2012年06月

2012年06月20日

意志の不疎通

ネットからのご注文で、領収書が欲しいという方は、時々いらっしゃいます。もちろんご要望があれば、お出しするのにやぶさかではありません。問題は、小店では通常、先に本をお送りしていることです。

いくらなんでも、お代をいただかないうちから領収書を出すわけには参りません。といって、ご入金を待って改めて領収書を郵送していては、その度に80円余計にかかってしまいます。細かい話で恐縮ですが。

CA3K0281小店では、3000円以上のご注文をいただいた場合、郵便振替の赤い払い込み用紙を同封しています。つまり、払い込み料金を小店が負担するものです。そこで、領収書が必要な方は、予めお知らせいただくことにし、その場合は3000円以上であっても、青い、払い込み料金が必要な用紙を同封することにしてきました。

ご注文が3000円以下ならどうするか。その場合は、先にご入金をお願いすることにしました。そうして、もう長いこと、特に問題も無くやってきています。まれに本をお送りし、お支払いをいただいたあとから領収書をご要求される方もおいでですが、まあ、そんな時は、黙ってお送りしています。

さて今回、1000円の本のご注文に、いつもの文面を送ると「料金振込みの件了解です。領収書をお願いします」というお返事をいただいたので、入金をお待ちしていたところ、一週間過ぎても音沙汰がありません。

再度確認のメールを出すと「待っていたが、一向に本が届かないので心配していたところだ」とのお返事。

いつもの文面というのは、前段で振替用紙同封で本を先に送るから10日以内に振り込んでいただきたい旨を書き、続けて【領収書が必要な場合】として、先に送金していただきたい旨と、振込先を明記しております。

やむなく、最初の文面をご確認くださいと、もう一度メールを送信いたしました。それが昨日のこと。その後、今までのところお返事がありません。どう決着するのでしょうか。

ちなみにご注文者は、ある大学の「コミュニケーション」をその名に冠した学部の方。そしてご注文のあった本のタイトルが『いかにして問題をとくか』。ちょっと出来すぎていますね。

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2012年06月19日

よくできている交換会

台風が来るなんて、昨日までまったく知りませんでした。今夜遅くには、関東地方も暴風雨となる予想。まだ、嵐になるまでは間がありそうなのに、もう昼過ぎから、市場にいても店を何時にしまおうかということばかり考えて、気持ちが落ち着きません。

洋書会は少な目の出品。それ以上に、入札したい本が少なく、片付けに気がせくこともない分、まあ気楽ではありました。それでも一点、気になる本があって札を入れると、上札で落札しました。

今日は出品も二点していて、フランス文学の旧版の全集、それぞれ15冊と23冊。どちらも割合大判の本で、積み上げれば一組が1m以上になる嵩物です。二組とも似たような金額で売れましたが、その一組分と、買った二冊組みの一点が、ほぼ同額。

買った二冊は、せいぜい倍程度の売値しかつけられませんが、売った二組は、値をつけるとなればおそらく何倍にもなる筈。それでは小店は、損な取引をしたのでしょうか。そこが市場の面白いところです。

CA3K0284いわば一組と二冊を交換したようなものですが、交換が成立するということは、お互いがそれで得をすると見込んでいるということ。長く売れなかった全集を手放して、売れそうな本を買う。新しい店に並べれば、小店で売れなかった全集にだって、お客様が付くことは十分考えられます。

小店としては新たに仕入れた二冊の本の可能性に賭けたわけですし、何よりスペースの節約になるのが大きい。まあそんなことを言っても、売れなければ同じことですが。

ただし、仮に売れなかったとして再び市場に出したとき、今回より安くなっているかもしれないし、高く売れるかもしれない。そこにもまた市場の妙味があるわけです。

売った側も、買った側も、双方が「わらしべ長者」になる可能性を秘めている。しかし幸か不幸か、その点においても双方、ほどほどの損得を繰り返して、絶妙に交換が成り立っているようです。

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2012年06月18日

本の利点のひとつ

CA3K0286前にご紹介したかどうか忘れてしまいましたが、Joseph Connolly, Modern first
editions. は、なかなか楽しめる本です。手元にあるのはLittle, Brown社、1993年刊の第4版。それ以前の三版はいずれも別の出版社から出ています。

ここでModernというのは、概ね20世紀に入ってから出版された本ということらしい。取り上げられている作家は約270名。各作家の主な作品の古書価が、AからZの記号でランク付けされているのです。

ちなみにAが5ポンド以下、B、Cがそれぞれ10ポンド、20ポンド以下と刻んでいって、Zは12000ポンド以上。各作家について短いコメントはありますが、あとはほとんどランク付けされた書名のリスト。

個々の評価について、またその古書価についてはもちろん異論も多いところでしょうが、これだけ並んでいると、全体としての大づかみな傾向は分かります。

大抵の作家は処女作がもっとも高ランクです。とりわけ私家版の場合は、飛び抜けて高くなります。詩集である場合が多いのですが、部数自体も少ないから当然といえば当然です。

最高ランクのZが付けられたものは、ざっと見た限りでは3点。
W. H. Auden, Poems, SHS, 1928.
A. C. Doyle, A Study in Secret, 28th Beeton's Christmas Annual, 1887.
Ezra Pound, A Lume Spento, Antonini, 1908.

