2014年06月

2014年06月20日

蔵書目録

思いのほかの反響に、驚きました。前田愛旧蔵本についてです。

実名を出したことで、関心のある向きに拾われ易かったのかもしれません。ある同業から、一部で話題になったという話を聞きました。

今回は、ご本人が亡くなられて20年以上も経つことですし、特に差し障りもないだろうと考えて、お名前を出したのですが、似たようなケースは少なくありません。ただ、お名前は憚られることも多いのです。

たとえ名のある先生の蔵書でも、一冊一冊を取り上げれば、それが手沢本として意味を持つという例は、特に洋書の世界では、ごく稀です。

とはいえその総体、つまり総タイトルは、いわばご本人の「脳の写し」とでも云うべきものとして、とても興味深いものであることも確かです。

しかし、だからと言って蔵書を丸ごととっておくような余裕は、もとより小店にはありません。図書館などの機関ですら事情は同様でしょう。

せめて蔵書リストでも作れば良かっただろうかと思いますが、それは一書店の手に余ることです。

それで思い出すのは、由良君美先生の蔵書です。いまだにご処分されていないと思いますが、亡くなられてすぐ、処分を前提として、当時まだ研究生であった最後の由良ゼミ生数名が、奥様のご意向に従って蔵書目録を作成したことを知っております。

あの目録は、今、どこに残されているのでしょう。

もっともこちらの場合は、まだ本体が処分されずに残っているはずですので、その行く末の方が、RIMG1335先ず関心の的ですが。

しかし今となっては、市場に現れたとして、やはり潰さざるを得ない本が多くなっていることは、間違いありません。厳しい現実です。

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2014年06月19日

ちょっと一息

「日本の古本屋」リニューアルが、最初の一山を越えて、次の段階に入りました。

これまでがいわば総論だとすると、いよいよ各論。理論編から実地編に入ったというべきでしょうか。メンバー全員での会議から、チームに分かれての会議。

そうなると店主の出る幕はぐっと減ります。今日は、月に一回の定例会議で、午後からの出席。これからは、以前のように、月一ペースで済みそうです。

分科会で、むしろこれから忙しくなる他のメンバーには、申し訳ない気もいたしますが。

それでも午後2時からの定例会議は、お約束どおり、予定の6時を30分も過ぎて、ようやくお開き。今日もいろいろ、たくさんの課題を話し合いました。

RIMG1348建築に例えるなら、新しい建物を建て、そこに移ろうというわけですから、システムそのもの以外にも、並行して解決しておくべき問題はいくらもあるわけです。

やがては、組合事業全体との調整も必要となってくるでしょう。店主に出番があるとしたら、そのあたりかも知れません。ともあれ、しばらくは、仲間の活動を見守ることになりそうです。

ところで、先日の前田愛旧蔵書を出品した荷主さんというのは、我らがメンバーの一員です。今日、お互いの後日談を語り合いました。

それによると、どうやら最初に出品した段階で売れたのは、ビジュアル系の本と、ハードカバーであったようです。買主の名を聞いて、すぐそうだと分かりました。

それで、ソフトカバーの学術書ばかりが残っていた訳も分かりました。洋書会の当番会員が、そのように仕分けたのです。つまりハードカバー、ソフトカバー、ビジュアル系の三種に。

余りに便宜的と思われるかもしれません。しかし、それが結構、良い結果を生むこともあるので、一概に否定できません。並のハードカバーなら、中身より、見た目の方が高い値がつくことだってあるからです。

やっぱり見逃した店主が悪い。

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2014年06月18日

渡邊一夫旧蔵本

RIMG1371店の裏の棚を整理していたら、ひょっこり出てきた本があります。

函がかなり擦り切れていたんでおりますが、なかなか趣のある造り。なぜ、しまわれたままだったのだろうかと、本を開いて見たところ、見開きの左上隅に、インクの色も古びたペン書きの記名が見つかりました。

書かれてある文字はKadzouo Wathanabe。言わずと知れた、渡邊一夫さんのサインです。

渡邊さんの記名本は、決して珍しくありません。ご自身が入手された本に、まめに名を入れる習慣があったからであることは勿論ですが、その大量の蔵書を、実に気前よくお弟子さんたちに分け与えられたらしいからです。

以前、小店が宅買いに伺った中世文学の先生も、やはりお弟子さんに当たる方で、その蔵書の一部が渡邊さんの旧蔵書でした。

状態の良いものは少なかったのですが、専門書店が喜んで買ってくれました。(その割にシビアな札でしたが)

