2013年04月
2013年04月20日
ある署名本
店の裏で本の整理を始め、ふと一つの棚に目をやると、並んでいる本の上に出来た隙間に、横にして置かれているこの本が見つかりました。
こういう読み物類は、表に出して安く売ることにしていますから、何故こんな奥まったところにあるのだろうと手にとり、表紙を開いてみてその理由が分かりました。見返しに大きく著者の献呈署名が入っています。
署名はともかく、献呈名が入っている本は、取扱いに悩みます。どちらも故人であれば問題ありませんし、どちらか(両方ならもちろん)が著名人であれば、それは本の値打ちを高めてくれます。
しかしご存命の場合は、その著者も、贈られた方も、小店と無縁であると思える場合に限り、その署名を無視して安く売ることにしています。市場で買った本に署名(献呈名)が入っていた、というような場合です。
店で買い入れて、あとになって署名に気づき、しかも売主が分からない場合などは、処置に困ることがあって、こんな具合に保留しておいて、いつの間にか忘れてしまうわけです。
この本の場合、なぜ出さずにしまっておいたのか、確かな理由は覚えておりませんが、先日、この著者のご主人に当たるはずの方が、しばらくぶりにご来店くださいました。
一年に一、二度か、もう少し多いか。何かの用で、お近くまでこられることがあるのでしょう。そんな折に店を覗いてくださり、数冊の本をお買上げくださいます。お声を掛けたことはありませんから、こちらが気づいているとは、ご存じないかもしれません。
しかしこれで、この本を表に出すわけに行かない理由が、はっきりと出来てしまったわけです。
ご自身の本を、古本屋で見かけるのだって複雑な心境でしょうが(実際小店にもおいてあります)、奥様の本、しかもどなたかに差し上げた署名入り本が、店先で安売りされているのを見るのは、どんな気分のものでしょう。
というわけで、またしばらくは、元のところに戻しておくことにいたしました。序でに拾い読みしたら、なかなか面白かった。やはり血でしょうか。
こういう読み物類は、表に出して安く売ることにしていますから、何故こんな奥まったところにあるのだろうと手にとり、表紙を開いてみてその理由が分かりました。見返しに大きく著者の献呈署名が入っています。
署名はともかく、献呈名が入っている本は、取扱いに悩みます。どちらも故人であれば問題ありませんし、どちらか(両方ならもちろん)が著名人であれば、それは本の値打ちを高めてくれます。
しかしご存命の場合は、その著者も、贈られた方も、小店と無縁であると思える場合に限り、その署名を無視して安く売ることにしています。市場で買った本に署名(献呈名)が入っていた、というような場合です。
店で買い入れて、あとになって署名に気づき、しかも売主が分からない場合などは、処置に困ることがあって、こんな具合に保留しておいて、いつの間にか忘れてしまうわけです。
この本の場合、なぜ出さずにしまっておいたのか、確かな理由は覚えておりませんが、先日、この著者のご主人に当たるはずの方が、しばらくぶりにご来店くださいました。
一年に一、二度か、もう少し多いか。何かの用で、お近くまでこられることがあるのでしょう。そんな折に店を覗いてくださり、数冊の本をお買上げくださいます。お声を掛けたことはありませんから、こちらが気づいているとは、ご存じないかもしれません。
しかしこれで、この本を表に出すわけに行かない理由が、はっきりと出来てしまったわけです。
ご自身の本を、古本屋で見かけるのだって複雑な心境でしょうが(実際小店にもおいてあります)、奥様の本、しかもどなたかに差し上げた署名入り本が、店先で安売りされているのを見るのは、どんな気分のものでしょう。
というわけで、またしばらくは、元のところに戻しておくことにいたしました。序でに拾い読みしたら、なかなか面白かった。やはり血でしょうか。
2013年04月19日
あやかりたい
今日の明古では、最終台で、100万円の大台を超える落札額となった商品が、二点出ました。久々の感じがします。
もっとも一点は、本というより、添えられた数点の版画のほうに、大きな価値があるもの。しかしもう一点は、正真正銘、文学書の初版本。
その保存状態が、あまりに良かったのと、著者に所縁の深い蔵書印が押されていたことで、最近の相場を大きく上回る価格となったものです。
その文学書を出品した書店の話によると、未知のお客様から電話があり、「お金が必要なので売りたい」と言って最初に挙げられた本の題名が『奈良六大寺大観』(岩波書店)であったとか。
大きくて立派な本ではありますが、そして確かにひと頃は、それなりの価格で取引されてもおりましたが、今では14冊揃っていたところで、市場に出して1万円の札が入るかどうかという状況。
