2015年05月
2015年05月11日
老けて見える
「河野さん、70年前はどこにおられました?」
いきなりそう尋ねられた時は、さすがに面喰いました。ときどき紙袋を両手に提げて、本をお持ちいただくご老人から。
「まだ生まれておりませんが」と、お答えすると、「ああ、そうか。まだ60代ですか。前途洋洋ですな」と大きな声でおっしゃったあと、ご自身は83歳であると告げられました。
そういえば何時だったか、「ご主人は、私より若いですよね」と尋ねられたこともありました。確認するような口調ではありましたが。「少しは若いと思いますよ」と、社交辞令でお応えしましたので、あるいはその時点から誤解されていたのかもしれません。
年より若く見えるとは思いませんが、そこまで老けて見られることも、他では経験がありませんから、このご老人独自の見方によるものだと思っておくことにいたします。
それで思い出したのは、かつて同業の先輩で、眉毛が長く、白いものが混じっている方がおられました。ある時、問わず語りに「これは、わざと切らずに伸ばしているんです」と言われます。
「これのおかげて、お客様のところへ行って、値踏みをしても信用してもらえるのです。若く見られると、どうも信用されなくて」
もう30年近く前に聴いた話ですから、当時先輩は、今の店主より若かったことになります。現在では、そういう苦労をせずとも、充分に信用されるだけの年輪がお顔に刻まれています。もっとも最近は、すでに息子さんに商売の方は任されているようですが。
さて、先のご老人は、現代社会の問題に関心がおありのようで、『改憲の何が問題か』『日本降伏』『永続敗戦論』といった、アクチュアルな本を読まれては、まだ新しいうちにお持ち下さる有り難いお客様です。
ただし、一つ難点があって、頁を何か所も折りこむ癖がおありなのです。「折らないように読まなきゃあね」と、その都度おっしゃるのですが、今回お持ちくださった本も、しっかりと耳がおられておりました。
いきなりそう尋ねられた時は、さすがに面喰いました。ときどき紙袋を両手に提げて、本をお持ちいただくご老人から。
「まだ生まれておりませんが」と、お答えすると、「ああ、そうか。まだ60代ですか。前途洋洋ですな」と大きな声でおっしゃったあと、ご自身は83歳であると告げられました。
そういえば何時だったか、「ご主人は、私より若いですよね」と尋ねられたこともありました。確認するような口調ではありましたが。「少しは若いと思いますよ」と、社交辞令でお応えしましたので、あるいはその時点から誤解されていたのかもしれません。
年より若く見えるとは思いませんが、そこまで老けて見られることも、他では経験がありませんから、このご老人独自の見方によるものだと思っておくことにいたします。
それで思い出したのは、かつて同業の先輩で、眉毛が長く、白いものが混じっている方がおられました。ある時、問わず語りに「これは、わざと切らずに伸ばしているんです」と言われます。
「これのおかげて、お客様のところへ行って、値踏みをしても信用してもらえるのです。若く見られると、どうも信用されなくて」
もう30年近く前に聴いた話ですから、当時先輩は、今の店主より若かったことになります。現在では、そういう苦労をせずとも、充分に信用されるだけの年輪がお顔に刻まれています。もっとも最近は、すでに息子さんに商売の方は任されているようですが。
さて、先のご老人は、現代社会の問題に関心がおありのようで、『改憲の何が問題か』『日本降伏』『永続敗戦論』といった、アクチュアルな本を読まれては、まだ新しいうちにお持ち下さる有り難いお客様です。
ただし、一つ難点があって、頁を何か所も折りこむ癖がおありなのです。「折らないように読まなきゃあね」と、その都度おっしゃるのですが、今回お持ちくださった本も、しっかりと耳がおられておりました。
2015年05月10日
おもちゃ屋
ピクニック日和とでも言いたくなるような、気持ちのいい日曜日です。小さな子がいる家庭は、こぞって近くの公園に出かけたに違いありません。
そんな親子連れが、今日は朝から、小店の一番のお客様でした。いつもながら親も子も、百人百態。その様子を眺めているだけで、いろいろと考えさせられて、飽きることはありません。
遊び場だと勘違いしている子も多く、幼子がそう思う分には、咎めようもありませんが、中には付き添っているママも、それを当然のことのように、ただ遊ばせているだけと見えることもあります。
パパの場合、まずそういうことはありません。それは店に気遣いがあるというよりは、ご自身に興味がないことについて、そんなに辛抱強く待っていられないからでしょう。
