2013年04月

2013年04月30日

coincidence

4月も今日で終わり。年に何度もない5回フルという洋書会の当番も、ようやくおしまい。というわけでお昼は恒例のうな重。

昼食をとりながらの話題は、あと三週間に迫った洋書会大市の目録版下が出来上がったので、もっぱらそれについて。

この数回、決まって出していただいていた、地方からの挿絵本の口が今回はお休み。代わって、明治初期の経済、思想文献の日本書一口が、大きな割合を占めています。そのため全体に地味な出来栄えになりました。

しかし最近、こうした明治文献は、明治古典会はもとより他の会でもあまり見かけません。洋書会としては、どんな業者が来て、どんな札を入れるか、楽しみでもあります。

RIMG0221今日の出品は、連休の谷間とあって、量的にはやや寂しいものでした。しかし二件の一口ものがあり、そのうち一件はアメリカ文学研究の大御所とも言うべき先生の蔵書とやらで、筋は良さそう。

ただ、珍しい全集もありましたが、揃っていなかったり、書入れがあったりして、専門店は入札に頭を悩ましておりました。

荷主さんの話では、あまりに蔵書が大量であるため、とりあえず片付け始めている状態だそうで、揃い物の欠本についても、いずれは出てくるかもしれないが、いつになるかは分からず、とっておくことも出来ないとか。

そこまでの情報が公平に明らかにされれば、あとの入札は各自の判断。したがって本日の落札価格が高かったか、安かったかは、今後の推移で決まるというわけです。

ところで店主は、この口については殆ど蚊帳の外でしたが、ある偶然に驚かされました。というのも、やがて明らかになったこの蔵書の主。その方の書いた自伝的な本を最近入手して、ちょうど昨日、それを開いて拾い読みを始めたところだったからです。

実のところ、今日にもこのブログでご紹介しようかと思っておりました。しかしながら、ご蔵書の処分と言う話題と一緒というのも気が引けます。いずれ日を改めてということにいたしましょう。

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2013年04月29日

本というモノ

RIMG0225表は日差しがあって、歩いている人もずいぶん軽装が目立ちますが、帳場に座っているとシャツだけでは肌寒く、薄いセーターを重ね着しました。

今日も穏やかな晴れで、休日の散歩を楽しんでいるご夫婦連れが目立ちます。そのうちの何組かは店内にも入って来られますが、日ごろあまりお見掛けしないお顔が多く、珍しそうに一回りすると、さっさとお帰りになります。

不思議なもので、お一人の場合は、たまたま立ち寄られても何かを見つけ、お買上げいただくことがありますが、お連れがある場合は、初めから本屋に寄ることを目的にされていないと、まず滅多にお買い上げはありません。

「あ、この店行ったことある」と、表の雑誌をパラパラご覧になっていた奥様。しばらくそれを話題にお話が弾み、「買ってく?」とご主人。「いい、古いもん」。それで一件落着。

それでもこの連休中、これまで小店をご存知なかったような方々に店の存在を知っていただくだけでも、開けている意味はある、と思いたいですね。

雑貨のコーナーに本も一緒に並べていますので、雑貨感覚で本に触れるお客様もおいでになります。古本屋のオヤジとしては、つい声を掛けたくなるようなこともありますが、じっと我慢。

すると、思いがけずお買い上げいただくことがあったりして驚かされ、またひとつ学習するわけです。本としてでなく、グッズとしてお買い上げになるお客様だっておいでだと。

若い方だけではありません。先日は店主より年輩の男性が、しばらく革装の本をあれこれとご覧になった上、二冊をお買上げくださいました。高価なものではありませんが。

そして近くに積んであるやはり背革装の本を指して「これは何の本ですか」。そのお尋ねのされ方からして、お読みになるために二冊をお求めになったのではないと分かりました。

