2020年09月
2020年09月30日
コロナ終焉?
一足早くコロナ禍の影響から抜け出しました。といっても嬉しい話ではありません、9月のネット販売額のことです。
『日本の古本屋』管理画面で調べたところ、4月から6月にかけて5割増くらいの売上が続いていましたが、7、8月と少しずつ下降。そしてこの9月は、一気に3月以前の水準まで戻ってしまいました。
ただしあくまで小店のみの数字です。『日本の古本屋』全体についてはまだ聞いておりませんが、そんな落ち込みはないはず。やはり小店の品揃えに問題があるのでしょう。
ネット販売はコロナ以前に戻ったのに、店売りは最悪ペースを維持しています。というわけで小店の9月は、営業成績としては、とんでもない月となりました。緊急アラートでも出したいところです。
さて明日から10月。まずお伝えしておかなければならないのは、「洋書まつり」の開催が決定したこと。日程は早くから決まっておりました。今月末の30日(金)31日(土)の2日間。
ただ今年の場合は、予断を許さない情勢が続いておりましたので、間際まで休催の選択肢を残してあったのです。
しかしこれ以上、決断を遅らせては不都合も生じます。参加メンバーの意思を再度確認したところ、予定どおり開催しようということになりました。
その前週の青空古本まつり特選市は、すでに休止が決まっています。依然、感染拡大予防対策は重要な課題です。
開くからには、お客様に喜んでいただけるものにしなければなりません。また安心してご来場いただける会場にするためにも、さらに工夫を重ねたいと思います。
『日本の古本屋』管理画面で調べたところ、4月から6月にかけて5割増くらいの売上が続いていましたが、7、8月と少しずつ下降。そしてこの9月は、一気に3月以前の水準まで戻ってしまいました。
ただしあくまで小店のみの数字です。『日本の古本屋』全体についてはまだ聞いておりませんが、そんな落ち込みはないはず。やはり小店の品揃えに問題があるのでしょう。
ネット販売はコロナ以前に戻ったのに、店売りは最悪ペースを維持しています。というわけで小店の9月は、営業成績としては、とんでもない月となりました。緊急アラートでも出したいところです。
さて明日から10月。まずお伝えしておかなければならないのは、「洋書まつり」の開催が決定したこと。日程は早くから決まっておりました。今月末の30日(金)31日(土)の2日間。
ただ今年の場合は、予断を許さない情勢が続いておりましたので、間際まで休催の選択肢を残してあったのです。
しかしこれ以上、決断を遅らせては不都合も生じます。参加メンバーの意思を再度確認したところ、予定どおり開催しようということになりました。
その前週の青空古本まつり特選市は、すでに休止が決まっています。依然、感染拡大予防対策は重要な課題です。
開くからには、お客様に喜んでいただけるものにしなければなりません。また安心してご来場いただける会場にするためにも、さらに工夫を重ねたいと思います。
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2020年09月29日
一点もの
洋書会の9月は、かなり寂しい市が続きましたが、今日の月末特選市は久しぶりに活気がありました。
量こそ多くはなかったものの、面白い一口ものと、ネット入札用に出品された一点ものが、それぞれに人気を呼び、良い値にもなっていたようです。
店主もある1点に札を入れたのですが、9冊ひとまとめになっていた口で、中で欲しい本は1冊だけ。初めから勝ち目がないと思っておりました。それでも落とせないと悔しいものです。
要らない本についても、もう少し踏んでおけばよかっただろうかなどと、しばらく思いが残りました。
ところで「一点もの」と、つい申しましたが、ここでは自筆本など、いわゆるそれ1点しか存在しない、英語で言うところのuniqueな本を指しているわけではありません。
1冊あるいは1セット単位で出品される場合、それを通常そのように呼びならわしているのです。業界用語というより、市場用語といったところでしょうか。
店主にしてみれば、欲しかった1冊は1点で出品してもらいたかった。店主にとっては充分「一点もの」だったのに、と思うわけです。もちろん、それなら買えたかどうかは分かりませんが。
言葉の問題で思い出したのですが、NHKラジオ放送に「文化講演会」というシリーズがあります。
