2011年08月
2011年08月11日
得がたい体験かも
今日も暑いのですが、昨日までより湿度が低い気がします。それでも午後には俄か雨。暑さに少し慣れてきただけでしょうか。
「知り合いに紹介されて」と、ご来店のお客様。本をお探しのようです。しかし具体的な本ではなく、「そういう本があれば欲しい」とのこと。
ご専門は防災、探しておいでなのは明治から昭和の初めにかけての「地学というか、地理学というか」そんな類の本。
おそらくそれで、どなたかから紹介されたのでしょう、神田の専門書店をお訪ねになったとのことです。ところがそこで、けんもほろろに追い返されたと仰います。
書店名を聞かなくとも、どこの店へ行ったか、そこでどんなあしらいを受けたか、容易に想像がつきました。いまや希少生物とも言える、気難しい古書店主がいるお店です。
包丁の専門店に行って、包丁が欲しいというようなものだったかも知れませんよ、とお話した上で、本探しの役に立ちそうなインターネットサイトを、いくつかお教えしました。
webcatもご存じなかったようで、少し調べてから行けばよかったと、多少反省されたご様子。
改めて考えてみると、古書店はお医者さんではなく、薬屋さんですかね。「私に必要な本は何でしょう」と訊かれても、お答えのしようがない。
この方の場合も、ある著者の名前を挙げられたことで、一気に何十冊かの書名がネットで検索できました。もし初めから、その名を告げていれば、専門店の対応も違ったかもしれません。
でも今では例外的な本屋さんです。ホント
「知り合いに紹介されて」と、ご来店のお客様。本をお探しのようです。しかし具体的な本ではなく、「そういう本があれば欲しい」とのこと。
ご専門は防災、探しておいでなのは明治から昭和の初めにかけての「地学というか、地理学というか」そんな類の本。
おそらくそれで、どなたかから紹介されたのでしょう、神田の専門書店をお訪ねになったとのことです。ところがそこで、けんもほろろに追い返されたと仰います。
書店名を聞かなくとも、どこの店へ行ったか、そこでどんなあしらいを受けたか、容易に想像がつきました。いまや希少生物とも言える、気難しい古書店主がいるお店です。
包丁の専門店に行って、包丁が欲しいというようなものだったかも知れませんよ、とお話した上で、本探しの役に立ちそうなインターネットサイトを、いくつかお教えしました。
webcatもご存じなかったようで、少し調べてから行けばよかったと、多少反省されたご様子。
改めて考えてみると、古書店はお医者さんではなく、薬屋さんですかね。「私に必要な本は何でしょう」と訊かれても、お答えのしようがない。
この方の場合も、ある著者の名前を挙げられたことで、一気に何十冊かの書名がネットで検索できました。もし初めから、その名を告げていれば、専門店の対応も違ったかもしれません。
でも今では例外的な本屋さんです。ホント
2011年08月10日
節季も働く
四半世紀ぶり(こういうと迫力がありますね)に訪ねてくれた知人があり、「白い人がいて、違うかと思った」と、のたまいます。
実は店主のというより、家人の知り合い。新刊書店勤務時代の同僚で、開店の際にはいろいろと助けていただいた方なのでした。
「白い」というのは店主の髪のこと。開業間もない頃、前の店の店先で撮った写真をお持ちになっていて、そこには幼い二人の子と店主が、ご当人と一緒に写っています。確かに髪は黒々。
「こんなに黒かったかしら」と申したのは家人。そう言いおいて二人して昼食に出かけました。
二人が会うのも数年ぶりのこと。食事だけで済むはずもなく、戻ってきたのは午後4時を回っておりました。それでも話し足りない様子。しかし店主、出かける予定があります。ひとまず切り上げていただきました。
彼女の方は、先ごろめでたく勤め先を退職。これからは、ちょくちょくお邪魔しますと、お帰りになりました。
店主は午後6時から古書会館で会議です。午後5時に店を出、閉店の午後8時、戻ってきました。
組合は明日から一週間、夏休み。古書会館が閉まります。市場もお休み。お店はといえば、休むところは少数派。だから休まずに市場をやるべきだ、という意見は、かつては耳にしたこともありますが、今はまず聞こえてきません。
