2013年09月22日
証文の出し遅れ
先日来、倉庫と化してしまった店の裏の棚を、少しずつ整理し始めて、時に思いがけない本と再会しては、つい昔を思い出しております。
今日見つけたのはこの本。『視線と劇場』(梅本洋一 弘文堂 昭和62年)。著者は最近亡くなった、店主とほぼ同世代の演劇学者です。
演劇学者と決めつけてしまっては、後年の多彩な活動からすれば申し訳ないようですが、少なくともこの当時の著者について、そう呼んで大きな間違いではないでしょう。
目次を開くと、ジョルジュ・ストレーレル、ピーター・ブルック、太陽劇団…、懐かしい固有名詞が散見されます。しかし何よりそのテーマである「セノグラフィー」、そういえばこれについて、その後どんな展開があったのでしょうか。
演劇美学者の山内登美雄先生は、生前ご来店の折に、「演劇研究というと文学からのアプローチばかりで」と、こぼされたことがありますが、それはまさにこの、セノグラフィー論と相通じる問題意識でした。
その山内先生のご蔵書が、数か月前市場にでて、それと気づかずに、かなりの量を落札したことは、前にお伝えしたかもしれません。同様に、梅本さんの旧蔵書も、その一部は小店の在庫となりました。
以前は店主も、演劇関係書を集めるのに、もう少し熱心でした。特に洋書は、市場で見かければ買い込んでおりました。最近では、気が向いた時だけ手を出す程度になりましたが、売るための努力はほとんどしてきませんでしたから、在庫量だけは相当増えております。
今更、専門店を名乗るのは、恥ずかしくも烏滸がましいことですが、現在、日本書を中心に進めている整理が、洋書の方まで進めばそれなりのボリュームになるはずで、そのあかつきには小さく看板を掲げてみようかとも考えております。
とはいえ両先生すでに亡く、現在の演劇研究の状況にはまるで疎い店主が、ただ機会を捉えて集めただけの本ですので、果たしてどなたかに買っていただけるようなものなのかどうか、まるで想像もつきませんが。
今日見つけたのはこの本。『視線と劇場』(梅本洋一 弘文堂 昭和62年)。著者は最近亡くなった、店主とほぼ同世代の演劇学者です。
演劇学者と決めつけてしまっては、後年の多彩な活動からすれば申し訳ないようですが、少なくともこの当時の著者について、そう呼んで大きな間違いではないでしょう。
目次を開くと、ジョルジュ・ストレーレル、ピーター・ブルック、太陽劇団…、懐かしい固有名詞が散見されます。しかし何よりそのテーマである「セノグラフィー」、そういえばこれについて、その後どんな展開があったのでしょうか。
演劇美学者の山内登美雄先生は、生前ご来店の折に、「演劇研究というと文学からのアプローチばかりで」と、こぼされたことがありますが、それはまさにこの、セノグラフィー論と相通じる問題意識でした。
その山内先生のご蔵書が、数か月前市場にでて、それと気づかずに、かなりの量を落札したことは、前にお伝えしたかもしれません。同様に、梅本さんの旧蔵書も、その一部は小店の在庫となりました。
以前は店主も、演劇関係書を集めるのに、もう少し熱心でした。特に洋書は、市場で見かければ買い込んでおりました。最近では、気が向いた時だけ手を出す程度になりましたが、売るための努力はほとんどしてきませんでしたから、在庫量だけは相当増えております。
今更、専門店を名乗るのは、恥ずかしくも烏滸がましいことですが、現在、日本書を中心に進めている整理が、洋書の方まで進めばそれなりのボリュームになるはずで、そのあかつきには小さく看板を掲げてみようかとも考えております。
とはいえ両先生すでに亡く、現在の演劇研究の状況にはまるで疎い店主が、ただ機会を捉えて集めただけの本ですので、果たしてどなたかに買っていただけるようなものなのかどうか、まるで想像もつきませんが。
konoinfo at 18:30│Comments(0)│TrackBack(0)│
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。