コナン・ドイルは19世紀ですし、ここにあげられているのは初出の雑誌版。ちょっと反則ですか。しかし、反則といえばオーデンの処女詩集はスペンダーの手刷りで、多くとも30部というもの。殆ど幻の本らしい。

そこへ行くとパウンドの処女詩集は100〜150部の出版。それについて興味深いサイトを見つけました。
http://www.bookride.com/2007/04/ezra-pounds-rarest-lume-spento-1908.html

こんな具合にネットの便利な点は多々ありますが、つれづれに英米初版本の世界を数字で眺めながら、しかし全体の有機的な連関を知るという点では、ネットより本の方が、遥かに優れていると思ったことでした。


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2012年06月17日

今に変らぬ

CA3K0283物置を整理していたら、古い日記類が出てきました。その古さも生半ではありません、何しろ店主の高校時代のもの。今から45年ほど前になります。

つらつら思い出してみるに、母親が他界した後、所在無さに耐えかねた老父が、無闇と実家のあちこちを片付け始めたことがありました。その時、押入れの片隅かどこかに一まとめになっていた書類を、こちらに送りつけてきたのです。

それをそのまま物置に放り込んで、それからでも10年以上が経ちました。

確かに、過去何度か、思い立ったように日記をつけた時期があります。付け始めると、義務感に駆られて、とにかく毎日何かしら書くのですが、やがてふっつり。そんなことを繰り返したような気がします。

手にした途端思わず懐かしさがこみ上げて――というならお話にもなりますが、まるで異物を見るようで、記憶を呼び覚ますてがかりもなく、何の感慨も起きません。

試みに、中を開いても見たのですが、おそろしく拙い字で、日々の出来事が簡単に書きなぐられているばかり。それを読んでも、何のことやら、まったく思い出すことが出来ません。

じっくり読んでいけば、どこかでパッと記憶の扉が開くのかもしれませんが、そうなったらなったで、いかに恥多き青春時代であったかを、改めて思い知らされるばかりでしょう。

といって、焼き捨ててしまうほどの覚悟もありません。またさっさと、どこかにしまいこむ事にいたします。

しかし考えてみれば、こうして毎日駄文を垂れ流していることだって、昔と一つも違ってないのじゃないでしょうか。

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2012年06月16日

本じゃない

数日前に『石神井書林古書目録87号』を送っていただき、そのご当人に、昨日、古書会館の6階で会ったので、お礼を申し上げました。

高い意識で集められた本が並んでいるのに、家人も感嘆、感心していたと伝え、それに較べると、小店に並んでいるような本は本とは言えない、と率直な感想を述べたところ、それにはまともに取り合わず、逆にこんな話をしてくれました。

先日、練馬美術館の鹿島茂コレクション展で、ご本人のギャラリートークを聞く機会を得た。その時、鹿島ご夫妻がフランスで、さる最高級の挿絵本を扱う店に入った時、同行した奥様がそこに並ぶ美装本を見て、「あなたの持っている本は本じゃない!」と仰った、と言うお話しをされた――。

そのギャラリートークは事前告知を殆どされなかったため、およそ二十人程が二時間半にわたり、ゆっくりお話を聞けたそうで、一冊一冊、解説される姿が実に楽しげだったとか。

legerそんな話を聞いて、3階の明治古典会の会場へ降りると、最終台に実に美しい本が載っていました。

Cendrars のテクストに Leger が絵をつけた美術本。
La fin du monde, Editions de la Sirene, 1919.
内容が見られるサイトを見つけましたのでご紹介します。
http://cdm.reed.edu/cdm4/artbooks/cendrars_leger.php

昨日出品されていたのは、原装ではなく、何色にも染め分けた革をコラージュのように貼り合わせて、原著の雰囲気を見事に再現した美装本。

それほど美麗に仕上げても、オリジナルとどちらが良いかというのは、コレクター心理からすると微妙なところでしょうか。しかし、こうなるともはや美術品。これはこれで「本じゃない」と言いたくなります。

