2015年02月

2015年02月28日

逃がした魚

すぐにも手をつけよう、と思いながら年を越し、ついに2月も終わりという今日になって、ようやく音楽関係洋書の口の整理を始めました。

始めて見ると、やはりこれはただならぬ一口であったという感じが、ひしひしとしてきます。ついに興味を押さえかねて、ある一冊に挟まっていた納品伝票に見つけたお名前を、検索してみることにしました。

イメージ (6)欧文表記しかなかったのですが、著者読みからCiNiiで調べると、すぐに一人のお名前が現れました。小林義武氏――Wikipediaにも採られていて、「バッハの筆跡鑑定の世界的権威」との説明があります。「『新バッハ全集』の研究を主導した」とも書かれていました。

確かに、この口には、それだけでカーゴ1台が一杯になる分量のJohann Sebastian Bach: Neue Ausgabe samtlicher Werkeが含まれておりました。薄手とはいえ、100冊をはるかに超える大判の本で、判型も装丁もさまざま。

完全揃に100万円を超える値を付けている外国の書店がありましたが、もとより、その場では確かめるすべもありませんでしたから、手間と置場を考えて、小店は遠慮。同じように敬遠した書店も多い中、勇気と体力のある若い同業の手に落ちたのでした。

そんな口でしたから、相当の研究者の蔵書であろうとは思っておりました。他にも出ていたネット情報により、小林氏は2013年に亡くなり、やはり同じバッハ研究者であったドイツ人のご夫人が、一年後、後を追うように亡くなられたことを知りました。

そのようにして主をなくした蔵書が、どんな経緯か、ある買取業者に引き取られ、洋書会の市場に現れたという次第です。

分かってみると、不可能とは知りつつも、一切合財、まとめて引き取りたかったという気持ちにさせられます。バッハ研究の単行本は、概ね落札できたはずです。しかし、他にも大量の音楽書がありました。

なかでも、全集はともかく、復刻版楽譜の一山は、札を入れ損じたことが、今更のように悔やまれてきました。

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2015年02月27日

文化に資する

千葉県のあるお寺に、素晴らしいお宝が眠っているという噂が、仲間内では近頃、ちょっとした話題です。

お宝と言っても、名工の知られざる仏像であるとか、由緒ある仏具であるとかいった寺宝ではなく、伊勢、源氏の古写本から、西鶴の初版本に至る古典籍類の大コレクション。だからこそ、古本屋仲間の話題となっているのです。

噂と申しましたが、コレクションの存在は歴とした事実。ただ、その全貌がはっきりせず、すごいものがあるらしいという、それが噂たる所以です。ケルムスコットプレスの全冊揃も含まれているそうですので。

ごく最近、そのお寺で、コレクションの一部が展示され、関心の深い幾人かの同業が、はるばる足を運んで見に行ったといいます。この展示会では、慶應大学斯道文庫の先生による講演もあり、多くが檀家さんを中心とする地元の一般聴衆に、分かりやすく展示品の貴重さを説明されていたとか。

しかしその展示方法は、経机を並べた上に、巻物などもただ広げただけ、という大らかさで、さしもの古本屋も、見物客が誤って破損しないか心配になるほどだったと、実際に見に行ってこられた同業から聞きました。

それらを収集したのは先代の住職であったらしく、その有難味のほどは、現住職に伝えられていなかったのではないかというのが、その同業の見立て。先代は、古典籍を扱う店では、それなりに知られた方だったようです。それだけのコレクションを残されたのであれば、当然でしょうが。

現住職が、これからどうされるおつもりかは定かではありませんが、わが東京古書会館で、そのコレクションの展示をさせていただけるよう、働きかけて見てはどうかという声があります。

RIMG0014店主も、面白い試みだと思います。一度に全部というのではなく、少しずつお預かりし、それぞれの専門店に案内パンフレットでも作ってもらい、会館の情報コーナーで展示するというのはどうだろうかなど、夢は膨らみます。