小店としては、一向に不服はございません。第一、店主にしたところで、読めない本を売っているのですから。

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2013年04月28日

いま聞きたい『読書術』

確かあったはずだと思っていた本が、我が家の本棚に見つかりました。加藤周一『頭の回転をよくする 読書術』(光文社、昭37)です。早速取り出して、読み直してみました。

イメージ (122)さすがに明晰で、書かれてあることはいちいち腑に落ちます。あっという間に読み終えました。それも当然でしょう、著者自身が「この本は、いわば本という相手に対して、わたしが用いてきた『読書術』のあの手、この手を、だれにもわかりやすく、書いた」と言っておられるのですから。

あえて、ハウツー本の体裁をとり、本文中にくだけた雰囲気の挿し絵(金森馨)まで入れて、いかにも万人向けの作りになっていますが、書かれている内容は、加藤さん一流の読書哲学とも言うべきものに裏打ちされていることが、十分に感じ取れます。

その作りの効果もあってか、店主の手元にある本は、初版(10月25日)発行から2週間の11月10日付で、第14版と表記されています。ベストセラーを連発していたカッパブックスの、売り方のうまさもあったことでしょう。

しかし読んでいて、次第に欲求不満が募ってきました。できることなら今、この時点での「読書術」を聴いてみたいという。

すなわち電子媒体を通して読むことと、紙の本を読むことと、その二つの読書にどのような違いがあり、どんな使い分けがありうるのか。そんな話を、きっと明瞭に説いていただけたのではないかと思うのです。

今の時代に居られたら、加藤さんご自身の読書は、紙と電子と、はたしてどんな割合になっていたでしょう。少なくとも電子媒体を拒否するというような方ではなさそうな気がするだけに、とても興味のあるところです。

同様に、加藤さんの本にも取り上げられていた、一月に一万ページ読破というノルマを自らに課したという杉浦明平さん。偶然にも小店の均一棚に、『本・そして本 読んで書いて五十年』(筑摩書房、1986年)があって、そのなかに「一月・一万ページ」という一文(同「改訂の記」も)が見つかりました。

杉浦さんにも伺ってみたかった。電子ブックでは、一万ページを実感しにくいからイヤだ、とおっしゃったでしょうか。

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2013年04月27日

語るお客様

「このペリカン××××(型番を仰ったようです)は、売り物ですか?」「そうです」「中古品なんですか?」「いえ、新品です」「なるほど、ちょっと魅かれるな。まだペリカンは使ったことがないんです」「お詳しそうですね」

最後の一言が引き金になったのでしょうか。曰く、パーカーやシェーファーなどアメリカの万年筆はペン先が固い。ドイツと日本は柔らかい。日本字を書くには、セーラーのフラッグシップモデル、プロフィット21が一番適している、ボールペンならスイスのカランダッシュが最後の一滴までスムーズに書ける…。

RIMG0217「ステーショナリーは面白いですよね」と水を向けられても、これでは店主、うっかり相槌も打てません。「頼まれて置いているだけですので」と弁解するばかり。

お見受けしたところ店主よりは年若いこの御仁、興にのられたご様子で、話はシェーバーのブラウン礼賛へと移ります。そこから今度は腕時計に転じ、やがてロレックスがスイスに工場誘致したという、根本特殊化学株式会社を引き合いに出されて、我が日本の技術力について、熱く語り始めました。

そしておもむろに、今お買上げいただいたばかりの本を袋から取り出し、「一冊のノンフィクションを書くのにも、何十冊、あるいは何百冊の本を参考にされているはずですよね。自分ひとりじゃとても調べられないようなことが、本には詰まっている。だから本を読みなさいと、娘にもいつも言っているんです」にこやかに話し終えて、お帰りになりました。

色々な面ではっきりした趣味をお持ちの方のようですから、欲しいと思うものには、きっとそれなりにお金をつぎ込んでもおられるのでしょう。しかし、そういう方に何かを買っていただくには、こちらにも相応の知識がなければなりません。