電話を受けた書店の、その時のがっかりした表情が眼に浮かぶようです。下手をすると送料も出ません。
ところがこの本屋さんの偉かったのは、そこで気を取り直して「他に何かありませんか」と尋ねてみたこと。そして、その初版本の名を聞きだしたことです。
およそ古本屋であれば、知らぬものとてない著名な本ですから、それを聞いたときは、今度は半信半疑であったことでしょう。
ともかくその本は、その書店に送られてきました。お客様からお預かりする形を取り、市場の結果を待ってお支払いすることにしていたようですが、ご希望価格を大きく上回る落札額となり、充分な手数料を得られる結果となったはずです。
失礼な言い方を承知で申し上げれば、無事に釣り上げたこと自体は、同書店の手柄であったかもしれません。しかし我々同業にしてみると、ほとんど「そこへ兎がとんで出」たとしか思えず、なんとも羨ましい限り。
今夜のいつもの会食が、専らその話題で盛り上がったことは、申すまでもありません。
もっとも一点は、本というより、添えられた数点の版画のほうに、大きな価値があるもの。しかしもう一点は、正真正銘、文学書の初版本。
その保存状態が、あまりに良かったのと、著者に所縁の深い蔵書印が押されていたことで、最近の相場を大きく上回る価格となったものです。
その文学書を出品した書店の話によると、未知のお客様から電話があり、「お金が必要なので売りたい」と言って最初に挙げられた本の題名が『奈良六大寺大観』(岩波書店)であったとか。
大きくて立派な本ではありますが、そして確かにひと頃は、それなりの価格で取引されてもおりましたが、今では14冊揃っていたところで、市場に出して1万円の札が入るかどうかという状況。
電話を受けた書店の、その時のがっかりした表情が眼に浮かぶようです。下手をすると送料も出ません。
ところがこの本屋さんの偉かったのは、そこで気を取り直して「他に何かありませんか」と尋ねてみたこと。そして、その初版本の名を聞きだしたことです。
およそ古本屋であれば、知らぬものとてない著名な本ですから、それを聞いたときは、今度は半信半疑であったことでしょう。
ともかくその本は、その書店に送られてきました。お客様からお預かりする形を取り、市場の結果を待ってお支払いすることにしていたようですが、ご希望価格を大きく上回る落札額となり、充分な手数料を得られる結果となったはずです。
失礼な言い方を承知で申し上げれば、無事に釣り上げたこと自体は、同書店の手柄であったかもしれません。しかし我々同業にしてみると、ほとんど「そこへ兎がとんで出」たとしか思えず、なんとも羨ましい限り。
今夜のいつもの会食が、専らその話題で盛り上がったことは、申すまでもありません。
2013年04月18日
異能の人々
子どもの頃、音楽家というのは、なってみてもいいなと思う職業の一つでした。
不遜な言い方に聞こえますが、是非なりたいと思ったわけではなく、子ども心に、何となく好ましい仕事であると感じていた、という意味です。
そんなふうに感じたのには、小学生の時の経験が影響しています。勧められて入った器楽クラブが、6年生の時、全国大会で優勝いたしました。縦笛を吹いていた一人に過ぎなかったのですが音楽の世界がとても親しいものに思えたわけです。
しかし、もちろんすぐに、それがいかに自分に向いていない世界であるかを悟りました。天才といわれる人でさえ、99%は汗であるという格言は、まさに音楽家のためにあるようです。
そういう仕事は何も音楽家に限りませんが、他の例えばスポーツ選手とか、舞踊家とかには、はなから関心もありませんでしたから措くとして。
仲間の誘いを断って練習に打ち込む、というような心性とは程遠い少年でした。誘われれば勉学すら打ち捨てて、というタイプ。
そんなわけで、音楽家に対しては、大いに尊敬の念を持っています。岩城宏之さんや、茂木大輔さんなどの本を読んだりして、ますますその念を強くしました。彼らのとんでもない才能と、とんでもない努力に対して。
なかでも指揮者というのは、一体どんな感覚を持っているのでしょう。楽器の演奏者なら、肉体的な修練を伴う点において、まだいくらか理解できる気もするのですが。
さて、そんなわけでここに紹介する『パウムガルトナー古稀記念文集』は、まったく地味な表紙(カバー)ですが、そこに表記されている人名は錚々たるもの。もっとも、店主の知らない名もたくさんあります。
チューリッヒ1957年刊。ほぼB5判で最終頁付は155。ブリテンは英語で書いているのかと開いてみたら、歌劇『ルクレチアの陵辱』楽譜草稿の、冒頭部分の複写でした。
作曲家もやはり、店主にとっては宇宙人です。