小店はもちろん今年も無休。一時は、お休みを考えました。しかし休んでも、何をするという計画も立ちません。ただ家にゴロゴロしているなら、店でゴロゴロしていても同じことです。
組合がお休みという明日からの一週間、それに合わせたように、東急東横店で古本祭り。古本屋は働き者ばかりです。
実は店主のというより、家人の知り合い。新刊書店勤務時代の同僚で、開店の際にはいろいろと助けていただいた方なのでした。
「白い」というのは店主の髪のこと。開業間もない頃、前の店の店先で撮った写真をお持ちになっていて、そこには幼い二人の子と店主が、ご当人と一緒に写っています。確かに髪は黒々。
「こんなに黒かったかしら」と申したのは家人。そう言いおいて二人して昼食に出かけました。
二人が会うのも数年ぶりのこと。食事だけで済むはずもなく、戻ってきたのは午後4時を回っておりました。それでも話し足りない様子。しかし店主、出かける予定があります。ひとまず切り上げていただきました。
彼女の方は、先ごろめでたく勤め先を退職。これからは、ちょくちょくお邪魔しますと、お帰りになりました。
店主は午後6時から古書会館で会議です。午後5時に店を出、閉店の午後8時、戻ってきました。
組合は明日から一週間、夏休み。古書会館が閉まります。市場もお休み。お店はといえば、休むところは少数派。だから休まずに市場をやるべきだ、という意見は、かつては耳にしたこともありますが、今はまず聞こえてきません。
小店はもちろん今年も無休。一時は、お休みを考えました。しかし休んでも、何をするという計画も立ちません。ただ家にゴロゴロしているなら、店でゴロゴロしていても同じことです。
組合がお休みという明日からの一週間、それに合わせたように、東急東横店で古本祭り。古本屋は働き者ばかりです。
2011年08月09日
山が買えない
円高、株安。気の滅入るような話題が、体が参りそうな暑さとともに続きます。今日もうだるような昼間、古書会館へ向かいました。
四階の洋書会会場は、ほぼ平台が埋め尽くされる量の出品。買入れの多さでは業界屈指の某書店店員さんが「お盆前のこの時期に、これほど仕入れが多いのは異常です」と呟いていました。
さらに特筆すべきは、今日、ある出品の口は、その大部分の量がボー(取引不成立)となってしまったことです。
フランス近代史関係中心の、まだきれいな本の山が、引き受け手がなく、結局大量に処分されることになりました。
ただ後になって分かったのは、これらの本、個人蔵書ではなく、廃業した輸入書籍店の在庫品、いわゆるショタレ本でした。
目ぼしい本を抜いて仕分けた後、残りをいくつかの山に分けたのですが、その山を見ていても、どうも訴えてくるものがない。量の多さが災いして、かえって手が出ない。
その理由も、事情が分かってみると納得できます。要するに売れ残ったものから、更に抜いた残りというわけですから。
定価の高い本が多いので、昔なら、値段を下げればある程度捌けたかもしれません。しかし今ではこうした研究書類は、ほとんどの本が何時でも、それなりに安く手に入ります。
何より、安くして売れるなら当の書店が売っていたはず。筋の違う洋古書店が店に置いても、まず売るのは難しいでしょう。
会員総出でカーゴ三台もの本の廃棄作業に当たるのは、なかなか切ないことでした。
四階の洋書会会場は、ほぼ平台が埋め尽くされる量の出品。買入れの多さでは業界屈指の某書店店員さんが「お盆前のこの時期に、これほど仕入れが多いのは異常です」と呟いていました。
さらに特筆すべきは、今日、ある出品の口は、その大部分の量がボー(取引不成立)となってしまったことです。
フランス近代史関係中心の、まだきれいな本の山が、引き受け手がなく、結局大量に処分されることになりました。
ただ後になって分かったのは、これらの本、個人蔵書ではなく、廃業した輸入書籍店の在庫品、いわゆるショタレ本でした。
目ぼしい本を抜いて仕分けた後、残りをいくつかの山に分けたのですが、その山を見ていても、どうも訴えてくるものがない。量の多さが災いして、かえって手が出ない。
その理由も、事情が分かってみると納得できます。要するに売れ残ったものから、更に抜いた残りというわけですから。
定価の高い本が多いので、昔なら、値段を下げればある程度捌けたかもしれません。しかし今ではこうした研究書類は、ほとんどの本が何時でも、それなりに安く手に入ります。
