2011年02月

2011年02月28日

自由でしょ

時折雪の混じる雨の月曜日で、月末。「古本屋のオヤジ」をやってしまいました。

写真図版が中心の本を、先刻から開いては読み、また開いては読みしている若い男性。一旦本を棚に戻すと、肩にかけたバッグからノートと筆記具を取り出し、ノートを開くとまた本を抜き出してその上に重ねて乗せました。

筆記具を手に持って、再びじっくり本に目を通し始めます。ついに一言声をかけました。
「何をしてらっしゃるの」

男性は、振り向くと両耳のイヤホンを外し、え?というような顔をしますので、もう一度同じ質問。

「ああ、名前が覚えきれないので、書き留めておこうと思って」
本の題名ではありません、中で紹介されている人物の名です。
「そういうことはやめて貰いたいな」と苦笑混じりに言うと、心底不思議そうに「何故いけないんですか」と問い返されました。
「悪いことするわけじゃないし、自由でしょ」

本屋に入って、面白そうな本を手にとって見ているうちに、書き留めたいことがあって、ノートを出した――という行為そのものを否定する気はありません。それなら買えよとまでは言いません。

しかし公共図書館ではない、町の古本屋でそれをやる場合は、それなりの気遣いを見せて欲しいと思うのです。少なくとも、買う気のない食べ物を試食する時くらいの気恥ずかしさは、持っていて欲しいと思うのです。

「自由でしょ」と言われて、その本をその棚に差しておかない自由を、行使させてもらうことにしたのでした。

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2011年02月27日

休むに似たり

いちいち反応していても仕方ないのですが、今朝も朝日新聞の読書欄を見ていて、暗然としました。

宝島社が大型書店にグッズ展開をして好調、という記事です。グッズを売ることに文句があるのではありません。マーケティングの力で雑誌が好調。それにも異を唱えるつもりはありません。

むしろ同社は現状の電子書籍化の流れに対抗し、紙の出版にこだわって行きたいとの姿勢のようで、その点に関して言えば、本屋の味方。力強いエールを送っているようにも聞こえます。

しかしそこで語られる出版は、何万部、何十万部を狙う産業としての出版です。生き延びる出版というのが、そのようなものだけだとしたら、どうでしょう。

そしてその可能性が高いのではないかと、日増しに強く思うようになって来ました。当初感じていたのとは逆に、出版産業の危機ではなく、出版文化の危機が迫っているように思えるのです。

紙の本が残るのは、メディアとしての優秀性などではなく、経済合理性でしかないのではないか。

外を歩いているほうが暖かいくらいの陽気になった日曜日、店の中で燻っていると、そんなろくでもない考えに捕らわれてしまいます。午後から用で外出したのを幸い、ゆっくりバス停から歩いて帰ってきました。

さて気を取り直して、溜まっている本の値付けを再開です。

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2011年02月26日

本か客か

「良い本を探すのは難しいが、良い客を見つけるのはもっと難しい」

遥か昔、洋書会仲間と、アメリカへセドリ旅行に出掛けた時出会った、現地業者の一人が語った言葉です。本を見せてくれる時のもったいぶった様子と、その芝居がかった口調だけは今でも覚えています。

あまり大仰に感じたので、その時は却って感銘も受けなかったのですが、この商売の真理を衝いていることは間違いありません。確か find と言っていたと思います。

ただ誤解のないように申し上げれば、良いお客様がなかなか見つからないという意味ではなく、良いお客様を見出すことが、本屋にとって最も重要だということです。

こんな古い記憶を持ち出したのは、今朝の朝日新聞で「一人出版社」の記事を読んだことによります。

埋もれていた良い本に光を当てて、もう一度世に出す。意義深い仕事で、古本屋と似たようなところはありますが、ベクトルが多少異なるような気がします。

古本屋にとって一冊の本が売れる相手は一人だけですが、一人のお客様が買われる本は一冊とは限りません。良いお客様を見つけるほうが、商売効率が良い道理です。

しかしもちろん、見つけるというのは言葉の綾で、本を、店をお選びになるのはお客様の側。いかにして選ばれるか、それには良い本を選び棚に入れるほかありません。

またしても当たり前の結論になってしまいました。

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2011年02月25日

久々明古、特選市

夜の今頃、9時も回ってようやく寒さが戻ってきたようです。暖かい一日でした。

一週空いて、今日は明治古典会特選市。さすがに面白い本が並んでいました。店主が特に目を惹かれたのは、開高健『あかでみあめらんこりあ』(私家版1951)。

20cmほどの枡形本、厚さ5ミリ程度でしょうか、専門家の手になる謄写本。整ったガリ版文字で書かれ、青いインクできれいに刷り上げられた本は、工芸品のようでした。

保存状態も良く、なかなか良い値段で落札されていましたが、ガリを切る筆耕料に換算すれば、決して高いとはいえないと、後になって感じました。

もう一点、興味を持ったのは蒲原有明『春鳥集』(本郷書院、明治38年)。紙はすっかりヤケて変色していますが、こちらも良い保存状態。

見返しに「和辻哲郎」と記名のある、ペン書きの識語が記されてありました。これをどう解釈するか。店主は、若き和辻が素直に感動を記したもののように見えました。

しかし、それが単なる落書きであったとしても、初版カバーつきであることに変わりはなく、店主あたりの手の届く価格ではありません。案の定、開高処女出版よりも高い落札価格でした。

