2014年08月
2014年08月31日
駒場でお茶
晩夏の風情漂う月末。
早目のお昼を食べ、近頃、半ば慣習化している昼寝でもしようかと、店番を任せて裏のソファーで横になった時、「お客様ですよ」と声がかかりました。
小店開業初期、おなじみ客のなかに、国文科へ進んだ学生さんが二人、三人いらっしゃいましたが、そのうちのお一人で、今は鹿児島大学の先生になっているNさんです。
たまに上京されると、忘れずに顔を出してくださいます。今日も、下高井戸で学会の準備会があるとかで、そのついでに立ち寄ってくださいました。
近世文学の先生に、じっくり見ていただくような棚でもありませんので、早速お茶にお誘いして、表に出ました。
普段なら裏にお通しするのですが、折悪しく荷物が山積みで、とてもゆっくり座って話ができる状態ではなかったものですから。
そんなわけで店主にとっても、駒場でお茶をするというのは、実に久しぶりのこと。ガードの向うなら、どこか空いているだろうと歩いて行くと、DORAはお休み。その先のCOLORADOが営業していて、席も空いていました。
どちらも小店より古くからやっている昔ながらの店ですが、DORAが学生相手の喫茶店という雰囲気なのに対し、COLORADOは、いわゆるコーヒーショップという作り。
実は店主、こちらの店には、これまでに一、二度くらいしか入ったことがありません。席について、オーダーをした後、連れのNさんが「変わってないですね」と、女性ご店主(かどうかも存じませんが)を見てつぶやきました。
彼の方が、利用した回数はずっと多かったようです。
とりとめなく近況を語り合い、あっという間に時間が過ぎました。会議の予定は午後二時からとかで、「新米ですから、遅れるわけにはいきませんので」と、席を立たれます。
駅まで一緒に戻り、そこでお別れいたしました。
早目のお昼を食べ、近頃、半ば慣習化している昼寝でもしようかと、店番を任せて裏のソファーで横になった時、「お客様ですよ」と声がかかりました。
小店開業初期、おなじみ客のなかに、国文科へ進んだ学生さんが二人、三人いらっしゃいましたが、そのうちのお一人で、今は鹿児島大学の先生になっているNさんです。
たまに上京されると、忘れずに顔を出してくださいます。今日も、下高井戸で学会の準備会があるとかで、そのついでに立ち寄ってくださいました。
近世文学の先生に、じっくり見ていただくような棚でもありませんので、早速お茶にお誘いして、表に出ました。
普段なら裏にお通しするのですが、折悪しく荷物が山積みで、とてもゆっくり座って話ができる状態ではなかったものですから。
そんなわけで店主にとっても、駒場でお茶をするというのは、実に久しぶりのこと。ガードの向うなら、どこか空いているだろうと歩いて行くと、DORAはお休み。その先のCOLORADOが営業していて、席も空いていました。
どちらも小店より古くからやっている昔ながらの店ですが、DORAが学生相手の喫茶店という雰囲気なのに対し、COLORADOは、いわゆるコーヒーショップという作り。
実は店主、こちらの店には、これまでに一、二度くらいしか入ったことがありません。席について、オーダーをした後、連れのNさんが「変わってないですね」と、女性ご店主(かどうかも存じませんが)を見てつぶやきました。
彼の方が、利用した回数はずっと多かったようです。
とりとめなく近況を語り合い、あっという間に時間が過ぎました。会議の予定は午後二時からとかで、「新米ですから、遅れるわけにはいきませんので」と、席を立たれます。
駅まで一緒に戻り、そこでお別れいたしました。
2014年08月30日
古本屋らしい
先日、宅買いに伺った折、ご本人の蔵書とは別に、納戸の造り付け棚の天井近くに、すっかりヤケて黒ずんだ古い本が、二列ばかり並んでいるのを見つけました。
思わず目が吸い寄せられ、「あれは?」とお尋ねすると、「父のものですが、良かったら一緒にどうぞ」とお許しが出ました。
勇んで踏み台に乗り、近づいて目を凝らしましたところ(明かりが暗く良く見えなかったものですから)、大半は文庫新書で、残りも多くは普通の読み物類。
よほど状態が良ければ、それなりに珍重されそうな本もありましたが、先に申しました通り、外見は並以下。
