2013年02月
2013年02月18日
電話注文
「パソコンから注文しようとしたけれど、うまく行かなかったので」、あるいは「人から在庫があることを教えてもらったのだけれど、自分では注文できないので」といった理由で、2、3件続けて電話でのご注文を承りました。
こういうとき小店の場合、本を先にお送りするという頭で、「メールは送れませんか」とか、「ファックスはお出しになれますか」などと、ついくどくどとお尋ねしてしまいます。
考えてみれば、まず初めに「先に代金をお送りいただけますか」と伺えば、話は早いのです。お代を先に、とお願いして、それならやめるという方は、こうしたケースでは、あまりおいでにならないでしょう。メールだ、ファックスだは、それからでいい。
入金確認は、昔に較べれば格段に楽になっています。それはまた、送金も楽になっているということです。書籍代程度の金額であれば、ですが。
こんなことを今ごろになって気がつくというのは、なんとも間の抜けた話です。それというのも、そもそも「商品先送り方式」を掲げている以上、サービスは公平に、という思いが先に立ってしまうからかも知れません。
しかし、こちらがサービスのつもりで行っていることが、受ける側にとっては、送り手の都合としか見られないこともあるでしょう。
これに限らず、ついルーティンのなかに押し込めようとして、窮屈なことになっているものがあるかもしれません。常に頭を柔らかくして、様々な要求に対処していきたいものです。
先日参加した「日本の古本屋」実行委員会のセミナーで、いくつか導き出された今後の方針の一つに、デジタル弱者への対応を強化する、というものがありました。
ご自分ではコンピュータ検索ができない、注文ができない、という方々に対しても、もっと利用しやすい仕組みにすること。それは、「日本の古本屋」が研究すべき、重要な一つの課題であると思われるのです。
こういうとき小店の場合、本を先にお送りするという頭で、「メールは送れませんか」とか、「ファックスはお出しになれますか」などと、ついくどくどとお尋ねしてしまいます。
考えてみれば、まず初めに「先に代金をお送りいただけますか」と伺えば、話は早いのです。お代を先に、とお願いして、それならやめるという方は、こうしたケースでは、あまりおいでにならないでしょう。メールだ、ファックスだは、それからでいい。
入金確認は、昔に較べれば格段に楽になっています。それはまた、送金も楽になっているということです。書籍代程度の金額であれば、ですが。
こんなことを今ごろになって気がつくというのは、なんとも間の抜けた話です。それというのも、そもそも「商品先送り方式」を掲げている以上、サービスは公平に、という思いが先に立ってしまうからかも知れません。
しかし、こちらがサービスのつもりで行っていることが、受ける側にとっては、送り手の都合としか見られないこともあるでしょう。
これに限らず、ついルーティンのなかに押し込めようとして、窮屈なことになっているものがあるかもしれません。常に頭を柔らかくして、様々な要求に対処していきたいものです。
先日参加した「日本の古本屋」実行委員会のセミナーで、いくつか導き出された今後の方針の一つに、デジタル弱者への対応を強化する、というものがありました。
ご自分ではコンピュータ検索ができない、注文ができない、という方々に対しても、もっと利用しやすい仕組みにすること。それは、「日本の古本屋」が研究すべき、重要な一つの課題であると思われるのです。
2013年02月17日
For Morgan
模様替えに際し、裏に山積みにした中にあるはずの本に、昨夜、注文が入りました。
今日になって、一念発起、山を崩しながら本を探しました。幸いなことに、目指す本は見つかり、苦労は報われました。めでたしめでたし。
その作業のおまけというべきか、ポロリという莞爾で出てきた一冊のペーパーバックがあります。
Willard Manus, Mott the Hoople. Pinacle Books, 1980. というこの本、画像ではそれほど分かりませんが、スレとイタミ、背には折れ筋、本文ページも周囲へ行くほど茶色いヤケが目立ちます。
そのまま、表の均一棚に出してしまいそうな本です。それがなぜ、大事そうに(でもないか)裏に仕舞い込んであったのでしょう。
それは、ふと開いたタイトルページに黒のボールペンで、次のような文言が書き込まれていたからです。
For Morgan, With immense affection + admiration.