今日のパパは、子が走り寄るなり、「買わないよ!」と、きっぱり宣言しました。お子さんの方は、それを無視してふたつばかりプラレールを選び出し、「これ欲しい」。そこから先は「買って」「買わない」の応酬です。
長いこと、男の子の泣き叫ぶ声が続きました。店先からは離れたのですが、すぐ前の路上で、延々と主張し続けていたのです。
なぜその場にとどまったままなのか、表まで見に行ったわけではありませんから、様子が分かりませんが、座り込んで動かなかったということでもなさそうです。あるいは、ママと待ち合わせをしていたのでしょうか。
「じゃあ先に帰るよ」というパパの声が、繰返し何度か聞こえた後で、事態は収拾されないまま、叫び声だけが次第に遠ざかって行きました。
もちろんママが相手でも、駄々をこねる子はいます。しかし、そこから先のあしらい方には、パパとママでは、はっきりと経験の差が現れるようです。ママの方は、日に何度となく、そうしたことを繰り返しているのでしょうから。
ですから、子のやりたいようにさせて、静かに見ているというママの子育て方針には、充分敬意を払いたいと思いますが、それが商品であるということだけは、頭の片隅に留めていて欲しいと思うのです。
そんな親子連れが、今日は朝から、小店の一番のお客様でした。いつもながら親も子も、百人百態。その様子を眺めているだけで、いろいろと考えさせられて、飽きることはありません。
遊び場だと勘違いしている子も多く、幼子がそう思う分には、咎めようもありませんが、中には付き添っているママも、それを当然のことのように、ただ遊ばせているだけと見えることもあります。
パパの場合、まずそういうことはありません。それは店に気遣いがあるというよりは、ご自身に興味がないことについて、そんなに辛抱強く待っていられないからでしょう。
今日のパパは、子が走り寄るなり、「買わないよ!」と、きっぱり宣言しました。お子さんの方は、それを無視してふたつばかりプラレールを選び出し、「これ欲しい」。そこから先は「買って」「買わない」の応酬です。
長いこと、男の子の泣き叫ぶ声が続きました。店先からは離れたのですが、すぐ前の路上で、延々と主張し続けていたのです。
なぜその場にとどまったままなのか、表まで見に行ったわけではありませんから、様子が分かりませんが、座り込んで動かなかったということでもなさそうです。あるいは、ママと待ち合わせをしていたのでしょうか。
「じゃあ先に帰るよ」というパパの声が、繰返し何度か聞こえた後で、事態は収拾されないまま、叫び声だけが次第に遠ざかって行きました。
もちろんママが相手でも、駄々をこねる子はいます。しかし、そこから先のあしらい方には、パパとママでは、はっきりと経験の差が現れるようです。ママの方は、日に何度となく、そうしたことを繰り返しているのでしょうから。
ですから、子のやりたいようにさせて、静かに見ているというママの子育て方針には、充分敬意を払いたいと思いますが、それが商品であるということだけは、頭の片隅に留めていて欲しいと思うのです。
2015年05月09日
書留でよかった
一昨日、ロンドンのC夫人から、2週間ほど前に送った文庫約20冊が「今日届いた」と、電話でご連絡いただきました。
半年に一度くらい、「みつくろい」で文庫を送ってほしいといって、現金一万円が送られてくることが、これでもう3度目か4度目になるでしょうか。
最近では、その「みつくろい」は家人の担当になっています。少しばかり年上であるはずのC夫人の好みも、かなり分かってきたようで、店にある本で間に合わないとき(それが殆どですが)は、せどりにも出かけます。
20冊ほどですと、SAL便送料が5000円前後になりますから、せどりをしていたのでは利益はほとんど出ませんし、そもそもそれほどの冊数を望んでおられるのでもないのですが、ついサービス精神の権化となってしまうようです。
ともかく「無事に届きました、こんなに送っていただいていいのでしょうか」、というお電話は店主が受けましたので、その旨を家人に伝えました。
そんな折、「4月21日に発送通知をもらった書籍が、まだ届かない。調べてもらえないか」というメールが、今日の午前2時に入っていました。発信元はニューヨークです。
こちらは1kg未満の図録一冊ですが、同じSAL便で、ロンドンに出すより数日前のことですから、確かにもう着いていなくてはいけないはずです。
店に来て早速、書留の控えを探し始めましたが、この2ヶ月ほどのあいだにあった5件の海外発送のなかで、この控えだけが、なかなか見つかりません。納品台帳を調べると、これに関するデータもないのです。
一瞬、呆然としましたが、よくよく考えると、ちょうどプリンターが故障してしまった日で、書類も手書き、宛名も手書きで発送したのだと言うことを思いだしました。