何より、安くして売れるなら当の書店が売っていたはず。筋の違う洋古書店が店に置いても、まず売るのは難しいでしょう。
会員総出でカーゴ三台もの本の廃棄作業に当たるのは、なかなか切ないことでした。
2011年08月08日
置く本、置かない本
「特製一番本」と聞いて、どんな本を思い浮かべられるでしょう。
謡曲の一番ごとを一冊に仕立てた薄い和綴本のことだと、すぐに分かるのは、実際に能を習っておられる方くらいでしょうか。
古本屋なら誰でも目にしている本ですが、奥付にも書いてあるその呼び名を知っている人は、業者にも多くないと思います。
もちろんこの一番は、能の一番で、限定一番本などというときの序数ではありません。紛らわしいのは「特製」の二字ですね。和紙を袋綴じにした和本仕立てをそう称しているようです。
これ(観世流大成版)が百冊以上まとまって入りました。少し古いものですが、現在出ているものと同じ版で、現定価は一冊2千円ほどします。
こういう本を売るときは、うんと安くしてまとめ買いを期待するか、世間並みの値をつけて、必要な方に買っていただくか、その判断が悩みどころです。
同じようなもので「書跡名品叢刊」という書道のシリーズ本を、やはり40冊ほどまとめて買い入れました。こちらは全部で208冊出され、現在は合本のセットでのみ販売されてます。
これも必要な人には必要な本。しかし小店あたりがいくら安く店頭に並べておいても、おいそれとは売れていきません。
結局こちらはまとめて市場に出すことにしました。専門店に任せたほうが良い本だと思うからです。
一番本も同様に、専門店なら常備すべき本です。しかし専門店とはとても申せませんが、小店もこの分野は僅かながらも並べてきました。そこでこちらは、ひとまず自店で売ってみようと思っております。
謡曲の一番ごとを一冊に仕立てた薄い和綴本のことだと、すぐに分かるのは、実際に能を習っておられる方くらいでしょうか。
古本屋なら誰でも目にしている本ですが、奥付にも書いてあるその呼び名を知っている人は、業者にも多くないと思います。
もちろんこの一番は、能の一番で、限定一番本などというときの序数ではありません。紛らわしいのは「特製」の二字ですね。和紙を袋綴じにした和本仕立てをそう称しているようです。
これ(観世流大成版)が百冊以上まとまって入りました。少し古いものですが、現在出ているものと同じ版で、現定価は一冊2千円ほどします。
こういう本を売るときは、うんと安くしてまとめ買いを期待するか、世間並みの値をつけて、必要な方に買っていただくか、その判断が悩みどころです。
同じようなもので「書跡名品叢刊」という書道のシリーズ本を、やはり40冊ほどまとめて買い入れました。こちらは全部で208冊出され、現在は合本のセットでのみ販売されてます。
これも必要な人には必要な本。しかし小店あたりがいくら安く店頭に並べておいても、おいそれとは売れていきません。
結局こちらはまとめて市場に出すことにしました。専門店に任せたほうが良い本だと思うからです。
一番本も同様に、専門店なら常備すべき本です。しかし専門店とはとても申せませんが、小店もこの分野は僅かながらも並べてきました。そこでこちらは、ひとまず自店で売ってみようと思っております。
2011年08月07日
正気を保つ
事態はそれほど簡単ではないようです。昨日の可視化の話。今度はむやみと恐れる場合。
今朝の新聞で読んだのですが、大文字の送り火に、陸前高田の被災松から作った薪を燃やそうという計画が、放射能を心配する声に、頓挫したと言います。
薪は全て検査して、汚染されていないというお墨付きを貰っているとのことですが、それでも不安は治まらないらしい。
今や世の中は、不感症と過敏症の二極に分かれていくばかりに思えます。
「少量の放射線は体に良い」とか、「プルトニウムは飲んでも大丈夫」とかいう言説は論外としても、老夫婦がスーパーで牛肉の産地を確かめている図は、どこか滑稽でさえあります。
見えないことの不安を和らげるために、計測数値を公表したとしても、それを正しく受け入れる理解力がなければ、一つも見えたことにはなりません。見る側の分別も問われるわけです。