店主はもっぱら〈らじる・らじる〉の〈聞き逃し〉で聞くばかりなのですが、先日そこに金田一秀穂さんの「今どきの日本語」という講演を見つけました。
聞いてみるとこれがとても面白い。8月23日に放送されたもので、10月19日が配信終了だとか。それまでにもう一度聞いてみようと思っています。
量こそ多くはなかったものの、面白い一口ものと、ネット入札用に出品された一点ものが、それぞれに人気を呼び、良い値にもなっていたようです。
店主もある1点に札を入れたのですが、9冊ひとまとめになっていた口で、中で欲しい本は1冊だけ。初めから勝ち目がないと思っておりました。それでも落とせないと悔しいものです。
要らない本についても、もう少し踏んでおけばよかっただろうかなどと、しばらく思いが残りました。
ところで「一点もの」と、つい申しましたが、ここでは自筆本など、いわゆるそれ1点しか存在しない、英語で言うところのuniqueな本を指しているわけではありません。
1冊あるいは1セット単位で出品される場合、それを通常そのように呼びならわしているのです。業界用語というより、市場用語といったところでしょうか。
店主にしてみれば、欲しかった1冊は1点で出品してもらいたかった。店主にとっては充分「一点もの」だったのに、と思うわけです。もちろん、それなら買えたかどうかは分かりませんが。
言葉の問題で思い出したのですが、NHKラジオ放送に「文化講演会」というシリーズがあります。
店主はもっぱら〈らじる・らじる〉の〈聞き逃し〉で聞くばかりなのですが、先日そこに金田一秀穂さんの「今どきの日本語」という講演を見つけました。
聞いてみるとこれがとても面白い。8月23日に放送されたもので、10月19日が配信終了だとか。それまでにもう一度聞いてみようと思っています。
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2020年09月28日
中企センター時代
『百年史』委員会から出された宿題を考えているうち、少しずつ昔のことが思い出されてきました。
まず、旧古書会館を引き払い「ちよだ中小企業センター」に移ったのは2001年10月だったことが、手元にあったいくつかの資料から確認できました。
10月4日に「会館お別れパーティー」が開催されたことが南部支部『50周年記念誌』の年表に、10月18日に仮会場で初めての洋書会を開いたことが『東京洋書会誌』の年表に、それぞれ記載されています。
この間に引っ越しを行ったわけですが、かなり大変だったはずなのに、断片的な記憶しかありません。
中企センターは2003年の6月までで、7月に新会館オープン。この時の開館記念イベントについては、割合記憶に残っています。交換会は明治古典会七夕大入札会が口開けとなりました。
つまり一昨日ご紹介したIT部会が持たれた2001年というのは、旧会館から仮会場へ移った年です。
翌年の4月には全古書連大市会が開かれています。ここで何らかのデモンストレーションを行いたいという考えは、資料にも残されています。実際に何がなされたのか、思い出せないのが歯がゆいところ。
いずれにせよ2002年のある時点から実験的な作業が開始されなければ、2003年7月の新会館までに計算システム(売買記録のデジタル情報化)を稼働させられなかったはず、というのが現在の店主の推論です。
当時の『古書月報』を読み返せば、もう少し具体的なことが思い出せるでしょうか。店のどこかにあるはずですが、探し出すのが一苦労。古書会館で、バックナンバーをあたってみることにいたします。
まず、旧古書会館を引き払い「ちよだ中小企業センター」に移ったのは2001年10月だったことが、手元にあったいくつかの資料から確認できました。
10月4日に「会館お別れパーティー」が開催されたことが南部支部『50周年記念誌』の年表に、10月18日に仮会場で初めての洋書会を開いたことが『東京洋書会誌』の年表に、それぞれ記載されています。
この間に引っ越しを行ったわけですが、かなり大変だったはずなのに、断片的な記憶しかありません。
中企センターは2003年の6月までで、7月に新会館オープン。この時の開館記念イベントについては、割合記憶に残っています。交換会は明治古典会七夕大入札会が口開けとなりました。
つまり一昨日ご紹介したIT部会が持たれた2001年というのは、旧会館から仮会場へ移った年です。