結局、その棚からはごく一部だけをいただいてまいりました。古書価を基準にして選んだのではありません。値のつくものは殆どないはずです。あくまで店主の好み、自分でも読んでみたいという本を選びました。
店のどこかに、こういう本を並べておく棚を作りたい気もいたします。なかなか売れないでしょうがね。
吉川幸次郎『随筆集 短長亭集』筑摩書房、昭39
庄野潤三『流れ藻』新潮社、1967
大佛次郎『砂の上に』光風社書店、昭39(四版)
尾崎士郎『わが青春の町』河出書房新社、昭38
土岐善麿『目前心後』東峰出版、昭38
内田百間『東海道刈谷駅』新潮社、昭35(三刷)
小池藤五郎『愛書家のつぶやき』桃源社、昭36
庄司浅水『わが愛書の記』帖面舎、昭38、限505
〃『紙魚のたわごと』朝日新聞社、昭41
江崎悌三『江崎悌三随筆集』北隆館、昭33
岸田日出刀『縁』相模書房、1958
西山卯三『住み方の記』文藝春秋、昭40
ちなみに函はヤケていますが、中はきれいです。
思わず目が吸い寄せられ、「あれは?」とお尋ねすると、「父のものですが、良かったら一緒にどうぞ」とお許しが出ました。
勇んで踏み台に乗り、近づいて目を凝らしましたところ(明かりが暗く良く見えなかったものですから)、大半は文庫新書で、残りも多くは普通の読み物類。
よほど状態が良ければ、それなりに珍重されそうな本もありましたが、先に申しました通り、外見は並以下。
結局、その棚からはごく一部だけをいただいてまいりました。古書価を基準にして選んだのではありません。値のつくものは殆どないはずです。あくまで店主の好み、自分でも読んでみたいという本を選びました。
店のどこかに、こういう本を並べておく棚を作りたい気もいたします。なかなか売れないでしょうがね。
吉川幸次郎『随筆集 短長亭集』筑摩書房、昭39
庄野潤三『流れ藻』新潮社、1967
大佛次郎『砂の上に』光風社書店、昭39(四版)
尾崎士郎『わが青春の町』河出書房新社、昭38
土岐善麿『目前心後』東峰出版、昭38
内田百間『東海道刈谷駅』新潮社、昭35(三刷)
小池藤五郎『愛書家のつぶやき』桃源社、昭36
庄司浅水『わが愛書の記』帖面舎、昭38、限505
〃『紙魚のたわごと』朝日新聞社、昭41
江崎悌三『江崎悌三随筆集』北隆館、昭33
岸田日出刀『縁』相模書房、1958
西山卯三『住み方の記』文藝春秋、昭40
ちなみに函はヤケていますが、中はきれいです。
2014年08月29日
月末の金曜日
ここ数日の東京は、まるで梅雨のような天気ですが、猛暑と豪雨に祟られた8月も、今日の明治古典会が最後の市になりました。
店の方はこの8月、前半こそ健闘しているような気がしておりましたが、月の後半に入ると、いつもと同じ、あるいはそれ以上に低調な売り上げが続いて、青息吐息。
そんな具合ですから、市場に来ても、なかなか入札気分が盛り上がりません。
というわけで、出品量はまずまずだった今日の市でも、結局一点も入札できませんでした。もちろん、懐具合とか、元気とかいう以上に、小店に向いた品が見つからなかったことが大きな理由ではありますが。
それでも、もう少しテンションが高ければ、冷やかし気分で、落ちれば儲けものという札を入れることもあります。その気力が出ないという点においては、やはり店の売り上げ不振が響いているのかもしれません。
冷やかしと申しましたが、実はそれだって市場を盛り上げるためには大切なことです。封筒に入っている札の枚数に、全く左右されないという入札者は、まずおりません。賑やかしの札にも、意味はあるのです。
似たようなことが、フリにもあるのを、今日改めて感じました。
今日は、月の最終市で、恒例フリ市の日。回を重ねて、運営の方は次第に手際良くなり、参加者もだんだんと要領をつかんできたように思います。
とはいえどうかすると、最初の一声がなかなか出ないことがあります。お互いが牽制し合っての結果でしょう。そんな時、口火を切れるのは、案外、実際に買う気のない、野次馬的な立場の人であることが多いのです。
私たちの市場は、最低取引価格が2000円です。その2000円の声が出たとたん、あちこちから手が上がり、あっという間に10万円を超えることも、何度か目の当たりにしました。
確かに、10万円以上で買おうと考えている人にとって、最初の一歩を踏み出すのは、なかなか難しいことではあるでしょう。いきなり10万円と声を出して、誰もついてこなければ、それはそれで不安が残るものですし。