このまま進むと、私達の商売にだって新たな影響がでてこないとは限りません。たとえば原産地ならぬ、旧蔵地表示を付けろという要求が出たらどうでしょう。
「当店には○○方面からの本は在庫しておりません」とでも貼り紙を出すのでしょうか。あるいは市場で、そうした地方からの流入に制限をかけることになるのでしょうか。
誰かが声高に主張し始めれば、そんな話も通りかねないと思えるのが、実に怖いところです。
今朝の新聞で読んだのですが、大文字の送り火に、陸前高田の被災松から作った薪を燃やそうという計画が、放射能を心配する声に、頓挫したと言います。
薪は全て検査して、汚染されていないというお墨付きを貰っているとのことですが、それでも不安は治まらないらしい。
今や世の中は、不感症と過敏症の二極に分かれていくばかりに思えます。
「少量の放射線は体に良い」とか、「プルトニウムは飲んでも大丈夫」とかいう言説は論外としても、老夫婦がスーパーで牛肉の産地を確かめている図は、どこか滑稽でさえあります。
見えないことの不安を和らげるために、計測数値を公表したとしても、それを正しく受け入れる理解力がなければ、一つも見えたことにはなりません。見る側の分別も問われるわけです。
このまま進むと、私達の商売にだって新たな影響がでてこないとは限りません。たとえば原産地ならぬ、旧蔵地表示を付けろという要求が出たらどうでしょう。
「当店には○○方面からの本は在庫しておりません」とでも貼り紙を出すのでしょうか。あるいは市場で、そうした地方からの流入に制限をかけることになるのでしょうか。
誰かが声高に主張し始めれば、そんな話も通りかねないと思えるのが、実に怖いところです。
2011年08月06日
見えない怖さ
昨日、束の間の昼食をともにした福島の先輩が、その短い時間に聞かせてくれた話。
結婚するとき(40年近く前)、知人から福島の原発について、滔々と説明を受けたことを後になって思い出した。しかし地震が起きたその時には、原発のことなど一つも思い浮かばなかった。
揺れこそ酷かったが、電気もガスも、もちろん水道も止まらず、落ちた屋根瓦の修復に、シートの手配をしなければ位のことしか考えていなかった。
余震を恐れて一家で畑に避難した。息子が消防団で出かけて行き、戻って来て「駅から向こうは何もない」と話した時に、ようやく被害の大きさに気付いた。しかしそれでもまだ、こんなことになるとは思っていなかった。
奥さんが後を引き取って。
避難するとなったときも、二、三日すれば戻れるような気でいました。それから五ヶ月、夢中で過ごしてきましたが、この先にパニックが起きるのではと心配です。
仮に半年、一年で戻れたとしても、私たちの作る農作物を買ってくれる人がいるのか。それを思うと。
見ぬもの清しと言います。見ようと思っても目に見えない放射線による汚染は、怖い怖いといいながら、一般市民にはその恐ろしさがもう一つ実感できません。
ところが例によってyoutubeで、今評判の児玉龍彦さんの熱弁を見て感じたのは、あの方たちには放射線が「見えている」のではないかということです。
もちろん比喩的な言い方ですが、実際に、目の当たりにしているとしか思えないような迫真性を感じたのでした。そのキーワードは可視化。とにかくまず正確に測定する。それこそが、児玉さんの言いたいことではないでしょうか。
可視化することによって、冷静に、現実的に対応できる。そこからしか何も始まらないと、店主も思います。
結婚するとき(40年近く前)、知人から福島の原発について、滔々と説明を受けたことを後になって思い出した。しかし地震が起きたその時には、原発のことなど一つも思い浮かばなかった。
揺れこそ酷かったが、電気もガスも、もちろん水道も止まらず、落ちた屋根瓦の修復に、シートの手配をしなければ位のことしか考えていなかった。
余震を恐れて一家で畑に避難した。息子が消防団で出かけて行き、戻って来て「駅から向こうは何もない」と話した時に、ようやく被害の大きさに気付いた。しかしそれでもまだ、こんなことになるとは思っていなかった。
奥さんが後を引き取って。
避難するとなったときも、二、三日すれば戻れるような気でいました。それから五ヶ月、夢中で過ごしてきましたが、この先にパニックが起きるのではと心配です。