雑貨と文具という新たな商品を置くようになって、物を売るということのイロハを、もういちど教わっているような気がいたします。

いよいよGWの前半戦が始まりました。今年もその名に裏切られるのでしょうか。

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2013年04月26日

本物贋物

RIMG01804月の明古は今日でお終い、というわけで特選市。市の最後には、七夕予行振り市の第二回目を実施。市会が終わると、大市へ向けての意識を高めるための臨時総会。何かと慌しい気分の一日でした。

そんなスケジュールのせいばかりでなく、今日は出品の中にも話題となった一口があり、それもまた市場の雰囲気をざわつかせていたようです。

何しろ最終台の赤毛氈の上には北原白秋『邪宗門』、高村光太郎『道程』、少し目を転じると漱石、鴎外、荷風をはじめ、名だたる初版本があちこちに並んでいます。

しかし、それらの本の近くには、「改造本のおそれがあります」という注意書きが添えられていて、それがために多くの本屋さんの興味を惹いていたのです。

確かに少し見れば、店主の目にさえ明らかな補修が施されている本があります。ところが中には、よくよく見ないと、そうした改修が見つからない本があります。さらには、余程よく見ても、直しがあるのかないのか判断が付かないような本さえあります。

こういう分野を扱う書店は、ためつすがめつ真剣な目で本の状態を確かめておりましたし、そうでない業者までが、興味深げに手にとって見ていました。

聴くところによると、その筋では有名な人物の作品(?)だそうです。状態が悪い初版本を買っては、きれいな重版本や、復刻本などを使ってイタミを取替えたり、欠を補ったり。純粋な楽しみとして始められたのだとは思います。ところが次第に腕が上がるにつれ、本屋にとっては危険なものになってきたのです。

ご当人は数年前に亡くなられたそうで、ある業者が買い入れ、まとめて市場に出されたのでした。それがある意味では幸いしました。おかげで大方の業者が、紛い物であると気づくことができたというわけです。

今回のように一括でなく、少しずつ出てきたら、中には本物の初版本として取引される場合だって考えられます。本の世界にも、FAKEがあるというお話。

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2013年04月25日

自営労働者

午後から『日本の古本屋』事業部の定例会議。

個店在庫が検索できる仕組みを導入したところ、すでに470店ほど(参加点の半数以上)が採用していることが分かりました。みなさん積極的。少しでも売り上げ増加につながるなら、取り入れた甲斐もあろうというもの。

目下手をつけているのは、ISBNコードで書籍データを取り込む仕組みの改善。それぞれの書店が多様なデータ管理をしていますから、どんな仕組みが喜ばれるのか、あれこれ試行錯誤が続きます。

ところで、昨日は雨のせいもあるのでしょうが、小店は記録的な低売上。初めから分っていたら、店など開けずにお休みにしたかったと、つくづく思ったものです。

それなら好天の今日は良かったかと言うと、レジを覗いた限りでは、さして伸びている様子はない。景気回復の兆しは、少なくとも小店に関する限り、一向に見えてきません。

イメージ (121)いささか暗い気分で手元の本を見つめ直しました。今朝、机の周りを片付けていたら出てきた小冊子です。

Songs/ of the Workers/ Issued
July, 1956/ In Commemoration of 50th Anniversary/ of The
I.W.W./ Twenty-ninth Edition
 というのがタイトルページ。

初版が何年か、内容に異同があるのかなど、詳しいことは分りません。調べた範囲で分ったのは、1913年頃までは44p、1918年の第14版では58p、しかし第28版、つまり手元にある版の一つ前には、すでに本書と同じ64pだてになっています。

表紙からすると、1910〜20年代の雰囲気を濃厚に感じますが、それより注目すべきは第28版が出たの1945年ということ。つまりそれから11年間、新しい版が出ていません。マッカーシズムが吹き荒れた時代と符合しているのが興味深いところです。

I.W.W.というのは、Industrial Workers of the World の略。裏表紙に宣言文のようなものが書かれていて、その第一行目は The working class and the employing class have nothing in common.

