2017年11月22日
『蔵書一代』
新刊本を買って読んだのは、何年ぶりのことでしょうか。
店にある商売物の中にも、読みたい本は順番待ちの状態ですし、時々は著者ご自身が新著を贈ってくださることもあります。なかなか、買ってまで新刊を読む余地がありません。
そんな状況の中で今回、この本を読むことになったのは、五十嵐書店の親父さんから「是が非でも自分の言い分を聞いてほしいという」電話をいただいたからです。
本に書かれている内容についてだといいますから、何はともあれ、一読することにいたしました。
『蔵書一代』は五十嵐さんの古くからの知り合いである紀田順一郎さんが、失われたご自身の蔵書へ向けたレクイエム、あるいはエレジーとでもいうべきものです。
その悲しみから立ち直るため「蔵書とは何か」について、広範に語ろうとされたものでしょう。
お気持ちには察すべきところがありますが、五十嵐さんにとってはそれどころではない、実に心外な記述を見つけて、なんとも収まらなくなったようです。
大方の読者は、あっさり読み飛ばされるかもしれません。大略は次のように書かれています。
様々な変転の後、3万冊の蔵書のうち1万冊を(五十嵐さんらしき)書店に「一時、預けた」。予定が狂って半年ほど預けておいたうちに、目録にして売られてしまった。
どんな約束で「預けた」のか、売れてしまったのがどれほどだったのか、細かなことは書かれていません。書店を非難するような口調もありませんが、だからこそ「受難」が強調されているとも言えます。
嘘はないにしても、誇張や意図的な省略があるように店主は見受けました。親父さんから、詳しい経緯を聞かせてもらうことになりそうです。
店にある商売物の中にも、読みたい本は順番待ちの状態ですし、時々は著者ご自身が新著を贈ってくださることもあります。なかなか、買ってまで新刊を読む余地がありません。
そんな状況の中で今回、この本を読むことになったのは、五十嵐書店の親父さんから「是が非でも自分の言い分を聞いてほしいという」電話をいただいたからです。
本に書かれている内容についてだといいますから、何はともあれ、一読することにいたしました。
『蔵書一代』は五十嵐さんの古くからの知り合いである紀田順一郎さんが、失われたご自身の蔵書へ向けたレクイエム、あるいはエレジーとでもいうべきものです。
その悲しみから立ち直るため「蔵書とは何か」について、広範に語ろうとされたものでしょう。
お気持ちには察すべきところがありますが、五十嵐さんにとってはそれどころではない、実に心外な記述を見つけて、なんとも収まらなくなったようです。
大方の読者は、あっさり読み飛ばされるかもしれません。大略は次のように書かれています。
様々な変転の後、3万冊の蔵書のうち1万冊を(五十嵐さんらしき)書店に「一時、預けた」。予定が狂って半年ほど預けておいたうちに、目録にして売られてしまった。
どんな約束で「預けた」のか、売れてしまったのがどれほどだったのか、細かなことは書かれていません。書店を非難するような口調もありませんが、だからこそ「受難」が強調されているとも言えます。
嘘はないにしても、誇張や意図的な省略があるように店主は見受けました。親父さんから、詳しい経緯を聞かせてもらうことになりそうです。
konoinfo at 20:27│Comments(0)│
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