仮に半年、一年で戻れたとしても、私たちの作る農作物を買ってくれる人がいるのか。それを思うと。
見ぬもの清しと言います。見ようと思っても目に見えない放射線による汚染は、怖い怖いといいながら、一般市民にはその恐ろしさがもう一つ実感できません。
ところが例によってyoutubeで、今評判の児玉龍彦さんの熱弁を見て感じたのは、あの方たちには放射線が「見えている」のではないかということです。
もちろん比喩的な言い方ですが、実際に、目の当たりにしているとしか思えないような迫真性を感じたのでした。そのキーワードは可視化。とにかくまず正確に測定する。それこそが、児玉さんの言いたいことではないでしょうか。
可視化することによって、冷静に、現実的に対応できる。そこからしか何も始まらないと、店主も思います。
2011年08月05日
明古を抜け出して
お昼に中華街へ言ってきました。もちろん横浜の。昨夜、ご当地に住む先輩からの、電話を受けてのことです。
いくら尊敬する先輩からの久々のお誘いだからといって、それだけで市場を放り投げて、出かけることはありません。別の訳がありました。
南相馬に住む(住んでいたというべきでしょうか)別の先輩が、山形の避難所を出て、茨城の復興住宅に入居することになり、親戚への挨拶回りの途中で立ち寄るということだったのです。
午後1時に集合と聞いて、頭の中で予定を立てました。入札を我慢すれば、12時に抜け出して4時に戻ることは可能だろうと。
そのために朝、少し早めに出かけて、いくつかの雑用を済ませました。さてそろそろ出かけようかという時になって、実は午後3時から、重要な職務があったことを思い出しました。
しかしこうなれば、たとえ一時間でも顔を見て話をしようと、そのまま出かけることにしました。
一旦渋谷まで戻り、東横線で「元町・中華街」へ。一時ちょうどに待ち合わせ場所に着くと、横浜の先輩は既にそこに。しかし肝心の南相馬の先輩がいません。待ち合わせ場所を勘違いして、ようやく会えた時には1時30分を回っていました。
横浜の先輩行きつけの中華料理店に入り、久闊を叙しつつあれこれ注文を済ませると、もう帰還リミットの2時まで15分ばかり。その間に出てきた二品、三品に口をつけ、名残を惜しみながら辞去しました。
先輩の話してくれた、避難地域住宅への二時間帰宅もかくやと思われる慌ただしさ。しかし、これはこちらで好き好んで取った行動による結果です。
途中、急変するお天気にスコールの洗礼を受け、上着をびしょ濡れにしたことも思い出に残るはず。
予定の3時を15分遅れて、会館に戻りついたのでした。
いくら尊敬する先輩からの久々のお誘いだからといって、それだけで市場を放り投げて、出かけることはありません。別の訳がありました。
南相馬に住む(住んでいたというべきでしょうか)別の先輩が、山形の避難所を出て、茨城の復興住宅に入居することになり、親戚への挨拶回りの途中で立ち寄るということだったのです。
午後1時に集合と聞いて、頭の中で予定を立てました。入札を我慢すれば、12時に抜け出して4時に戻ることは可能だろうと。
そのために朝、少し早めに出かけて、いくつかの雑用を済ませました。さてそろそろ出かけようかという時になって、実は午後3時から、重要な職務があったことを思い出しました。
しかしこうなれば、たとえ一時間でも顔を見て話をしようと、そのまま出かけることにしました。
一旦渋谷まで戻り、東横線で「元町・中華街」へ。一時ちょうどに待ち合わせ場所に着くと、横浜の先輩は既にそこに。しかし肝心の南相馬の先輩がいません。待ち合わせ場所を勘違いして、ようやく会えた時には1時30分を回っていました。
横浜の先輩行きつけの中華料理店に入り、久闊を叙しつつあれこれ注文を済ませると、もう帰還リミットの2時まで15分ばかり。その間に出てきた二品、三品に口をつけ、名残を惜しみながら辞去しました。
先輩の話してくれた、避難地域住宅への二時間帰宅もかくやと思われる慌ただしさ。しかし、これはこちらで好き好んで取った行動による結果です。
途中、急変するお天気にスコールの洗礼を受け、上着をびしょ濡れにしたことも思い出に残るはず。
予定の3時を15分遅れて、会館に戻りついたのでした。
2011年08月04日
売って儲け、買って儲け?
