2009年09月
2009年09月10日
『電子図書館』
昨夜、組合のイベント企画についての打ち合わせを兼ねた、ちょっとした食事会に出ました。その席で耳にした話。
国立国会図書館長の長尾真さんの著書『電子図書館』(岩波書店、1994年)が絶版となり、とたんにAMAZONから安い本が消えて、6000円台のものしか残っていない、とか。科学ライブラリーシリーズなので定価は1000円台だったと思います。
岩波は「絶版」にはしないと聞いたことが有ります(同社HPによれば「品切重版未定」)が、今はその話しでは有りません。とりあえず早速AMAZONを見てみました。確かに一件、6300円。
その出品者は、店主も何度か眼にしたことがあります。このサイトは新刊が有るか無いかを調べるには、いまや一番便利なサイトなので、ちょくちょく利用するのですが、その度に、たとえ新刊があろうがなかろうが、飛びぬけた高価格をつけている人たちがいて、その一人です。彼(彼女かもしれません)にしてはむしろ抑えた価格でしょう。
その価格は何の参考にもならないのですが、世の中、そのことを知っている人ばかりではありません。それが一つの問題。
ちなみに「日本の古本屋」には、525円から1000円で、まだ三点の在庫が有ります。AMAZONにも安い価格で出ていて、それらは売れてしまったのでしょうか。だとしたらそこにも一つの問題。
この二つの問題から「日本の古本屋」の弱点も、大きな利点も見えてくるような気がします。
国立国会図書館長の長尾真さんの著書『電子図書館』(岩波書店、1994年)が絶版となり、とたんにAMAZONから安い本が消えて、6000円台のものしか残っていない、とか。科学ライブラリーシリーズなので定価は1000円台だったと思います。
岩波は「絶版」にはしないと聞いたことが有ります(同社HPによれば「品切重版未定」)が、今はその話しでは有りません。とりあえず早速AMAZONを見てみました。確かに一件、6300円。
その出品者は、店主も何度か眼にしたことがあります。このサイトは新刊が有るか無いかを調べるには、いまや一番便利なサイトなので、ちょくちょく利用するのですが、その度に、たとえ新刊があろうがなかろうが、飛びぬけた高価格をつけている人たちがいて、その一人です。彼(彼女かもしれません)にしてはむしろ抑えた価格でしょう。
その価格は何の参考にもならないのですが、世の中、そのことを知っている人ばかりではありません。それが一つの問題。
ちなみに「日本の古本屋」には、525円から1000円で、まだ三点の在庫が有ります。AMAZONにも安い価格で出ていて、それらは売れてしまったのでしょうか。だとしたらそこにも一つの問題。
この二つの問題から「日本の古本屋」の弱点も、大きな利点も見えてくるような気がします。
2009年09月09日
断ってはいけない
先週の明治古典会が、大量の出品で賑わったということは、お伝えしましたね。おかげでその後の勉強会の開始、終了が遅くなったことも。
市会から事前に案内のメールやファックスが届くのですが、この時の文面は「美術関係書カーゴ6台」「和本・歴史・美術関係書3t車満載約カーゴ15台」カーゴというのはカーゴテナーというキャスターつきのコンテナです。
この市で小店も一点、11本口という山を買いました。中に何冊か欲しい本があったからです。持ち帰る前に、生かす本、処分する本を選り分けたのですが、作業中何気なく一冊の本を開くと、古いハガキが挟まっていて、そこに見覚えのある文字が書かれています。
良く見ると、岳父が当時の勤め先から出した、仕事上のハガキでした。記名は有りませんが、筆跡で分かります。日付を見ると約四十年ほど前。数え切れない偶然が重なって、手にすることになった一枚です。その不思議につくづく感じ入りました。でもまあ、これは他人様にはどうでも良いことでしょう。
