2014年08月22日

自分の言葉を信じる

「皆さんが棄ててしまったような本こそ、今残っていると値打ちがあるのですよ」

いつもお客様に申し上げてきた言葉でした。その当人が、もうひとつ自分の言葉を信じきれなかったということでしょうか。

今日、市場に出品した日本書カーゴ2台。二、三十年ほど前の学術系の本が中心でしたから、予想に違わず、なかなか渋い落札価格にしかなりませんでした。

それはともかく、一番ガッカリしたのは、ちょっと筋違いながら保存帙に入った「暮らしの手帖」約100冊。実は、そう思って引き取ってきて、いざその帙を開いて見たら、中から現れたのは「芸術新潮」だったのです。

RIMG1478「暮らしの手帖」が、それほど良い値になると思ったわけではありません。しかしこれだけの冊数があれば、札を入れてくれる業者は居たはずです。

しかし「芸術新潮」となると、特にこの「暮らしの手帖」と同じ判型の、つまり1960年代の同誌は、まず札が入りません。

中身がそれと分かっていれば、わざわざ運んでこずに、その場においてきたでしょう。

その一方で、こんなことなら運べばよかったと、悔やまれるものがあります。「芸術新潮」と同年代の「週刊朝日」です。段ボール箱に詰められて、3箱ほどありましたでしょうか。

ただ、その箱自体が、かなりヤケて汚れていた上に、チラと覗いた限りでは、雑誌の方も相当ヤケているようでした。

それでも「芸術新潮」よりは、札が入る可能性が高かったと思われます。もしかすれば「化けた」(思いのほかの高値になった)かも知れないと、次第に惜しい気分になってきました。

ここにあげた三つの60年代雑誌の中で、現在一番目にする機会が少ないのはどれかと言えば、もちろん「週刊朝日」です。どの雑誌が一番広い層の興味を惹くかと考えても、答えは同じです。

こんな自明のことを、どうして過つのでしょうか。

konoinfo at 22:45│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

12月31日から1月3日まで
休業いたします
Profile

河野書店

Archives