2018年08月13日
本から紙幣
森鷗外の『ギヨオテ傳 』。といっても戦後、昭和23年に出た鱒書房版。それもカバーヤケイタミ欠損あり、本体ヤケ、小口にツカレ。さらにカバーにも見返しにも蔵印。
そればかりか、見返しには文字を消したというより、削ったあと。本文にも線引きがみられるなど、要するに古書としては、ほとんど値をつけられない本。
均一にでも投げ込んでおけば、物好きな方が、面白がってお買い上げくださる可能性がゼロではない。
そんな本の話を始めたのは、パラパラと頁を繰っていて、ふと何か挟まっているのが目に留まったからです。挟まっていたのは板垣退助の50銭紙幣2枚、いわゆる少額政府紙幣とよばれるもの。
蔵書印などから見て、少なくとも三名以上の持ち物となったはずのこの本、しかもしっかり読まれた痕跡もあるのに、ずっとそのまま挟まれていたことになります。誰がいつ挟んだのか。
板垣紙幣が発行されたのは昭和23年3月、廃止されたのは28年12月。最初の持ち主は、23年6月に神田で求めたと、見返しに記しています。彼でしょうか?
実は見返しにはもうひとつ、’50 May 27th 伊勢崎三光堂という表記があり、これが二番目の持ち主と思われます。どうやら彼らしい。
その次の持ち主の手に渡ったときは、すでに紙幣としての価値はなくなっていたのでしょう。それでそのまま、栞代わりに挟まれていたのかもしれません。激しいインフレの時代ですから、使えたとしても今の1円とか5円といった感じでしょうか。
一方『ギヨオテ伝』の定価は180円。ある資料によれば、昭和23年の小学校教員の初任給は2千円。本は、ずいぶん高価なものであったわけです。
そればかりか、見返しには文字を消したというより、削ったあと。本文にも線引きがみられるなど、要するに古書としては、ほとんど値をつけられない本。
均一にでも投げ込んでおけば、物好きな方が、面白がってお買い上げくださる可能性がゼロではない。
そんな本の話を始めたのは、パラパラと頁を繰っていて、ふと何か挟まっているのが目に留まったからです。挟まっていたのは板垣退助の50銭紙幣2枚、いわゆる少額政府紙幣とよばれるもの。
蔵書印などから見て、少なくとも三名以上の持ち物となったはずのこの本、しかもしっかり読まれた痕跡もあるのに、ずっとそのまま挟まれていたことになります。誰がいつ挟んだのか。
板垣紙幣が発行されたのは昭和23年3月、廃止されたのは28年12月。最初の持ち主は、23年6月に神田で求めたと、見返しに記しています。彼でしょうか?
実は見返しにはもうひとつ、’50 May 27th 伊勢崎三光堂という表記があり、これが二番目の持ち主と思われます。どうやら彼らしい。
その次の持ち主の手に渡ったときは、すでに紙幣としての価値はなくなっていたのでしょう。それでそのまま、栞代わりに挟まれていたのかもしれません。激しいインフレの時代ですから、使えたとしても今の1円とか5円といった感じでしょうか。
一方『ギヨオテ伝』の定価は180円。ある資料によれば、昭和23年の小学校教員の初任給は2千円。本は、ずいぶん高価なものであったわけです。
konoinfo at 19:30│Comments(0)│
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