2018年03月20日
読書家の蔵書
今日の洋書会は、会場の半分が一口物の和書。
どうやらドイツ現代史がご専門だった方の蔵書らしいのですが、洋書の方は、確かにそれがうなずける内容でした。
しかし量にしてはるかに多い和書については、かなり幅広い分野のものが混然としていて、それだけ見たら、何を研究されていたか、まるで見当はつかなかったでしょう。
歴史、哲学思想、中国古典、そして文学書。しかも驚くことに、その大量の蔵書のほとんどに、読まれた痕跡がありました。
ふつう、これくらいの蔵書量の場合、手つかずの本というのが少なからずあるものですが、和書に限って言えば、それはごく僅か。
付箋が貼られ、鉛筆で線を引かれた本の方が、手つかず本よりずっと多かった気がします。
その勉強家ぶりには、ただただ感心するしかありません。まさに敬服の至りですが、古本屋としてみると、必ずしもありがたいとは申せません。
小口の汚れや、それ以上に気になったのが天のシミ斑。この2〜30年に出版された、いわゆる白っぽい本が多かっただけに、余計にそれらが目立つのでした。
そんなわけで、普通ならもっと細かく仕分けできる良い本ばかりでしたが、大きめな山に仕分け。
その甲斐あってカーゴ5台、ほぼボーなし(完売)。その結果に、荷主さんも納得の様子でした。
どうやらドイツ現代史がご専門だった方の蔵書らしいのですが、洋書の方は、確かにそれがうなずける内容でした。
しかし量にしてはるかに多い和書については、かなり幅広い分野のものが混然としていて、それだけ見たら、何を研究されていたか、まるで見当はつかなかったでしょう。
歴史、哲学思想、中国古典、そして文学書。しかも驚くことに、その大量の蔵書のほとんどに、読まれた痕跡がありました。
ふつう、これくらいの蔵書量の場合、手つかずの本というのが少なからずあるものですが、和書に限って言えば、それはごく僅か。
付箋が貼られ、鉛筆で線を引かれた本の方が、手つかず本よりずっと多かった気がします。
その勉強家ぶりには、ただただ感心するしかありません。まさに敬服の至りですが、古本屋としてみると、必ずしもありがたいとは申せません。
小口の汚れや、それ以上に気になったのが天のシミ斑。この2〜30年に出版された、いわゆる白っぽい本が多かっただけに、余計にそれらが目立つのでした。
そんなわけで、普通ならもっと細かく仕分けできる良い本ばかりでしたが、大きめな山に仕分け。
その甲斐あってカーゴ5台、ほぼボーなし(完売)。その結果に、荷主さんも納得の様子でした。
konoinfo at 19:30│Comments(0)│
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