2010年01月

2010年01月31日

立場変わって見えるもの

先日、ネットで注文した本が、この二日三日で合わせて40冊ほど届きました。

なるほど立場が変わると、いろいろ新しい発見があります。まず荷造り梱包の多様さ。簡素なものから、丁寧なものまで各店各様です。

今回のように一度に多数頼んだときは、あまり厳重な梱包のものは、荷を解くのに手間がかかる上、出るゴミも多く、始末に困ることが分かりました。

現在は郵便にせよ業者便にせよ、途中でダメージを受けて届くことは、とても少なくなりましたから、四辺と角が守られる、最小限の梱包が望ましいと思います。

と言っても時折、梱包方法を指定されるお客様もおられますから、受け取る側の思いも様々だということでしょうか。

注文してから手に入れるまで、殆どはメールでやり取りをするのですが、これも今回のようなケースでは、手間は少なければ少ないほうが楽であることは確かです。

小店の場合、お客様がまずサイトから注文されたとしても、こちらから確認メールをお送りし、そのお返事を待って発送します。多く注文をされる方であれば、うっかり返信し忘れることも起こるだろうと理解できました。

支払いについても同じことが言えます。先払い、カード決済などが増えてきましたので、本が届いても代済みと思い込んでしまうかもしれません。

しかし、お客様もさまざまなら、本屋もさまざま。多少の不便や、行き違いが生じたとしても、自店のやり方を個性として、商いのプラスにして行く逞しさを持ちたいものです。

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2010年01月30日

青春の読書

サリンジャー死亡の報を受けて、いくつもの記事が新聞をにぎわしています。

その殆どが『ライ麦畑でつかまえて』に触れていますが、店主も学生時代、野崎訳で読み、そのまま他の作品へ向かい、翻訳で読める殆どすべてを読みました。

といってもたいした分量でないことは、ご承知の通りです。

当時サリンジャー作品で『ライ麦』より面白いと思ったものは別にありましたが、それでもあの野崎訳の独特の文体は強烈な印象で、訳者の異なる他の作品を読むときも、その世界に引きずられていたような気がします。

村上春樹訳が手に入ったとき、少し開いて読み始めましたが、まるで違う小説のようで、となると改めて読み進める気になれず、じきに本を閉じてしまいました。

単に店主が年取ったというだけのことかもしれません。

もちろん当時でも発表から20年近く後の邂逅です。それでも強い同時代感を覚えることができたのは、野崎氏の力だったのかもしれません。そして、そのように読んでこそ、あの作品の面白さがあったように思います。

ともあれ原作を味わう力を持たないものにとって、サリンジャーという作家以上に、野崎孝という訳者を得たことの方に、より大きな幸運があったと思うのです。

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2010年01月29日

委託で出品

明古は一月の特選市。今月も、はやお終い。出品量は少しずつ増えてきている、と思いたいところ。

今日は小店もやや大口の出品。以前から何度かお引き受けしている先生のご蔵書整理です。段ボール40箱ほどで、内容はご専門の日本史関係の史料、研究書が中心。

いわゆる「明古むき」ではありませんし、またさらに手元に置いて参照され、ツカレやイタミの目立つ本も結構混じっていましたので、どのような値がつくか、札が開くまで心配でした。

結果として、思いのほか良い値に。もともと筋の良いものであったからでしょう。

ただし入札者は、落札後に欠点が見つかった場合、期限内であれば、値引き、あるいは返品を申し出ることが出来ます。もちろん、あらかじめ封筒にその旨が記載されていたり、一見して明らかな欠点である場合などは認められませんが。

今回は、あえて注意書きを入れませんでしたから、ある程度の値引きや返品は覚悟しておかなければなりません。

申請期限は一週間。つまり来週の金曜日まで。ご報告するのはその後にしようと思います。昔のことを思えば、寂しい値段ですが、現状をよくご存知の先生です。きっとお喜びいただけることと思います。

市場が終わって、若いお手伝いの皆さんも一緒に16名で会食。めずらしく銀座の「鳥ぎん」まで足を伸ばしました。

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2010年01月28日

『福田恆存全集』

久しぶりに店で一日仕事。

先日来、留守の間にお持込みいただいた細々した口が何件か溜まって、帳場回りが雑然としてきました。そろそろお電話でもして了解を取ろうと思っていたら、今日、立て続けにご来店があり、片付けることができました。

留守中のお持込は、基本的にどんなものでもお断りしませんから、お支払いが100円、200円などということもあります。かえってそんな時のほうが、なかなか受け取りに来られません。といって、電話もしにくく、何時までも残ってしまうことがよくあります。

