2018年05月19日

忖度の危うさ

お昼休みに朝日新聞を広げて読んでいるうちに、思わず引き込まれておりました。

政治季評」欄の「忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く」と題された豊永郁子さんの文。まさに、我が意を得たりです。

佐川氏の証人喚問を見てアイヒマン裁判を思い出した、というところから話しが進められます。ハンナ・アレントが「忖度」という日本語を知っていたら、アイヒマンの行動をもっと楽に説明できたのではないかと。

ナチスの高官や指揮官たちは、ニュルンベルク裁判でそうであったが、大量虐殺に関するヒトラーの命令の有無についてはそろって言葉を濁す。絶滅収容所での空前絶後の蛮行も、各地に展開した殺戮舞台による虐殺も、彼らのヒトラーの意志に対する忖度が起こしたということなのだろうか。命令ではなく忖度が残虐行為の起源だったのだろうか。

そして「忖度されるリーダーはそれだけで辞任に値する」と結論されるのです。

危機的状況という言葉をしばしば耳にしますが、何が、なぜ危機的なのかということについて、あらためて教えていただいた気がします。

そんな思いでいたところ、整理していた本のなかに偶然『白薔薇は散らず』(未来社1955年)を見つけ、パラパラと頁を開くとこんな文章が目につきました。

白薔薇「一体、総裁は強制収容所のことを幾分かは知っているの?」
「知らんはずはないさ、もう出来てから何年にもなる上彼の側近たちがつくったのに。そしてなぜ、彼は自分の権力を利用して、こんなものを即刻廃止しなかったのか?なぜ、あそこを釈放された人たちは、その体験を話せば死刑だとおどかされているのか?」


konoinfo at 18:32│Comments(0)

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