私たちのような自営業者は、どういうことになるのでしょうか。

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2013年04月24日

改装本の不思議

「この店、いつからあるのかな」

入口のドアが開け放してあると、表を通る人の会話が、はっきり聞こえてくることがあります。思わず眼を上げると、数人の高校生男女が通り過ぎていくところでした。

声の主は、女子高生。「あなたの生まれるずっと前からだよ」と心の中で返しながら、その制服から都立国際高校生だと分かりました。するともう一つ別の答えもあります。「あなたの学校が出来る前から」という。

つい先日も、どこか見覚えのあるお客様が、お勘定をされながら「この店は、前にあっちの駅前にあったお店ですか」とお聞きになります。店主よりまだ10歳ほど年上にお見受けしました。

「その通りです」とお答えすると、「もう長いですね」「30年になります」「そうですか」。会話はそこまでで終わり、感慨深げな表情のまま、お帰りになりました。どんなご縁の方だったか、ついに思い出せずじまいです。

さて、また少しポケットブックの棚が空きました。補充をして、いよいよ残りが僅かに。いつの間にやら、という感じです。しかし単価と費やした手間、日数を考えると、必ずしも割に合う商いとはいえません。

それでも有り難いことに変りはなく、何より喜んでいただけるお客様がおいでだということが、張り合いになります。

RIMG0213割に合わないといえば、このポケットブックの中に、相当数、不思議な補修を施した本がありました。ハードカバーを付け、三方を少しばかり裁ち落として、しっかりした本に仕立て直したものです。

元表紙や背も貼り付けるなど、それなりに手が掛かっています。一体誰が、どんな目的で製本したのか。戦後の本不足の時代ならともかく、1980年前後の仕事のようですから、売り物にしたとすれば、とても引き合ったとは思えません。

図書館なら、印が押されるかラベルが貼り付けられるかするはずです。となると収書家自身の手によるのでしょうか。ときどき、自己流に本を改装する趣味の方がおられます。しかしそれにしてはシンプルすぎる気もいたします。

触っているうち、だんだん愛着が湧いてきました。

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2013年04月23日

機を逸した感

昨日、府中方面へ宅買いに行き、カーゴに2台半ほどになった本を、今朝の洋書会に出品いたしました。

下見にうかがった時点では、もう少し量があるような気がしておりましたが、二階の二部屋に分かれて納められていたことが、そんな感じを抱かせたのかもしれません。運び降ろす大変さを思い、多めに見積もってしまったのでしょう。

実際は、お家の方もお手伝い下さり、思ったより速く片付けることが出来たのですが、それでも今朝は、さすがに肩や腰に疲れを感じました。

朝、すでに市会場に運び込まれていた荷物を、台の上に広げることから作業開始です。日本書と洋書が半々、とまではいかなくとも、4割くらいは日本書で、こちらの方が値になりやすいだろうと踏んでいました。

ところが、いざ仕分けを始めて、目ぼしい本を改めてみると、日本書については殆どに、研究費購入の印が押されています。売ってはいけないものではありませんから、売ることは出来ます。しかし市場での値は、大きく下がります。

RIMG0179今回も、出来高から手数料を引いた額をお渡しするという委託式にしましたから、損害が出るわけではありません。けれども総額が下がれば、割合でいただく手数料も下がります。しかも運送費などの経費は、同じように掛かるわけですから、なにより、お客様にご報告しづらいことになります。

日本書に関しては、結局小店が殆ど買い引く(出品者が買い戻す)結果となりました。それなりに筋の良い本も多いので、ぐっと安くして売り捌くしかありません。

洋書の方は、先週までのディスプレイ特需が一段落したようで、その点でもやや不運でした。なぜなら、ディスプレイに使う場合は、本の中に印が押されていようがいまいが関係ない。本来の中身で勝負、ということになると、印アリ本は厳しい評価となります。

お客様は、とにかく片付けたいということでしたから、特にご不満は仰らないと思いますが、店主としては、少しでも喜んでいただきたかった。もちろん自分も喜びたかったですが。