店主の方は、いつも通りただ座っているだけ。それでもフリ市の活気に、少しは元気をもらった気がします。
店の方はこの8月、前半こそ健闘しているような気がしておりましたが、月の後半に入ると、いつもと同じ、あるいはそれ以上に低調な売り上げが続いて、青息吐息。
そんな具合ですから、市場に来ても、なかなか入札気分が盛り上がりません。
というわけで、出品量はまずまずだった今日の市でも、結局一点も入札できませんでした。もちろん、懐具合とか、元気とかいう以上に、小店に向いた品が見つからなかったことが大きな理由ではありますが。
それでも、もう少しテンションが高ければ、冷やかし気分で、落ちれば儲けものという札を入れることもあります。その気力が出ないという点においては、やはり店の売り上げ不振が響いているのかもしれません。
冷やかしと申しましたが、実はそれだって市場を盛り上げるためには大切なことです。封筒に入っている札の枚数に、全く左右されないという入札者は、まずおりません。賑やかしの札にも、意味はあるのです。
似たようなことが、フリにもあるのを、今日改めて感じました。
今日は、月の最終市で、恒例フリ市の日。回を重ねて、運営の方は次第に手際良くなり、参加者もだんだんと要領をつかんできたように思います。
とはいえどうかすると、最初の一声がなかなか出ないことがあります。お互いが牽制し合っての結果でしょう。そんな時、口火を切れるのは、案外、実際に買う気のない、野次馬的な立場の人であることが多いのです。
私たちの市場は、最低取引価格が2000円です。その2000円の声が出たとたん、あちこちから手が上がり、あっという間に10万円を超えることも、何度か目の当たりにしました。
確かに、10万円以上で買おうと考えている人にとって、最初の一歩を踏み出すのは、なかなか難しいことではあるでしょう。いきなり10万円と声を出して、誰もついてこなければ、それはそれで不安が残るものですし。
店主の方は、いつも通りただ座っているだけ。それでもフリ市の活気に、少しは元気をもらった気がします。
2014年08月28日
古書組合の総会
昨日は東京古書組合の定時総会でした。
現在の組合員数は612名(6月末)。出席者数は90余名との発表。委任状が260余通提出され、総会は無事成立しました。
ずっとこんな調子です。過半数をようやく超える。
今年は役員改選の年に当たるため、関わりのある組合員はほぼ出席しますから、委任状さえ集まれば、まず定数割れの心配はありません。
これが非改選の年となると、事務局は委任状の回収状況にやきもきすることになります。とりわけ重要議題や争点になるような案件がなければ、関心も低調となって、予断を許さない状況が生まれます。
人集めに苦労するということは、賛否の分かれるような問題に直面していないということ、という見方もできなくはないのですが。
しかし、だからといって組合運営が順風満帆だというわけでは、もちろんありません。組合事業の今後について、それに携わっている組合員は、一様に不安を抱いています。
20年前の交換会出来高と、昨年の出来高を並べて比べたら、なぜ組合運営が出来ているのか、誰もが不思議に思うはずです。
あたかも老化というものは徐々にやってくるため、少しずつ体が慣らされていくのと似ているでしょうか。もし20代の自分が突然、現在の自分のような体調になったとしたら、驚いて病院に駆け込むことでしょう。
組合も、だましだまし年を取ってきたのかもしれません。人間なら代替わり、建物なら建て替え。組織の場合にはそれに類したリフレッシュ策は可能でしょうか。
また二年間、組合役員を務めることになりました。
現在の組合員数は612名(6月末)。出席者数は90余名との発表。委任状が260余通提出され、総会は無事成立しました。
ずっとこんな調子です。過半数をようやく超える。
今年は役員改選の年に当たるため、関わりのある組合員はほぼ出席しますから、委任状さえ集まれば、まず定数割れの心配はありません。
これが非改選の年となると、事務局は委任状の回収状況にやきもきすることになります。とりわけ重要議題や争点になるような案件がなければ、関心も低調となって、予断を許さない状況が生まれます。
人集めに苦労するということは、賛否の分かれるような問題に直面していないということ、という見方もできなくはないのですが。