それよりも、そのカーゴ15台は、かなり古びて傷んだ本も多い口でした。しかし和本だけでカーゴ3台、これが相当良い値段になった様子です。宅買いとしては近年にないヒットだと噂されていますが、これを持ち込んだ業者が言うには「何軒にも断られてウチに回ってきた」。
関東近県、廃屋同然のところに放置された本、そう聞いて尻込みした何軒かの業者は、今頃切歯扼腕しているかもしれません。
市会から事前に案内のメールやファックスが届くのですが、この時の文面は「美術関係書カーゴ6台」「和本・歴史・美術関係書3t車満載約カーゴ15台」カーゴというのはカーゴテナーというキャスターつきのコンテナです。
この市で小店も一点、11本口という山を買いました。中に何冊か欲しい本があったからです。持ち帰る前に、生かす本、処分する本を選り分けたのですが、作業中何気なく一冊の本を開くと、古いハガキが挟まっていて、そこに見覚えのある文字が書かれています。
良く見ると、岳父が当時の勤め先から出した、仕事上のハガキでした。記名は有りませんが、筆跡で分かります。日付を見ると約四十年ほど前。数え切れない偶然が重なって、手にすることになった一枚です。その不思議につくづく感じ入りました。でもまあ、これは他人様にはどうでも良いことでしょう。
それよりも、そのカーゴ15台は、かなり古びて傷んだ本も多い口でした。しかし和本だけでカーゴ3台、これが相当良い値段になった様子です。宅買いとしては近年にないヒットだと噂されていますが、これを持ち込んだ業者が言うには「何軒にも断られてウチに回ってきた」。
関東近県、廃屋同然のところに放置された本、そう聞いて尻込みした何軒かの業者は、今頃切歯扼腕しているかもしれません。
2009年09月08日
高林さん
神保町の東陽堂書店といえば、業界屈指の仏教書専門店。その当主・高林恒夫さんが急逝され、今夜、上野寛永寺で通夜がありました。
訃報は昨日のうちにFAXで回されていたのですが、うっかり見落としていて、今日、洋書会を終えて帰る途中、同業の喪服姿にわけを尋ね、初めて知ったのでした。
慌てて香典を知り合いに託し、帰路についたのですが、道すがら何とも落ち着かない気分になり、店に戻るまでには通夜に出ようと心を決めました。
故人と格別親しかったわけではありません。会えば挨拶を交わす、たまに世間話をするという程度のお付き合いでしたが、不思議と親近感を抱かせる方でした。
立教大学を出てプロ野球選手となり、巨人軍、国鉄スワローズで活躍。「長嶋茂雄」「王貞治」と書かれた二つの供花が一際目を惹いていました。
享年71。神田では二代目(あるいは三代目)が、この年頃に集中していて、団塊の世代を形成しています。誇れる幼なじみでもあった高林さんを失い、参列のご店主方も、一様に寂しげでした。
供花の並べ方一つとっても、業界葬には何かと気遣いが必要です。故人はそうした段取りに長けておられました。お焼香をしながら、差配したくてうずうずしている、愛すべき世話焼きのお姿を、つい思い浮かべてしまいました。
訃報は昨日のうちにFAXで回されていたのですが、うっかり見落としていて、今日、洋書会を終えて帰る途中、同業の喪服姿にわけを尋ね、初めて知ったのでした。
慌てて香典を知り合いに託し、帰路についたのですが、道すがら何とも落ち着かない気分になり、店に戻るまでには通夜に出ようと心を決めました。
故人と格別親しかったわけではありません。会えば挨拶を交わす、たまに世間話をするという程度のお付き合いでしたが、不思議と親近感を抱かせる方でした。
立教大学を出てプロ野球選手となり、巨人軍、国鉄スワローズで活躍。「長嶋茂雄」「王貞治」と書かれた二つの供花が一際目を惹いていました。
享年71。神田では二代目(あるいは三代目)が、この年頃に集中していて、団塊の世代を形成しています。誇れる幼なじみでもあった高林さんを失い、参列のご店主方も、一様に寂しげでした。