結局、控えは店の連絡ノートに挟んであったのを家人が見つけ出してくれ、トラッキングナンバーを先方に通知すると、ほどなく、5月5日にJFKに着いていることまでは確認できたと返信が入りました。
一安心ですが、それにしてもゆっくりです。もしかしたら店主の手書き文字が読めなくて、手間取っているのでしょうか。
半年に一度くらい、「みつくろい」で文庫を送ってほしいといって、現金一万円が送られてくることが、これでもう3度目か4度目になるでしょうか。
最近では、その「みつくろい」は家人の担当になっています。少しばかり年上であるはずのC夫人の好みも、かなり分かってきたようで、店にある本で間に合わないとき(それが殆どですが)は、せどりにも出かけます。
20冊ほどですと、SAL便送料が5000円前後になりますから、せどりをしていたのでは利益はほとんど出ませんし、そもそもそれほどの冊数を望んでおられるのでもないのですが、ついサービス精神の権化となってしまうようです。
ともかく「無事に届きました、こんなに送っていただいていいのでしょうか」、というお電話は店主が受けましたので、その旨を家人に伝えました。
そんな折、「4月21日に発送通知をもらった書籍が、まだ届かない。調べてもらえないか」というメールが、今日の午前2時に入っていました。発信元はニューヨークです。
こちらは1kg未満の図録一冊ですが、同じSAL便で、ロンドンに出すより数日前のことですから、確かにもう着いていなくてはいけないはずです。
店に来て早速、書留の控えを探し始めましたが、この2ヶ月ほどのあいだにあった5件の海外発送のなかで、この控えだけが、なかなか見つかりません。納品台帳を調べると、これに関するデータもないのです。
一瞬、呆然としましたが、よくよく考えると、ちょうどプリンターが故障してしまった日で、書類も手書き、宛名も手書きで発送したのだと言うことを思いだしました。
結局、控えは店の連絡ノートに挟んであったのを家人が見つけ出してくれ、トラッキングナンバーを先方に通知すると、ほどなく、5月5日にJFKに着いていることまでは確認できたと返信が入りました。
一安心ですが、それにしてもゆっくりです。もしかしたら店主の手書き文字が読めなくて、手間取っているのでしょうか。
2015年05月08日
誰のツイート
家人から、ツイッターのタイムラインに面白いツイートが出ていると知らされました。2、3日前のことです。
古本とか、本屋とかいう言葉を拾うように、娘が設定してくれているらしく、家人はそれをこまめにチェックしていて、時おり、読んだ内容を店主に話してくれるのですが、その時はたまたま近くに居合わせましたので、自ら画面を覗きました。
実話であると断って、古本屋の市場での言動を書いたものです。登場するのは扶桑書房さんと石神井書林さん。短くまとめられていますが、二人を知る者にとっては、思わず吹き出すしかない内容でした。まさにこの通りのやり取りを、店主も一度ならず聞いているからです。
一読して、一体誰がこれを書いたのだろうかという疑問が湧きました。あたかも、扶桑さんから聞かされた話を、ある本屋が書いているような体裁ですが、こんなツイートをしそうな同業が思い浮かびません。
もう一度、読み返してみると、扶桑さんが「今日は石神井さんにやられた」と言い、しかし実際は「9勝1敗」で扶桑さんの圧勝だったというような書きぶりは、石神井さん本人でなければできないはずです。
さらにダメを押すように、扶桑さんが「どうして皆もっと入札しないんだろう」とボヤクのに、「あんたがいるからでしょ」と突っ込みを入れているところなど、石神井さんの言葉そのもの。
しかし、石神井さんがツイートしたのでないことは確信できました。それで今日、明治古典会で石神井さんに会ったとき、早速この話をして、一体誰が書いたのだろうと尋ねたのです。
もちろんご当人は、そんなツイートがあったことすらご存じありませんでした。まるで自分の言葉のようだとは認めながら、誰が書いたかは想像もつかないようでした。
扶桑さんとも話す機会があったので、こちらにもご注進に及んだのですが、面白がってくれたものの、やはり書き手は見当がつかないとのこと。
どうも古本屋が書いているのではないのではないか、というのが今の店主の推測です。
古本とか、本屋とかいう言葉を拾うように、娘が設定してくれているらしく、家人はそれをこまめにチェックしていて、時おり、読んだ内容を店主に話してくれるのですが、その時はたまたま近くに居合わせましたので、自ら画面を覗きました。
