が最終日。

巡り会わせで月二回という当番もあり、最多なら五回の当番もある。それで格別不公平だとか、不満が出るわけではありません。いずれにしろ傍から見ればボランティア、つまり好きでやってるようなものなので。

お昼に「うな重」を皆で食べ、それが当番唯一のご褒美。うなぎが格別好きでなくともです。今日は黒っぽい日本関係の一口やら、スピノザ関係一括などの口が出て、入札にも熱が入り、うなぎの日に相応しい市になりました。

実は今日はまた、南部支部の年に一度の定期総会の日でした。午後に本部会館で人と会う約束が重なり、やむを得ず委任状を出して欠席。

記憶にある限り、少なくともこの二十年ほどは必ず出席していたので、欠席はとても残念です。年に一度、その場でしか会えないような人も居ますし。

もちろん今のところ格別難しい議題があるわけではなく、一人出なくとも何の支障も起きないのですが、総会出席は権利というより、組合員としての最低限の義務だと思うものですから。

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2009年07月27日

駒場の遠藤周作

あまりにもあっけなく答えに辿り着いて、ちょっと拍子抜けです。

一昨日の話、遠藤周作は駒場に住んだか?正解はイエス。さらに詳しく知りたい方は遠藤周作学会ホームページへ。

詳細な年譜が作られていて、随分転居を重ねていることが分かります。それによると駒場へやってきたのは昭和33年の暮れ。別のあるブログに「相当なあばら家で…」と「遠藤周作その息子として読者として」(遠藤龍之介「文藝春秋」1996年)を抜粋転載しているのも見つけました。

ブリキ屋さんの話に嘘はなかったのですが、記憶の時間軸はかなり歪んでいたようです。玉川学園へ移ったのが昭和38年、つまり作家の駒場時代は今から半世紀も昔のことでした。

それにしても作家の名を冠した学会があることに驚きました。もちろん大真面目な集まりだと思いますし、それだけに、いかにも狐狸庵先生に相応しい命名だとも思います。

ちなみにこの「狐狸庵」は、学会年譜によれば、駒場での「自宅療養の戯れに狐狸庵山人と雅号を付け、十月から翌年の十月まで絵日記「狐狸庵日乗」を書」いたのが始まりのようです。

駒場ゆかりの文人については、これからも少しずつ調べてみたいと思います。


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2009年07月26日

ボクの友達です

留守中に30冊ほどペーパーバックのお持込みがありました。しばらく読み物系の入荷がなかったので、直ぐにも値を付けて表に出したいところ。

どんな方だったかと店番のミセスBに聞くと「良くご夫婦で来られる、大柄で温和そうな外国の方」。それでほぼ察しが付きました。

店番を交代してしばらくすると、想像通りご当人がお出でになり、しかじかの値段ですと申し上げ、はい結構ですと受け取っていただき、お帰りになろうというその時に―

「その人、ボクの友達です」

視線の先には、写真表紙の本が三冊並んでいます。一つはマヤコフスキーの肖像写真、一つは50年代ニューヨークバレーの舞台写真、もう一つはヘルムート・ニュートンの写真集、表紙は良く知られたバニーガールのコスチュームを着けた女性の写真。

さてどれでしょう。正解は、ビルの屋上で反りかえるようなポーズで写っている女性で、その写真の撮影時期の二、三年後に知り合ったということです。

「ちょっと足りませんね」と残念そうに今差し上げたお代と、本に付いている値段を較べているので、それでいいですよと本をお渡しすると、今日もご一緒のお連れ合いと二人で、大喜びして語り合いながら帰って行かれました。

今度の買入れで、お名前だけは分かったのですが、かえって謎の人になりました。


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2009年07月25日

ブリキ屋さん

自転車で乗り付けた、黄色いキャップのご年配。表の100円文庫から1冊抜き取ると「遠藤周作でも読んで見るかな。ウチの近所だったんだよ」

ご当人の家は淡島通りの豆腐屋さんの隣り、「ブリキ屋だよ」。で遠藤氏は直ぐ隣りに長いこと住んでいたといいます。何時ごろまでかと問うと「だいぶ前、10年か20年か」。