しかし、だからといって組合運営が順風満帆だというわけでは、もちろんありません。組合事業の今後について、それに携わっている組合員は、一様に不安を抱いています。
20年前の交換会出来高と、昨年の出来高を並べて比べたら、なぜ組合運営が出来ているのか、誰もが不思議に思うはずです。
あたかも老化というものは徐々にやってくるため、少しずつ体が慣らされていくのと似ているでしょうか。もし20代の自分が突然、現在の自分のような体調になったとしたら、驚いて病院に駆け込むことでしょう。
組合も、だましだまし年を取ってきたのかもしれません。人間なら代替わり、建物なら建て替え。組織の場合にはそれに類したリフレッシュ策は可能でしょうか。
また二年間、組合役員を務めることになりました。
2014年08月27日
万引き対策
お母さんが、小学中学年の男の子を連れて、表から声をかけられました。
「あの、すみません。この子が、友だちに取ってこいと言われたとかで、これを持ってきてしまったんです」
出て行った店主に差し出したのは、一個100円で表の箱に山盛りにしてある、ジャンクのミニカーです。
こういうことがあるだろうとは、予想していました。子どもが盗ることではなく、親御さんが謝りに来られることです。
「万引きは犯罪です」というポスターを東京都(警視庁でしたか)が作ったのは、もう何年前のことだったでしょうか。
そのきっかけとなる万引き防止協議会に出席したのは、前々回、理事を勤めた時ですから8年近く前のことになります。
都庁の高層階にある会議室で、当時の副知事が議長になって、物々しい会議を何回か開きました。
公安関係者は、重大犯罪への入り口になるとして、今後は重点的に対策を考えると言っていました。
その一つに、被害を届け出るとそれだけで一日が潰れてしまったような、従来の警察の対応を改善するというのがありました。
幸いなことに、小店ではこれまで警察沙汰にするような事件がありませんでしたから、過去がどうで、現在はどうだというようなご説明はできません。
それでも、万引きがなかったとは思っておりません。とりわけ表にジャンク雑貨を置くようになってからは、そういう機会を与えているのではないかと、いささか恐れるところはありました。
せめて、今回のような事態に、その子のためにもなる、一番良い対応を考えておかなければと思います。
お母さんが涙声で詫びられるのを聞きながら、改めてそう感じました。
「あの、すみません。この子が、友だちに取ってこいと言われたとかで、これを持ってきてしまったんです」
出て行った店主に差し出したのは、一個100円で表の箱に山盛りにしてある、ジャンクのミニカーです。
こういうことがあるだろうとは、予想していました。子どもが盗ることではなく、親御さんが謝りに来られることです。
「万引きは犯罪です」というポスターを東京都(警視庁でしたか)が作ったのは、もう何年前のことだったでしょうか。
そのきっかけとなる万引き防止協議会に出席したのは、前々回、理事を勤めた時ですから8年近く前のことになります。
都庁の高層階にある会議室で、当時の副知事が議長になって、物々しい会議を何回か開きました。
公安関係者は、重大犯罪への入り口になるとして、今後は重点的に対策を考えると言っていました。
その一つに、被害を届け出るとそれだけで一日が潰れてしまったような、従来の警察の対応を改善するというのがありました。
幸いなことに、小店ではこれまで警察沙汰にするような事件がありませんでしたから、過去がどうで、現在はどうだというようなご説明はできません。
それでも、万引きがなかったとは思っておりません。とりわけ表にジャンク雑貨を置くようになってからは、そういう機会を与えているのではないかと、いささか恐れるところはありました。
せめて、今回のような事態に、その子のためにもなる、一番良い対応を考えておかなければと思います。
お母さんが涙声で詫びられるのを聞きながら、改めてそう感じました。
2014年08月26日
旱魃か洪水か
カーゴ5台のフランス書の出品があるということは、早くから聞いておりました。今日の洋書会です。
土曜日でしたか、知り合いの同業から、月曜日にドイツ語の本をカーゴ2台ばかり持ち込みたいという電話を受けました。もちろん否やはありません、会のサイトに情報を上げておきました。