一週間ほど前、文庫、読み物類を、紙バッグ二つお持ちになったお客様、状態に難があり全部で千円と値をつけておきました。すると三日ほど前、やはり留守中に別の本をお持ちになり、一緒につけて置いてくださいと、置いていかれたそうです。

今度は一袋ですが、なかに『福田恆存全集』(文藝春秋、1987-)の揃いがありました。随分と値崩れしてきましたが、まだある程度の価格は維持しています。

いくらとは申せませんが、それなりの評価をつけておいたところ、本日ご来店。そこでその値段を申し上げると「まあ、びっくりした」。先の二袋で千円と言うことはお伝えしてありましたから、余計でしょう。

お客様が喜ばれ、小店としても良い仕入れで有難く、これで喜ぶ買い手が見つかりさえすれば、全てめでたしなのですが。

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2010年01月27日

ネット上のワゴンセール

留学生時代よく利用していただいて、今では日本文学・文化の研究者となっておられる韓国の先生から、メールで注文書が届きました。

50冊近くに上るリストで、なるべく安く揃えて送って欲しいという依頼です。以前にも同じようなことは引き受けていますので、今回も早速手配を始めました。

リストを詳しく見ていくとキーワードは「在日」。残念ながら小店に在庫している本は一冊もありません。ネットで検索しながら、なるべく安く、なるべく状態の良いものをと選んで注文をしました。

その大部分は、もし小店に入荷しても店頭の格安コーナーで売るような本で、以前なら、いざ集めるとなるとかえって大変という種類の本。しかし現在はこれらの本も殆どネット上で購入できます。短時間で7〜8割方の注文ができました。

研究者の方々などにとって、いかに便利な時代になったかということを、痛感した次第です。

さて、注文した本を改めてチェックし、その価格を集計してみると、書籍代金に比べて送料の高いこと。大げさに言えば殆ど半々。つまりそれだけ本の価格が下がっているのでしょう。

もともと均一本だといえばそれまでですが、ネット空間で壮大なワゴンセールが開かれている有様を思い浮かべて、なんだか寒々しい気分になりました。

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2010年01月26日

良い本は良い値になる

洋書会一月当番の最終回。お昼は恒例のうなぎ。

出品量が少なめで、昼食代が出るだろうかと役員さんは心配顔でしたが、思いのほか良い出来高となりました。

特筆すべきは、地方から送られて来た一箱。開けてみると、古革装のやや大判の本(いわゆるクォート:四折本)が8冊。3冊組が二点と2冊組が一点。状態は必ずしも良くありません。背が欠けているものもあります。

荷主さんのメッセージが同封されていて「仕分けはお任せします。ボーになったら適当に処分してください」。

三点いずれも刊年は19世紀前半。大雑把に英国史関係と申し上げておきましょう。

一点ずつ封筒を付けて入札にかけました。結果は三点合計するとおよそ二十万円ほど。荷主さんには驚きと喜びでしょうが、手に入れた書店にとっても嬉しい買い物です。そして洋書会にとっても。

「洋書は値にならないと公言する同業に見てもらいたい」と、ある会員。良い本であれば良い値になる。当たり前のことです。今回の三点は、いずれも名著とされている著作の初版本でした。

こういう本に市場で出会うたびに、我が国の洋書招来史ともいうべきものに深い興味を覚えるのです。

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2010年01月25日

本当の危機

本を整理していて、記念文集の類を見つけると、つい開いて見ずにはおられません。とりわけ個人を記念した文集などには気を惹かれます。

一口に個人の記念文集といっても、本人の文が中心のもの、寄稿が中心のもの、生前の刊行、没後の刊行、非売品、市販品などさまざまな形態がありますが、本屋の興味は、もっぱらその個人がどんな人かという点に係ります。

寄稿文集であれば、どんな人たちが稿を寄せているかを見ることで、その人間関係を知ることができます。随想、回想であれば、その目次を眺めるだけでも、人となりを窺い知ることができます。

古本屋は自前の人名事典を持つことが大切だと、これは確か出久根さんがどこかで言っておられました。それが飯の種だというようなことを。

そういう功利的な面を抜きにしても、読んで面白いものが多いことも確かです。今日手にしたのは『史想・随想・回想』(村岡皙・太陽出版1988年)。

ドイツ史学者としての令名は、不勉強で存じ上げませんでしたが、『日本思想史研究』を著した村岡典嗣のご子息に当たります。その父上を回想した小文の中に、父の持論が紹介されていました。