実話であると断って、古本屋の市場での言動を書いたものです。登場するのは扶桑書房さんと石神井書林さん。短くまとめられていますが、二人を知る者にとっては、思わず吹き出すしかない内容でした。まさにこの通りのやり取りを、店主も一度ならず聞いているからです。
一読して、一体誰がこれを書いたのだろうかという疑問が湧きました。あたかも、扶桑さんから聞かされた話を、ある本屋が書いているような体裁ですが、こんなツイートをしそうな同業が思い浮かびません。
もう一度、読み返してみると、扶桑さんが「今日は石神井さんにやられた」と言い、しかし実際は「9勝1敗」で扶桑さんの圧勝だったというような書きぶりは、石神井さん本人でなければできないはずです。
さらにダメを押すように、扶桑さんが「どうして皆もっと入札しないんだろう」とボヤクのに、「あんたがいるからでしょ」と突っ込みを入れているところなど、石神井さんの言葉そのもの。
しかし、石神井さんがツイートしたのでないことは確信できました。それで今日、明治古典会で石神井さんに会ったとき、早速この話をして、一体誰が書いたのだろうと尋ねたのです。
もちろんご当人は、そんなツイートがあったことすらご存じありませんでした。まるで自分の言葉のようだとは認めながら、誰が書いたかは想像もつかないようでした。
扶桑さんとも話す機会があったので、こちらにもご注進に及んだのですが、面白がってくれたものの、やはり書き手は見当がつかないとのこと。
どうも古本屋が書いているのではないのではないか、というのが今の店主の推測です。
2015年05月07日
公費書類の規則
クレジット決済をご希望の、ある注文が入りました。
お客様】 公費にて支払いたいため、手書きの領収書が必要になりますが、可能でしょうか。可能でしたら購入したいです。宛名は××大学、クレジット決済の表記は無しとしてください。
小店】 ご利用ありがとうございます。手書きにつきましては、是非にということでしたら対応いたしますが、その場合でも、クレジット決済によるものであるということは明記させていただきたく存じます。公費関連も、これまで、それで受け取っていただいております。
お客様】 返信ありがとうございます。手書きの領収書でなくても押印されていればいいのですが、クレジット決済の表記があると本学では事務処理不可なので今回は辞退させていただきたく存じます。申し訳ありません。
小店】 ご事情、了解いたしました。学校により、妙な会計規則があるものですね。いずれは不合理な規則が見直されることを期待したいと思います。今回は残念でしたが、またのご利用をお待ち申し上げます。
お客様】 ありがとうございます。クレジットだと、ポイントがつくということでNGのようです。そういう時代ではないと思うのですが。私自身も改善を期待しているところです。いずれにせよ、お手数をおかけいたしました。
さて、こんなやりとりを転記いたしましたのは、公費に関する事務取り扱いが、学校または機関により実にさまざまで、時に不合理なものであることを、あらためてお伝えしたかったからです。
一番まちまちなのは、送料の扱いです。書籍代金に含めて請求してほしいというケースが多数派ですが、時折、書籍代とは別項目でという場合もあります。
次に分かれるのは、書類の日付です。空欄にしておいてほしいという要望をたまにいただきますが、一方で、不正の原因となるので、印刷書類の場合は日付も必ず印字してほしいと、わざわざ文書をいただいたこともありました。
お役所仕事というものは、いつまでもなくならないようです。
お客様】 公費にて支払いたいため、手書きの領収書が必要になりますが、可能でしょうか。可能でしたら購入したいです。宛名は××大学、クレジット決済の表記は無しとしてください。
小店】 ご利用ありがとうございます。手書きにつきましては、是非にということでしたら対応いたしますが、その場合でも、クレジット決済によるものであるということは明記させていただきたく存じます。公費関連も、これまで、それで受け取っていただいております。
お客様】 返信ありがとうございます。手書きの領収書でなくても押印されていればいいのですが、クレジット決済の表記があると本学では事務処理不可なので今回は辞退させていただきたく存じます。申し訳ありません。
小店】 ご事情、了解いたしました。学校により、妙な会計規則があるものですね。いずれは不合理な規則が見直されることを期待したいと思います。今回は残念でしたが、またのご利用をお待ち申し上げます。
お客様】 ありがとうございます。クレジットだと、ポイントがつくということでNGのようです。そういう時代ではないと思うのですが。私自身も改善を期待しているところです。いずれにせよ、お手数をおかけいたしました。