不遜な言い方に聞こえますが、是非なりたいと思ったわけではなく、子ども心に、何となく好ましい仕事であると感じていた、という意味です。
そんなふうに感じたのには、小学生の時の経験が影響しています。勧められて入った器楽クラブが、6年生の時、全国大会で優勝いたしました。縦笛を吹いていた一人に過ぎなかったのですが音楽の世界がとても親しいものに思えたわけです。
しかし、もちろんすぐに、それがいかに自分に向いていない世界であるかを悟りました。天才といわれる人でさえ、99%は汗であるという格言は、まさに音楽家のためにあるようです。
そういう仕事は何も音楽家に限りませんが、他の例えばスポーツ選手とか、舞踊家とかには、はなから関心もありませんでしたから措くとして。
仲間の誘いを断って練習に打ち込む、というような心性とは程遠い少年でした。誘われれば勉学すら打ち捨てて、というタイプ。
そんなわけで、音楽家に対しては、大いに尊敬の念を持っています。岩城宏之さんや、茂木大輔さんなどの本を読んだりして、ますますその念を強くしました。彼らのとんでもない才能と、とんでもない努力に対して。
なかでも指揮者というのは、一体どんな感覚を持っているのでしょう。楽器の演奏者なら、肉体的な修練を伴う点において、まだいくらか理解できる気もするのですが。
さて、そんなわけでここに紹介する『パウムガルトナー古稀記念文集』は、まったく地味な表紙(カバー)ですが、そこに表記されている人名は錚々たるもの。もっとも、店主の知らない名もたくさんあります。
チューリッヒ1957年刊。ほぼB5判で最終頁付は155。ブリテンは英語で書いているのかと開いてみたら、歌劇『ルクレチアの陵辱』楽譜草稿の、冒頭部分の複写でした。
作曲家もやはり、店主にとっては宇宙人です。
2013年04月17日
『ハムレット』
インノケンティ・スモクトゥノフスキィ。
その名前を、呪文のようにS君と唱えあった、遥かな昔の、ある日のことを想い出しました。それは中学生の時でなければなりません。つまり1964年以前。しかしそんなことがあるだろうか――。
この本 Shakespeare: Time and Conscience. Dobson, 1967を手に取って、中ほどにある8頁の写真版を見ていくと、ロシア映画(当時はソビエト映画)『ハムレット』の懐かしいスチール写真が載っていました。
それもそのはず、本書の原著者はGrigori Kozintsev すなわち同作品の監督、脚本家です。
日本で公開された当時、店主もこの映画を観ております。事前の宣伝などで随分話題になっていましたので、観に行く前から、覚えにくいロシア語の俳優名を、友と競うように唱えあったわけですが、そのS君とは、お互い別の高校に進むとともに、会うことも間遠になり、いつしか音信も途絶えました。
今、この本の写真版につけられた説明によると、アメリカでの初上映はニューヨークで1966年のこととあります。それで少し混乱いたしました。しかし考えてみれば、あの時分のことですから、アメリカ公開が遅れることは充分ありえる話。
そこで調べてみたところ、この映画が製作されたのは1964年のことでした。その年の内に、日本で公開されたとすれば、店主の記憶も辻褄があってきます。果たしてどうだったか。
映画の記憶も少しばかり甦ってきました。思えば、店主にとって初めてのシェイクスピア体験であったはずです。
再び写真頁の解説に戻ると、この映画で用いられたロシア語への翻訳はパステルナークによるもので、映画音楽はショスタコーヴィチだとか。あの頃それを聞いたとしても、その名に、何ほども感ずるものはなかったでしょう。しかし今なら、それはソビエト社会主義芸術の、最良の時代を意味するもののように思えます。
ところでオフィーリアを演じた、アナスタシア・ベルチンスカヤの方は、ちゃんと言えても、ひとつも自慢になりませんでした。少年たちは、すぐにその名を覚えてしまったからです。
その名前を、呪文のようにS君と唱えあった、遥かな昔の、ある日のことを想い出しました。それは中学生の時でなければなりません。つまり1964年以前。しかしそんなことがあるだろうか――。
この本 Shakespeare: Time and Conscience. Dobson, 1967を手に取って、中ほどにある8頁の写真版を見ていくと、ロシア映画(当時はソビエト映画)『ハムレット』の懐かしいスチール写真が載っていました。
それもそのはず、本書の原著者はGrigori Kozintsev すなわち同作品の監督、脚本家です。