翌年の4月には全古書連大市会が開かれています。ここで何らかのデモンストレーションを行いたいという考えは、資料にも残されています。実際に何がなされたのか、思い出せないのが歯がゆいところ。
いずれにせよ2002年のある時点から実験的な作業が開始されなければ、2003年7月の新会館までに計算システム(売買記録のデジタル情報化)を稼働させられなかったはず、というのが現在の店主の推論です。
当時の『古書月報』を読み返せば、もう少し具体的なことが思い出せるでしょうか。店のどこかにあるはずですが、探し出すのが一苦労。古書会館で、バックナンバーをあたってみることにいたします。
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2020年09月27日
筒抜け
一時期、若いオーストラリア人男性が東京組合に加入し、洋書会にも会員として加わっていたことがあります。
英米現代小説初版本や、写真集などを専門に扱っていて、短い期間ですが、神保町に店を構えたこともありました。その頃のことです。
ある日の洋書会だったと思います、憤懣やるかたないという口調で、彼が店主に話しかけてきました。
明治古典会で珍しい本を落札することができ、ほかの落札品と一緒に店に持ち帰ったところ、まだ荷も解かないうちに、知らないお客様が来られ「○○を手に入れたでしょう、譲ってくれませんか?」と迫られたのだそうです。
「どうなってるの?信じられない!」落札価格まで承知している様子だったとか。
市場の情報が筒抜けになっていることに驚き、同時に許せない思いを抱いたようでした。日本人の、とまでは言わなくとも、少なくとも古書組合員の商道徳について、大いに疑問を感じたことでしょう。
このケースでは、市場にいた誰かが個人的に情報をリークしたものと思われますが、今ではSNSなどでふとつぶやいたことが、瞬時に不特定多数に広まってしまいます。
非公開である市場の取引は、部外者にとっては興味深いものですから、ある程度の紹介は宣伝にもなるでしょう。しかし常に、誰かの商売を妨げることにならないかと、充分に気を配って発信しなければなりません。
自戒を込めて思うところです。
英米現代小説初版本や、写真集などを専門に扱っていて、短い期間ですが、神保町に店を構えたこともありました。その頃のことです。
ある日の洋書会だったと思います、憤懣やるかたないという口調で、彼が店主に話しかけてきました。
明治古典会で珍しい本を落札することができ、ほかの落札品と一緒に店に持ち帰ったところ、まだ荷も解かないうちに、知らないお客様が来られ「○○を手に入れたでしょう、譲ってくれませんか?」と迫られたのだそうです。
「どうなってるの?信じられない!」落札価格まで承知している様子だったとか。
市場の情報が筒抜けになっていることに驚き、同時に許せない思いを抱いたようでした。日本人の、とまでは言わなくとも、少なくとも古書組合員の商道徳について、大いに疑問を感じたことでしょう。
このケースでは、市場にいた誰かが個人的に情報をリークしたものと思われますが、今ではSNSなどでふとつぶやいたことが、瞬時に不特定多数に広まってしまいます。
非公開である市場の取引は、部外者にとっては興味深いものですから、ある程度の紹介は宣伝にもなるでしょう。しかし常に、誰かの商売を妨げることにならないかと、充分に気を配って発信しなければなりません。
自戒を込めて思うところです。
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2020年09月26日
宿題に手をつける
朝、通学時間と重なったためか、店の近くの道で、大勢の高校生とすれ違いました。駅のホームが見えるところに来ると、階段に向かって溢れんばかりの人波。
しかし賑やかだったのはそこまでで、僅か数十メートル先の小店につくと、まったく静まり返った休日の朝です。
そのまま午前中は、ほぼ無人状態。一日を通じても、近ごろの土曜日とは思えない人気の少なさでした。そこで店主は昨日の宿題を思い出し、最近見つけた昔の資料に目を通してみることにしたのです。
現古書会館は国と都の高度化事業資金を利用して建設したのですが、それには事業化構想をまとめる必要がありました。高度化即ちIT化ということで、IT部会なる会議が発足したのは2001年春。
手元にあったのはその第3回(5月)と、第10-12回(11、12月)の都合4回分の議事録です。