このことに限らず、文化的活動というのは、今後とも組合が存続していくための、重要な要素となるような気がします。

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2015年02月26日

即売展日程会議

雨率の高い木曜日。午後から古書会館へ。

未だに続いているリニューアル会議のためですが、今日はもう一件、即売展日程会議というのがあり、どちらも午後2時開始。

年に一度しかない後者のほうに、まず出席いたしました。リニューアル会議は、いずれにせよ、こちらが終わったあとも続いているはずですし。

日程会議というのは、ほぼ毎週末、古書会館で開かれている即売展の、向こう一年間の開催日程を決めるための会議です。

この即売展は、本部会館だけでも10以上のグループが、週替わりで開催しています。南部、西部の両地区会館も合わせると、20近くになるでしょうか。その調整です。

組合年度が変わる、7月以降の日程が、今日、協議されました。大筋は前年を踏襲する形で計画されるのですが、毎年、日がずれるので、時として不都合が生じる場合があります。それらの点を勘案して、担当理事が事前に日程案を作り、各会の代表者に事前に郵送されています。

店主は、一応「洋書まつり」の責任者ということになっていますから、この日程表が送られてきました。ご承知の通り、「洋書まつり」は年に一度。特に問題がなければ、担当理事に一任して会議はパス、ということも過去にはありました。

RIMG0019しかし、今回の日程案によると、開催日が10月の最終週に置かれています。時期は申し分ないのですが、ちょうど「神田古本まつり」の期間に重なっています。

それのどこが悪いのか、むしろ人出が見込めるのではないかと、お考えになる向きもあるでしょう。しかし、そうすると神田に店を持つ会員の中には掛け持ち出展となり、参加できない店が生じる恐れがあります。

ひとまずその事情を、担当理事ならびに出席された他会の皆さんにご理解いただき、場合によっては変更していただきたいとお願いいたしました。というわけで、日程確定には至らなかった次第です。

急いでメンバーの意見を聴き、調整しなければなりません。

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2015年02月25日

半世紀前の『東大駒場』

RIMG0001今日、明日と、東京大学は入学試験。駒場周辺はいつにまして静かな空気に包まれておりました。

そんな折、店の裏に積み上げられた未整理の山を取り崩していると、偶然、二冊の古びた新書が出てきたのです。そのタイトルも『大学の青春』(川口伸一郎、三一書房、1960、1964第5刷)、『東大駒場』(山根和郎、三一書房、1966)。

どちらも裸本で、あまつさえ背にラベルを剥がした跡があり、表紙をめくった標題紙のその裏側に、大きな角印で「東京大学図書」、その上からは「東京大学消印」が押されています。

売り物になるような状態ではないのですが、今まで残っていたのは、ちょっと中身に興味があったからでしょう。時間のある時にでも読んでみようと、取っておいたものと思われます。などと他人事のようですが、何時、誰が持ち込んだのかも、今となっては記憶にありません。

『東大駒場』のほうを、手に取ってみました。パラパラとめくっていくと、「駒場の学生と先生の顔」という章があり、「教室風景―教官のいろいろ」という小見出しがついて、「先生方のプロフィール」が描かれていました。

取り上げられていたのは12名の教官。どうやら著者自身の見聞に限られているようで、そう思って前後を斜め読みしてみれば、要するに「一東大生の目から見た、現在の駒場」、ということなのでした。

ただし、一風変わった経歴を持つ大学生で、1964年文傾膤覆髪付の著者紹介にありましたが、1937年生まれと言いますから、現役生よりは10歳近い年長。大学生活を、少し距離を置いたところから眺められたのかもしれません。

この本、「高校生新書」というシリーズの一冊(第67巻)。そんな名のシリーズがあったのですね。つまりは高校生のための駒場紹介だと分かると、その語り口にも納得がいきます。