今日見付けたのは、その時に仕入れたものではありません。もっとずっと前のものであることは確かです。しかし、何時、どこで、という点については記憶から消えております。

それにしても、なぜしまっておいたのか。頁を繰って行くと、所々に鉛筆による線引きや書入れがあります。その古びかたと、字体から、ほぼ渡邊さんの手によると思われます。

その値打ちを測り兼ねて、有体に言えば売り惜しんで、しまいこんでいたのでしょうか。

とつおいつ思いめぐらせているうち、標題紙の裏に、大きな朱印が押されているのに気がつきました。「昭和43科研補助」「××大学図書館」という二つの角印です。

塩漬けされてきたのは、このためのようです。昨今のように、研究費購入図書の処分が大っぴらでなかった時分、印あり本を売るのは、とても気を使うことでしたから。

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2014年06月17日

見逃してばかり

RIMG1340ぼんやりしていた店主が悪いのですが、良い本を買い逃したような気がいたします。

前回の洋書会に出ていた口の中に、前田愛さんの旧蔵書があったのです。市の翌日でしたか、たまたま会う用のあった同業がその荷主で、彼から聞いて分かりました。

それも、「昨日、洋書会に出品して、半分以上ボー(札が入らず引き荷となること)になってしまったんですが、何ともならないものですか」という嘆きのあと、「実は旧蔵者は…」とお話しいただいたのです。

そう聞けば、やはり興味があります。「じゃあ、今度の明治古典会に、もう一度出品してみてください」と、お願いしました。

金曜日、その本を見て、なるほどボーになるはずだ、と思いました。全冊ソフトカバーの、ヤケか、クスミか、イタミか、あるいはそのすべてが備わった洋書で、付箋もあり、線引きもあります。およそ1000冊。

結局他に入札者は現れず、店主が落札いたしました。

そのまますべてを持ち帰るのは、さすがに量が多すぎます。今日の洋書会に、もう一度仕分けなおして、出品いたしました。

前田さんといえば、ご専門は国文学。その方が良くもこれだけ、と思われるほど大量の英文学術書です。それも状態からわかるように、かなり読まれたご様子の。

敬服しつつも、ジレンマに捉われました。名著、必読書の類は、ほぼ線引き、ツカレ。逆に、手つかずで比較的きれいな本は、読む必要を感じられなかった本ということになります。どれを、どう活かすか。

苦心の仕分けも、結局すべて自分で買い戻す形になり、最終的に約8割ほどは、市場で廃棄処分にいたしました。

ここから『前田愛著作集』全6巻が生み出されたのだと、しかしこれはその一部に過ぎないのだと思いつつ。

ところで、先週ボーにならず、つまり売れたのは、どんな本だったのか。買い逃したのではないか、というのはそのことでした。

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2014年06月16日

物足りない

RIMG1367ちょっと珍しい光景なので、写真に収めておきました。

どこが珍しいのかと申しますと、ご覧の通路に、本が積み上げてありません。棚の最下段まで、ちゃんと見ることができます。

この右に、もう一本通路がありまして、そこもすっかり、といいたいところですが、そこにはまだ、数十冊の本が片付けきれずに積まれています。

しかし、これほどすっきりしたのは実に久々のこと。やればできるという証拠を、残しておこうと思った次第です。

ここに写っていない場所にシワ寄せが行っているのではないか、というお疑いはもっともなことです。そして、それはある程度正しいのですが、お店の部分が片付いているという点が、今は肝心なところだと申し上げたい。

しかしながら、このスッキリも長く続かないかもしれません。明後日には、金曜日に明古で仕入れた口が届きます。値付けしたり、入れ替えたりする間、また通路に本が積まれることになることでしょう。

少しでも早く入れ替えて、常に店内は見やすい状態にしておきたい。広々した通路を見ていると、つくづくそう思います。

ところが、つい先日、ここまで片付く一歩手前の状態にご来店いただいたあるお客様。数冊の本を手に帳場に来られて、それを差し出しながら「ずいぶんスッキリしちゃいましたね」と仰います。

その口ぶりに、賞賛ではなく、落胆のニュアンスを感じたのは、店主の思い過ごしだったでしょうか。

時おりご来店いただいて、その度に、何冊かの本をお買い上げいただく方です。本屋めぐりがお好きらしく、収書リストなのか、手帳を広げて確認しながら棚をご覧になっている姿を、何度かお見かけしました。