今朝になって、ふと気がかりになり、午前10時過ぎ、当番会員にどんな状況ですかと電話を入れました。
帰ってきた答えは、結局全部で14台ほどの出品になっているとのこと。案じたとおりでした。集まる時は重なります。一人でも人手が必要だろうと、急遽、会館に向かうことにしました。
到着は午前11時過ぎ。前回までの品薄が嘘のように、すべての台に本が並べられて、まだ仕分けの手がついていない口も、いくつかあります。
途中お昼も手早く済ませ、さらに午後1時過ぎまでかかって、ようやく開場準備を終えました。
一番の大口である、カーゴ5台のフランス書は、その殆どが経済関係の学術雑誌で、それも揃ってはいないらしく、大部分がボー(売買不成立)になっていました。
まだ組合に入って何年も経っていない、若い業者さんの出品でしたが、今回は厳しい結果となったようです。
洋書会の会員たちは、荷の片づけなどを手伝いながら、なだめるように、諭すように事情を説明していました。これに懲りて洋書は扱わない、などということのないようにと。
そのあたりは、すでに経験済みらしく、日本書でも同じようなことはあるのですからと、納得されていました。
それにしても、天候不順には、地球温暖化がその原因としてあると言われます。市場の出品状況の、まるで旱魃と洪水を繰り返しているかのような不順にも、なにか深い原因があるのかも知れません。
土曜日でしたか、知り合いの同業から、月曜日にドイツ語の本をカーゴ2台ばかり持ち込みたいという電話を受けました。もちろん否やはありません、会のサイトに情報を上げておきました。
今朝になって、ふと気がかりになり、午前10時過ぎ、当番会員にどんな状況ですかと電話を入れました。
帰ってきた答えは、結局全部で14台ほどの出品になっているとのこと。案じたとおりでした。集まる時は重なります。一人でも人手が必要だろうと、急遽、会館に向かうことにしました。
到着は午前11時過ぎ。前回までの品薄が嘘のように、すべての台に本が並べられて、まだ仕分けの手がついていない口も、いくつかあります。
途中お昼も手早く済ませ、さらに午後1時過ぎまでかかって、ようやく開場準備を終えました。
一番の大口である、カーゴ5台のフランス書は、その殆どが経済関係の学術雑誌で、それも揃ってはいないらしく、大部分がボー(売買不成立)になっていました。
まだ組合に入って何年も経っていない、若い業者さんの出品でしたが、今回は厳しい結果となったようです。
洋書会の会員たちは、荷の片づけなどを手伝いながら、なだめるように、諭すように事情を説明していました。これに懲りて洋書は扱わない、などということのないようにと。
そのあたりは、すでに経験済みらしく、日本書でも同じようなことはあるのですからと、納得されていました。
それにしても、天候不順には、地球温暖化がその原因としてあると言われます。市場の出品状況の、まるで旱魃と洪水を繰り返しているかのような不順にも、なにか深い原因があるのかも知れません。
2014年08月25日
送料にこだわる
送料について考えています。
『日本の古本屋』でも、本を検索したときに、送料込みの価格が分かるようにしてほしい、という要望があるようです。
少しでも安く、そのうえ状態が良いものを選びたいという気持ちは、誰にも共通のものでしょう。検索結果を一覧したときに、送料が隠されていては、そこを比較するのに手間がかかるというわけです。
直ぐ思いつくのは、送料を一律にするという方法です。Amazonなどの取っている方法がそれです。
同じようなことですが、送料無料、つまり送料込みの価格を表示するという方法もあります。
このどちらも、実際に進めようとすると、なかなか難しい問題が生じます。一律方式の場合は、複数点お買い上げに対する対応をどうするか。送料無料の場合は、店売との調整をどうするか。
それ以上に難しいのは、業者各々のポリシーが様々で、しかもそれぞれにこだわりをもっていることです。
結局、各店の送料体系を尊重しつつ、それを在庫登録時に、出来るだけ登録してもらうようにすることで、お客様の要求に応えようとしています。
この問題が、特に重要となったのは、本を見つけた時、クレジット注文のボタンを一度押せば、それで注文が確定するというような仕組みを導入しようということになったからです。