日本で公開された当時、店主もこの映画を観ております。事前の宣伝などで随分話題になっていましたので、観に行く前から、覚えにくいロシア語の俳優名を、友と競うように唱えあったわけですが、そのS君とは、お互い別の高校に進むとともに、会うことも間遠になり、いつしか音信も途絶えました。
今、この本の写真版につけられた説明によると、アメリカでの初上映はニューヨークで1966年のこととあります。それで少し混乱いたしました。しかし考えてみれば、あの時分のことですから、アメリカ公開が遅れることは充分ありえる話。
そこで調べてみたところ、この映画が製作されたのは1964年のことでした。その年の内に、日本で公開されたとすれば、店主の記憶も辻褄があってきます。果たしてどうだったか。
映画の記憶も少しばかり甦ってきました。思えば、店主にとって初めてのシェイクスピア体験であったはずです。
再び写真頁の解説に戻ると、この映画で用いられたロシア語への翻訳はパステルナークによるもので、映画音楽はショスタコーヴィチだとか。あの頃それを聞いたとしても、その名に、何ほども感ずるものはなかったでしょう。しかし今なら、それはソビエト社会主義芸術の、最良の時代を意味するもののように思えます。
ところでオフィーリアを演じた、アナスタシア・ベルチンスカヤの方は、ちゃんと言えても、ひとつも自慢になりませんでした。少年たちは、すぐにその名を覚えてしまったからです。
2013年04月16日
買えなかった話
久しぶりに車で古書会館へ。
昨日、お引取りしてきた水墨画の画用紙が車に満載で、降ろすと店の通路の一本は潰れそうです。仮に水曜日のルート便に載せるにしても、本と違い、とても積みにくいはず。そう考えて昨日から積んだままにしておいて、今朝、自分で運ぶことにしたのです。
10時前に会館に着いて、カーゴに積み替えてみると、とても1台では収まらず、2台が一杯になりました。火曜日の朝で、会館の荷捌き場も空いており、楽に作業できて助かりました。
車はすぐ近くのヴィクトリアの駐車場へ。駐車料金は1日最大で1500円。カーゴ2台の運送賃を考えれば、高い出費ではありません。会館へ戻り、洋書会当番の仕事に入りました。
今日の洋書会は、まずまずの出品量。
実は小店、数少ないディスプレイ注文を一件、ただ今受けております。そこで、仕分けをしながら、その注文条件にぴったり来るような口をいくつか作りました。
しかし熱心に集めた口を見直すと、英国演劇関係の、新しくきれいな研究書が揃っています。小店としては、ちょっとディスプレイに使うわけに行かないような本ばかりです。かといって、店の在庫として、今どうしても揃えたいと思う本でもありません。
その結果、中途半端な札になってしまったようです。つまりディスプレイ価格としては充分良い値だが、専門書の仕入れ価格としてはやや弱いという値の札。案の定、他のお店に、随分高値で買われてしまいました。
ところがこれにはオチがあります。落札された本屋さんも、ディスプレイ用の注文を受けておられたのです。小店などよりはるかに大量で、しかも納期が迫っていて、なんとしてでも揃えなければならない――そこで、ご専門外にもかかわらず、びっくりするほど強い札を入れられたというわけです。
もう一つ。自分で欲しいと思って仕分けた口には、必ず良い札が入りしばしば買い逃すという、これもまた市場の哲理なのでした。
昨日、お引取りしてきた水墨画の画用紙が車に満載で、降ろすと店の通路の一本は潰れそうです。仮に水曜日のルート便に載せるにしても、本と違い、とても積みにくいはず。そう考えて昨日から積んだままにしておいて、今朝、自分で運ぶことにしたのです。
10時前に会館に着いて、カーゴに積み替えてみると、とても1台では収まらず、2台が一杯になりました。火曜日の朝で、会館の荷捌き場も空いており、楽に作業できて助かりました。
車はすぐ近くのヴィクトリアの駐車場へ。駐車料金は1日最大で1500円。カーゴ2台の運送賃を考えれば、高い出費ではありません。会館へ戻り、洋書会当番の仕事に入りました。
今日の洋書会は、まずまずの出品量。
実は小店、数少ないディスプレイ注文を一件、ただ今受けております。そこで、仕分けをしながら、その注文条件にぴったり来るような口をいくつか作りました。
しかし熱心に集めた口を見直すと、英国演劇関係の、新しくきれいな研究書が揃っています。小店としては、ちょっとディスプレイに使うわけに行かないような本ばかりです。かといって、店の在庫として、今どうしても揃えたいと思う本でもありません。
その結果、中途半端な札になってしまったようです。つまりディスプレイ価格としては充分良い値だが、専門書の仕入れ価格としてはやや弱いという値の札。案の定、他のお店に、随分高値で買われてしまいました。