そういう方にとっては、一目で見渡せる本棚は、物足りなく感じられるのかもしれません。

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2014年06月15日

作品として楽しむ

市場で、若い経営員たちがサッカーの話をしているところに口を挟んだら、「サッカー見るんすか!」と驚かれたことがあります。

欧州チャンピオンズリーグ決勝トーナメントの頃ですから、もうしばらく前のこと。

我が子と同世代の彼らからすると、Jリーグならともかく、チェルシーだバルサだという話に、自分の父親のような年のオヤジが首を突っ込んでくることに、不思議な感じがしたのでしょうか。

いや、年ではなく、スポーツと縁遠そうな店主だから、だったのかもしれません。

確かに、スポーツと呼ばれるようなものは、もう長いことやっておりません。専ら見るだけの愉しみと、なりおおせています。

だから素晴らしいゲームを見ることは大好き。ワールドカップサッカーへの興味も、その点に尽きます。BSで全試合放送するというので、録画して一通り見るつもりです。

しかし朝の5時に起きて、とか、今日のように午前10時からの試合なら、仕事を休んで見る、とかいうほど Live に拘る気にはなりません。

結果を知らずに見るに越したことはないのですが、分かっていても、面白い試合は面白いのです。むしろ、分かっていて見るほうが、その試合の、いわば作品としての完成度が良く分かることもあります。

今これを書いている時点で、店主はまだ今日の日本×コートジボワール戦を見てはおりません。結果は知っております。

向かいの事務所で数名の男性が一緒にTV観戦していたらしく、大声の歓声と、同じく大声の悲鳴が聞こえてきRIMG1336て、経過は手に取るように分かりました。

家に帰り、夕食を済ませ、ゆっくりTVの前に座って観戦するつもりでおりますが、願わくは、見るに堪える試合でありますように。

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2014年06月14日

複製の値打ち

RIMG1361少し前から店頭に、『名著複刻・日本児童文学館』(ほるぷ出版)をバラして分売しております。一冊300円から500円で。

解説の奥付を見たところ昭和48年の11版で、セット価52000円。40年ほど前のこの価格は、当時の初任給に近い。つまり、現在なら20万円前後というところ。

それが昭和46年の初版刊行以来、3年の間にそれだけ版を重ねたということに、改めて驚きを感じます。そればかりか、やがて柳の下の二匹目のどじょう、第二集も続けて刊行されました。

おかげで今では、このようにバラして安売りするしかなくなっているわけでもあります。

しかし、この本の値崩れは、単に出回りすぎたからというだけではないでしょう。「懐かしい」と感じる人が、ぐっと少なくなったということもあります。

明治中期から昭和戦前までをカバーした収録作品は、40年前なら、まだ多くの人にとって「懐かしい」本たちだったはずです。ヒット商品となったのも、故なしとしません。

今となっては歴史資料のレプリカ。ある時代の、「本」のかたちを今に見せてくれる実物模型。博物館のお土産的な商品と考えれば、小店の売価も、手頃な価格といえないでしょうか。

ポツリ、ポツリと売れていて、今日も二冊。そのお客様から「この本は、ここ(外函)に書いてある古さですか?」という、素朴な質問をいただきました。

「これは復刻本です」とお答えすると、大きく頷かれ「こんなにきれいな筈はないものね」。

「これくらいきれいな本物があれば、100倍の値段はしますよ」と申し上げて、我ながらその数字が、まるで的外れでもないことに驚きました。

刊行当時の定価と、オリジナルとの価格の開きは、ここまではなかったでしょう。しかしオリジナルは、極美本という限定を付ければ、決して値下がりしてはいないのに対し、復刻はこの値崩れ。天と地ほどの違いになったというわけです。

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2014年06月13日

『塞外詩集』

RIMG1347いささか反省の弁。

今日の明古、最終台がちょっと物足りない感じがしておりました。

出品の量は、むしろ通常と比べても多いくらいですのに、緋毛氈に特別陳列品するような商品が、なかなか見つかりません。幹事で手分けして、会場を見て回るのですがタイムアップ、そのまま開場いたしました。

順調に開札が進み、午後4時を回る頃、高額な発声(落札者と落札金額の読み上げ)が聴こえてきました。

その金額で落札されたのは、『塞外詩集(第2輯)』(大連詩書倶楽部、1933年)という一冊。

結局、最終台のどの本も、これを上回る金額にはなりませんでした。もちろん金額がすべてではありません。希少性や人気などを加味して選んでいますが、そのどちらを取っても、これこそ今日中でもっとも最終台にふさわしい本だったといえます。