さて、こんなやりとりを転記いたしましたのは、公費に関する事務取り扱いが、学校または機関により実にさまざまで、時に不合理なものであることを、あらためてお伝えしたかったからです。
一番まちまちなのは、送料の扱いです。書籍代金に含めて請求してほしいというケースが多数派ですが、時折、書籍代とは別項目でという場合もあります。
次に分かれるのは、書類の日付です。空欄にしておいてほしいという要望をたまにいただきますが、一方で、不正の原因となるので、印刷書類の場合は日付も必ず印字してほしいと、わざわざ文書をいただいたこともありました。
お役所仕事というものは、いつまでもなくならないようです。
2015年05月06日
記憶の器
何年か前、小津の作品をNHK-BSで続けざまに放映したことがありました。
あれは没後50年の年だったのでしょうか。だとすると2年前のことですが、そんな最近のことには思えません。では生誕100年?となると12年前の話になります。それほど昔のことにも思えません。けど、そのいずれかには違いない。
どうも記憶力がますます退化しており、遠からず、昨日のことと何年も前のことの、区別がつかなくなることでしょう。
そんなことを考えたきっかけは、本の山の上に岩波新書の『小津安二郎』(浜野保樹)を見つけ、その帯にある「没後三十年、いま甦える日本映画の巨匠」という惹句が目に入ったからです。
この本が出て、もう20年は経っているのではないだろうか。そう思って奥付を見ると、案の定、1993年1月の発行とあります。そこから逆算して、冒頭の記憶を手繰ってみたという次第。
小津は60歳の誕生日に病没するという「離れ業」をやってのけ、蓮實さんがつとに絶賛しているところであることは、ご承知の通りです。
しかし店主が感じたのは、映画とも小津とも関係のないことでした。この本は、22年という年月を経て、こうしてまだ良い状態で目の前にあります。中身についても、過去の人物の評伝ですから、それほど古くなっていることもありません。
実際、少し読み始めて、その面白さに、これから読む本の仲間に加えたほどです。
なにも20年前にとどまりません。50年、100年前に出版されたものでも、こうして目の前にあれば、開いてすぐに読み始めることが出来る。
これは『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(阪急コミュニケーションズ)でウンベルト・エーコも語っていたことですが、その簡便さは、ありがたいものに思います。
あれは没後50年の年だったのでしょうか。だとすると2年前のことですが、そんな最近のことには思えません。では生誕100年?となると12年前の話になります。それほど昔のことにも思えません。けど、そのいずれかには違いない。
どうも記憶力がますます退化しており、遠からず、昨日のことと何年も前のことの、区別がつかなくなることでしょう。
そんなことを考えたきっかけは、本の山の上に岩波新書の『小津安二郎』(浜野保樹)を見つけ、その帯にある「没後三十年、いま甦える日本映画の巨匠」という惹句が目に入ったからです。
この本が出て、もう20年は経っているのではないだろうか。そう思って奥付を見ると、案の定、1993年1月の発行とあります。そこから逆算して、冒頭の記憶を手繰ってみたという次第。
小津は60歳の誕生日に病没するという「離れ業」をやってのけ、蓮實さんがつとに絶賛しているところであることは、ご承知の通りです。
しかし店主が感じたのは、映画とも小津とも関係のないことでした。この本は、22年という年月を経て、こうしてまだ良い状態で目の前にあります。中身についても、過去の人物の評伝ですから、それほど古くなっていることもありません。
実際、少し読み始めて、その面白さに、これから読む本の仲間に加えたほどです。
なにも20年前にとどまりません。50年、100年前に出版されたものでも、こうして目の前にあれば、開いてすぐに読み始めることが出来る。
これは『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(阪急コミュニケーションズ)でウンベルト・エーコも語っていたことですが、その簡便さは、ありがたいものに思います。
2015年05月05日
パンとチーズ
日ごろから、世間の皆様にはどうでもいいような話ばかりですが、今日はまた、とりわけ個人的なお話ですので、ばかばかしいと思われる方は、初めからお読みにならないことをお奨めいたします。
我が家の朝食はパン、というのが長い間の習慣でした。飲み物はカフェオレ。主菜はあったりなかったり。つまり英国風の時もあれば、大陸風の時もあるといった具合。