最初のものに店主は出席しておりませんが、終わりの3回には出ております。発言要旨が短く記載されているだけですし、すでに19年前のことでもあり、まったく記憶に残っておりません。
ただおかげで、思い出したこともいくつかあります。文書に残しておくことの大切さをあらためて感じました。多くは迷走の記録でもありましたが。
とはいうものの、一番肝心な買い上げ伝票(ヌキ)のコンピュータ入力を、いつから始めたのかという点については、未だに答えが見つかりません。
店主が持っているということは、組合にも保管されているはずです。国と違って処分しなければならない理由もありませんから、まだ残っていることでしょう。抜けているところを今度、見せてもらおうと思います。
しかし賑やかだったのはそこまでで、僅か数十メートル先の小店につくと、まったく静まり返った休日の朝です。
そのまま午前中は、ほぼ無人状態。一日を通じても、近ごろの土曜日とは思えない人気の少なさでした。そこで店主は昨日の宿題を思い出し、最近見つけた昔の資料に目を通してみることにしたのです。
現古書会館は国と都の高度化事業資金を利用して建設したのですが、それには事業化構想をまとめる必要がありました。高度化即ちIT化ということで、IT部会なる会議が発足したのは2001年春。
手元にあったのはその第3回(5月)と、第10-12回(11、12月)の都合4回分の議事録です。
最初のものに店主は出席しておりませんが、終わりの3回には出ております。発言要旨が短く記載されているだけですし、すでに19年前のことでもあり、まったく記憶に残っておりません。
ただおかげで、思い出したこともいくつかあります。文書に残しておくことの大切さをあらためて感じました。多くは迷走の記録でもありましたが。
とはいうものの、一番肝心な買い上げ伝票(ヌキ)のコンピュータ入力を、いつから始めたのかという点については、未だに答えが見つかりません。
店主が持っているということは、組合にも保管されているはずです。国と違って処分しなければならない理由もありませんから、まだ残っていることでしょう。抜けているところを今度、見せてもらおうと思います。
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2020年09月25日
記憶の頼りなさ
今日の明治古典会は、ひさびさに3階、4階が本で埋まりました。
2件の一口物は、いずれも結構質の良いもので、明古としては今期に入って最高の出来高となったようです。解禁したフリも盛り上がったようですが、残念ながらその時間、店主は市の会場にはおりませんでした。
現在編集が進んでいる「東京古書組合百年史」の編纂委員会からお呼びがかかり、その一部の章の作成に協力してほしいとのこと。
簡単な資料を用意するので、それをもとに昔のことを思い出して話してほしいという要請で、一緒に昔話をする程度のことならと、今日の午後3時から5時過ぎまで、7階の会議室に詰めていたのです。
まあそんな年になったということですが、今回のテーマとなったのは、組合がIT化や、会館建設に踏みきるに至ったあたりの経緯。つまり平成初め頃の古書業界、古書組合の状況を振り返ってみようというものでした。
大げさに言えば過去を再構築するような作業で、やってみると簡単なことではありません。大筋の流れは記録にも残っていて、覚えてもいるのですが、細かな具体的な点となると記憶というものの頼りなさを思い知らされます。
例えば組合が交換会の計算伝票(ヌキと呼びます)を手書きから、コンピュータ入力に切り替えたのはいつのことであったかという質問が、終わり間近になって出されました。
当時を知るはずのものが店主を含めその場に3人いたのですが、誰もはっきりとは、思い出せないのです。それにかかわっていたはずの店主が、もっとも情けない。
次回までの宿題とさせてもらいました。
2件の一口物は、いずれも結構質の良いもので、明古としては今期に入って最高の出来高となったようです。解禁したフリも盛り上がったようですが、残念ながらその時間、店主は市の会場にはおりませんでした。
現在編集が進んでいる「東京古書組合百年史」の編纂委員会からお呼びがかかり、その一部の章の作成に協力してほしいとのこと。
簡単な資料を用意するので、それをもとに昔のことを思い出して話してほしいという要請で、一緒に昔話をする程度のことならと、今日の午後3時から5時過ぎまで、7階の会議室に詰めていたのです。