供花の並べ方一つとっても、業界葬には何かと気遣いが必要です。故人はそうした段取りに長けておられました。お焼香をしながら、差配したくてうずうずしている、愛すべき世話焼きのお姿を、つい思い浮かべてしまいました。
2009年09月07日
漱石の『明暗』
気温はきっと盛夏に較べれば低いのでしょうが、何か体にこたえるような暑さ。これが残暑というやつですね。
けだるさも加わって仕事の手も止まりがちな昼下がり、今風に言えばアラサー男性、入ってくるなり「夏目漱石。どこですか?」。
もちろん初めてのお客様。どころか、きっと古本屋に入るのも初めてなのでしょう。その眼は「さあどこだ」と返答を促すように店主を見据え、店内を見回そうという気配は微塵も有りません。
「漱石の何をお探しですか」と尋ねると、まるで質問を受けることなど予期していなかったかのようにためらった後、『明暗』だと答えられました。
そこでやおら立ち上がり、文庫の棚へ向かい、岩波の緑帯、新潮など近代文学を集めたところ、それぞれの漱石を調べました。あいにく見つからず「残念ながら有りませんね」と申し上げると「そうですか」、現れた時と同じ素早さで、出て行かれました。
決して珍しいパターンでは有りませんが、今日は何だかいつもより疲れが残りました。折りしもよちよち歩きの子が親御さんと一緒に通りかかり、「本屋さんだー」と声を上げます。
本が置いてあるから本屋、そこまでのことは二つ三つの子にも分かります。その先の違いを、本屋にもいろいろあるのだということを、どれほどの人々に理解して頂いているのでしょうか。
けだるさも加わって仕事の手も止まりがちな昼下がり、今風に言えばアラサー男性、入ってくるなり「夏目漱石。どこですか?」。
もちろん初めてのお客様。どころか、きっと古本屋に入るのも初めてなのでしょう。その眼は「さあどこだ」と返答を促すように店主を見据え、店内を見回そうという気配は微塵も有りません。
「漱石の何をお探しですか」と尋ねると、まるで質問を受けることなど予期していなかったかのようにためらった後、『明暗』だと答えられました。
そこでやおら立ち上がり、文庫の棚へ向かい、岩波の緑帯、新潮など近代文学を集めたところ、それぞれの漱石を調べました。あいにく見つからず「残念ながら有りませんね」と申し上げると「そうですか」、現れた時と同じ素早さで、出て行かれました。
決して珍しいパターンでは有りませんが、今日は何だかいつもより疲れが残りました。折りしもよちよち歩きの子が親御さんと一緒に通りかかり、「本屋さんだー」と声を上げます。
本が置いてあるから本屋、そこまでのことは二つ三つの子にも分かります。その先の違いを、本屋にもいろいろあるのだということを、どれほどの人々に理解して頂いているのでしょうか。
2009年09月06日
久し振りに宅買い
朝、店先に落ち葉が目立ち、秋を感じたのでしたが、日中は気温が上がりまだまだ夏。その暑い最中、久し振りに宅買いに出かけました。
昨日ご来店いただいたお客様のお宅で、車で5分ほどの距離。ご高齢にも拘らず、杖を突きながらわざわざお越しいただいたとなれば、こちらも肩腰の痛みくらいは堪えなければなりません。
小さな出版社をやっている、とのことですから、それほど筋の悪いものではなかろうと見当をつけて出かけました。ダンボール箱で12個、すでに庭先に積んであります。日向で中を改める気にもなれず、とりあえず全部車に載せて持ち帰りました。
いや、正確には、2箱だけ残してきました。『定本柳田国男集』です。函にヤケがあり、一部はその函が壊れ、本体もなんとなくイタミが見られます。お許しを得て、そのまま置いてきました。
さて、持ち帰って全部の箱をあけてみますと、半分は児童書。古いお知り合いの新刊屋さんが、老齢で店を閉め、その時送ってきたという、いわゆる「ショタレ本」です。このことは昨日の時点で伺っていたのですが、やはりあまり生かせるものはなさそうです。