8月に入って、お客様の訪れはますます間遠になりましたが、中にお一人、お二人、まとめ買いや、揃いものなどのお買い上げがあって、なんとか日々の売上が立ってきました。
しかし今日は、ついにその命脈も尽きて、淋しい数字を見ることになりそうです。
お天気も悪い。晴れていたかと思うと、雲って雨が降り出し、また晴れて、蒸し暑さが更に増すという具合。こんな日に、本屋にお越しくださるだけで、よほどご奇特なことだと思います。
その上、お買い上げ頂こうなどと、虫のよいことを考えてはバチが当たるかもしれません。
それでも今日は、お持込みが何件かありました。この暑さの中、お部屋の整理をされたのでしょうか、あるいは暑苦しいから片付けようと思われたのでしょうか。
中のお一人は哲学系の研究書を、和書、洋書取り混ぜて40冊ほどお持ちくださいました。小店向き、棚に差したい本が沢山あります。張り込んで付けた値段にお客様もお喜び(のはず)。
早速売値を付けていくと、買値の何倍かになって、売れない先から儲けが出たような気がしてきます。
実際は、売れると思った何冊かが売れたあとは、殆ど棚の肥やしと化して、思い出したように売れていく程度。その間の諸経費を考えたら、得られる利益は知れたものです。
そうと知りつつ、値をつけている間は、財産が増えているような気がして喜んでいる。お気楽です、古本屋は。
しかし今日は、ついにその命脈も尽きて、淋しい数字を見ることになりそうです。
お天気も悪い。晴れていたかと思うと、雲って雨が降り出し、また晴れて、蒸し暑さが更に増すという具合。こんな日に、本屋にお越しくださるだけで、よほどご奇特なことだと思います。
その上、お買い上げ頂こうなどと、虫のよいことを考えてはバチが当たるかもしれません。
それでも今日は、お持込みが何件かありました。この暑さの中、お部屋の整理をされたのでしょうか、あるいは暑苦しいから片付けようと思われたのでしょうか。
中のお一人は哲学系の研究書を、和書、洋書取り混ぜて40冊ほどお持ちくださいました。小店向き、棚に差したい本が沢山あります。張り込んで付けた値段にお客様もお喜び(のはず)。
早速売値を付けていくと、買値の何倍かになって、売れない先から儲けが出たような気がしてきます。
実際は、売れると思った何冊かが売れたあとは、殆ど棚の肥やしと化して、思い出したように売れていく程度。その間の諸経費を考えたら、得られる利益は知れたものです。
そうと知りつつ、値をつけている間は、財産が増えているような気がして喜んでいる。お気楽です、古本屋は。
2011年08月03日
蒸して降って
まだ暑さもそれほどでない朝方、若い、見たところ高校生くらいの男性が、甚平姿で店に入ってくると「渋谷はどっちですか」と尋ねました。
方向をお教えすると「まっすぐ行けばいいんですよね」。まあ大体道なりに行けば、渋谷に辿り着かないことはありません。そのようにお教えしました。
すると「ちなみにアンキョカの道はどこですか」と訊かれます。思わず聞き直しました。要するに暗渠化。昔この辺りに川があったと、どこかで知ったのでしょう。
確かに小店の辺りは古い川筋に当たるようですが、暗渠というのとは、また違う気がします。詳しくは分かりませんが。
道は曲がりくねってますか?それならアンキョだ、と独り決めすると、若者は渋谷への道を歩いていきます。その背を見ると、甚平を通して汗が染み出していました。
午後、油断していて本を濡らしてしまいました。表の雑誌です。なんと不安定なお天気でしょう。空を恨んでも仕方ありませんが。
慌てて表に出て取り込んでいる間も、悠然と文庫棚をご覧になっているお客様がお一人。雨をご存じないかと思ったら、ちゃんと傘をお持ちで、差して立ち去られました。
しっかり濡れてしまった10冊ばかりの雑誌は、もう売り物にはなりません。潔く処分することに。入れ替えで気分も変わって良いかも知れません。
ただし、今日はその後も、一旦止んでからまた急に降り出したりで、安心できませんから、明日改めて並べることにいたします。
方向をお教えすると「まっすぐ行けばいいんですよね」。まあ大体道なりに行けば、渋谷に辿り着かないことはありません。そのようにお教えしました。