ところがこれにはオチがあります。落札された本屋さんも、ディスプレイ用の注文を受けておられたのです。小店などよりはるかに大量で、しかも納期が迫っていて、なんとしてでも揃えなければならない――そこで、ご専門外にもかかわらず、びっくりするほど強い札を入れられたというわけです。
もう一つ。自分で欲しいと思って仕分けた口には、必ず良い札が入りしばしば買い逃すという、これもまた市場の哲理なのでした。
2013年04月15日
用心もあわや
その素早さを喩えるなら、小店の店先にも、間もなく押し寄せるシーズンとなる、蚊のよう。
ほんの一瞬のうちに刺されて、赤い腫れを腕や脛に作るお客様が、毎年のように何人もおいでになります。その蚊にも喩えたくなったのは、放置駐車の監視員の方々。
一般論で申し上げようとは思いません。前に一度、違反ステッカーを貼られた同じ場所で、今日また遭遇した(といっても前回はお目にかかれなかったのですが)お二人のことです。
お客様のお宅の塀に寄せて車を止め、玄関から奥へ上がって引き取る荷物を運び出し、車に戻るとそこに制服の二人組みが立っていて、今しも車をカメラに収めようとしているところ。
当方に気づくと、「すぐに動かしてください」と仰って、帰りかかりました。「どうして声もかけずに貼っていくのですか」と前回の恨みをこめて問いかけると、「あなたが運転手さんですか」と年輩のお一人。
「そうです」「今の、これくらいの声を掛ければ良い事になっています」
呆気に取られました。法律や規則の話をしようというのではありません。かりに、いやもちろんそういう決まりだとして、見付けたを幸い、シールを貼るというのでは、まるで獲物漁りです。
交通量の多い、あるいは狭くて通行の妨げになるような場所であればともかく、閑静な住宅地の道路脇に数分止めていただけで監視の目が及ぶというのは、尋常とは思えません。
つまりは比較的車を止めやすい場所であるため、案外駐車する車が多く、ここを狙い所と定めて見張っているのでしょうか。
今回は、こちらも注意をおさおさ怠らないつもりでした。それでも、あわやというところ。若い方のお一人が言うには「全部準備して、積むだけにしてから車を止めてください」。
ほぼそのようにしたから、今回は刺されずに済んだのでした。
ほんの一瞬のうちに刺されて、赤い腫れを腕や脛に作るお客様が、毎年のように何人もおいでになります。その蚊にも喩えたくなったのは、放置駐車の監視員の方々。
一般論で申し上げようとは思いません。前に一度、違反ステッカーを貼られた同じ場所で、今日また遭遇した(といっても前回はお目にかかれなかったのですが)お二人のことです。
お客様のお宅の塀に寄せて車を止め、玄関から奥へ上がって引き取る荷物を運び出し、車に戻るとそこに制服の二人組みが立っていて、今しも車をカメラに収めようとしているところ。
当方に気づくと、「すぐに動かしてください」と仰って、帰りかかりました。「どうして声もかけずに貼っていくのですか」と前回の恨みをこめて問いかけると、「あなたが運転手さんですか」と年輩のお一人。
「そうです」「今の、これくらいの声を掛ければ良い事になっています」
呆気に取られました。法律や規則の話をしようというのではありません。かりに、いやもちろんそういう決まりだとして、見付けたを幸い、シールを貼るというのでは、まるで獲物漁りです。
交通量の多い、あるいは狭くて通行の妨げになるような場所であればともかく、閑静な住宅地の道路脇に数分止めていただけで監視の目が及ぶというのは、尋常とは思えません。
つまりは比較的車を止めやすい場所であるため、案外駐車する車が多く、ここを狙い所と定めて見張っているのでしょうか。
今回は、こちらも注意をおさおさ怠らないつもりでした。それでも、あわやというところ。若い方のお一人が言うには「全部準備して、積むだけにしてから車を止めてください」。
ほぼそのようにしたから、今回は刺されずに済んだのでした。
2013年04月14日
「不忍ブックストリート」
「すいません、紛らわしいですけどホンモンですから」そう言って男性が、現金皿のお札の上に、コインを一枚足されました。平成6年第12回アジア競技大会記念の500円硬貨です。
ご自身、受け取った時、一瞬だまされたかと思われたとか。贋物ではなさそうですので、まったく問題ありませんと受け取り、お釣りをお渡ししました。すると、「ひとつお願いが」と紙袋から何か取り出されます。
一瞬いやな予感がしました。お買上げいただいたあとの頼まれごとというと、某宗教系政党の常套手段です。しかしあれは女性が多い、しかも選挙が間近な時とか。