2箱ほど、評価の出来そうな本がまとまって入っている箱がありました。取り出してがっかり、湿気にやられてカビたり、ムレたり。結局、一番評価できたのは合わせると1箱分ほどになる文庫でしょうか。これは講談社学術文庫や平凡社ライブラリーなど、売れ筋のものです。
評価額については、すぐにお電話をして、ご了承をいただきました。というような次第ですが、もし次回があれば、喜んで伺うつもりです。
昨日ご来店いただいたお客様のお宅で、車で5分ほどの距離。ご高齢にも拘らず、杖を突きながらわざわざお越しいただいたとなれば、こちらも肩腰の痛みくらいは堪えなければなりません。
小さな出版社をやっている、とのことですから、それほど筋の悪いものではなかろうと見当をつけて出かけました。ダンボール箱で12個、すでに庭先に積んであります。日向で中を改める気にもなれず、とりあえず全部車に載せて持ち帰りました。
いや、正確には、2箱だけ残してきました。『定本柳田国男集』です。函にヤケがあり、一部はその函が壊れ、本体もなんとなくイタミが見られます。お許しを得て、そのまま置いてきました。
さて、持ち帰って全部の箱をあけてみますと、半分は児童書。古いお知り合いの新刊屋さんが、老齢で店を閉め、その時送ってきたという、いわゆる「ショタレ本」です。このことは昨日の時点で伺っていたのですが、やはりあまり生かせるものはなさそうです。
2箱ほど、評価の出来そうな本がまとまって入っている箱がありました。取り出してがっかり、湿気にやられてカビたり、ムレたり。結局、一番評価できたのは合わせると1箱分ほどになる文庫でしょうか。これは講談社学術文庫や平凡社ライブラリーなど、売れ筋のものです。
評価額については、すぐにお電話をして、ご了承をいただきました。というような次第ですが、もし次回があれば、喜んで伺うつもりです。
2009年09月05日
お喋りの会
あっという間に週末。そういえばもう9月。大きな宿題が残っているような気分は、身に刷り込まれたものでしょうか。
昨日の明治古典会は、一口物が入って荷物が多く、一週前の特選市よりも出来高で上回るほど。特に大量の和本、漢籍類が出て、それらを専門にする同業の顔も多く見かけ、いつもとはまた一味違う市場の雰囲気でした。
終わった後、会館の8階にあるラウンジ(そうは呼んでいませんが)で小さな集まりを持ちました。経営員、若手会員、幹事が中心となって、交流を深め、結束を固めることを目的に、先輩方の話を聞く会を企画したのです。会員以外の参加も自由。
昨日はその第一回目で、テーマは「鶉屋書店・飯田淳次」。詩歌を中心とする近代文学の専門店として勇名をはせながら、その盛期に病に倒れ、平成元年68歳で逝去された、明治古典会の大先達です。存命中になされた氏の蒐集書の売り立ては、質量共に他に類を見ないものとして、半ば伝説的に今日まで語りつがれています。
その鶉屋さんの人となり、お仕事ぶりについて、近くで見てこられた四人の先輩会員が、お話しくださいました。「一所懸命」という言葉がそのまま当てはまる方のようでした。
開始時間が遅れたのに加え、講師陣の熱弁もあって、終了予定時間を大きく超過。軽食を用意した懇親会が慌ただしいものになってしまったのは、初回の不手際とはいえ反省点。気楽なお喋りの会として、これからも続けて行きたいと思います。
昨日の明治古典会は、一口物が入って荷物が多く、一週前の特選市よりも出来高で上回るほど。特に大量の和本、漢籍類が出て、それらを専門にする同業の顔も多く見かけ、いつもとはまた一味違う市場の雰囲気でした。
終わった後、会館の8階にあるラウンジ(そうは呼んでいませんが)で小さな集まりを持ちました。経営員、若手会員、幹事が中心となって、交流を深め、結束を固めることを目的に、先輩方の話を聞く会を企画したのです。会員以外の参加も自由。
