2012年06月26日

いつもながらの反省

久々、ちょっと悔しい気分です。今日の洋書会、フランス語を中心とした社会学と、現代思想の口が出ておりました。それを買い損ねたというお話。

逃がした魚のたとえのとおり、後になってから、何故もう少しまじめに踏まなかったのだろうと、悔やまれました。

というのは、落札価格が、より正確に言えばは落札者の上札ですら、決して踏めない金額ではなかったからです。踏む、というのは値踏みするということです、念のため。

本当は、こんなことは市場に出入りしていれば日常茶飯事なのですが、それが久々ということは、いかに普段、まじめに入札していないかということですね。

今日のその一口モノの中では、何点かに仕分けられたうち、その一点(一山)が、まず一番良いところを集めたものであると、すぐに見当が付きました。仕分けということについては、一言で説明は難しいのですが、そのように仕分けるのが最善である場合もあります。

逆に美味しいところを少しずつ振り分けて仕分ける方が、良い場合もあります。原則は、どちらが高くなるかという予測に基づきます。いわばプロの判断です。

問題は、それに対して入札者である店主の予断。今日の仕分け当番は、この手の本の専門店。その人がこのように仕分けた以上、この品に、相当強い札が入るはず。そう勝手に予測して、いわば投げやりな札を入れたというわけです。

CA3K0296もうひとつ、その一点は14本、およそ200冊前後という量。これを落札した場合、その先の仕事の段取りがつくだろうかと考えて、躊躇した面もありました。他にも何点か、本口に札を入れておりましたので。

蓋を開けてみれば、落札したのは仕分けたご当人ではなく、仕事熱心な別の業者。そしてその札なら、と思ったのは、先に申しましたとおり。弁解の余地のない敗戦です。

取られてから欲しくなるというのが、情けない。

konoinfo at 19:34│Comments(0)TrackBack(0)

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