それが、しばらく前から方針を変えて、朝はご飯に味噌汁。前夜の残りものがとぼしい時は、干物や西京漬けを焼いて、それにお漬物など。
別に、もっとコメを食べようなどと考えたわけではありません。一番の理由は、家人が最近、幾度か体調を崩したりしているうちに、コーヒーを欲しなくなったというところにあります。
もうひとつは、やはり体調がすぐれない時に、コンチネンタル・ブレックファストなどと言えば聞こえはいいですが、要するにコーヒーとパン、せいぜいがジャム、というような朝食になるのが、家人としては不本意だったこともあるようです。
なにも、家人任せにせず、他のものが朝食を作ればよいのですが、我が家では、家人以外は食に恬淡なところがあり、睡眠時間を削って支度をするよりは、ゆっくり寝て、食事は簡単に済ませる方を選ぶ傾向にあります。
つまり、放っておくと、ひたすら大陸風朝食の日々が続くというわけで、朝食を和風にすれば、もう少しいろいろなものを採れるはず、というのが家人の狙いでもありました。
これにつれて、お昼にパンをいただくことが増えました。しかも、友人から貰ったイタリア土産のおいしいチーズがありましたから、パンとチーズとカフェオレの昼食が、しばらく楽しめました。
ところが、さしも大きな塊であったボローニャのチーズも、縁の堅いところを残すばかりとなり、ここはさすがに食べられません。ついに今日で食べ納めとなりました。
明日からは、お昼に何を食べようか、というのが今の悩みです。
我が家の朝食はパン、というのが長い間の習慣でした。飲み物はカフェオレ。主菜はあったりなかったり。つまり英国風の時もあれば、大陸風の時もあるといった具合。
それが、しばらく前から方針を変えて、朝はご飯に味噌汁。前夜の残りものがとぼしい時は、干物や西京漬けを焼いて、それにお漬物など。
別に、もっとコメを食べようなどと考えたわけではありません。一番の理由は、家人が最近、幾度か体調を崩したりしているうちに、コーヒーを欲しなくなったというところにあります。
もうひとつは、やはり体調がすぐれない時に、コンチネンタル・ブレックファストなどと言えば聞こえはいいですが、要するにコーヒーとパン、せいぜいがジャム、というような朝食になるのが、家人としては不本意だったこともあるようです。
なにも、家人任せにせず、他のものが朝食を作ればよいのですが、我が家では、家人以外は食に恬淡なところがあり、睡眠時間を削って支度をするよりは、ゆっくり寝て、食事は簡単に済ませる方を選ぶ傾向にあります。
つまり、放っておくと、ひたすら大陸風朝食の日々が続くというわけで、朝食を和風にすれば、もう少しいろいろなものを採れるはず、というのが家人の狙いでもありました。
これにつれて、お昼にパンをいただくことが増えました。しかも、友人から貰ったイタリア土産のおいしいチーズがありましたから、パンとチーズとカフェオレの昼食が、しばらく楽しめました。
ところが、さしも大きな塊であったボローニャのチーズも、縁の堅いところを残すばかりとなり、ここはさすがに食べられません。ついに今日で食べ納めとなりました。
明日からは、お昼に何を食べようか、というのが今の悩みです。
2015年05月04日
営業してます
中にはご心配いただいている方もおいでかも知れませんので、膝痛のその後について、ちょっとご報告。
翌日一日、用心しながら動いておりましたところ、どうやら症状は改善し、特に痛みを感じることはありませんでした。夜には自宅の階段を、手をつかずに上がれるまでになりました。
してみると、これは要するにギックリ腰ならぬ、ギックリ膝のようなものだったのでしょうか。ただ、あれ以来、家の階段以外の昇り降りはしておりませんので、もう大丈夫という保証はありません。
さらに膝の身代わりのように腰と首の痛みが、あの日以降続いていて、こちらは慣れていることもあり、耐え難いというほどではないのですが、仕事をする気力を確実に萎えさせます。
もっとも、気力が出ないのは体調のせいばかりではなく、あまりにも静かなゴールデンウィークの駒場という環境によるものでもあります。昨日今日と、表を通る人影もまばら。
しかしモノは考えようです。ゆっくり休ませてもらっていると思えば、それほど悪いことではありません。どこかに出かけたいとか、何かをしたいという、さしあたっての計画もないのですから、家でゴロゴロしているのも、店でのんびり座っているのも同じことでしょう。
時々思い出したように仕事をする。もっと時々、お客様もおいでになる。そんな具合にして、腰と首の養生に心がけながら、連休を過ごせば良いかと、開き直っております。
そうは言っても開業して32年、GWを休んだというのは、子たちが幼かったごく僅かの時期だけで、あとは毎年店を開けているというのに、この集客力の低さは、やはり情けない気がいたします。