市場が終わり、週末の組合雑務も終わったあと、同業3人と連れ立って食事。初めての蕎麦屋さんで、名を失念。次の機会があれば、ご紹介します。

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2011年02月24日

国家財政支援

中国の某図書館から「日本の古本屋」に、つまりは組合の事務局に、購入図書の消費税分返還を求めるメールがあったと、連絡を受けました。

ことの当否はともかく、少なくとも個々の取引内容には関知しない立場を取っている事務局としては、各店に問い合わせて欲しいと答えるしかなく、ひとまずそのように指示しました。

その後どうなったかは、まだ分かりません。どうやら一箇所から大量に買ったのではなく、個別に細かく注文した様子です。実際に返還を求めるとすると、その手間の方が大変かもしれません。

確かに理屈から言えば、外国へ物を売るのは輸出ですし、輸出には消費税がかからないのですから、その分を引いてくれというのは言い分としては筋が通っています。

しかし実際にはどれくらいの人が、それに対応できるでしょうか。小店の数少ない例でも、そんなことには気づきもせず、税込価格のまま販売しておりました。

ただし、正直に本体価格で売ったとして、免税額を還付してもらうためには、輸出申告や証明書の取得が必要で、そうでなければただ5%をサービスすることになるわけです。

つまり消費税法上からは取り過ぎであるにしても、非課税のための面倒な手続きを取っていない限り、その分は税として収まるだけで、不当利得でも何でもありません。

この際、「苦しい日本財政にご協力ください」とでも説明文を入れて、外国への販売に際しても免税措置を取らないことを明示しておくほうが良いかもしれません。

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2011年02月23日

続・最後の手段

慌てたようなメールがスイスから返って来ました。昨日、熱意にほだされて、本を送ると伝えた相手からです。

改行もなく、誤字をチェックする余裕もなかったらしい。現金を送ったのは「送るならスイスフランで良いと、何週間前かに書いてあったからだ」と主張。「でも誤解してたかも」と弁解してます。

確かに、銀行送金に際しては、円建てにしなくて良いということを伝えました。しかし正しく伝えられなかったのは、こちらの責任でもあります。

金額についても、どうやって計算したのかと、疑問符をつけて尋ねておきましたので、「銀行で聞いたら7300円は80スイスフランだと言われたと」の返事がありました。

これはおそらく現地で両替するときのレートだったのでしょう。いわゆる為替レートではなく。

しかし「でも大丈夫、今日また、7280円きっかりを封筒に入れて送ったから」と言っています。どういう意味でしょう。まさか日本円を入れたとは思えませんが。

いずれにせよ、昨日 youtube で、当人らしい人物が楽器を演奏する姿を見て以来、妙に親近感を抱き始めています。とりわけ画面に映る範囲の客席に、殆ど人影がないあたりに。

まじめで不器用で、いくらか慌てものの青年ではないだろうかと勝手に想像して、今日、郵便局へ行きSAL便を発送しました。

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2011年02月22日

最後の手段

去年の11月に飛びこんできた、スイスからの注文。数次の挫折を経て、ついに思い切った手段に訴えてきました。

今朝届いたメールに、「現金を封筒に入れて送った」とあります。しかもスイスフランで!

初めにPayPalを提案しました。次に、郵便為替。どちらも上手くいかないらしい。そこで、銀行送金を受けることにしました。組替えの要らない、両替手数料の安い銀行を見つけましたので。ところがこれもダメ。

他人のことは言えませんが、あまり英語が得意ではないらしく、もう一つ要領を得ません。あるいは、この種の手続き関係が苦手な方でしょうか。

やがて、知人だという日本人女性からメールを貰いました。今度こそ大丈夫だろうと、その方に縷々説明を連ねて返信。「日本の古本屋」からご注文頂ければ、カードを利用できるとも書いて。

しかし今度は、一向に返事がきません。いい加減忘れかけていたところへ、今朝のメールです。

どんな本かというと Altenburg, Detlef. Untersuchungen zur
Geschichte der Trompete im Zeitalter der Clarinblaskunst
(1500-1800)/ Bd. 1-3. Gustav Bosse, 1973.