まあそんな年になったということですが、今回のテーマとなったのは、組合がIT化や、会館建設に踏みきるに至ったあたりの経緯。つまり平成初め頃の古書業界、古書組合の状況を振り返ってみようというものでした。
大げさに言えば過去を再構築するような作業で、やってみると簡単なことではありません。大筋の流れは記録にも残っていて、覚えてもいるのですが、細かな具体的な点となると記憶というものの頼りなさを思い知らされます。
例えば組合が交換会の計算伝票(ヌキと呼びます)を手書きから、コンピュータ入力に切り替えたのはいつのことであったかという質問が、終わり間近になって出されました。
当時を知るはずのものが店主を含めその場に3人いたのですが、誰もはっきりとは、思い出せないのです。それにかかわっていたはずの店主が、もっとも情けない。
次回までの宿題とさせてもらいました。
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2020年09月24日
本は印刷物です
「ロンドン定期便」と、今やそう呼びたいほどのペースで、小説、エッセイなどの文庫本を、一人暮らしのご婦人に送っております。一度に20冊弱、最近は2か月に一度くらいの頻度。
どこで情報を得ておられるのか、読みたい本をあらかじめリストして送ってきます。それが届くと、家人は片端からネットで検索して注文。揃ったところで店主が荷造りして発送。随分と手馴れてきました。
しかし今回、思わぬところで手間どりました。これまでは集荷の方にお願いしていたのですが、最近、書留類の扱いをしてはならないことになったそうで、郵便局まで家人が出しに行ったのです。
それがしばらくすると局から電話があり、書類不備のため書き直してほしいといいます。
店主は国際郵便マイページサービスを利用して〈印刷物、航空便、書留付〉の書類をプリントアウトし、専用パウチに入れて貼付しました。
それに対し、内容物や金額の表示がないというのです。これはすでに経験済みで、印刷物というボタンを選択した時点で、ほかの細かな事項は記入できなくなります。けれどもそれで、前回までは問題ありませんでした。
電話で押し問答していても仕方ありませんから、家人が再び出向き、言われる通り手書きで書類を書き直したそうです。
すると今度は贈物としないと関税がかかるだとか、内容物をBookとすると送料が高くなるとか、この形状では印刷物に見えないとか、ワケの分からない話をされ、訂正のためにハンコを取りに戻ったりして、都合4往復はしたと思います。
歩くのは苦にしない家人ですが、店で座っていた店主の方が疲れてしまいました。
それにしてもその局員さん、どうやら本と印刷物を、別物だと思われているふしがあります。
どこで情報を得ておられるのか、読みたい本をあらかじめリストして送ってきます。それが届くと、家人は片端からネットで検索して注文。揃ったところで店主が荷造りして発送。随分と手馴れてきました。
しかし今回、思わぬところで手間どりました。これまでは集荷の方にお願いしていたのですが、最近、書留類の扱いをしてはならないことになったそうで、郵便局まで家人が出しに行ったのです。
それがしばらくすると局から電話があり、書類不備のため書き直してほしいといいます。
店主は国際郵便マイページサービスを利用して〈印刷物、航空便、書留付〉の書類をプリントアウトし、専用パウチに入れて貼付しました。
それに対し、内容物や金額の表示がないというのです。これはすでに経験済みで、印刷物というボタンを選択した時点で、ほかの細かな事項は記入できなくなります。けれどもそれで、前回までは問題ありませんでした。
電話で押し問答していても仕方ありませんから、家人が再び出向き、言われる通り手書きで書類を書き直したそうです。
すると今度は贈物としないと関税がかかるだとか、内容物をBookとすると送料が高くなるとか、この形状では印刷物に見えないとか、ワケの分からない話をされ、訂正のためにハンコを取りに戻ったりして、都合4往復はしたと思います。
歩くのは苦にしない家人ですが、店で座っていた店主の方が疲れてしまいました。
それにしてもその局員さん、どうやら本と印刷物を、別物だと思われているふしがあります。
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2020年09月23日
国勢調査に協力