落札された書店さんにお願いして、その本を手に取らせてもらいました。20cmほどの枡形並製本で、表紙には写真があしらわれています。DAIRENとレタリングされた文字のデザインを見ても、いかにも今時、値が付きそうな本。

たとえ初めて見る知らない本であっても、まずピンときて、緋毛氈の上に持ってくるくらいでなければ、プロとは言えない――、というのが、それを拝見して感じた思いでした。

他にも数点、似たような見逃しがありました。もちろん置いてある場所で、落札価格がさほど変わることは、実際には少ないでしょう。しかし運営側としては、それぞれの本に、最良の環境を用意するのが務め。

時間に追われながらの作業とはいえ、これからはもっと真剣に、見落としのないようにしなければと、自らを戒めた次第です。

といっても、店主の明古幹事の任期は今月いっぱい。あと二回です。この戒めは、今後の自分の商売で生かしていくことにいたしましょう。

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2014年06月12日

知らないことばかり

RIMG1362先週の明治古典会で、一本(複数冊を紐で束ねたものを、こう呼びます。この時は約20冊ほど)の洋書を落札しました。

最近、洋書会でも見かける機会が少なくなった、100年ほど前の本が多く含まれた口です。明古の大先輩が続けている、倉庫整理の口から出てきたものでした。

中で、初めから気になっていた一冊の本。そのタイトルページを見ると、Volume Six とあります。しかし表紙のほうには Book 1、背にも English Authors という書名と Hubbard という著者名のあいだに数字の1だけ。

いずれにせよ端本であることは間違いないのですが、この違いに頭をひねりました。

後見返しに鉛筆で、売価と仕入れ値の符丁らしきものと「烏水旧蔵」という覚え書の他に「六冊」という文字が書かれています。もとは6巻揃っていたのだろうかと思いました。

結論から申し上げれば、6巻本ではありません。目次をみると、この巻には6人の作家が取り上げられており、先輩は6編を合冊したものだと考えられたのでしょう。というのも、同じシリーズの1編と思われる薄い冊子が2冊、一緒にあったからです。

それぞれは
Little Journeys to Homes of Great Scientists:
Humboldt (April, 1905. Vol. XVI, No. 4),
Little Journeys to Homes of Great Lovers :
D. G. Rossetti and E. Siddal (July, 1906. Vol. XIX, No. 1)


どうやら数多い冊子をシリーズで出し、それを合本して出版したようです。それも編集し直して何度か。この時は、第6巻と第7巻が English Authors 、だから Book 1 なのでした。後に、全14巻として出版されているものでは、この巻立てが変わっています。

ところで、この著者が気になって Wikipedia を開き、興味深い人物であることを知りました。おそらく米出版史上では著名人。また一つ、自らの無知を悟らされた次第です。

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2014年06月11日

経済学者の予見

『読書のすすめ』(岩波文庫編集部編)というPR小冊子をご存知でしょうか。

イメージ (155)今、手元にあるのは、1998年刊の第5集。そのあとがきによれば、1991年に第1集が出たといいます。もっと古くからあったような気がしておりましたが、よく似た別のシリーズと記憶が混同したのでしょう。

同じくあとがきに、第4集までを『岩波文庫別冊』として出版したとありますので、店の棚を調べてみました。

すると、『読書のすすめ』(岩波文庫別冊11 1997年)ばかりか、『読書のたのしみ』(岩波文庫別冊15 2002年)まで並んでいます。こちらの方に第5集から第7集までが収録されていました。

それはともかく、この90頁余の無料PR冊子のなかに、経済学者森嶋通夫の一文があり、その一節をご紹介したいと思ったのが、以上の、なくもがなの前ふりの理由です。

森嶋は、この1998年という時点で、出版業界の活動状況を、出版物の量で計るなら、現状は「青息、吐息」どころか、「笑い」が止まらぬ全盛時代だというべきだろうと、分析しています。

その上で出版業界の将来について、彼とミルトン・フリードマンは同じような予想をしているが、「細部では、二人の予想は違う」として以下のように述べます。

私の場合は需要の限度を越えた、供給過剰が、供給者を壊滅させるのだが、彼の場合は技術革新の結果、やがては人間は印刷した紙を知識伝達の媒体としなくなるというのが理由である。

フリードマンの炯眼には、改めて感服するしかありませんが、森嶋がここで唱えた供給過剰の危機は、現在、古書業界を襲っていると見ることもできそうです。

手元の小冊子の裏表紙には、今はない「東京旭屋書店渋谷店」のゴム印が押してありました。新刊書店業界は、すでに洪水の後ということでしょうか。

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