などとと思いをめぐらせるまでもなく、「これを置いていただきたいんです」と渡されたのは、「不忍ブックストリートWeek 2013」というチラシ。第15回「一箱古本市」をはじめ「トーク、展覧会、映画上映、ライブなど35の企画」が催されるというお知らせです。
こういうものなら、喜んで置かせていただきます。受け取ってすぐに、帳場の前に並べました。
四つ折のこのチラシの他に、地図と「一箱古本市」のビラ、都合三点が組み合わさっているそれを約10部。早速、若い女性のお客様が一部持っていかれました。
「古本」と名のつく催しが、古書組合とは無関係に立ち上げられ、次第に盛んになってきていることに、いささか残念な思いがないではありませんが、そんな小さな了見は捨てて、心から応援したいと思います。
実際、イベントの内容も、なかなか充実しているように見受けました。個人的には5月6日の高山宏講演会「アーサー・ミーと知の愉しみ」には、ちょっと行って見たい気もします。
しかしながら「本と散歩が似合う街」は不忍だけではありません。もっと多くの街があることを、もっと多くの人に知っていただく、それこそ古書組合が取り組むべきことのような気がします。
ご自身、受け取った時、一瞬だまされたかと思われたとか。贋物ではなさそうですので、まったく問題ありませんと受け取り、お釣りをお渡ししました。すると、「ひとつお願いが」と紙袋から何か取り出されます。
一瞬いやな予感がしました。お買上げいただいたあとの頼まれごとというと、某宗教系政党の常套手段です。しかしあれは女性が多い、しかも選挙が間近な時とか。
などとと思いをめぐらせるまでもなく、「これを置いていただきたいんです」と渡されたのは、「不忍ブックストリートWeek 2013」というチラシ。第15回「一箱古本市」をはじめ「トーク、展覧会、映画上映、ライブなど35の企画」が催されるというお知らせです。
こういうものなら、喜んで置かせていただきます。受け取ってすぐに、帳場の前に並べました。
四つ折のこのチラシの他に、地図と「一箱古本市」のビラ、都合三点が組み合わさっているそれを約10部。早速、若い女性のお客様が一部持っていかれました。
「古本」と名のつく催しが、古書組合とは無関係に立ち上げられ、次第に盛んになってきていることに、いささか残念な思いがないではありませんが、そんな小さな了見は捨てて、心から応援したいと思います。
実際、イベントの内容も、なかなか充実しているように見受けました。個人的には5月6日の高山宏講演会「アーサー・ミーと知の愉しみ」には、ちょっと行って見たい気もします。
しかしながら「本と散歩が似合う街」は不忍だけではありません。もっと多くの街があることを、もっと多くの人に知っていただく、それこそ古書組合が取り組むべきことのような気がします。
2013年04月13日
「宇宙医学」
ちょっと反省しております。
第二土曜日とて、五反田の南部地区会館で開催される入札市に出かけました。「宇宙医学の口、ダンボール300箱!」という文句に惹かれて。もちろん、それがなくとも出かけたはずですが。
その話はひとまず置いて、今回も大量出品の会場を一回りして入札を終え、帰る前に同業たちと少しばかり話を交わしたその中の一人が、本ブログについて、励ましの言葉をくれました。以前から、「読んでいるよ」と言ってくれている同僚です。
ありがたいことに違いありませんが、それを聞きながら反省したのです。もともとは、お客様へ向けて、いくらかでも店の宣伝になればと始めたブログです。しかし振り返ってみれば、業界の話が実に多い。
それはそれでご興味を持っていただける方もおいででしょうが、もっと店の売り上げにつながるような話題はないものだろうかと。
他の店では、ブログにせよ、ツイッターにせよ、頻繁な入荷案内や、さまざまなイベント企画といった、実際的な情報が中心です。せめて自分の店の売り物を紹介する機会を、もう少し増やしたいものだと、改めて思いました。
しかしそのためには、紹介できるような本を、もっと積極的に仕入れなければなりません。というわけで、行き着くところは、いつもながらの結論です。
それで「宇宙医学」ですが、まずその言葉が一般には耳慣れないもの。その上、300箱という量。どんな本が並んでいるのだろうと、商売を離れて好奇心を刺激されました。
行ってみて分かったのは、そういうタイトルの本が確かにあり、関連する、主に洋書が、ひとまとめにされておりましたが、それらはごく一部であり、他は「宇宙医学」の専門家でなくとも持っているような本が殆どだということでした。
まんまと一杯食わされた、というより、見事なキャッチフレーズであったと、感心させられた次第です。
第二土曜日とて、五反田の南部地区会館で開催される入札市に出かけました。「宇宙医学の口、ダンボール300箱!」という文句に惹かれて。もちろん、それがなくとも出かけたはずですが。