『日本の古本屋』は注文が難しい、注文確定までの手順が面倒、という声が少なからずある。というのは、特にネット販売を中心とする同業の指摘してきたことでした。
簡単注文のためには、販売条件はすべて提示されていて、あとは注文するだけ、という状態が求められます。そこで送料の問題も出てくるわけです。
しかしこの問題、厳密に解決しようとすると、複雑な仕組みを用意する必要がありそうな気がします。店主は、ある程度アバウトに決めておくしかないと思っています。
『日本の古本屋』でも、本を検索したときに、送料込みの価格が分かるようにしてほしい、という要望があるようです。
少しでも安く、そのうえ状態が良いものを選びたいという気持ちは、誰にも共通のものでしょう。検索結果を一覧したときに、送料が隠されていては、そこを比較するのに手間がかかるというわけです。
直ぐ思いつくのは、送料を一律にするという方法です。Amazonなどの取っている方法がそれです。
同じようなことですが、送料無料、つまり送料込みの価格を表示するという方法もあります。
このどちらも、実際に進めようとすると、なかなか難しい問題が生じます。一律方式の場合は、複数点お買い上げに対する対応をどうするか。送料無料の場合は、店売との調整をどうするか。
それ以上に難しいのは、業者各々のポリシーが様々で、しかもそれぞれにこだわりをもっていることです。
結局、各店の送料体系を尊重しつつ、それを在庫登録時に、出来るだけ登録してもらうようにすることで、お客様の要求に応えようとしています。
この問題が、特に重要となったのは、本を見つけた時、クレジット注文のボタンを一度押せば、それで注文が確定するというような仕組みを導入しようということになったからです。
『日本の古本屋』は注文が難しい、注文確定までの手順が面倒、という声が少なからずある。というのは、特にネット販売を中心とする同業の指摘してきたことでした。
簡単注文のためには、販売条件はすべて提示されていて、あとは注文するだけ、という状態が求められます。そこで送料の問題も出てくるわけです。
しかしこの問題、厳密に解決しようとすると、複雑な仕組みを用意する必要がありそうな気がします。店主は、ある程度アバウトに決めておくしかないと思っています。
2014年08月24日
夏・祭・花火
今年のお神輿は、こちらへは来ないのだろうかと思うほど静かでしたが、午後4時を回ったころ、遠くからお囃子が聞こえてきました。
大橋氷川神社のお祭りです。一週間ばかり前に軒花を飾りつけにきて、木曜日と金曜日の夜には駒場町内の盆踊りがあって、昨日と今日が例大祭。
朝方、「お神輿はどこから出るのでしょうか」と若いお母さんに訊かれました。お子さんを連れて行こうとされていたのでしょう。
間違ってお教えしては大変ですから、「お向かいの畳屋さんに尋ねてみてください」とお答えしました。駒場で30年以上商いを続けても、ついに地元民たりえない店主です。
それを言えば、住まいの深沢でさえ、コミュニティーとのつながりがありません。お祭りの季節になると、それをつくづく感じます。だからどうしようというわけでもないのですが。
昨夜は、家に帰る車の中から、玉川の花火が見えました。駒沢通りを西へ向かうと、正面に見ることになります。運転していて、つい目を奪われそうになりました。
その玉川花火大会には、ビューポイントとなるレストランが、結構な割増料金で予約を取るのだそうです。
名古屋では、毎年、熱田神宮の例祭(6月)に花火の打ち上げがあり、我が家の二階からでも見ることができましたし、ちょっと表に出ればさらに良く見えるので、界隈は見物人が大勢出て、歩くのも大変なほどでした。
ですから、わざわざ花火を見るために出かけるとか、ましてやそれにお金をかけるなどということは、思いもよりません。もっとも家族によれば、それは単に店主が不精であるということに過ぎないとの意見ですが。
これを書いていて、生家の前の路地を抜けたところにある、堀川にかかる橋のたもとの少し開けた場所を、「浜」と呼んでいたことを、忽然と思い出しました。
その「浜」を川に沿って少し歩けば「七里の渡し」。夏は昔を思い出させる季節です。
大橋氷川神社のお祭りです。一週間ばかり前に軒花を飾りつけにきて、木曜日と金曜日の夜には駒場町内の盆踊りがあって、昨日と今日が例大祭。