Will Manus 2/7/94 "Long Live Mott"
そもそもこの本を見たときに、まず引っかかるのはタイトルです。今や覚えている人は少ないかもしれませんが、英国のロックバンドの名として、それでも、この著者の名前よりは、よほど知られている筈です。店主の記憶にも残っていました。
ところが調べてみたところ、そのバンド名は、まさにこの本のタイトルから取られたというのです。そして著者も、それなりに知られた人らしい。
試みに販売サイトを検索してみましたが、この本、この版でも案外良い値段が付いています。
それにしても不思議なのは、どこをどう巡って小店にたどり着いたのか。今となっては、直接手に入った経緯も思い出せません。
さらに気になったのは、冒頭の Morgan。Wikipedia によれば、メンバーのピアニスト Morgan Fisher は、1985年以来、日本に住んでいるとか。もちろん、その先は想像してみるばかりです。
今日になって、一念発起、山を崩しながら本を探しました。幸いなことに、目指す本は見つかり、苦労は報われました。めでたしめでたし。
その作業のおまけというべきか、ポロリという莞爾で出てきた一冊のペーパーバックがあります。
Willard Manus, Mott the Hoople. Pinacle Books, 1980. というこの本、画像ではそれほど分かりませんが、スレとイタミ、背には折れ筋、本文ページも周囲へ行くほど茶色いヤケが目立ちます。
そのまま、表の均一棚に出してしまいそうな本です。それがなぜ、大事そうに(でもないか)裏に仕舞い込んであったのでしょう。
それは、ふと開いたタイトルページに黒のボールペンで、次のような文言が書き込まれていたからです。
For Morgan, With immense affection + admiration.
Will Manus 2/7/94 "Long Live Mott"
そもそもこの本を見たときに、まず引っかかるのはタイトルです。今や覚えている人は少ないかもしれませんが、英国のロックバンドの名として、それでも、この著者の名前よりは、よほど知られている筈です。店主の記憶にも残っていました。
ところが調べてみたところ、そのバンド名は、まさにこの本のタイトルから取られたというのです。そして著者も、それなりに知られた人らしい。
試みに販売サイトを検索してみましたが、この本、この版でも案外良い値段が付いています。
それにしても不思議なのは、どこをどう巡って小店にたどり着いたのか。今となっては、直接手に入った経緯も思い出せません。
さらに気になったのは、冒頭の Morgan。Wikipedia によれば、メンバーのピアニスト Morgan Fisher は、1985年以来、日本に住んでいるとか。もちろん、その先は想像してみるばかりです。
2013年02月16日
監視の網にかかる
「警視庁放置駐車対策センター」というところから、封書が届きました。
身に覚えが無いわけではありません。先日、宅買いに伺った折に、近くのコインパークが一杯だったので、取りあえずそのお宅の前に車を止めました。
30分ほどお話しておりましたでしょうか、やはり気になるので車の様子を見に出ますと、フロントガラスに黄色い紙が貼り付けてあります。
住宅地の裏道です。休日でもあり、車線のない両面通行の道ですが、ほとんど車の通る様子は見られません。気にはしながらもまさかと思っておりました、その「まさか」が起きたわけです。
貼り付けられた紙には、何時何分から何時何分までと印字され、「あなたの車は(8分間)放置されていた」というご託宣です。
「放置車両とは、違法駐車と認められる車両で、運転者がその車両を離れて直ちに運転することができない状態にあるもの」で、駐車時間の長短は問わないと、届いた文書に書かれています。
しかしおおむね5分間を超えて、放置されている場合に「直ちに運転することができない状態」と認定されるようです。
このあたりが、なんとも理解できない理屈です。「どけてほしい」と言われて5分以上かかるというのであれば、それは放置と言われても仕方がない。もちろん、一声も掛けられてはおりません。少なくとも、塀一つ隔てて聞こえるような声では。
これについては、逆のケースをよく目の当たりにしてきました。
小店の前の通りは一方通行で道幅も狭く、両側の建物にはそれぞれ駐車場が道に面していて、その前に車を止められると迷惑この上ない。