その話はひとまず置いて、今回も大量出品の会場を一回りして入札を終え、帰る前に同業たちと少しばかり話を交わしたその中の一人が、本ブログについて、励ましの言葉をくれました。以前から、「読んでいるよ」と言ってくれている同僚です。
ありがたいことに違いありませんが、それを聞きながら反省したのです。もともとは、お客様へ向けて、いくらかでも店の宣伝になればと始めたブログです。しかし振り返ってみれば、業界の話が実に多い。
それはそれでご興味を持っていただける方もおいででしょうが、もっと店の売り上げにつながるような話題はないものだろうかと。
他の店では、ブログにせよ、ツイッターにせよ、頻繁な入荷案内や、さまざまなイベント企画といった、実際的な情報が中心です。せめて自分の店の売り物を紹介する機会を、もう少し増やしたいものだと、改めて思いました。
しかしそのためには、紹介できるような本を、もっと積極的に仕入れなければなりません。というわけで、行き着くところは、いつもながらの結論です。
それで「宇宙医学」ですが、まずその言葉が一般には耳慣れないもの。その上、300箱という量。どんな本が並んでいるのだろうと、商売を離れて好奇心を刺激されました。
行ってみて分かったのは、そういうタイトルの本が確かにあり、関連する、主に洋書が、ひとまとめにされておりましたが、それらはごく一部であり、他は「宇宙医学」の専門家でなくとも持っているような本が殆どだということでした。
まんまと一杯食わされた、というより、見事なキャッチフレーズであったと、感心させられた次第です。
2013年04月12日
振り市の試み
今日の明治古典会は、いつもの入札市に加え、一部の商品について振り市を試みました。
今年7月に開催する七夕古書大入札会で、何年か前に一度実施した「振り」を導入することになったため、その予行演習というのが主たる目的です。
「振り」というのは、いわゆる口ゼリで、価格を声に出して競り上げていくものですが、わが東京組合では、現在ごく一部の地区市にこれが残っているだけ。組合員の中にも経験のない人が大勢います。
そこで、少しでもこの方式に慣れていただこうと企画したわけです。一方、運営する側に取っても不慣れな点では同じですから、こちらの訓練の意味も兼ねています。
その結果は、運営方法などの点に様々な課題を残しましたが、だからこその訓練です。本番までにあと一、二回はこうした振り市を行う予定です。
今日の「振り」の中では、荷風の珍しい初版本や、芥川の書簡などが、思いがけない高値になりました。ひとたびスイッチが入ると「振り」は大いに盛り上がります。それが狙いであるわけですが、難しいのは、盛り上がるかどうかは商品次第という点。
近頃、なかなか面白い品物が集まらないという悩みを、どこの市会も抱えています。今回の試みが、そうした商品を引き出すきっかけにでもなれば、新しい活路となるかもしれません。
市場には、大量の本を広く流通させるという役割と、珍しい本の付加価値を高めるという役割があります。どちらも大切な役割です。
ごく大雑把に言ってしまえば、前者については入札市が適しており、後者には振り市の方が適していると考えられます。
とはいえ、お互いに欠点を持っていることも確かです。デジタル入札などの新方式も含め、それぞれに応じた、市のやり方を、あらためて考え直す時期に来ていると思います。
今年7月に開催する七夕古書大入札会で、何年か前に一度実施した「振り」を導入することになったため、その予行演習というのが主たる目的です。
「振り」というのは、いわゆる口ゼリで、価格を声に出して競り上げていくものですが、わが東京組合では、現在ごく一部の地区市にこれが残っているだけ。組合員の中にも経験のない人が大勢います。
そこで、少しでもこの方式に慣れていただこうと企画したわけです。一方、運営する側に取っても不慣れな点では同じですから、こちらの訓練の意味も兼ねています。
その結果は、運営方法などの点に様々な課題を残しましたが、だからこその訓練です。本番までにあと一、二回はこうした振り市を行う予定です。
今日の「振り」の中では、荷風の珍しい初版本や、芥川の書簡などが、思いがけない高値になりました。ひとたびスイッチが入ると「振り」は大いに盛り上がります。それが狙いであるわけですが、難しいのは、盛り上がるかどうかは商品次第という点。
近頃、なかなか面白い品物が集まらないという悩みを、どこの市会も抱えています。今回の試みが、そうした商品を引き出すきっかけにでもなれば、新しい活路となるかもしれません。