朝方、「お神輿はどこから出るのでしょうか」と若いお母さんに訊かれました。お子さんを連れて行こうとされていたのでしょう。
間違ってお教えしては大変ですから、「お向かいの畳屋さんに尋ねてみてください」とお答えしました。駒場で30年以上商いを続けても、ついに地元民たりえない店主です。
それを言えば、住まいの深沢でさえ、コミュニティーとのつながりがありません。お祭りの季節になると、それをつくづく感じます。だからどうしようというわけでもないのですが。
昨夜は、家に帰る車の中から、玉川の花火が見えました。駒沢通りを西へ向かうと、正面に見ることになります。運転していて、つい目を奪われそうになりました。
その玉川花火大会には、ビューポイントとなるレストランが、結構な割増料金で予約を取るのだそうです。
名古屋では、毎年、熱田神宮の例祭(6月)に花火の打ち上げがあり、我が家の二階からでも見ることができましたし、ちょっと表に出ればさらに良く見えるので、界隈は見物人が大勢出て、歩くのも大変なほどでした。
ですから、わざわざ花火を見るために出かけるとか、ましてやそれにお金をかけるなどということは、思いもよりません。もっとも家族によれば、それは単に店主が不精であるということに過ぎないとの意見ですが。
これを書いていて、生家の前の路地を抜けたところにある、堀川にかかる橋のたもとの少し開けた場所を、「浜」と呼んでいたことを、忽然と思い出しました。
その「浜」を川に沿って少し歩けば「七里の渡し」。夏は昔を思い出させる季節です。
2014年08月23日
不正アクセス
先日来、店に堆積しているソフトカバー洋書の整理を、一昨日、久々に店番をしてくれた末娘に頼んでおきました。
頼んだ内容は、ともかく片端から、Bookfinderで値段(最低価格)をチェックしておいてほしい、というだけのことでした。
明らかにツブしたほうが良さそうな本まで、そのまま積んでありましたが、そうした選別、判定は、あとから店主自身がやるつもりで機械的な作業を頼んだわけです。
忠実に実行してくれたようで、店に戻ると、床にあった本は、ほとんどに小さな紙片が挟まれていて、積みなおされています。
ご苦労さんと声をかけると、「バーコード付きの本だけ先に調べたところで、こんな画面になった」と、PCを指さしました。
するとそこには警告メッセージのようなものが出ています。「正常ではないアクセスが見られるが、なにかエラーが生じていることはないか。もしそうなら連絡してほしい」と、フィードバックを求めているのです。
娘は恐れをなして、そこで作業をやめたのでした。
このBookfinderというのは、ご承知の通り検索サイトであって、販売サイトではありません。初めから多くのサイトを横断検索して比較することが目的ですから、利用方法が不正ということではないと思います。
短時間に数百件というその頻度が、チェックの対象とされたのでしょうか。もしそうだとすると、わが『日本の古本屋』も、参考にできそうです。
一時期、データ収集が目的と思われる異常な大量アクセスで、管理会社が対応に追われる事件が繰り返されました。現在では下火となっていますが、一日数千件という程度の頻度によるアクセスは、続いているといいます。
『日本の古本屋』は販売サイトですから、その本来の目的を阻害するような状況は、予防しておく必要があるでしょう。
警告画面を用意しておくのは、良い方法かも知れません。
頼んだ内容は、ともかく片端から、Bookfinderで値段(最低価格)をチェックしておいてほしい、というだけのことでした。
明らかにツブしたほうが良さそうな本まで、そのまま積んでありましたが、そうした選別、判定は、あとから店主自身がやるつもりで機械的な作業を頼んだわけです。
忠実に実行してくれたようで、店に戻ると、床にあった本は、ほとんどに小さな紙片が挟まれていて、積みなおされています。
ご苦労さんと声をかけると、「バーコード付きの本だけ先に調べたところで、こんな画面になった」と、PCを指さしました。
するとそこには警告メッセージのようなものが出ています。「正常ではないアクセスが見られるが、なにかエラーが生じていることはないか。もしそうなら連絡してほしい」と、フィードバックを求めているのです。
娘は恐れをなして、そこで作業をやめたのでした。
