2023年05月29日

まぼろしの「二国」

まったく存じませんでしたが、まかり間違えばこの駒場に、当時の呼称で「第二国立劇場」、現在の「新国立劇場」が建っていたかもしれなかったのです。

数日前、お客様がお持ち込みくださった本の中に鹿海信也という方の『文化、それは人との巡り逢い』という1冊がありました。

sanoいかにも自費出版めいた作りで、正直あまり評価をつけませんでしたが、カバーに佐野繁次郎の絵が使われているのが気になって、パラパラと中をめくってみると「私の叔父にあたる」とあります。

しかしそれはそれだけのこと、それ以上に興味を惹いたのが「文部省で文化部長を勤め、文化局や文化庁の創設に参画し、今日の芸術文化行政の基盤をつくる」とされたその経歴でした。

そこで改めてページを繰るうち「目黒区駒場」という文字が目に飛び込んできました。ページ上の柱に「第二国立劇場土地ばなし」とあります。

それによると昭和49年の時点で「二国」の候補地は駒場の東京教育大学農学部と、初台の通産省工業試験所に絞られていたようです。

著者も駒場推しで「抜本的対策として渋谷からの淡島通りの拡幅や井の頭線に渋谷から国立劇場までの特設路線を敷いてもよいではないかと私は自負していた」。さらにその年9月、時の奥野誠亮文部大臣に視察してもらうと「ここがいいよ。ここにしたまえ。ここに決めようよ」

実際に現在の場所に「新国立劇場」が建ったのは、それから23年後のことになります。長い長い紆余曲折のなかの一コマですが、かなりいい線まで行っていたらしい。もっとも、それが出来た方が良かったのかどうかは、意見の分かれるところでしょう。

konoinfo at 18:30│Comments(0)

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