しかし時おり長時間止めたままにしている車があり、近所の人が通報したりすることがあります。そんな場合、パトカーが来てマイクを使って大きな声で「直ちに移動しなさい」などとやります。
5分を超えて移動しないことは、何度もありました。しかし、反則切符を切った例は数えるほどしか見ていません。
まあ彼らは、おカミに愛でられし人々であったのでしょう。
身に覚えが無いわけではありません。先日、宅買いに伺った折に、近くのコインパークが一杯だったので、取りあえずそのお宅の前に車を止めました。
30分ほどお話しておりましたでしょうか、やはり気になるので車の様子を見に出ますと、フロントガラスに黄色い紙が貼り付けてあります。
住宅地の裏道です。休日でもあり、車線のない両面通行の道ですが、ほとんど車の通る様子は見られません。気にはしながらもまさかと思っておりました、その「まさか」が起きたわけです。
貼り付けられた紙には、何時何分から何時何分までと印字され、「あなたの車は(8分間)放置されていた」というご託宣です。
「放置車両とは、違法駐車と認められる車両で、運転者がその車両を離れて直ちに運転することができない状態にあるもの」で、駐車時間の長短は問わないと、届いた文書に書かれています。
しかしおおむね5分間を超えて、放置されている場合に「直ちに運転することができない状態」と認定されるようです。
このあたりが、なんとも理解できない理屈です。「どけてほしい」と言われて5分以上かかるというのであれば、それは放置と言われても仕方がない。もちろん、一声も掛けられてはおりません。少なくとも、塀一つ隔てて聞こえるような声では。
これについては、逆のケースをよく目の当たりにしてきました。
小店の前の通りは一方通行で道幅も狭く、両側の建物にはそれぞれ駐車場が道に面していて、その前に車を止められると迷惑この上ない。
しかし時おり長時間止めたままにしている車があり、近所の人が通報したりすることがあります。そんな場合、パトカーが来てマイクを使って大きな声で「直ちに移動しなさい」などとやります。
5分を超えて移動しないことは、何度もありました。しかし、反則切符を切った例は数えるほどしか見ていません。
まあ彼らは、おカミに愛でられし人々であったのでしょう。
2013年02月15日
二本の映画
BSで放送された古い日本映画を二本、二晩続けて見ました。録画しておいたものです。それぞれに感銘が深かったので、そのことを少しばかり。
ひとつは『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』(監督・今井正、1962年)。もうひとつは『マダムと女房』(五所平之助、1931年)。
それぞれの映画についてはネット上にも情報が溢れていますので、あくまで、店主が感じ入った部分がどこであるかを、お伝えしたいと思います。
『お婆ちゃん』については、何よりその年齢設定。ミヤコ蝶々(当時41歳)が演じた役は65歳、北林谷栄(当時50歳)は72歳。老け役を演じる上で誇張があったのか、しかし監督がそれを認めているのだから、当時の感覚としては普通なのか、今なら殆ど超高齢者という演技。とにかく驚きました。
とはいえ、出演者の顔ぶれは錚々たるもの。オープニングのクレジットを見ているだけでワクワクしました。『お婆ちゃん』たちばかりでなく『お爺ちゃん』のほうだって、なかなかです。
そのオールスターキャストそれぞれに「しどころ」を与えている脚本(水木洋子)も、さすがだと思いました。
主な舞台は浅草。その風物も興味深いのですが、途中で聞こえてきた「じんじろげ」(森山加代子)、これでいきなり50年前に連れて行かれたのでした。
さて、その『お婆ちゃん』にも出ていた渡辺篤が33歳のときに、主役の劇作家を演じたのが『マダム』です。女房役は田中絹代(当時22歳)。
この映画の見どころは、第一にモガ、モボ、ジャズといった日本のモダニズムが、同時代の風俗として描かれている点。第二は開発途上の田園調布の、草深い風景。
劇作家の家なので、当然、書棚があり、本が積まれていたりもするのですが、そのタイトルを見分けられるほど鮮明な映像ではなかったのが、やむをえないことながら、残念な点でした。
ひとつは『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』(監督・今井正、1962年)。もうひとつは『マダムと女房』(五所平之助、1931年)。
それぞれの映画についてはネット上にも情報が溢れていますので、あくまで、店主が感じ入った部分がどこであるかを、お伝えしたいと思います。