曰く「書物の真価は出版後五十年ぐらい経たなければ定まらない」。

昨今、出版の危機が声高に叫ばれていますが、本当の危機がどこにあるのかを、改めて考えさせてくれる言葉だと思いました。

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2010年01月24日

今年最後の新年会

昨夜は、昔の理事仲間の新年会。退任から数えてみたら10回目、よく続いているものです。

この何回かはパターンが定着してきました。銀座の中華料理店で食事。すぐ近くにあるクラブで二次会。豪勢に聞こえますが、クラブのママは仲間の一人の身内。土曜日でお休みのところを、格安料金で使わせていただいています。

店や業界の将来を憂える話から、他愛もない与太話まで、4時間ほどがあっという間に過ぎました。

その中で大笑いした話がひとつ。一人が、自分の携帯では小さいカナ(つまり拗音、促音)が出せないと言い出しました。だからメールを打つときにも、苦心してその字を使わない文章を考えるのだそうです。

「そんな馬鹿な」と何人かが入れ替わりに操作してみるのですが、なかなか旨くいきません。それでも、やがて誰かが操作法を見つけ出しました。一般的な機種とは押さえるボタンが違っていただけのこと。オヤジ度が明かされたような顛末でした。

しかしここには別に、もっと深刻な問題が隠されているような気がします。いつの間にか、私たちの文章はコンピュータに規制されているのではないでしょうか。

ついさっき、「しんぎん」と打って「呻吟」が出ず、一文字ずつ変換しようとしても「しん」で「呻」が出ません。IMEパッドなどで書いて探す手はありますが、ちょっと面倒。

結局「うめく」で「呻く」が出ることに気がついたのですが、こんなことを繰り返すうち、変換し易い言葉や文字使いへと統御されていくような気がするのです。

目新しい意見ではありませんが。

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2010年01月23日

生かせば資源、ですが

午前中に宅買い。

既に一度下見に伺っています。その折にお話しもしてありました。こちらで引き取れるものだけ引き取らせていただき、あとはそのまま残していきますと。

それで、遠慮なく選ばせていただきました。本を抜き出しながら、これはちょっと石油の掘削に似ているな、と考えていました。。

石油資源はあと何年持つか、などという話がかまびすしかった昔、その鍵は埋蔵量ではなく、経済効率だということを知りました。いくらそこにあっても、それを掘り出すためにかかる費用が、得られる利益より大きければ、ないに等しいと。

本も同様、いくら良い本でも、売れる値段と、掛かる諸々の手間ひまを比べて、やむを得ず置いてくるものもあるのです。

『社会科学大事典』(鹿島研究所出版会、1968-)は全部で20冊。大部なものですから、念のため知り合いの専門書店に問い合わせました。答えはおススメできないとのこと。

実際、後で調べてみると、大きく値崩れし、しかも何組もネット上に出てきました。おそらく市場に出しても買い手がつきません。かといって、店に置いても場所を食うばかり。

同じ理屈で小泉信三全集(不揃)、福沢諭吉全集(不揃)も埋蔵資源として残されることになりました。他にも残してきた本は多量。遅かれ早かれ、廃棄物となる運命でしょう。

心が痛みます。

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2010年01月22日

自筆物の世界

今日は明治古典会がかなり早く終わってしまい、少し多目の10人で食事。店へ戻ってきても、まだ8時半。おかげで注文品の荷造りやら返信やらに、余裕を持って取り掛かることができました。

1月に入って、品薄が続く市場ですが、面白いものは出ていました。ベデカを初めとする外国の旅行ガイドの一口が、店主には魅力でしたが、ちょっと太刀打ちの出来ない価格で落札されていました。

最終台に「内村鑑三草稿、ペン書き24枚」が載せられていて、これには多くの業者の関心が集中。「独立教会」と印刷された黄ばんだ用箋に、やや崩した青いペン字。末尾に1891年の日付と内村の名前が書かれています。

自筆と認められれば、相当高価なものになるはずです。入れ替わり立ち代り何人もの業者が熱心に検分していました。

ある業者は、別の自筆草稿をコピーしたものを持って来ました。それと比較してみると、どうも似たところがありません。そちらは比較的楷書に近い、一字ずつ几帳面に書かれた文字でした。

7、8名の入札がありましたが、開札の結果、さほど高くもない止め値に届く札はなく、ボー(不成立)となりました。

自筆物のように真贋を問われるものは、おおむねハイリスク、ハイリターン。しかし生半可な知識では確実に怪我をします。その怪我を授業料として、専門家に育っていくのでしょうが、度胸と、資力と、少なくともその一方は必要だということになります。

konoinfo at 21:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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