2012年11月02日

作家と評論家

今日は明治古典会。いつものように午前11時ころについて、他の幹事、経営員が立ち働いている様子を目にした後、自分の役割であるパソコン作業を少しばかり。

それから昼食、午後は改札が進む間、札改めなど市会のお手伝い。明古としては、まずまず平均的な一日でした。

先日来、様々な小説家の献呈署名本一括、という口が市場に現れます。今日は遠藤周作、大江健三郎。以前には開高健、安部公房、その他その他。

それらはいずれも、ある文芸評論家に宛てられたもの。署名本は、もちろん署名のない場合に比べて良い値がつくものですが、その値打ちは、その作家の署名の稀少性に大きく左右されることは言うまでもありません。

例えば、今をときめく村上春樹は、署名が少ないことで知られています。ですから作家自身の人気とあいまって、その署名本は市場でも良い値がつきます。

献呈名は、その献呈先に意味がない限り、マイナスの要因となります。意味とは、第一に著者にとっての意味であり、第二にはそのことも含め、買い手にとっての意味です。

ここであげた一連の署名本が、ある文芸評論家に宛てられたものということは、その著者たちの評論家に対する姿勢を示しているわけですから、充分意味のあるものです。

署名にも自ずからその態度は表れるもので、親しげなもの、改まったもの、ぞんざいなもの、丁寧なもの、見ているだけで、そのあたりは伝わってくるから不思議です。

無視できない影響力を持つ評論家に対し、作家というものはかくも気を使うものなのか、というのがこれらの本に記された献呈署名を見て、店主がつくづく感じたことでした。

CA3K0375ちなみに、今日の二作家の署名本は、それぞれ10冊程度ずつで、落札価格は数万円程度。署名がなければ特に値がつかない、比較的後期の著作でしたから、まあ良い値がついたと言うべきでしょう。

konoinfo at 23:30│Comments(0)TrackBack(0)

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