2019年01月31日
伝わる言葉
お昼時、新聞を開いて、思わず膝を打つ言葉に出会いました。ローマ法研究者(と新聞では紹介されています)木庭顕さんの、朝日賞受賞セレモニーでの弁。
「知的伝統の重要性 若い世代に」という見出しでスピーチが要約されているのですが、その最後のところ。
伝え手にとって重要なのは、受け手を低く見ないこと。伝わらなかったら、レベルの落とし方が足らないのではなく、レベルそのものが低すぎるのです。
いかかでしょう、近々このまま「折々の言葉」に採用されるのではないでしょうか。
続けて、それに響きあうような文章を目にしました。
他大学に移って、学生の無能を嘆く東大旧同僚の多い中で、杉浦さんは学生に非常な愛情を持ち、分かり易い講義をするように努力している様子に感銘を受けた。
『杉浦克己と私たちの時代』(2002年)という追悼文集に見つけた一文で、書かれたのは店主がかねてよりひそかに尊敬するお一人である長尾龍一先生。
長尾先生は前の店に何度かお顔を見せてくださり、短い会話を交わしたこともあります。この文章を読んで、先生の退職が1998年であったことを知りました。
杉浦先生については著書のタイトルしか存じ上げませんでしたが、「中沢人事」では「かつて同志であった西部邁氏からの一方的マスコミ攻撃」(山脇直司氏、同書)を受けられた方だそうです。
しかし大勢の追悼文が寄せられた文集を拾い読みしていくと、「イデオロギーが違」っても「人間的好感が持てた」という長尾先生の言葉が、故人の人となりとして伝わってきます。
「知的伝統の重要性 若い世代に」という見出しでスピーチが要約されているのですが、その最後のところ。
伝え手にとって重要なのは、受け手を低く見ないこと。伝わらなかったら、レベルの落とし方が足らないのではなく、レベルそのものが低すぎるのです。
いかかでしょう、近々このまま「折々の言葉」に採用されるのではないでしょうか。
続けて、それに響きあうような文章を目にしました。
他大学に移って、学生の無能を嘆く東大旧同僚の多い中で、杉浦さんは学生に非常な愛情を持ち、分かり易い講義をするように努力している様子に感銘を受けた。
『杉浦克己と私たちの時代』(2002年)という追悼文集に見つけた一文で、書かれたのは店主がかねてよりひそかに尊敬するお一人である長尾龍一先生。
長尾先生は前の店に何度かお顔を見せてくださり、短い会話を交わしたこともあります。この文章を読んで、先生の退職が1998年であったことを知りました。
杉浦先生については著書のタイトルしか存じ上げませんでしたが、「中沢人事」では「かつて同志であった西部邁氏からの一方的マスコミ攻撃」(山脇直司氏、同書)を受けられた方だそうです。
しかし大勢の追悼文が寄せられた文集を拾い読みしていくと、「イデオロギーが違」っても「人間的好感が持てた」という長尾先生の言葉が、故人の人となりとして伝わってきます。
konoinfo at 19:30│Comments(0)│
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