昨日はその第一回目で、テーマは「鶉屋書店・飯田淳次」。詩歌を中心とする近代文学の専門店として勇名をはせながら、その盛期に病に倒れ、平成元年68歳で逝去された、明治古典会の大先達です。存命中になされた氏の蒐集書の売り立ては、質量共に他に類を見ないものとして、半ば伝説的に今日まで語りつがれています。
その鶉屋さんの人となり、お仕事ぶりについて、近くで見てこられた四人の先輩会員が、お話しくださいました。「一所懸命」という言葉がそのまま当てはまる方のようでした。
開始時間が遅れたのに加え、講師陣の熱弁もあって、終了予定時間を大きく超過。軽食を用意した懇親会が慌ただしいものになってしまったのは、初回の不手際とはいえ反省点。気楽なお喋りの会として、これからも続けて行きたいと思います。
2009年09月04日
朝市ではありません
昨日の今日で、こんな話もなんですが、今朝は朝の8時に店を開けてしまいました。
金曜日には訳があって、朝の8時半までに店に着いている必要があります。その訳の一つは明治古典会の集合時間(午前9時半)だったのですが、それはこの8月から、もう少し遅くしてもらいました。
しかしもう一つ、家族の約1名、この曜日のこの時間に来る必要があり、一緒に車に乗せてくるためで、これはまだあと半年は続きます。
さてそこで、8時半に店に着くためには、8時に着かなければなりません。何のことかと申しますと、8時から8時半まで、店の周りが学童の通学路として、車両通行止になるからです。
でも店に着いたからと言って、すぐ開ける必要はないですね。ところが目下、店内は在庫過剰で、何か仕事をしようと思ったら、まず均一棚を外へ出さないと手を付けられません。それで今朝のようにお天気の良い日は、さっさと棚を出してしまおうということになるのです。
ふだん開いていない時間に開いていると、物珍しげに立ち寄る人もいて、今朝は僅かながら売り上げもありました。といっても朝市というには寂しいですし、恒例にするつもりはありませんので、お間違えになりませんように。
本日の明治古典会、長い1日の話はまた明日にでも。
金曜日には訳があって、朝の8時半までに店に着いている必要があります。その訳の一つは明治古典会の集合時間(午前9時半)だったのですが、それはこの8月から、もう少し遅くしてもらいました。
しかしもう一つ、家族の約1名、この曜日のこの時間に来る必要があり、一緒に車に乗せてくるためで、これはまだあと半年は続きます。
さてそこで、8時半に店に着くためには、8時に着かなければなりません。何のことかと申しますと、8時から8時半まで、店の周りが学童の通学路として、車両通行止になるからです。
でも店に着いたからと言って、すぐ開ける必要はないですね。ところが目下、店内は在庫過剰で、何か仕事をしようと思ったら、まず均一棚を外へ出さないと手を付けられません。それで今朝のようにお天気の良い日は、さっさと棚を出してしまおうということになるのです。
ふだん開いていない時間に開いていると、物珍しげに立ち寄る人もいて、今朝は僅かながら売り上げもありました。といっても朝市というには寂しいですし、恒例にするつもりはありませんので、お間違えになりませんように。
本日の明治古典会、長い1日の話はまた明日にでも。
2009年09月03日
時間外のお客様
今日も一日曇り空。開店準備中に、早くもお客様。ある程度、棚を出し終えた後であれば、開店前だからといって、お断りはしません。このお客様は、しばらくご覧になった後、また出直しますといって帰られましたが。
店を開ける前、もっと不思議なのは店を閉めたあと、良くお客様が入ってこられます。どうかすると全部棚を仕舞いこんで、道路側にラティスを立てた後でも、スイッチを切った自動ドアを手でこじあけて、「もうおしまいですか?」とお尋ねになります。
