2016年12月01日

『クラーク先生とその弟子達』

11030例によって片づけ作業の途中で出くわした一冊の本。その頁を開いてみる気になったのは、最近読み始めていた伊藤整の『日本文壇史』に触発されたのかもしれません。

この大著については、まだようやく文庫版の第一巻を読み終えたところで、何かを語る資格もないのですが、少なくともこの巻では幕末から明治初期にかけての、文壇前史をになう人々の動きが、目配り良くスケッチされていました。

そうした群像の中に、クラーク博士と札幌農学校の生徒たちについての記述も出てきます。それが頭に残っていて、たまたま目にした大島正健の著書に手が伸びたのでしょう。

自店データの記録では、ほぼ10年前に入手したことになっています。一度は棚に並べ、ネットにも上げたはずですが、いつか店の奥に塩漬けとなって今日に至りました。その間、一度として内容に興味を持つこともなかったわけです。

今度、そんなきっかけから本を開いて読み始めると、想像していたものとはまるで違う、読切講談のような語り口に、まず意表を突かれました。

一読して感じたのは、名が体を表していないということです。むしろ大島正健自伝というほうが、その内容に近いでしょう。この本の面白さは、その自伝的な部分にこそあると思います。

自らを褒めるにも遠慮のない、自由闊達な語り口によって、著者の幼少時から青年期にいたるまでが、実に生き生きと描き出されています。クラーク先生も、その弟子達も、大島青年の若き日を彩る傍役にすぎません。

一方で、保存されていたと思われる引用資料の豊富さと、60年も前の記憶をよくこれだけ細かに語れるものだという点には、驚かされました。伊藤の『日本文壇史』も、この著書を参考にしたと思われます。

大島の一級下になる新渡戸稲造も内村鑑三も、クラーク博士のあの名言は耳にしていなかったのだということを、改めて知らされました。

書かれたのは80年近く前。いま読んでも十分面白い本です。

konoinfo at 19:30│Comments(0)TrackBack(0)

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