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2013年04月22日

ムッシュの署名本

RIMG0182いつものようにふらりとムッシュがやってきて、しばらく話をしていきました。ムッシュは自称にして通称で、もちろんmonsieurのこと。

パリに魅せられて数十年、いつか写真集を出したいと、撮り溜めた写真アルバムを、時折持参しては見せてくれたりする万年青年。店主などより年上のはずですが、気持ちだけでなく見た目も歳よりずっと若い。

その彼の今日の話題は村上春樹のこと。「本人には罪はないんだろうけど、あの現象にはちょっと辟易しますね」と。

実はムッシュ、若き日の村上春樹と知り合いであったと、あるときご自分から話してくれました。何でも彼のジャズ喫茶の、上だか下だかで、やはり店をやっていたという関係らしい。

「あの頃は、ウチなんかの方がずっと流行っていて羽振りも良かった」のに、「今じゃ、とても昔の知り合いだなどと、顔を出せるような状況ではない」というのが、それ以来、その話になるたびに、決まって出る締めくくりの言葉です。

今日は、昔寄せ書きをしてもらったことを振り返り、「でも確かあれには名前も何も入っていなかったからな」と、人に分かってもらえないだろうことを残念そうに語って、帰っていかれました。

ところがものの10分も経たないうち、一冊の本を持ってまたご来店。言い忘れましたがムッシュ、ごく近所にお住まいです。

「そういえば、こんな本があったのを思い出したんで」。そう言って差し出されたのは『雨天炎天』(村上春樹文 ; 松村映三写真、新潮社1990年)。

その一冊を開くと、見開きに黒々と太いフェルトペンで、ムッシュの本名が書かれ、その下に作家、写真家それぞれの署名が入っています。

「彼の字かしら」とムッシュ。確かに間違いありません。献呈名を書いたのも、どうやら村上春樹自身のよう。後から写真家が自分の名を書き加えたのが、ペンの色具合から分かります。

「お宝ですね」そう申し上げると、「お宝だね」と答えられて、再び帰っていかれました。

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2013年04月21日

存在意義

昨日ご紹介した『夏目家の糠みそ』、拾い読みして気になったことの一つが、「たまに古書店で見かける父の本はどれもすこぶる高い」と語られている部分。

なんでも「まだ母が存命中のこと」、『憂鬱な愛人』を読み直したいので「国会図書館でコピーをしたい。ついては承諾書をもらえないか」と電話をもらったとのこと。

これでも古本屋ですから、そういう話は気になります。いまどき、そんなことがあるだろうか、と。

というのは、大概の本は簡単に手に入る昨今のご時世。特別な作家の初版本などといった類でなければ、それほど高価ということもあるまいと思ったからです。

こう申すのもなんですが、松岡譲という作家、店主あたりの感覚では、それほど古書価が高いとは思われません。半信半疑、「日本の古本屋」で調べてみました。すると確かに、当の『憂鬱な愛人』は端本が二件、他の作品もなかなか見つかりません。

『法城を護る人々』(第一書房:1923-)についても書かれているとおり、復刻の法蔵館版(1981-)も絶版となって揃いでは見つからず、Amazonでは、おそらくわけも分からないままに、上巻だけでとんでもない値段が付いていました。

RIMG0183もっとも著作自体が少ないといえば少ないのですから、それも当然といえなくもありません。しかし一方で漱石関連の著書は、いくらでも見つかります。

けれどもこんなことは、要するに店主が門外漢のトウシロウだということを、白状しているだけのことでしょう。

『憂鬱…』は著者自ら「新たに泥仕合を始めさせかねない挑発的な広告を打たれたら、十年間沈黙していた意味がないと、静かな出版を望んだ」本だとか。そういう本は、まだ他にもたくさんあるはずで、そうした本の蒐集にこそ存在意義を見出している古本屋さんも大勢います。

でも、そうした本もデジタル化されていくのでしょうね。

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