すると「ちなみにアンキョカの道はどこですか」と訊かれます。思わず聞き直しました。要するに暗渠化。昔この辺りに川があったと、どこかで知ったのでしょう。
確かに小店の辺りは古い川筋に当たるようですが、暗渠というのとは、また違う気がします。詳しくは分かりませんが。
道は曲がりくねってますか?それならアンキョだ、と独り決めすると、若者は渋谷への道を歩いていきます。その背を見ると、甚平を通して汗が染み出していました。
午後、油断していて本を濡らしてしまいました。表の雑誌です。なんと不安定なお天気でしょう。空を恨んでも仕方ありませんが。
慌てて表に出て取り込んでいる間も、悠然と文庫棚をご覧になっているお客様がお一人。雨をご存じないかと思ったら、ちゃんと傘をお持ちで、差して立ち去られました。
しっかり濡れてしまった10冊ばかりの雑誌は、もう売り物にはなりません。潔く処分することに。入れ替えで気分も変わって良いかも知れません。
ただし、今日はその後も、一旦止んでからまた急に降り出したりで、安心できませんから、明日改めて並べることにいたします。
2011年08月02日
珍本二題
嬉しいような、淋しいような。狙って手に入れた本が売れていく時いつもそんな感じを覚えます。
6月、南部の大市で入手した『エイゼンシュテイン素描集』。その時にもご紹介しました。先月の下旬「日本の古本屋」にあげると、およそ一月で引き合いが入ったのです。
珍しいものなら、さすがに見逃されることはありません。自家目録などとは比較にならない、膨大なお客様の目が光っているわけですから。
珍しさといえば、今日の洋書会で話題になった本がありました。トゥーキュディデース『戦史』の希羅対訳版。1588年ジュネーヴ刊で、第二版ながらこれが決定版とか。
30cmを超える大型本で、時代を考えれば古革装のツカレも少ない方。ただし版面には多少のイタミが見られます。誰かがネットで同じ本を探し当て、アメリカの有名店が、100万円を超える値段をつけていることが分かりました。
しかしそちらは画像で見る限り、装丁も含め、かなり状態がいい。さて、ここからが難しい判断となります。思案の札が何枚か入り、その結果は案外安値の、でも良く考えれば妥当な値段で落札されました。
そもそも有名店の価格が、その保存状態も含めたコレクター向けの価格であり、いかに名著とはいえ16世紀末の刊本で、並みの上という程度の本ならば、付けられる値段にも自ずから上限があります。
落札者も、今日の落札価格なら、売れる値段が付けられることでしょう。翻って小店のエイゼンシュテインも、下札で落ちたおかげで大人しい価格を付けることが出来、目出度くお買い上げいただけたわけです。
自分で、思う値をつけて売る。この面白さがある限り、古本屋も捨てたものではありません。
6月、南部の大市で入手した『エイゼンシュテイン素描集』。その時にもご紹介しました。先月の下旬「日本の古本屋」にあげると、およそ一月で引き合いが入ったのです。
珍しいものなら、さすがに見逃されることはありません。自家目録などとは比較にならない、膨大なお客様の目が光っているわけですから。
珍しさといえば、今日の洋書会で話題になった本がありました。トゥーキュディデース『戦史』の希羅対訳版。1588年ジュネーヴ刊で、第二版ながらこれが決定版とか。
30cmを超える大型本で、時代を考えれば古革装のツカレも少ない方。ただし版面には多少のイタミが見られます。誰かがネットで同じ本を探し当て、アメリカの有名店が、100万円を超える値段をつけていることが分かりました。
しかしそちらは画像で見る限り、装丁も含め、かなり状態がいい。さて、ここからが難しい判断となります。思案の札が何枚か入り、その結果は案外安値の、でも良く考えれば妥当な値段で落札されました。
そもそも有名店の価格が、その保存状態も含めたコレクター向けの価格であり、いかに名著とはいえ16世紀末の刊本で、並みの上という程度の本ならば、付けられる値段にも自ずから上限があります。
落札者も、今日の落札価格なら、売れる値段が付けられることでしょう。翻って小店のエイゼンシュテインも、下札で落ちたおかげで大人しい価格を付けることが出来、目出度くお買い上げいただけたわけです。
自分で、思う値をつけて売る。この面白さがある限り、古本屋も捨てたものではありません。