ある時、そうやって閉めたあと、店の奥で片付け物をして帳場に戻ると、店内にぎっしり押し込んだ均一棚を一つ脇へ動かし、その奥にあった棚の本を熱心に読んでいるお客様がおられました。
「すみません今日はもう閉店したのですが」と申し上げると、ああそうですかと、あっさりお帰りになりました。
また別の時には、やはりすっかり片付けてもう帰るばかりという時「あの奥にある本が今日中にどうしても必要なので」と駆け込んできたお客様がおられました。学生の頃、夜中に酒屋さんを叩き起こして酒を買った話を、手柄話のようにする仲間がいたのを思い出したものです。それと較べてはお気の毒ですけどね。
朝は10時から、夜は8時まで。土、日、祝日は午後6時まで。毎日営業していますので、出来る限りこの時間内にご来店いただければ、ありがたく存じます。
店を開ける前、もっと不思議なのは店を閉めたあと、良くお客様が入ってこられます。どうかすると全部棚を仕舞いこんで、道路側にラティスを立てた後でも、スイッチを切った自動ドアを手でこじあけて、「もうおしまいですか?」とお尋ねになります。
ある時、そうやって閉めたあと、店の奥で片付け物をして帳場に戻ると、店内にぎっしり押し込んだ均一棚を一つ脇へ動かし、その奥にあった棚の本を熱心に読んでいるお客様がおられました。
「すみません今日はもう閉店したのですが」と申し上げると、ああそうですかと、あっさりお帰りになりました。
また別の時には、やはりすっかり片付けてもう帰るばかりという時「あの奥にある本が今日中にどうしても必要なので」と駆け込んできたお客様がおられました。学生の頃、夜中に酒屋さんを叩き起こして酒を買った話を、手柄話のようにする仲間がいたのを思い出したものです。それと較べてはお気の毒ですけどね。
朝は10時から、夜は8時まで。土、日、祝日は午後6時まで。毎日営業していますので、出来る限りこの時間内にご来店いただければ、ありがたく存じます。
2009年09月02日
目当ての四冊
朝から曇って、時折り粉糠雨。一昨日ほどではないけれど気温は低く涼しい。この三日ほどの気温の上り下りは、少し異様な感じです。
店を開けると同時に運送屋さんの車が着き、昨日の本が届きました。それで今日は一日、その整理。
旧蔵者は、古本屋巡りもお好きな方であったらしい。ご自身の専門以外は古本で買うことに、決めておられたのかもしれません。だから本の保存状態は今ひとつ。それでも目当ての本は、まず並以上でした。
その目当てというのは次の四冊。『みみずく偏書記』(同・1983年5月)『椿説泰西浪漫派文学談義』(青土社・1983年7月増補新刻)『風狂 虎の巻』(同・1983年12月)『読書狂言綺語抄』(沖積舎・1987年5月)。
このところ由良先生の本は一冊も在庫がなく、たまに市場に出ても、なかなか買えないという状況でした。今回はいわば他の沢山の本との抱き合わせで買う形になりましたが、手に入って満足です。いずれは値段をつけてネットに載せるとしても、しばらくはこのまま置いておきましょう。
上記のうち三冊が出た1983年は、小店の開業の年です。『偏書記』のあとがきには4月15日の日付が有りますが、そこで出来たばかりの古本屋である小店(3月1日開業)について、触れてくださいました。
この頃から由良先生は立て続けに本を出されています。まだお目にかかって日も浅い当時から、来店された折、次に出す本の話などをしていただいたことを思い出します。その時の先生は54歳。自らを省みて、「馬齢を重ねる」という言葉が、今更のように頭を巡ります。
店を開けると同時に運送屋さんの車が着き、昨日の本が届きました。それで今日は一日、その整理。
旧蔵者は、古本屋巡りもお好きな方であったらしい。ご自身の専門以外は古本で買うことに、決めておられたのかもしれません。だから本の保存状態は今ひとつ。それでも目当ての本は、まず並以上でした。