本日、国民の義務をひとつ果たしました。国勢調査への回答です。
5年前がどうだったか、もう覚えておりませんが、インターネットで回答したのは今回が初めてのはずです。
いろいろなことがインターネットで出来るようになりました。今年は特に、休業補償金やら、家賃支援給付金やらと、何度もパソコンに向かって申請を重ねています。
ただそれらは、下手に間違うと給付がおりないかもしれない、少なくともかなり遅れるかもしれないと、非常に神経を使う作業でした。
それに比べればこの調査は、たとえ間違ったところで当方に損害が及ぶわけではありません。ですから気楽にやれば良さそうなものですが、いざ始めてみると、そういい加減にはできないのが不思議です。
一番苦労したのは最後に問われる「事業と仕事」に関する項目でした。本人の分はともかく、家族全員について記入しなければなりません。
まず店主と家人の事業所名称は「河野書店」で問題ないのですが、事業の内容をどう書くか。初め「古書籍売買」と書いたのですが、パンフレットを読み直すと「2種類以上の異なった事業を行っている場合は、主な事業の内容をひとつだけ書いてください」とあります。
さらに「卸売か小売りかの別が分かるように」とも。そこで「書き方の例」を見習って「古書籍の小売」といたしました。
娘たちの情報については、家に戻ってから書き込もうとしたところ、一時保存の仕組みがありません。仕方なくLINEでやり取りして、どうにか必要事項を埋め、送信にこぎつけた次第です。
5年前がどうだったか、もう覚えておりませんが、インターネットで回答したのは今回が初めてのはずです。
いろいろなことがインターネットで出来るようになりました。今年は特に、休業補償金やら、家賃支援給付金やらと、何度もパソコンに向かって申請を重ねています。
ただそれらは、下手に間違うと給付がおりないかもしれない、少なくともかなり遅れるかもしれないと、非常に神経を使う作業でした。
それに比べればこの調査は、たとえ間違ったところで当方に損害が及ぶわけではありません。ですから気楽にやれば良さそうなものですが、いざ始めてみると、そういい加減にはできないのが不思議です。
一番苦労したのは最後に問われる「事業と仕事」に関する項目でした。本人の分はともかく、家族全員について記入しなければなりません。
まず店主と家人の事業所名称は「河野書店」で問題ないのですが、事業の内容をどう書くか。初め「古書籍売買」と書いたのですが、パンフレットを読み直すと「2種類以上の異なった事業を行っている場合は、主な事業の内容をひとつだけ書いてください」とあります。
さらに「卸売か小売りかの別が分かるように」とも。そこで「書き方の例」を見習って「古書籍の小売」といたしました。
娘たちの情報については、家に戻ってから書き込もうとしたところ、一時保存の仕組みがありません。仕方なくLINEでやり取りして、どうにか必要事項を埋め、送信にこぎつけた次第です。
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2020年09月22日
カラスより人対策
店主の住まいのあたりは、今日が可燃ごみの収集日。
ゴミ出しは店主の役割なので、今朝も家のすぐ前の集積所に何袋か持って出ました。そして今朝もまた、いつものようにカラスに食い散らされたゴミを目にしました。
見るたびに思うのはカラスの賢さと、出す人のだらしなさです。思い切り散らかしている時もありますが、ピンポイントでつまみ出したとしか思われない、小さな穴しか開いていないこともあります。
もちろんゴミネットは掛けられているのですが、すでにボロボロ(その原因のひとつはカラスが食い破ったからですが)で、申し訳程度に被さっているだけ。開いている部分から自在にアタックしています。
防ぐには、生ごみは相当厳重に包むなどするしかないのですが、一番の防止法はなるべく回収時間近くにゴミを出すこと。しかしそれが出来ない事情があるのだろうと、散らされたゴミを見た時は、片付けたりしておりました。
いつも散らされるゴミは、その内容物から、ほぼ同一の家のものだと推測されました。しかも最近になって、店主が回収前のゴミを積み直していると、時おり脇を通り過ぎていく人が、その家の人だと分かりました。
それ以来、店主は散らされたゴミを片付けることを止めました。いずれご当人が気がついて、何らかの対応をしてくれることを期待してです。