『お婆ちゃん』については、何よりその年齢設定。ミヤコ蝶々(当時41歳)が演じた役は65歳、北林谷栄(当時50歳)は72歳。老け役を演じる上で誇張があったのか、しかし監督がそれを認めているのだから、当時の感覚としては普通なのか、今なら殆ど超高齢者という演技。とにかく驚きました。
とはいえ、出演者の顔ぶれは錚々たるもの。オープニングのクレジットを見ているだけでワクワクしました。『お婆ちゃん』たちばかりでなく『お爺ちゃん』のほうだって、なかなかです。
そのオールスターキャストそれぞれに「しどころ」を与えている脚本(水木洋子)も、さすがだと思いました。
主な舞台は浅草。その風物も興味深いのですが、途中で聞こえてきた「じんじろげ」(森山加代子)、これでいきなり50年前に連れて行かれたのでした。
さて、その『お婆ちゃん』にも出ていた渡辺篤が33歳のときに、主役の劇作家を演じたのが『マダム』です。女房役は田中絹代(当時22歳)。
この映画の見どころは、第一にモガ、モボ、ジャズといった日本のモダニズムが、同時代の風俗として描かれている点。第二は開発途上の田園調布の、草深い風景。
劇作家の家なので、当然、書棚があり、本が積まれていたりもするのですが、そのタイトルを見分けられるほど鮮明な映像ではなかったのが、やむをえないことながら、残念な点でした。
2013年02月14日
五ヵ月後の買取
表でお選びの本二冊を帳場までお持ちになった、店主と同年輩の男性。合計額を申し上げますと、にこやかな表情で「で、あれはどうなりました?」とお尋ねになります。
「あれ?何のことでしたっけ?」「ほら、前に持ち込んだ」
そう言われてもまだ思い出せません。お客様の方でも書名は思い出せないようで、「何冊もあって、大きな、中国の…」
「ああ!書道全集!」「そうそう、それ」
ようやく思い出しました。初めに一冊か二冊、店に持ってこられて「多分揃っていると思うけど、どんなもんですか」
重さの割に値にならないなどと、はかばかしくないお返事をした筈です。それでもう、断念されたかと思っていたら、別の日の閉店間際に車に積んで来られ「置いていくから」と、店の前に降ろしていかれました。
お名前も仰らず、それっきりご連絡もなく、こちらもいつしか忘れてしまいました。本の方は、場所塞ぎですから、しばらくしてルート便で市場に運んでもらい、売ってしまったはずです。
「いつごろのことでした?」「さあ、ふた月くらいまえかな?」「寒い時でしたか?」「もう少し前かな?」
市場で売ったものなら記録が残っております。遡って過去の売買記録を調べてみたところ、幸いなことに「書道全集」という題名で、売上が記録されていました。
それが昨年10月初旬の明治古典会。つまりお持ちになったのは9月のこと、まだ暑かったという記憶が甦ってきました。
ともあれ売上金額をお伝えし、だからいくらお支払いいたしますと申し上げ、ご了解いただいて、改めて「買受確認票」にご記入をお願いしました。
お買上げの本の代金を差し引いた金額をお渡しし、これで一件落着というわけですが、「いや、すっかり忘れてましたよ」と申し上げますと、相変わらずにこやかに「私も忘れてました」。
「あれ?何のことでしたっけ?」「ほら、前に持ち込んだ」
そう言われてもまだ思い出せません。お客様の方でも書名は思い出せないようで、「何冊もあって、大きな、中国の…」
「ああ!書道全集!」「そうそう、それ」
ようやく思い出しました。初めに一冊か二冊、店に持ってこられて「多分揃っていると思うけど、どんなもんですか」
重さの割に値にならないなどと、はかばかしくないお返事をした筈です。それでもう、断念されたかと思っていたら、別の日の閉店間際に車に積んで来られ「置いていくから」と、店の前に降ろしていかれました。
お名前も仰らず、それっきりご連絡もなく、こちらもいつしか忘れてしまいました。本の方は、場所塞ぎですから、しばらくしてルート便で市場に運んでもらい、売ってしまったはずです。
「いつごろのことでした?」「さあ、ふた月くらいまえかな?」「寒い時でしたか?」「もう少し前かな?」
市場で売ったものなら記録が残っております。遡って過去の売買記録を調べてみたところ、幸いなことに「書道全集」という題名で、売上が記録されていました。
それが昨年10月初旬の明治古典会。つまりお持ちになったのは9月のこと、まだ暑かったという記憶が甦ってきました。