その、いささかひねた大学生の語る、ごく限られた教官月旦に、平井啓之先生の名を見つけました。

前田陽一、朝倉季雄両教授よりも、ほかの9名の先生方の誰よりも行数を費やして、まだ40代だった助教授の講義ぶりを、とりわけ好意的に描いていました。


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2015年02月24日

エチオピア語聖書

お昼から出かけて、先に一つ用を済ませ、4階の洋書会会場を覗いた時には、もう午後2時半を回っていました。

多い量とは言えませんが、展示用の平台は一通り埋まっています。いそいで一回りして、入札すべきものがあるかどうかを確かめました。

その結論は、まず店の本を片付けるのが先決。つまり、入れようと思えば何点かは入れられるものが出ておりましたが、下手に落札しても、それに手間をかける時間がとれない。

洋書の場合、山(何十冊、時として百冊を超える量)での出品が多いので、そんなことにもなります。とりわけ今日は、細かく仕分けられたものには、小店向きの本は見当たりませんでした。

何となく気合い抜けして最終台まで来ると、古ぼけた本が大小二冊、それぞれに封筒が付けられて出品されているのが目に入りました。封筒には「エチオピア語聖書」とあり、違いが分かるように大型、小型と付記されています。

開いてみると、確かに人が踊っているような、特徴あるエチオピア文字。羊皮紙かどうか定かではありませんが、鞣された革の上に書かれています。彩色の挿絵も、見覚えのある絵柄です。

大型本の方の表紙は黒ずんだ赤い色で、短毛に覆われた表皮が使われていたような気がします。

それなりに時代はありそうですが、何時ごろのものであるか、どれほどの価値があるものか、まるで見当が付きません。とても貴重な物にも思えるし、今でも現地に行けば売られていそうにも思えます。

RIMG0007結局二点は、別々の業者が落札したのですが、いざ落ちてみると、それが何とも、至極真っ当な価格であるように思えてきたのが不思議でした。

話変わって、今日、都丸書店さんに会い、先日の新聞コラムの話をすると、ご当人も読まれていたらしく、「やめられなくなっちゃうな」と笑っておられました。少し明るい兆し。

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2015年02月23日

寝起きが悪い

最近あまり使われなくなった言葉ですが、以前、反応の鈍い人間を「蛍光灯」などと言ってからかったりしたものです。今、その語感を理解できるのは、古い人間だけなのかもしれません。

そんなことを思い出したのは、朝、店に来て、近頃めっきり起動の遅くなった帳場のPCにスイッチを入れて、それが立ち上がるのを所在なく眺めていた時のことです。

RIMG0005このPC、現在使っているなかでは、一番古いものになってしまいました。かれこれ5年ほど経っている勘定です。廉価な、低スペックの機種ですから、そろそろ寿命だと言われても仕方ありません。

それでも朝、立ち上げた時と、夕方とでは、一つ一つの作業に移るまでの反応速度に差があるように思えるので、もしかしたらウィルス対策ソフトなどが、朝方はとりわけ入念にチェックをしているのかもしれないと、素人考えを巡らしたりもしております。

というのも、夕方になると、朝のうちほど反応の遅さが気にならなくなっているからです。もちろん、決して「サクサク」というスピード感はありません。しばらく放置していて、また作業しようとする時など、やはりなかなか腰を上げようとしないこともしばしばです。

こう書いていて、なんだか我が身のことを話しているように思えてきました。

若い頃は寝付きも、寝起きも良い方でした。寝付きの方は今でも、世間の同年代に比べて、決して悪いとは思いません。眠れずに苦労したことは、これまでの人生でも数えるほどです。

それに比して寝起きの方は、近年急速に辛くなっています。布団から出られない、というようなことはありませんが、起きてしばらく、体のあちこちに凝りや痛みを感じ、果たして今日一日働けるだろうかという、不安がよぎることもあります。

しかし朝食をとり、車に乗り、店に着き、店を開け――と、ルーティンをこなしているうちに、いつの間にやら体が動いています。油断していると、腰が警告を発したりはしますが。