ここまでこの本を欲しがるのはどんな人か、思いついてGoogle検索。すると、youtubeに2009年12月という日付の動画が見つかりました。リサイタルでトランペットを吹いています。この人に間違いないでしょう。古楽器奏者のようです。

「あなたのお支払いには満足できませんが、熱意には感服しました」とメールしました。本は送ろうと思います。

ただ送ったという金額が、こちらが計算で示したより5フランほど少ないのが、故意か不注意かという疑問は残るのですが。

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2011年02月21日

大市の日に

中央市会大市は今日が本番。先週木曜日から今度の水曜日までの一週間は、他の交換会がお休みとなっていて、店主の行動も通常のパターンとは異なり不規則です。

金、土と店にいて、日、月と古書会館へ。明日の火曜日は、また店にいる予定。こう申し上げると、熱心に入札に出かけたようですが、実のところ今日は市場へは寄らず、ただお昼からの会議に出ただけでした。

今日の会議は「関東ブロック協議会」といって、関東各県の組合役員さんと、年に一度、顔合わせを行う場です。堅苦しいものではなく、お昼を食べながらの情報交換が主な目的。

神奈川2名、千葉2名、埼玉、茨城、群馬、栃木各1名、東京からは事務局も入れて7名。古書会館のお隣、明治大学紫紺館5階にある「椿山荘」の部屋を借りて、約二時間の会合でした。

なかなか明るい話題は見つかりません。その中で、各地で比較的若い方が新たに組合に入る例が報告され、喜ばしい一方、新たな困難も生じているようです。

若い新規加入者は、殆どの場合ネット書店で、組合へ入るのは市場で本を仕入れることが第一の目的とか。ところが市場は、交換会という名の通り、売る人、買う人の双方があって始めて成立します。

たださえ品薄気味の地方の市場では、なかなか買い手のニーズに応えきれず、いきおい東京の市場に足が向いてしまい、さらに地元が沈滞するという構図が、ほぼ共通して語られました。

ある組合では、市場の参加者が4名という日があり、さすがに危機感を抱き、梃入れを計っているとのこと。厳しい状況と、皆さんのご苦労を伺い、今日のような大市が、こうした業界の現状に対して果たせる役割について、もう一度考えてしまいました。

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2011年02月20日

値は態を表す

「『日本の古本屋』で見たのですが」と前置きして、「状態を確かめたいので、直接お店に来てしまいました」と、店主よりお年上の男性客。

お尋ねの本は『希臘神話』(ヂェームス, ボールドヰン原著 ; 杉谷代水譯補、冨山房、明治42年)なる一冊です。

店の裏から出してきてお手渡しすると「痛んだり、汚れたりした本が多いものですから」そうおっしゃって、しばらくお確かめになっていました。

やがてお眼鏡に適ったらしく「これはいただきます」。その後、店の中をご覧になりながら、ご自身の古書蒐集にまつわるエピソードを、あれこれお話しくださいました。

そのお話はともかく、今回お求めいただいた本を後から検索してみると、小店の価格は、刊年の同じ物が5点出ている中で、二番目に高い値がついておりました。ちなみに最安値は半額、最高値は倍額。

安いほうから順に調べて回られたとは思えません。それでも、購入者の目で見て、価格と状態との折り合いに、及第点をいただいたということになります。

じつはネットで本を売るとき、一番難しいのがこのあたりの呼吸です。昔から古本は、付いている値段が最大の情報であるべきだと言われてきました。他に比して良い値なのは、めったにない美本だから、といった具合に。

それをいちいち文章で説明するのは、野暮なことのようにも思われていました。

しかし今回のようなケースは稀なことです。ネット時代は、饒舌が求められる時代でもあるかのようです。ひたすら安値に流れる傾向を押し留めるのは、容易なことではありません。

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2011年02月19日

難しい宿題

「時間がないので聞いちゃうけど、タバコ関係の本何かある?」

表の洋書二冊をお持ちになり、会計を済ませて、時々お越しになる先生(多分)のお尋ねです。

今朝、棚の整理をしていて、たまたま記憶に留めた一冊と、以前から覚えていた一冊と、併せて二冊を棚から抜き出してご覧に入れました。

Breen,T.H. Tobacco culture. Princeton Univ., c1985.
Klein, R. Cigarettes are sublime. Duke Univ., 1993.

「僕はパイプ党だからシガレットは要らない」そうおっしゃって、前者を一冊、お求めいただきました。

「いや、アメリカの友人からパイプを5本贈られてね、何の謎かと考えたんだ。どうやらメルヴィルの詩を、もっとよく読めということらしい」

半ば独り言のように、それだけお話になると、時間がないとのお言葉通り、急いでお帰りになりました。

月に一回程度、学会か研究会か、それに類した集まりがあって、その帰り道にお立ち寄りいただくという感じで、お急ぎなのは、これから列車に乗って少し遠くまでお帰りになる、その時刻の都合でしょう。

そっちの推量はつきますが、メルヴィル、詩、パイプの三題話を、なるほどと理解するためには、当方の教養が、かなり不足しております。

メルヴィルの詩、「聖なる煙草」Herba Santaをネットで探し出すだけで、今日のところは力尽きました。

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12月31日から1月3日まで
休業いたします
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