※写真はhttp://www.kb.nl/bc/koopman/1919-1925/c02-en.htmlから

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2012年06月15日

明日はわが身

朝、店に着くと、隣のセブンイレブン前の車道との段差を、奥さんらしい女性の肩に両手をかけて、恐る恐る降りようとしている男性がいました。

文字通りの顔見知り。ご挨拶を交わしたことは一度もありませんが、お顔だけは毎日のようにお見かけしている方です。

毎朝、セブンイレブンの入口脇に設けられた喫煙所で、出勤前の一服。夜は夜で、こちらがちょうど店を閉めに表に出る時間、必ずといっていいほど同じ場所でタバコをふかしながら、赤い顔をしてアルコール飲料らしいアルミ缶を手にされているからです。

コンビニ前の煙はどういうわけか、いつも小店のほうへたなびいて来ることは以前も書きました。ですから実に有難くない方なのですが、ご家庭で喫煙が許されない、もしかしたら飲酒も許されないのかと、そのささやかな楽しみに、あまり目くじらを立てる気になれないでおりました。勝手な想像かもしれませんが。

年は40歳前後、スポーツマンタイプの体格の良い方です。それが、何があったのでしょう、今朝はそのまま百足競争のように奥方の背にすがって、そろそろと、おそらく駅の向こうの整形外科医院に向かって、歩いていかれました。

ですから今夜は店を閉める時にも、いつものタバコの煙に悩まされることはありませんでした。しかし、これまで以上に、同情を覚えています。とくに腰を傷めたとなると格別です。それは店主自身、腰に不安を抱えているからに他なりません。

このところ連日の物置倉庫の片付け作業に、CA3K0261店主の腰は果たして、耐え切れるでしょうか。まあ、長年の付き合いで、なんとなく限界は予測できるような気がしますから、だましだましやるしかありません。

コンビニ晩酌の彼は、おそらく勤め人。ダウンしても明日から困ることは無いでしょう。その点に限れば、小店主の方がよほど同情すべき境遇というわけです。

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2012年06月14日

懐かしい本の文庫化

由良君美先生の『みみずく偏書記』が文庫になったというのを、最後の由良ゼミ生のお一人であった、東大の准教授から聞きました。去る四月下旬、研究室に伺ってお引取りしてきた本のお代金を、今日受け取りに来られて、その折のお話です。

CA3K0276調べてみると、発行は5月9日(ちくま文庫)。新刊情報に疎いのは、今に始まったことではありませんが、アンテナ感度の鈍さに我ながらあきれます。他ならぬ由良先生のことだというのに。

もっとも准教授も事前に情報を得ていたわけではなく、出版に至る経緯についても、ご存じないとのことでした。もとより喜ばしいことには違いありませんが、気になるのは、誰が、どんな伝手を辿って、版権所有者の了解を取り付けたかです。

もうひとつ不思議なのは、解説を富山太佳夫さんが書かれていること。確かに、高山宏さんと共に、一番弟子ともいうべき方でしたから、その限りでは別に意外とはいえませんが、――ゴシップはゴシップに過ぎない、ということでしょうか。

この先、他の本も文庫化される予定があるのだとすると、その解説は、いったいどなたが書かれるのか。楽しみであるとともに、興味も尽きません。

ところで、文庫化によって元版の古書価は下がるでしょうか。そんなことにでもなれば、泉下の木兎斎先生、お怒りになること疑いなし。

ただし、先日古い書類を整理していたら、由良先生からいただいたはがきが出てきました。それがワープロで打たれたもの。思えば、かなり早い時期からの愛用者でした。出版のデジタル化までは、見据えておられたはずです。

とはいえ、書物の電子化まで、想像されていたかどうか。今、ご存命であったら、どんなご意見をお持ちだったか、伺って見たい気がします。単純に、新しいものを拒否される方ではありませんでしたから。

追記:ご指摘を受けるまで気づかず、あわてて先生のお名前を書き直しました。お恥ずかしい。(6月15日13:30pm)

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2012年06月13日

マクロ型古本屋

バリュー・ブックスという古本屋さんがあります。ネット買い入れの大手、ネット販売でも、今や大手と言って良いのではないでしょうか。

数年前、情報技術系の大学を卒業した数人の仲間で初め、今日に至ります。立ち上げて一年ほど経ってからだと思いますが、東京古書組合に加入されました。当時総務部理事であった小店主は、同僚とともに、新規加入の面接をいたしております。

その頃すでに、長野に倉庫を持ち、買い取った本の整理と、注文を受けた本の発送を行っているとのことでした。その発送点数を聞いた時、それではひたすら荷造り発送に追われているのではないかと、尋ねた覚えがあります。

当初から本を商材として捉え、いかに大量に流通させるかという部分にビジネスチャンスを見出していたようです。そして、その後の事業展開を見ていると、それなりに成功しているように見受けられます。