しかしあるいは、とっくに気がついていて、知らぬふりをしている可能性もあります。だとすると、カラスより対策が厄介かもしれません。
ゴミ出しは店主の役割なので、今朝も家のすぐ前の集積所に何袋か持って出ました。そして今朝もまた、いつものようにカラスに食い散らされたゴミを目にしました。
見るたびに思うのはカラスの賢さと、出す人のだらしなさです。思い切り散らかしている時もありますが、ピンポイントでつまみ出したとしか思われない、小さな穴しか開いていないこともあります。
もちろんゴミネットは掛けられているのですが、すでにボロボロ(その原因のひとつはカラスが食い破ったからですが)で、申し訳程度に被さっているだけ。開いている部分から自在にアタックしています。
防ぐには、生ごみは相当厳重に包むなどするしかないのですが、一番の防止法はなるべく回収時間近くにゴミを出すこと。しかしそれが出来ない事情があるのだろうと、散らされたゴミを見た時は、片付けたりしておりました。
いつも散らされるゴミは、その内容物から、ほぼ同一の家のものだと推測されました。しかも最近になって、店主が回収前のゴミを積み直していると、時おり脇を通り過ぎていく人が、その家の人だと分かりました。
それ以来、店主は散らされたゴミを片付けることを止めました。いずれご当人が気がついて、何らかの対応をしてくれることを期待してです。
しかしあるいは、とっくに気がついていて、知らぬふりをしている可能性もあります。だとすると、カラスより対策が厄介かもしれません。
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2020年09月21日
感染症の現況
出版社を経営している大学時代の友人が、すぐ近くに住んでいるということは、以前にも書いております。
実際目と鼻の先といっていいほどの距離ですが、なかなか顔を合わすこともありません。その彼女が、昨日店を閉めている最中に、ひょっこり現れました。
「車変わった?」と尋ねますので「5月からね」と答えますと「そんなに長く会ってなかったんだ」。
後から調べてみると、5月のはじめ頃の休業期間中、たまたま店の表に出たところ、彼女が通りかかり、しばらく立ち話をしたのでした。車が来たのは5月下旬。ですから驚くほどご無沙汰したわけではありません。
話題は前回に引き続き、新型コロナ感染症。実は会社で8月に、2人目の感染者が出たのだそうです。
しかし3月の1人目の時とは打って変わり、すぐ病院で検査を受けることができ、感染症と判定されて入院することになったといいます。
さいわい軽症で済んだようですが、それでも復帰までに1か月かかったとか。
そんな次第で、会社の方は今でもテレワークが中心。とくに友人の場合は「お互い高齢者だからね、感染しちゃいけないんだよね」ということで、ずっと出社は控えているようです。
「でも疲れるよね、テレワークは。息が抜けない」ため息交じりにそういうと「じゃまた」と、帰っていきました。
収まりつつあるという見方が支配的ですが、果たして信じてよいものやら。
実際目と鼻の先といっていいほどの距離ですが、なかなか顔を合わすこともありません。その彼女が、昨日店を閉めている最中に、ひょっこり現れました。
「車変わった?」と尋ねますので「5月からね」と答えますと「そんなに長く会ってなかったんだ」。
後から調べてみると、5月のはじめ頃の休業期間中、たまたま店の表に出たところ、彼女が通りかかり、しばらく立ち話をしたのでした。車が来たのは5月下旬。ですから驚くほどご無沙汰したわけではありません。
話題は前回に引き続き、新型コロナ感染症。実は会社で8月に、2人目の感染者が出たのだそうです。
しかし3月の1人目の時とは打って変わり、すぐ病院で検査を受けることができ、感染症と判定されて入院することになったといいます。
さいわい軽症で済んだようですが、それでも復帰までに1か月かかったとか。
そんな次第で、会社の方は今でもテレワークが中心。とくに友人の場合は「お互い高齢者だからね、感染しちゃいけないんだよね」ということで、ずっと出社は控えているようです。
「でも疲れるよね、テレワークは。息が抜けない」ため息交じりにそういうと「じゃまた」と、帰っていきました。
収まりつつあるという見方が支配的ですが、果たして信じてよいものやら。
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