ともあれ売上金額をお伝えし、だからいくらお支払いいたしますと申し上げ、ご了解いただいて、改めて「買受確認票」にご記入をお願いしました。
お買上げの本の代金を差し引いた金額をお渡しし、これで一件落着というわけですが、「いや、すっかり忘れてましたよ」と申し上げますと、相変わらずにこやかに「私も忘れてました」。
2013年02月13日
切り捨てられる部分
グラシン紙のストックが残り少なくなってきました。
棚に差しておくと傷みやすいカバーや帯を保護するのに、重宝しています。
あるいは、ヤケたり擦れたりした函や表紙も、グラシン紙で覆うといくらか見栄えがよくなるので、注文を受けた本がそんな状態の時には、お送りする際、なるべく掛けるようにしています。
もちろん、状態は正直にお伝えしたうえでです。
さてそのグラシン紙が、いつの間にか底をつきはじめました。前に仕入れたのは何時のことだったでしょう。一度に半連(500枚)のグラシン紙を4裁にしてもらうので、2000枚。これを使い切るのに、何年かかっているでしょうか。
それはともかくとして、昔から毎回頼んできた紙業店に注文する前に、ネットで頼めるかどうか調べてみました。
すると当然のように、包装資材のサイトが見つかり、断裁も発送もしてくれることが分かりました。あとは価格の問題です。
前に頼んだ時の価格など覚えているはずもなく、現在はまた変わっているかもしれません。大差なければ、これまでの馴染みの店にお願いしようと、電話を掛けました。
出たのは若い男性の店員さん。そのマニュアルっぽい応対に不安を感じて「今でもグラシン紙の断裁はやっておられますか」と尋ねると「暫くお待ちください」。
近くの誰かに訊いたのか、直に「すいません、今はもうやっておりません」という答えが返ってきました。
このお店、もともとは商店相手の包装用品の卸屋さんだったのが、何時ごろからか小売を初め、やがて一般客も利用できるパッケージ用品販売店に変わってきました。
その過程において切り捨てられる営業部門があったとしても、それは生き残りのためのやむを得ない選択。充分すぎるほど理解できる理屈です。
棚に差しておくと傷みやすいカバーや帯を保護するのに、重宝しています。
あるいは、ヤケたり擦れたりした函や表紙も、グラシン紙で覆うといくらか見栄えがよくなるので、注文を受けた本がそんな状態の時には、お送りする際、なるべく掛けるようにしています。
もちろん、状態は正直にお伝えしたうえでです。
さてそのグラシン紙が、いつの間にか底をつきはじめました。前に仕入れたのは何時のことだったでしょう。一度に半連(500枚)のグラシン紙を4裁にしてもらうので、2000枚。これを使い切るのに、何年かかっているでしょうか。
それはともかくとして、昔から毎回頼んできた紙業店に注文する前に、ネットで頼めるかどうか調べてみました。
すると当然のように、包装資材のサイトが見つかり、断裁も発送もしてくれることが分かりました。あとは価格の問題です。
前に頼んだ時の価格など覚えているはずもなく、現在はまた変わっているかもしれません。大差なければ、これまでの馴染みの店にお願いしようと、電話を掛けました。
出たのは若い男性の店員さん。そのマニュアルっぽい応対に不安を感じて「今でもグラシン紙の断裁はやっておられますか」と尋ねると「暫くお待ちください」。
近くの誰かに訊いたのか、直に「すいません、今はもうやっておりません」という答えが返ってきました。
このお店、もともとは商店相手の包装用品の卸屋さんだったのが、何時ごろからか小売を初め、やがて一般客も利用できるパッケージ用品販売店に変わってきました。
その過程において切り捨てられる営業部門があったとしても、それは生き残りのためのやむを得ない選択。充分すぎるほど理解できる理屈です。
2013年02月12日
ライブの活気
洋書会。当番ではありませんが、出品がカーゴ2台ありましたので、その仕分けに、と午前中から市場に出かけました。
しかし11時前についてみると、もう大方仕分けが出来ていて、若干見直しをする程度で済んでしまいました。これでは、ただお昼をいただきに来たようなもの。
いささか責任も感じ、自分の出品に頑張って札を入れたところ、半分くらいを買い引く結果になりました。それでも、全体でたいした金額にはなりません。予想したことではありますが、お預かりした先に、ご報告し辛い数字です。
「自分の出品に札を入れる」というのを、不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかしこれは入札のルールにおいて、正当に認められた権利です。