年月の記憶が怪しいのは誰しも同様だとしても、この作家が駒場に住んでいたというのは初耳。晩年、富ヶ谷に住んだと年譜などにあって、確かに近くではありますが、ブリキ屋さんとは方角がまるで違います。

嘘や出鱈目を言っている様子はないので、誰か別人を思い違いしているのか、あるいは実際に作家がそこに住んだのか、折があったら調べてみようと思います。

仕事柄、暑い日には慣れているらしく、今日は母校の駒場小の校庭当番、自分の同期はもう三人しか近所に居ない、と屈託なく話すブリキ屋さん。黄色いキャップはどうやら小学校の支給品のようです。

「ブリキの仕事はもう殆どないけど、スレート瓦や雨樋の直しなんかをやってる」と、まだ現役のご様子に敬服いたしました。


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2009年07月24日

トホホ

市場で買ったものを、また別の市場に出すということがあります。

分かりやすい例としては、何冊、あるいは何十冊とまとめて出品されたうちの、一部分だけ欲しくて入札したという場合。

店舗を持っていれば、欲しい本を抜いた残りは、安目に付けて売るという手もありますが、手間暇を考えると、まとめて売ってしまったほうがいい場合もあるわけです。

とはいえ、そんな時でも買った値段がありますから、最低幾ら以上には売りたい、でなければ損が出てしまう、というわけで「止め値」というものを入れます。

あるいは自分で買い札を入れることも許されています。案に相違して誰も自分の買い札に届かなければ、再び自分が買うことになるわけで、これを「買引き」といいます。

時に思いがけず高くなって、最初の原価が回収できてしまうこともありますが、大抵は良くしたもので、ほどほどのところに落ち着きます。

ところが先日、店主はポカをして、そんな具合に出品したものに、札を入れ忘れてしまいました。たまたま一人しか札を入れる人がなく、見事に浚われてしまったのです。

こんな値段なら、持ち帰って店で売るのだったと悔しがっても、後の祭り。市場は厳しい場なのです。

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2009年07月23日

角川文庫リバイバルコレクション

深い考えもなしに書き飛ばして、あとから取り消したい、直したいと思うことは良くありますが、自分なりに、一旦公開したものは、直ぐに気付いたもの以外、修正しないと決めています。

例えば一昨日取り上げた児島喜久雄の、遺文集が重版されたことについて、それが生誕100年に当たる年だということは、少し考えれば分かることでした。

そのことを思い出したのは、文庫を100冊ばかり買い受け、埃を拭いているうちに、角川文庫リバイバルコレクションの一冊に挟まれたチラシに「創刊40周年記念特別企画」という文字を見たからです。

〈読者アンケートによる限定復刊〉と銘打たれていますが、ここでいう「限定」の意味はビミョウです。しかし当時も、古書となってからも、人気の高いシリーズであることは確かです。

今回40冊ばかり同シリーズが含まれていたのですが、残念なことに保存が悪く、ヤケシミが目立ちます。カバーはきれいで棚映りが良いので、かえって落差が目立ち、売れにくいのではと案じています。

充実したタイトルにも感心しますが、それよりむしろその文字の小ささの方に、改めて感慨を覚えました。

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2009年07月22日

宝塚で学んだこと

「宝塚の本が沢山あるのですが、どうでしょうか」とお尋ねのお客様がありました。

「まず値にならないと思いますが、それほど沢山なら、一度まとめて市場に出してみても良いですよ」とお応えすると、日ならずしてお持込みになりました。それも一度では運びきれず、日を改めてもう一度。

70年代から90年代までの『歌劇』『宝塚グラフ』がそれぞれ数百冊ずつ。他に公演パンフレットがやはり数百冊。それにムック系の少し厚めのグラフ雑誌が数十冊。確かにかなりの量でした。

一度目はまとめて出品したものの買い手がつかず、次に別の市に四点に分けて出したら、ムック系が最低値そこそこで売れたものの、あと三点、量にして九割方は、やはり売れずに残りました。

やむなく市場で廃棄切符を購入し、廃棄処分に。交換会で本を廃棄する際には一定の費用がかかります。店で資源ごみに出す場合も同じことですが。

捨てるに忍びないから、とお持ちいただいたので、代金をお支払いできない場合があることは、ご了承済み。といって差し引き持ち出しとなった費用を請求するわけには行かず、これも一つの勉強なのです。

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