2012年08月15日

我ヤサキ 人ヤサキ

業界先輩の葬儀。朝11時、上野寛永寺の告別式から、町屋斎場での収骨、そのあとの初七日までお付き合いして、店に戻ると午後5時。ほとんどの時間、腰を掛けていただけですのに、一日がかりの式は、やはり疲れました。

RIMG1264業界人の葬儀の場合、大抵は通夜で済まさせていただき、告別式に行くことは滅多にありません。ましてや、初七日まで残ることは。

今回の場合は、葬儀を取り仕切る同業から、事前に要請がありました。故人が組合理事長となられた、およそ20年前、店主も初めての理事として、その理事会に参加しております。そのご縁からの、ご指名でした。

理事会でご一緒したのは2年間に過ぎません。しかしその後も、いろいろと気に掛けていただき、市場で顔を合わせると、決まって「組合の仕事も、ほどほどにね」と、声を掛けてくださいました。

故人は戦後に神田で独立した書店としては、もっとも成功されたお一人だと思います。業界に、店主より関係の深かった方は、大勢いらっしゃるはずですが、お呼びがあった以上は、ご辞退するのも失礼です。

名だたる神田の大店、歴代の理事長などに混じって、同期理事も半数ほどが顔を揃え、突然の同窓会にもなりました。

初七日は九段のホテルグランドパレス。神保町の本屋さんの葬儀では、いわば定番のように使われる場所です。店主も過去に何度か、出席しました。ふと、その幾たびかを思い返し、あの時そこにいて、今ここにはいない人が、幾たりかおられることに気がつきました。

会を終えて、九段下の駅に向かうと、日の丸や旭日旗を打ち立てて、ハンドマイクで何やら叫んでいる集団と、それを取り巻く野次馬が、広い歩道に溢れていました。更に、その全体を遠く取り囲むように、機動隊員が警備網を作っています。

8月15日。あのマイクの若者たち、あるいはそこかしこで規制を受けていた情宣車の若者たちにとって、今日はどのような意味を持つ日なのでしょうか。

靖国通りには、延々と装甲車の列が連なっておりました。

konoinfo at 19:30│Comments(0)TrackBack(0)

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