市場には、大量の本を広く流通させるという役割と、珍しい本の付加価値を高めるという役割があります。どちらも大切な役割です。
ごく大雑把に言ってしまえば、前者については入札市が適しており、後者には振り市の方が適していると考えられます。
とはいえ、お互いに欠点を持っていることも確かです。デジタル入札などの新方式も含め、それぞれに応じた、市のやり方を、あらためて考え直す時期に来ていると思います。
2013年04月11日
Jesus Christ Superstar
先日仕入れた現代思想関係の洋書を店の棚に入れ、替わってはみ出た本を整理するついでに、しばらく手をつけていなかった、店の裏の本の整理にも取り掛かりました。
いつのまに増殖していたのでしょう、少しばかり移動させたくらいでは、片付くというにはほど遠い状態です。
次第に能率が落ち始めた頃、さらに作業を妨げるような本が眼に入りました。正確には雑誌。70年代の英国演劇雑誌が4冊。
何時どこで手に入れたものか、もう記憶はありませんが、懐かしさについ、パラパラと目を通すことになります。もっとも、懐かしいといったところで、実際に見聞きしたものではなく、単にその時代が懐かしいというに過ぎませんが。
この表紙は、英国初演時の JCS。この一年前にブロードウェイで幕が開き、やがて世界的なヒット作品になったのは、ご存知の通りです。店主も、劇団四季が1973年(つまりこの翌年)に日比谷日生劇場で上演したものを観ています。
しかしこの号の中には、ジーザスに関する記事はまったく出てきません。ちょっと拍子抜けいたしました。
それでも懐かしい名前がいくつも見つかります。Trevor Nunn がChristopher Morley(この人のことはよく知りません)と共にインタビューを受けていて、その記事中に使われている舞台写真に若き日の Judi Dench が写っていたり。
その少し後の頁には、Timothy Dalton を取材した記事があってここには当然、若き日の彼が精悍な表情で写っています。6ヶ月にわたるリア王のエドガー役を終えたところとか。
ちなみに彼がボンドをやったころ、Judi はまだMとして出るには若すぎますので、共演しておりません。
他にもPlay Guide欄には Olivier が「夜への長い旅路」でOld Vicに帰ってきており、Highly Recommendedであるとか、短信欄では Lauren Bacall が "Applause" で Katherine Hepburn の
"Coco" を押さえて、トニー賞ミュージカル部門で主演女優賞を取ったとか、賑やかなことです。
というわけで今日も片付け仕事は、手をつけただけで終ったのでした。
いつのまに増殖していたのでしょう、少しばかり移動させたくらいでは、片付くというにはほど遠い状態です。
次第に能率が落ち始めた頃、さらに作業を妨げるような本が眼に入りました。正確には雑誌。70年代の英国演劇雑誌が4冊。
何時どこで手に入れたものか、もう記憶はありませんが、懐かしさについ、パラパラと目を通すことになります。もっとも、懐かしいといったところで、実際に見聞きしたものではなく、単にその時代が懐かしいというに過ぎませんが。
この表紙は、英国初演時の JCS。この一年前にブロードウェイで幕が開き、やがて世界的なヒット作品になったのは、ご存知の通りです。店主も、劇団四季が1973年(つまりこの翌年)に日比谷日生劇場で上演したものを観ています。
しかしこの号の中には、ジーザスに関する記事はまったく出てきません。ちょっと拍子抜けいたしました。
それでも懐かしい名前がいくつも見つかります。Trevor Nunn がChristopher Morley(この人のことはよく知りません)と共にインタビューを受けていて、その記事中に使われている舞台写真に若き日の Judi Dench が写っていたり。
その少し後の頁には、Timothy Dalton を取材した記事があってここには当然、若き日の彼が精悍な表情で写っています。6ヶ月にわたるリア王のエドガー役を終えたところとか。
ちなみに彼がボンドをやったころ、Judi はまだMとして出るには若すぎますので、共演しておりません。
他にもPlay Guide欄には Olivier が「夜への長い旅路」でOld Vicに帰ってきており、Highly Recommendedであるとか、短信欄では Lauren Bacall が "Applause" で Katherine Hepburn の
"Coco" を押さえて、トニー賞ミュージカル部門で主演女優賞を取ったとか、賑やかなことです。
というわけで今日も片付け仕事は、手をつけただけで終ったのでした。