2017年06月14日
須賀さんを偲ぶ
片づけ物をしていて、9年も前の「古書月報」がひょっこり出てきました。いかに日頃の整理が悪いかが分かろうというものです。
毎号、目を通してきたつもりではありますが、久しぶりに手に取ると、まるで初めて見るよう。その表紙に「特集・東部支部座談会」とあります。その頁を開いたとき、胸をつかれました。
冒頭に、今はない東部古書会館の写真と共に、司会者であるカンパネラ書房・須賀優さんの穏やかな笑顔が載っていたからです。
須賀さんは今年4月に亡くなられました。66歳だったそうです。その報せが今月初めになって、組合から同報メールで送られてきました。
実はその少し前、ある同業からその事実を知らされてはいたのですが、ひっそりと静かに去られたのが、いかにも彼らしい気がします。
この座談会の中でも語っておられますが、彼は南海堂書店の出身でした。店主が使ってくれる古書店を探し歩いている頃、すでに店員として働いておられました。
それでいて独立されたのは店主より3年後。おっとりとした性格は、南海堂出身者の集まりなどで同席した際に、お話しをしていても感じられたものです。
この時分は東部支部長をされていて、それで座談会の司会を任されたのでしょう。そのまとめとして、こんな言葉が残されていました。
うちも本当に厳しいのですが、古本屋で死にたいなあと。(略)十年後も古本屋をやっていられたらいいなあと思っています。
合掌
毎号、目を通してきたつもりではありますが、久しぶりに手に取ると、まるで初めて見るよう。その表紙に「特集・東部支部座談会」とあります。その頁を開いたとき、胸をつかれました。
冒頭に、今はない東部古書会館の写真と共に、司会者であるカンパネラ書房・須賀優さんの穏やかな笑顔が載っていたからです。
須賀さんは今年4月に亡くなられました。66歳だったそうです。その報せが今月初めになって、組合から同報メールで送られてきました。
実はその少し前、ある同業からその事実を知らされてはいたのですが、ひっそりと静かに去られたのが、いかにも彼らしい気がします。
この座談会の中でも語っておられますが、彼は南海堂書店の出身でした。店主が使ってくれる古書店を探し歩いている頃、すでに店員として働いておられました。
それでいて独立されたのは店主より3年後。おっとりとした性格は、南海堂出身者の集まりなどで同席した際に、お話しをしていても感じられたものです。
この時分は東部支部長をされていて、それで座談会の司会を任されたのでしょう。そのまとめとして、こんな言葉が残されていました。
うちも本当に厳しいのですが、古本屋で死にたいなあと。(略)十年後も古本屋をやっていられたらいいなあと思っています。
合掌
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