PCはいずれ買い替えることになるとして、生身の体の方は、どうしたものでしょうか。

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2015年02月22日

栄枯盛衰

昨夜、親しい同業が新店舗を開くというので、そのレセプションパーティーにお招きを受け、神保町まで行ってきました。

RIMG0006同業というからには、もちろん古本屋なのですが、彼が開いた新店舗は古書店ではありません。現代美術を中心に扱う画廊です。

随分様変わりしたとはいえ、今なお古書店街の中心といって良い一丁目の、靖国通りに面したビルの二階。午後7時からのパーティーに、30分ほど遅れて駆けつけると、30坪ほどの店内は人で一杯。手に手に飲み物を持ち、テーブルの軽食をつまみながら、談笑しておりました。

半ば以上は、普段から顔を合わせる同業たちです。それも店主よりは若い連中が多く、彼らは概ねリラックスした雰囲気で楽しんでいる様子でした。

壁面には、商品でもある美術品が数多く掛けられていましたが、それらを見て回るには人が多すぎ、手近な数点を眺めたに過ぎません。それはまた別の機会にと、談笑に加わりました。

もとより、お客様のためのパーティーであるはずですから、同業があまり長居をしても失礼です。いつもの仲間の顔を見つけ、示し合わせて早々に退出いたしました。

軽食にもほとんど手を付けませんでしたから、一緒に食事をということになり、結局ふだん行きつけの三幸園で中華の卓を囲み、二日続けての食事会となったのです。

話題は当然、昨夜の主人公である新店舗の主の、旺盛なバイタリティーへの驚嘆から始まり、やがては神保町盛衰記というようなところに移って行きました。

産業規模からすれば、芥子粒のような古書業界のなかにさえ、栄枯盛衰はあります。彼を含め、そのパーティーに顔を見せていたような若い世代が隆盛を極め、業界に新たな刺激を与えてくれることを願わずにはおられません。

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2015年02月21日

いまいそがしい

「もしもし、こちら××の○○と申します。ヤフーの電話帳に電話番号とお名前が出ておりましたのを拝見して、お電話させていただきました。代表者の方はお出でになりますでしょうか」

この手の電話は、初めの数秒で分かるものですが、時おり失礼をすることがあるので、念のため、黙って確実なところまで聞くことにしております。

RIMG0018明らかに営業の電話と分かった時点で「すいません、今ちょっと忙しいので」とお返事すると、今回の電話は割合あっさりと引き下がってくれました。

ヤレヤレと受話器を戻していると、「いまちょっといそがしいんだって」と、小さな子の声がします。「え?忙しいって?」とお母さんの声も。

見ると、お子さんが三人、帳場の前に横並びになって顔を出しています。お母さんはその後から入って来られたところでした。「いまいそがしいんだって」と、口々にお母さんに訴えかけます。

「ダメなんですか?」お母さんも半ば真顔で尋ねられました。

思わず可笑しくなって、「いえいえ、今そういって電話を切ったところです」と申し上げると、ようやく「大丈夫ですか?大丈夫だって」。三人のちびっこが、それぞれ手にしていた小さなフィギュアを、帳場の机に乗せました。

表のジャンク雑貨のなかでも、とりわけ小さな3個100円のフィギュア。三人が仲良く一つづつ選んで、帳場まで来たところで店主の言葉が耳を捉えたのでしょう。

皆同じような年恰好、幼稚園の年中さんくらいに見受けられましたから、兄弟ではなく、お友達が一緒だったのかも知れません。

それにしても、「忙しい」ということばが、このくらいの年の子たちにとっても、充分理解できる概念なのは、しばしば大人たちから聞かされるからなのでしょう。ちょっと反省させられますね。

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2015年02月20日

外国人留学生

年恰好から見て、おそらく留学生だと思われる外国人が、紙袋二つを下げて店に入ってこられました。

「この本を置いていきたいんですが」と言われたように聞こえました。英語です。「お売りになりたい?」と尋ねると、「買ってもらえるようなものであれば」という意味のお返事。