とりわけ昨日、一昨日と、岡崎さんの本や、「週刊エコノミスト」の記事を読んだりした後では、これこそ失敗古本屋の典型なのではないかと思えてきます。
「いい古本屋」には、こんな連休にこそ、お客様が押し寄せているのでしょうか。
翌日一日、用心しながら動いておりましたところ、どうやら症状は改善し、特に痛みを感じることはありませんでした。夜には自宅の階段を、手をつかずに上がれるまでになりました。
してみると、これは要するにギックリ腰ならぬ、ギックリ膝のようなものだったのでしょうか。ただ、あれ以来、家の階段以外の昇り降りはしておりませんので、もう大丈夫という保証はありません。
さらに膝の身代わりのように腰と首の痛みが、あの日以降続いていて、こちらは慣れていることもあり、耐え難いというほどではないのですが、仕事をする気力を確実に萎えさせます。
もっとも、気力が出ないのは体調のせいばかりではなく、あまりにも静かなゴールデンウィークの駒場という環境によるものでもあります。昨日今日と、表を通る人影もまばら。
しかしモノは考えようです。ゆっくり休ませてもらっていると思えば、それほど悪いことではありません。どこかに出かけたいとか、何かをしたいという、さしあたっての計画もないのですから、家でゴロゴロしているのも、店でのんびり座っているのも同じことでしょう。
時々思い出したように仕事をする。もっと時々、お客様もおいでになる。そんな具合にして、腰と首の養生に心がけながら、連休を過ごせば良いかと、開き直っております。
そうは言っても開業して32年、GWを休んだというのは、子たちが幼かったごく僅かの時期だけで、あとは毎年店を開けているというのに、この集客力の低さは、やはり情けない気がいたします。
とりわけ昨日、一昨日と、岡崎さんの本や、「週刊エコノミスト」の記事を読んだりした後では、これこそ失敗古本屋の典型なのではないかと思えてきます。
「いい古本屋」には、こんな連休にこそ、お客様が押し寄せているのでしょうか。
2015年05月03日
面白くて熱いか
やっぱり店主のような、すでに旧式となった古本屋には、恥ずかしくてまともに正視できない表紙です。
「いま古本屋が面白い」「GWは古本屋が熱い!」
所詮は週刊誌の見出しではないか、と言ってしまえばそれだけのことですが、ほかでもない『週刊エコノミスト』。れっきとした経済専門誌です。本当に、その誌面で語られるような話があるのだろうかと、おそるおそるページを開いて見ました。
一読して納得し、ちょっと落胆いたしました。業界人にとっては特に新味のある話ではない、というのが落胆した部分です。納得したのは、まあ現在の業界を俯瞰すれば、こんな見取り図だろう、という程度には公平に取り上げられていることです。
さすがはかつて毎日グラフアミューズで、毎年秋に「神田古書街神保町ガイド」なる特別号を出していた、毎日新聞社の刊行誌です。仄聞するところでは、毎年この特別号は良く売れて、ほぼ完売していたといいますが、そのスタッフも、関係しておられるのでしょうか。
つまり、特に経済専門誌であると思わなければ、古本屋というものの紹介記事として、良くまとまっていると思います。しかし、これが『エコノミスト』読者には、どのようなものとして受け止められるのだろう、というのがやはり気になるところです。
あるいは、近ごろ古本屋に関心を持つ人間が多いらしい、とでもいうリサーチがあって、新たな読者層の開拓のために組まれた特集なのでしょうか。
それにしても、目次を追ってみて、他に読んでみようと思う記事がないのに我ながら呆れました。自分が、世界や日本の経済状況に、いかに関心が低いかということが分かって。だからこそ、違和感を感じるのかもしれません。
もっとも、古本屋の中にも、株式相場に一喜一憂している人もいない訳ではありませんから、店主の経済音痴は、あくまで個人的な特殊事情だと思います。
「いま古本屋が面白い」「GWは古本屋が熱い!」
所詮は週刊誌の見出しではないか、と言ってしまえばそれだけのことですが、ほかでもない『週刊エコノミスト』。れっきとした経済専門誌です。本当に、その誌面で語られるような話があるのだろうかと、おそるおそるページを開いて見ました。
一読して納得し、ちょっと落胆いたしました。業界人にとっては特に新味のある話ではない、というのが落胆した部分です。納得したのは、まあ現在の業界を俯瞰すれば、こんな見取り図だろう、という程度には公平に取り上げられていることです。
さすがはかつて毎日グラフアミューズで、毎年秋に「神田古書街神保町ガイド」なる特別号を出していた、毎日新聞社の刊行誌です。仄聞するところでは、毎年この特別号は良く売れて、ほぼ完売していたといいますが、そのスタッフも、関係しておられるのでしょうか。