入札だから許される、というべきでしょうか。つまり一人の競争者として、同等に参加するわけだからです。
これが競りだと、そうは行きません。相手の買い気を見定めながら、どんどん値を吊り上げるようなことになれば、正常な取引きが損なわれるでしょう。
入札と、競りとには、この点に限らず一長一短があって、競りのほうが優れている点も多々あります。今でも口競り(振り市)を行っているのは、我が組合では一部の地区市だけになりましたが、本部の交換会でも、時に応じ、積極的に採用してみる価値はあると思います。
なんとなく停滞感が漂う昨今にあって、ライブの緊張感を上手く持ち込めば、活気を生み出すことが出来るかもしれません。
もちろん、簡単に出来ることではありません。すでに「失われた伝統」となっている部分も多いですから。しかし、何も昔の振り市をそのまま復活させるのではなく、今だからこそ出来る新たな手法を、考え出してみるのも無駄ではない気がします。
しかし11時前についてみると、もう大方仕分けが出来ていて、若干見直しをする程度で済んでしまいました。これでは、ただお昼をいただきに来たようなもの。
いささか責任も感じ、自分の出品に頑張って札を入れたところ、半分くらいを買い引く結果になりました。それでも、全体でたいした金額にはなりません。予想したことではありますが、お預かりした先に、ご報告し辛い数字です。
「自分の出品に札を入れる」というのを、不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかしこれは入札のルールにおいて、正当に認められた権利です。
入札だから許される、というべきでしょうか。つまり一人の競争者として、同等に参加するわけだからです。
これが競りだと、そうは行きません。相手の買い気を見定めながら、どんどん値を吊り上げるようなことになれば、正常な取引きが損なわれるでしょう。
入札と、競りとには、この点に限らず一長一短があって、競りのほうが優れている点も多々あります。今でも口競り(振り市)を行っているのは、我が組合では一部の地区市だけになりましたが、本部の交換会でも、時に応じ、積極的に採用してみる価値はあると思います。
なんとなく停滞感が漂う昨今にあって、ライブの緊張感を上手く持ち込めば、活気を生み出すことが出来るかもしれません。
もちろん、簡単に出来ることではありません。すでに「失われた伝統」となっている部分も多いですから。しかし、何も昔の振り市をそのまま復活させるのではなく、今だからこそ出来る新たな手法を、考え出してみるのも無駄ではない気がします。
2013年02月11日
つけこむ
中年のご夫婦連れ。「あのー」と片手にスマホを乗せて、もう一方の手の指で画面を送りながら、ご主人が言葉を継がれます。
「『山本周五郎のヒーローたち』という本はありますか?」こちらが不可解な顔になったのでしょうか、さらに続けて「聞いたことありませんか?」
「ウチに入ってきたという記憶はありませんね。何かでお調べになりましたか?」「いえまだ」「この手の本は、ネットで探すほうが早いと思いますよ」
そう言いながら手元のパソコンで、まずはA社のサイトを調べてみました。すると、出ました一件。しかしその価格を見てビックリ、39700円!一点だけの出品です。慌てて「日本の古本屋」も見てみましたが、こちらには在庫が見つかりませんでした。
思わずご夫婦のお顔を見つめ、「何かでこの本のことを聞かれたのですか?」とお尋ねしました。すると――
「NHKのテレビで高倉健さんが、愛読書だといって紹介されていたのです」
「…そうですか。だとしたら、今お探しになるのは難しいかもしれません。何か、とんでもない値段の本しか見つかりませんから」
お二人が、苦笑しながらお帰りになったあと、改めて調べてみますと、この本『男としての人生 : 山本周五郎のヒーローたち』(木村久迩典、グラフ社、1982)は、その後2010年に『山本周五郎が描いた男たち』と改題し復刊されています。しかし、そちらも今や、入手困難。
だからといって、仮に手に入ったとしても、A社サイトの出品者のような値段が、プロの本屋に付けられるでしょうか。
そんな思いで、在庫の値付けをしておりましたところ、外国のサイトで似たような例に遭遇しました。それが本書。もっともこちらは、限られた方にしか必要とされない資料で、似ているのはビックリするような価格という点だけ。
しかし、幾らに付けたら良いものか。