いわゆる古本屋といえば、一点一点の本に執着し、その一冊のかけがえのなさを商品化してきたものでした。そんなミクロの視点で、トリヴィアを競うのとは対極にある、マクロな発想といえるでしょう。その点ではB**O**と通じるものがありますが、異なるのはネットを武器としたことです。

現在、こうした形の古本屋さんは数多く生まれてきています。東京組合にも、新たに何軒か加入しました。今後の業界に、少なからぬ影響を及ぼすことでしょう。

ただ、面接した当事者として、残念なことがあります。それは、加入以後、市場を利用したり、組合事業に参加したりという姿勢が、殆ど見られないことです。面接時に、もう少し強くその点を伝えておくべきだったと反省しております。

CA3K0272マクロ型古本ビジネスが、今後どのような推移を辿るかは、業界人として気にはなります。しかし、彼らが果たして組合活動と折り合っていけるかどうかの方が、より切実な関心事ではあります。

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2012年06月12日

懐かしの銀座

CA3K0273何年振りでしょう。夜の銀座で時を過ごし、酔客の目立つ新橋駅から地下鉄で家にたどり着くと、日付が変わろうとしています。書き始めた時間に免じて、12日のブログとさせていただきます。

東京洋書会恒例の、年度末の懇親会でした。会食の場所が銀座『中納言』、活海老料理の店。終わってから、「たまには」と誘われ、懐かしい七丁目界隈の小さな店で二次会。

通りのそこここ、店の入るビルの入り口辺りに、昔と変わらぬ艶やかな「夜の蝶」たちの姿が見られましたが、その内実は大きく変わっていることでしょう。現に、かつて良く連れて行ってもらったいくつかの店は、悉く姿を消していました。

我々の二次会は、10人も入れば一杯の、殆どカラオケスナックといった風情のお店。ママと、もう一人の女性がカウンターの中に入っているだけ。男性6名女性2名、貸し切り状態で、楽しく飲み、語り、そして唄い。

東京組合の交換会規約の中に、会の目的として、市会の企画運営とともに、「会員の親睦をはかる」ということが明記されています。つまりこれも、れっきとした交換会の活動であるというわけ。言い訳じみますが。

「懐かしい七丁目」と書いたのは、その昔、もっぱらM書店の先代に、毎週のように連れて行ってもらったのが、この辺りだったからです。もちろん、誘われていくのですから、殆ど勘定を払うこともありませんでした。とても自腹では、通えないところです。

大店の旦那の遊びっぷりに、ただ目を丸くしているだけでしたが、そのMさんも、商売の不振を抱えていたことが、亡くなられて後、明らかになりました。

唯々諾々とお供するだけでなく、何か出来ることはなかったかと自責の念に駆られたりもしましたが、あれはあれで、あの人らしい生き方を通されたのだと、今では思っています。

午後からは上着を着ていても肌寒いような、雨の一日でした。

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2012年06月11日

ごまめの歯ぎしり

店から出て行く二人連れ学生さんの一人が、もう一人に向かって「Am*z*nがなければ買うんだけどな」と、いかにも残念そうに話す声が耳に届きました。

その時、無性に腹立たしい気分になったのに、自分でも驚きました。そして何故だろうかと考え、やがて気がつきました。

およそAm*z*nなどというものが蔓延って以来、自店の本に値を付ける際にも、その価格を参考にせざるを得なくなっています。そして、殆どの場合、そのサイトで買うより、安くお求めいただけるように、値をつけています。

つまり、小店にある大方の本はAm*z*nより安いか、Am*z*nなどでは売っていない本だということになります。

もちろん中には、品揃えのために、あまり安く出来ないものもあります。また、昔から店番を続けていて、時代に取り残された価格のままという本もあります。

そうした本は、気がつけばなるべく現在の相場にあわせるようにしていますが、ここでもAm*z*nを意識せざるを得ません。小店に限らず、値付けには、それくらい気を使っているのです。

その学生さんが、実際にある本をAm*z*nと較べてみて、小店の値が高いと、その場でお調べになったとは思えません。漠然とした思い込みで、賢い消費者ぶりを表明したまででしょう。

この店がなくなっては困るから、多少高くともここで買おう、などというご支援までは望みませんが、厳しい状況を生き抜くために、小売店が何の努力もしていないなどと思っておられるなら、それは世の中というものを知らなさ過ぎます。

ただ、本当に本を探し、本と接していく人なら、CA3K0274いずれそのあたりは理解していただけるでしょう。しかし、必要な時にネットで探すだけで事足りるという人に、その辺りを分かってもらうのは今後とも難しいかも知れません。そこが、なんとも腹立たしいのでした。

konoinfo at 20:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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