2017年06月18日
極私的記憶
『ぶらタモリ』で二週続けて名古屋が取り上げられ、特に二週目の昨日は「熱田」編。夕食時の放送は録画しておいて、末娘が帰るのを待って夜10時過ぎ、家族そろって画面に見入りました。
店主にとっては生まれ育った土地。子たちにしても毎年、盆や正月の帰省につき合わされ、今でも年に一度は訪ねている馴染みのある場所です。
どこをどう映されるのだろうかと楽しみに見ておりましたが、熱田神宮界隈、その南門から旧東海道へ出て「宮の渡し」跡へ至るあたり、どれひとつとして思い出のない道はありません。もちろんその光景は、すっかり様変わりしていますが。
そのうち案内者が、古い地形を説明するのに「このあたりは昔、浜だったんです」。何気なく発せられたその言葉に、思わず懐かしさがこみあげてきました。
というのも子供時分、生家の前の細い路地の一方をカミ、もう一方をハマと呼んでいたからです。
カミは神宮の方角。ハマは路地が開けてすぐ前に堀川。その堀川の先は、そう遠くない昔まで海であったと、祖母から聞かされて育ちました。
「秋葉神社」も櫛の目状の路地に一社ずつあって、「あきわさん」と呼びならわし、冬には「どんど焼き」で芋を焼いたものでした。
そんな幼少時の思い出に浸りながら、しかし一緒に視ている家族たちとは、それらの記憶を共有していないのだという当たり前の事実に、今さらのように気づかされてもいたのでした。
店主にとっては生まれ育った土地。子たちにしても毎年、盆や正月の帰省につき合わされ、今でも年に一度は訪ねている馴染みのある場所です。
どこをどう映されるのだろうかと楽しみに見ておりましたが、熱田神宮界隈、その南門から旧東海道へ出て「宮の渡し」跡へ至るあたり、どれひとつとして思い出のない道はありません。もちろんその光景は、すっかり様変わりしていますが。
そのうち案内者が、古い地形を説明するのに「このあたりは昔、浜だったんです」。何気なく発せられたその言葉に、思わず懐かしさがこみあげてきました。
というのも子供時分、生家の前の細い路地の一方をカミ、もう一方をハマと呼んでいたからです。
カミは神宮の方角。ハマは路地が開けてすぐ前に堀川。その堀川の先は、そう遠くない昔まで海であったと、祖母から聞かされて育ちました。
「秋葉神社」も櫛の目状の路地に一社ずつあって、「あきわさん」と呼びならわし、冬には「どんど焼き」で芋を焼いたものでした。
そんな幼少時の思い出に浸りながら、しかし一緒に視ている家族たちとは、それらの記憶を共有していないのだという当たり前の事実に、今さらのように気づかされてもいたのでした。
konoinfo at 18:30│Comments(0)│TrackBack(0)│
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