つまり、特に経済専門誌であると思わなければ、古本屋というものの紹介記事として、良くまとまっていると思います。しかし、これが『エコノミスト』読者には、どのようなものとして受け止められるのだろう、というのがやはり気になるところです。
あるいは、近ごろ古本屋に関心を持つ人間が多いらしい、とでもいうリサーチがあって、新たな読者層の開拓のために組まれた特集なのでしょうか。
それにしても、目次を追ってみて、他に読んでみようと思う記事がないのに我ながら呆れました。自分が、世界や日本の経済状況に、いかに関心が低いかということが分かって。だからこそ、違和感を感じるのかもしれません。
もっとも、古本屋の中にも、株式相場に一喜一憂している人もいない訳ではありませんから、店主の経済音痴は、あくまで個人的な特殊事情だと思います。
2015年05月02日
「いい古本屋」
しばらく前から、帳場の机に積み上げられた本の一番上に、岡崎武志さんの『古本道入門』(中公新書ラクレ、2011年)が一冊、ちょこんと乗っています。
勉強熱心ではない店主は、こういう本が出ても、真っ先に買って目を通すなどということを、したためしがありません。だからこの本も、自分で購入したのではなく、お客様から買い入れた中にあったものです(岡崎さんごめんなさい)。
しかも、それすら最近のことではありません。何時、どなたから買い入れたものか、未整理のまま積まれていた山の中から、店のものが見つけて、店番の時にでも読もうと持ってきて置いたもののようです。
ちょっと言い訳をさせていただけば、古本屋には、商売上の必要から目を通さなければならない本が、当の商品そのものを含め、案外沢山あります。古本および古本屋についての本を読む時間が、なかなかないのです。
それでも目の前にあれば、さすがに手に取って中を覗いてみたくなります。読み耽らないよう自戒しながら、目次を眺めました。すると目に入ったのは「いい古本屋のみわけかた」という項目です。さっそく学ぶことにしました。
まず「ごく一般的な、日ごろあんまり古本屋になじみのない、不特定多数の客を対象に」という前置きがあって、「しょっちゅう客が出入りし、数日たつと、本棚の本が少し入れ替わっている店」が「いい店」であると書かれています。
よく売れる店は、業者市での仕入れも客からの買入れも熱心だ。本棚が生鮮食料品売り場のように、新鮮な良品でいつも満たされている。「つまり本棚が呼吸」しているのだ。
いつも店内に客の姿がある。しかも常連の客が多い。通路に積んだ本が客の邪魔をしたり、本棚に空きが多くてガタガタになっている、なんてことがない。店先から店内まで掃除が行き届いて、クラシックやジャズのBGMをながすゆとりもある。いつまでも店にいたくなるのだ。
岡崎さんが、小店などに足を運ばない理由がよくわかりました。
勉強熱心ではない店主は、こういう本が出ても、真っ先に買って目を通すなどということを、したためしがありません。だからこの本も、自分で購入したのではなく、お客様から買い入れた中にあったものです(岡崎さんごめんなさい)。
しかも、それすら最近のことではありません。何時、どなたから買い入れたものか、未整理のまま積まれていた山の中から、店のものが見つけて、店番の時にでも読もうと持ってきて置いたもののようです。
ちょっと言い訳をさせていただけば、古本屋には、商売上の必要から目を通さなければならない本が、当の商品そのものを含め、案外沢山あります。古本および古本屋についての本を読む時間が、なかなかないのです。
それでも目の前にあれば、さすがに手に取って中を覗いてみたくなります。読み耽らないよう自戒しながら、目次を眺めました。すると目に入ったのは「いい古本屋のみわけかた」という項目です。さっそく学ぶことにしました。
まず「ごく一般的な、日ごろあんまり古本屋になじみのない、不特定多数の客を対象に」という前置きがあって、「しょっちゅう客が出入りし、数日たつと、本棚の本が少し入れ替わっている店」が「いい店」であると書かれています。
よく売れる店は、業者市での仕入れも客からの買入れも熱心だ。本棚が生鮮食料品売り場のように、新鮮な良品でいつも満たされている。「つまり本棚が呼吸」しているのだ。
いつも店内に客の姿がある。しかも常連の客が多い。通路に積んだ本が客の邪魔をしたり、本棚に空きが多くてガタガタになっている、なんてことがない。店先から店内まで掃除が行き届いて、クラシックやジャズのBGMをながすゆとりもある。いつまでも店にいたくなるのだ。
岡崎さんが、小店などに足を運ばない理由がよくわかりました。