「『山本周五郎のヒーローたち』という本はありますか?」こちらが不可解な顔になったのでしょうか、さらに続けて「聞いたことありませんか?」
「ウチに入ってきたという記憶はありませんね。何かでお調べになりましたか?」「いえまだ」「この手の本は、ネットで探すほうが早いと思いますよ」
そう言いながら手元のパソコンで、まずはA社のサイトを調べてみました。すると、出ました一件。しかしその価格を見てビックリ、39700円!一点だけの出品です。慌てて「日本の古本屋」も見てみましたが、こちらには在庫が見つかりませんでした。
思わずご夫婦のお顔を見つめ、「何かでこの本のことを聞かれたのですか?」とお尋ねしました。すると――
「NHKのテレビで高倉健さんが、愛読書だといって紹介されていたのです」
「…そうですか。だとしたら、今お探しになるのは難しいかもしれません。何か、とんでもない値段の本しか見つかりませんから」
お二人が、苦笑しながらお帰りになったあと、改めて調べてみますと、この本『男としての人生 : 山本周五郎のヒーローたち』(木村久迩典、グラフ社、1982)は、その後2010年に『山本周五郎が描いた男たち』と改題し復刊されています。しかし、そちらも今や、入手困難。
だからといって、仮に手に入ったとしても、A社サイトの出品者のような値段が、プロの本屋に付けられるでしょうか。
そんな思いで、在庫の値付けをしておりましたところ、外国のサイトで似たような例に遭遇しました。それが本書。もっともこちらは、限られた方にしか必要とされない資料で、似ているのはビックリするような価格という点だけ。
しかし、幾らに付けたら良いものか。
2013年02月10日
モーとモウ
三連休、店は暇。古い文庫を整理していて、ふと改めて気になったことがありました。Maupassant の日本語表記です。
岩波の、すっかりヤケた旧版文庫の中に、彼の著作が14点(15冊)ありました。『岩波文庫解説総目録1927〜1996』によると、全部で18点(20冊)ですから、まだ少し足りない。
もっとも揃ったからといって、コレクションになるような状態ではありません。さらに、格別手に入れにくい巻があるわけでもなさそうです。言い換えれば、昭和の前半を通じて良く売れた、人気作家だったということでしょう。
ところでその著者表記が、モーパッサンとモウパッサンの二種類あります。奥付の初版年を調べてみた結果、凡そ旧式なのがモウで、新しいのがモーであると分かりました。
ちなみモウ派は吉江喬松、前田晁の両氏。モー派が登場するのは、杉捷夫、河盛好蔵、水野亮の諸氏による昭和10年代の翻訳からのようです。
岩波では表記をモーに統一する方向に進んだらしく、前田訳の改版が出たときには、モーに直されていました。
しかしここに、さらに一派、モオ派が存在することに気づきました。著者「モオパッサン」で webcat を検索したところ、岸田國士、青柳瑞穂、大塚幸男他の諸氏が、この表記を採用されています。
こちらは大正期の後藤末雄から、戦後1951年の木村庄三郎まで命脈を保ったものの、その木村氏がその後の岩波文庫ではモー派に改宗。ここにほぼ、表記は統一されたかに思われます。
もちろんいい加減な考証ですから、あてにはなりません。
などということをしているうち、wikipedia を通じ、「モーパッサンを巡って」というサイトにたどり着きました。
そこに引用されていた芥川の文章から、彼がモオパスサンという表記を使っていたと知りました。
ギョエテに負けておりません。
岩波の、すっかりヤケた旧版文庫の中に、彼の著作が14点(15冊)ありました。『岩波文庫解説総目録1927〜1996』によると、全部で18点(20冊)ですから、まだ少し足りない。
もっとも揃ったからといって、コレクションになるような状態ではありません。さらに、格別手に入れにくい巻があるわけでもなさそうです。言い換えれば、昭和の前半を通じて良く売れた、人気作家だったということでしょう。
ところでその著者表記が、モーパッサンとモウパッサンの二種類あります。奥付の初版年を調べてみた結果、凡そ旧式なのがモウで、新しいのがモーであると分かりました。
ちなみモウ派は吉江喬松、前田晁の両氏。モー派が登場するのは、杉捷夫、河盛好蔵、水野亮の諸氏による昭和10年代の翻訳からのようです。
岩波では表記をモーに統一する方向に進んだらしく、前田訳の改版が出たときには、モーに直されていました。