このBookfinderというのは、ご承知の通り検索サイトであって、販売サイトではありません。初めから多くのサイトを横断検索して比較することが目的ですから、利用方法が不正ということではないと思います。
短時間に数百件というその頻度が、チェックの対象とされたのでしょうか。もしそうだとすると、わが『日本の古本屋』も、参考にできそうです。
一時期、データ収集が目的と思われる異常な大量アクセスで、管理会社が対応に追われる事件が繰り返されました。現在では下火となっていますが、一日数千件という程度の頻度によるアクセスは、続いているといいます。
『日本の古本屋』は販売サイトですから、その本来の目的を阻害するような状況は、予防しておく必要があるでしょう。
警告画面を用意しておくのは、良い方法かも知れません。
2014年08月22日
自分の言葉を信じる
「皆さんが棄ててしまったような本こそ、今残っていると値打ちがあるのですよ」
いつもお客様に申し上げてきた言葉でした。その当人が、もうひとつ自分の言葉を信じきれなかったということでしょうか。
今日、市場に出品した日本書カーゴ2台。二、三十年ほど前の学術系の本が中心でしたから、予想に違わず、なかなか渋い落札価格にしかなりませんでした。
それはともかく、一番ガッカリしたのは、ちょっと筋違いながら保存帙に入った「暮らしの手帖」約100冊。実は、そう思って引き取ってきて、いざその帙を開いて見たら、中から現れたのは「芸術新潮」だったのです。
「暮らしの手帖」が、それほど良い値になると思ったわけではありません。しかしこれだけの冊数があれば、札を入れてくれる業者は居たはずです。
しかし「芸術新潮」となると、特にこの「暮らしの手帖」と同じ判型の、つまり1960年代の同誌は、まず札が入りません。
中身がそれと分かっていれば、わざわざ運んでこずに、その場においてきたでしょう。
その一方で、こんなことなら運べばよかったと、悔やまれるものがあります。「芸術新潮」と同年代の「週刊朝日」です。段ボール箱に詰められて、3箱ほどありましたでしょうか。
ただ、その箱自体が、かなりヤケて汚れていた上に、チラと覗いた限りでは、雑誌の方も相当ヤケているようでした。
それでも「芸術新潮」よりは、札が入る可能性が高かったと思われます。もしかすれば「化けた」(思いのほかの高値になった)かも知れないと、次第に惜しい気分になってきました。
ここにあげた三つの60年代雑誌の中で、現在一番目にする機会が少ないのはどれかと言えば、もちろん「週刊朝日」です。どの雑誌が一番広い層の興味を惹くかと考えても、答えは同じです。
こんな自明のことを、どうして過つのでしょうか。
いつもお客様に申し上げてきた言葉でした。その当人が、もうひとつ自分の言葉を信じきれなかったということでしょうか。
今日、市場に出品した日本書カーゴ2台。二、三十年ほど前の学術系の本が中心でしたから、予想に違わず、なかなか渋い落札価格にしかなりませんでした。
それはともかく、一番ガッカリしたのは、ちょっと筋違いながら保存帙に入った「暮らしの手帖」約100冊。実は、そう思って引き取ってきて、いざその帙を開いて見たら、中から現れたのは「芸術新潮」だったのです。
「暮らしの手帖」が、それほど良い値になると思ったわけではありません。しかしこれだけの冊数があれば、札を入れてくれる業者は居たはずです。
しかし「芸術新潮」となると、特にこの「暮らしの手帖」と同じ判型の、つまり1960年代の同誌は、まず札が入りません。
中身がそれと分かっていれば、わざわざ運んでこずに、その場においてきたでしょう。
その一方で、こんなことなら運べばよかったと、悔やまれるものがあります。「芸術新潮」と同年代の「週刊朝日」です。段ボール箱に詰められて、3箱ほどありましたでしょうか。
ただ、その箱自体が、かなりヤケて汚れていた上に、チラと覗いた限りでは、雑誌の方も相当ヤケているようでした。
それでも「芸術新潮」よりは、札が入る可能性が高かったと思われます。もしかすれば「化けた」(思いのほかの高値になった)かも知れないと、次第に惜しい気分になってきました。
ここにあげた三つの60年代雑誌の中で、現在一番目にする機会が少ないのはどれかと言えば、もちろん「週刊朝日」です。どの雑誌が一番広い層の興味を惹くかと考えても、答えは同じです。
こんな自明のことを、どうして過つのでしょうか。