その目当てというのは次の四冊。『みみずく偏書記』(同・1983年5月)『椿説泰西浪漫派文学談義』(青土社・1983年7月増補新刻)『風狂 虎の巻』(同・1983年12月)『読書狂言綺語抄』(沖積舎・1987年5月)。
このところ由良先生の本は一冊も在庫がなく、たまに市場に出ても、なかなか買えないという状況でした。今回はいわば他の沢山の本との抱き合わせで買う形になりましたが、手に入って満足です。いずれは値段をつけてネットに載せるとしても、しばらくはこのまま置いておきましょう。
上記のうち三冊が出た1983年は、小店の開業の年です。『偏書記』のあとがきには4月15日の日付が有りますが、そこで出来たばかりの古本屋である小店(3月1日開業)について、触れてくださいました。
この頃から由良先生は立て続けに本を出されています。まだお目にかかって日も浅い当時から、来店された折、次に出す本の話などをしていただいたことを思い出します。その時の先生は54歳。自らを省みて、「馬齢を重ねる」という言葉が、今更のように頭を巡ります。
2009年09月01日
洋書会で日本書
先週といい、今日といい、洋書会なのに日本書ばかり仕入れています。このあいだの明治古典会では、逆に洋書が一点落ちてきただけ。妙なめぐり合わせ。
今日買ったのは、ここ何度か出ていた英語学者の旧蔵書。中でちょっと硬めの、学者のエッセイ集といった感じの本が中心の山をいくつか。いま時あまり売れる本ではないので、4、5点入札したその殆どが下札(下値)で手に入りました。
ちなみに入札では、金額を一つだけではなく、二つ、三つとその金額帯に応じて書くことができ、二枚札、三枚札などと呼んでいます。100万円以上の場合は六枚札、六通りの金額を書けるのですが、小店にはほとんど縁がありません。で、一番低い金額を下札、高い金額を上札と呼んでいます。
さてこうして山を買うのも、他で売れない本が、ウチでは売れるという話なら目出度いのですが、そういうわけではなく、山の中に数冊ずつ、欲しい本が混じっていて、ちょっと頑張って札を入れた結果です。それが何だったかは、明日届いた後で改めて。
ともあれ、こういう買い方をすると、欲しくて手に入れた本はすぐに売れて、残りを売り捌かなければ利益が出ないが、それがなかなか売れない、ということになります。そうやってまた在庫が積み上がっていきます。
でも、確かに今は売れない本かもしれないけれど、良い本ばかりなのだがなあと、明日もまたきっと、積み上がった在庫を見て思うのです。
今日買ったのは、ここ何度か出ていた英語学者の旧蔵書。中でちょっと硬めの、学者のエッセイ集といった感じの本が中心の山をいくつか。いま時あまり売れる本ではないので、4、5点入札したその殆どが下札(下値)で手に入りました。
ちなみに入札では、金額を一つだけではなく、二つ、三つとその金額帯に応じて書くことができ、二枚札、三枚札などと呼んでいます。100万円以上の場合は六枚札、六通りの金額を書けるのですが、小店にはほとんど縁がありません。で、一番低い金額を下札、高い金額を上札と呼んでいます。
さてこうして山を買うのも、他で売れない本が、ウチでは売れるという話なら目出度いのですが、そういうわけではなく、山の中に数冊ずつ、欲しい本が混じっていて、ちょっと頑張って札を入れた結果です。それが何だったかは、明日届いた後で改めて。
ともあれ、こういう買い方をすると、欲しくて手に入れた本はすぐに売れて、残りを売り捌かなければ利益が出ないが、それがなかなか売れない、ということになります。そうやってまた在庫が積み上がっていきます。
でも、確かに今は売れない本かもしれないけれど、良い本ばかりなのだがなあと、明日もまたきっと、積み上がった在庫を見て思うのです。