厚くて重い本を中心に約20冊。一冊ずつ紙袋から出しながら見ていくと、考古学系の学術研究書が数冊、歴史系の専門書が数冊、そのほかもう少し一般的な歴史書が数冊。全般に硬い本で、やはり留学生のよう。

やがて、見覚えのある、緑色の古びたクロス装の本が出てきました。C. M. Gayley, The Classic Myths in English LIterature
and in Art. Ginn and Company, c1911。 表見返しの遊び紙に、朱色の蔵書印が押されていて、小店が何度かお引き取りに伺った、S先生の旧蔵書だと分かります。

「うちで買っていただいた本ですね?」とお尋ねしたつもりです。どうやら伝わったようで「友人から貰ったのです」という答えが返ってきました。

さらに他の本を取り出していると、「近く国に帰ることになり、部屋を片付けているところです。残していくしかありませんので、引き取っていただけるならタダでもいいのです」。

RIMG0003冒頭の言葉は、やはりそういう意味だったのでした。しかし、だからといってハイそうですかと、いただいてしまうわけにはまいりません。売るのが難しい専門書ではありますが、高い売値が付けられていそうなものもあります。

お引き取り金額を申し上げると、「十分です」と(いうようなことを)仰って、喜んで受け取り、帰って行かれました。

帰られてから、先ほど気が付いたS先生の旧蔵書を開くと、一枚のメモがはさまれていて、「2年半の交遊の思い出に寄贈します。もし要らなければ捨ててしまってください(just throw away)」という走り書きがありました。

他にも一、二冊、似たようなメモがはさまれていて、今回御持ち込いただいた本の何割かは、同様に人から譲り受けたもののようです。

それもあって「タダでもいい」という言葉になったのでしょう。throw away しないで、お持込み下さったお気持ちを大切にし、次の読者を探したいと思います。

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2015年02月19日

成人図書

世に成人図書と称される本があります。その定義は曖昧で、ややこしい問題を含んでいます。しかしここでは、その問題に深入りするつもりはありません。ともかくそういう本が存在する、その先の話です。

現在、そうした本を店頭で販売する場合は、区分陳列を求められます。売り場を区分して、入場に制限を設けるか、明示して封入するなどし、誰でもが簡単には見られないようにしておかなければなりません。

これはある意味で、書店にとっても合理的な方法です。そうした本を求める人に、その在り処が分かり易いことが何よりですし、時によっては人目を避けるのにも適していたりするからです。

人目を避けるという意味では、ネットなどは本来、一番人目を気にせずその手のものを購入することができるという点、一番それに適した売り場なのかもしれません。

「日本の古本屋」では、これらの取り扱いには、結構苦労してきました。店舗の場合のように、成人向コーナーを設けるのは、いかにも堂々とそういうものを扱っておりますと宣言することになり、いささか憚られます。

かといって、そういう本を売りたい、買いたいという方々を、まったく排斥することも、無論できません。

お断りしておきますが、いわゆる「不健全指定図書」や「児童ポルノ」といった、売ってはいけない本の話をしているのではありません。普通に世間に流通しているが、あまり青少年の目には触れさせたくない、といった種類の本のことです。

以前から「日本の古本屋」には成人向という区分があり、売る側がそのように登録しておけば、買う側が、そうした本を表示するように設定しない限り、表示されない仕組みになっています。

しかしこれは区分陳列とは、似て非なるものです。つまり売る側にはほとんどメリットがない。成人向コーナーがあるわけではありませんから、単に検索される機会を減らしているに過ぎません。つまり、あくまで書店側の良心に委ねられているわけです。

RIMG0004実際のところ、どの程度の成人向図書が「日本の古本屋」に登録されていて、そのうちどれくらいが、正直に成人向きと指定されているか、調べたこともなく、調べようもありません。

もっとも近頃は、取締りの対象はいわゆる児童モノに集中していますので、その出品防止対策が、最重要課題となっております。

konoinfo at 22:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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