しかしここに、さらに一派、モオ派が存在することに気づきました。著者「モオパッサン」で webcat を検索したところ、岸田國士、青柳瑞穂、大塚幸男他の諸氏が、この表記を採用されています。
こちらは大正期の後藤末雄から、戦後1951年の木村庄三郎まで命脈を保ったものの、その木村氏がその後の岩波文庫ではモー派に改宗。ここにほぼ、表記は統一されたかに思われます。
もちろんいい加減な考証ですから、あてにはなりません。
などということをしているうち、wikipedia を通じ、「モーパッサンを巡って」というサイトにたどり着きました。
そこに引用されていた芥川の文章から、彼がモオパスサンという表記を使っていたと知りました。
ギョエテに負けておりません。
2013年02月09日
思わぬ思い出話
よく晴れた好天、しかし気温は低く、風は身を切るよう。
午前中、お約束してあった宅買いに。このところ、少しばかり立て続けにご用命があり、ありがたい限りですが、今日のお客様は古くからのお得意様。といっても、これまでは、もっぱらお買い上げいただいていた方で、ご本人の弁によれば「そろそろ片付けなければ…」。
小店ばかりでなく、方々の店を回っておられ、即売展でも、良く両手に袋を提げてお帰りになる姿を拝見しますので、多くの同業が存じ上げている方です。
小店をご指名いただいたのは、いろいろとお考えの末だったようですが、小店としても考えた末、買取ではなく、お預かりして一旦市場に出すということで、ご了解をいただきました。
お宅は市川市。距離はともかく、今回ご整理になるのは約300冊ほど、ただし大型の辞典類が数十冊含まれるということで、小店の車では運べません。組合出入りの運送屋さんに、トラックを廻していただくことにして、電車に乗って現地に向かいました。
小店からは比較的電車の便が良く、ドアツードアで約一時間。本の積み込みはほとんど運送屋さんにやっていただき、20分ほどで済んでしまいました。トラックはその足で古書会館へ。今度の洋書会に出品の予定です。
「寒かったでしょう、お茶だけでも」と部屋にあげてくださり、奥様と三人で、しばらくお話をさせていただきました。
あれこれと話題が移るうちに、ふとしたことから、奥様が天誠書林の和久田さんとお知り合いだったことが分かりました。何でも昔、同じ先生から篆刻を学ばれたらしいのです。
思わぬところで、和久田さんの思い出話を交わすことになりました。篆刻を習われていたことは初耳でしたが、お返しに、天誠さんがピアノを弾かれたという話をご披露すると、「それは知りませんでした」と喜んでくださいました。
気がつくと20分ほども経っていて、お昼前のことでもあり、長居をお詫びして引き上げてまいりました。
午前中、お約束してあった宅買いに。このところ、少しばかり立て続けにご用命があり、ありがたい限りですが、今日のお客様は古くからのお得意様。といっても、これまでは、もっぱらお買い上げいただいていた方で、ご本人の弁によれば「そろそろ片付けなければ…」。
小店ばかりでなく、方々の店を回っておられ、即売展でも、良く両手に袋を提げてお帰りになる姿を拝見しますので、多くの同業が存じ上げている方です。
小店をご指名いただいたのは、いろいろとお考えの末だったようですが、小店としても考えた末、買取ではなく、お預かりして一旦市場に出すということで、ご了解をいただきました。
お宅は市川市。距離はともかく、今回ご整理になるのは約300冊ほど、ただし大型の辞典類が数十冊含まれるということで、小店の車では運べません。組合出入りの運送屋さんに、トラックを廻していただくことにして、電車に乗って現地に向かいました。
小店からは比較的電車の便が良く、ドアツードアで約一時間。本の積み込みはほとんど運送屋さんにやっていただき、20分ほどで済んでしまいました。トラックはその足で古書会館へ。今度の洋書会に出品の予定です。
「寒かったでしょう、お茶だけでも」と部屋にあげてくださり、奥様と三人で、しばらくお話をさせていただきました。
あれこれと話題が移るうちに、ふとしたことから、奥様が天誠書林の和久田さんとお知り合いだったことが分かりました。何でも昔、同じ先生から篆刻を学ばれたらしいのです。
思わぬところで、和久田さんの思い出話を交わすことになりました。篆刻を習われていたことは初耳でしたが、お返しに、天誠さんがピアノを弾かれたという話をご披露すると、「それは知りませんでした」と喜んでくださいました。
気がつくと20分ほども経っていて、お昼前のことでもあり、長居をお詫びして引き上げてまいりました。